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チャプター 20:「焼尽の風」

「ふう…………!」

 深く濃い息を吐きながら、知子は尚もオオカミの群れと相対し続けていた。

 茅沙が島を離れ、ベガに正面の防衛を任せてから、知子は誰とも連絡を取り合う事無く、

ひたすら戦い続けていた。長い緊張状態の間を縫うように、群れからの代表がバードアイ

へと飛びかかってくる。その度に、知子は心臓が飛び出る思いでオオカミを撃退し、辛う

じて演算素子であるバードアイを守る事ができていた。

 しかし当然の事ながら、他者と連絡が取れない以上、何らかの新たな問題が発生してい

る可能性がある。

 今、知子の心を支えているのは、背後で順調に進んでいるらしい、魔兵の生成音だけだ

った。

 遂に、その音が鳴り止む。

 知子が一瞬だけ背後を確認すると、バードアイ達の前に、新たに表示された操作用パネ

ルとモニターが一斉に並び始め、地平線の彼方まで並ぶその面が光で満たされていった。

 知子の集中力が切れ始めていると感じたらしいオオカミを刃先で牽制しながら、背後の

様子を見続ける。

 そして、チャンスだと飛び掛ってきたオオカミを切り払った瞬間、計算が開始された。

「よし! 始まった…………!」

 パネルを操作するけたたましい音が鳴り始め、光の海が激しく明滅を始める。あまりに

まばゆく、非自然的な光景にオオカミの群れは警戒を強めたが、しかしそれが自分達に無

害なものだと認識するや否や、バードアイ達へ近づき始める。

「くっ…………来ないで! 来るな!」

 反撃されないよう、微妙な立ち位置で牽制を続けるが、敵の動きは明確に変化を始めて

いた。

 オオカミ達は、知子が対多数の戦闘を得意としていない事に気づき始めていたのである。

中型獣ならば、一対一の状況で十分に戦える。しかし、数頭が同時に飛び掛るか突破を試

みた場合、知子はこれを捌き切る技量が無い。

「こんな時に、他の皆なら…………!」

 珍しく、知子は親友達が持つ優れた能力を羨んだ。

 茅沙の持つ天性の格闘センス。

 ちづるの実戦経験に裏打ちされた確たる戦闘能力。

 千歳の、知識を強さに変換する頭脳。

 自然界は身体のサイズが強さの指標であると言っても過言ではなく、実際に体格の良さ

は強さに直結する要素である。小柄な知子は、それだけでも相手に与えるプレッシャーが

弱い。

 無いものねだりだと自覚しつつも、間合いを詰めてくる相手に対する絶望感が、その思

考を加速させた。

 そして遂に、オオカミは新たな動きを始めた。

 今まで様子を見る為に放っていた一頭一頭ではなく、序列の低いオオカミを五頭同時に

けしかけてきたのである。広がりながら横一列に並んで接近してくる獣は、統率された熟

練兵のような振舞いで知子へ近づいてくる。

 この時、知子は瞬時に状況が最悪の方向へ向かった事に気づき、途方に暮れた。

 自分では、セラミックナイフ一本の力ではどうにもならない。

 徐々に歩を速めるオオカミの隊列と相対しながら、それでも尚、知子は虚勢を張り続け

た。友人達に比べて劣っていると自覚する頭を振り絞り、一匹でも多く受け止めようと、

死の覚悟すら決めてオオカミを睨んだ。

 そして。

「…………おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 遂に飛び掛かってきたオオカミに向け、知子は突進した。狙うのは正面の二匹。どう足

掻いても五匹は受け止めきれないと判断し、中心より右に並ぶオオカミの腹部を蹴り飛ば

すと、背後から決死の刺突を繰り出し、中央のオオカミの胴体を抉るこ事に成功する。

 しかし、零れた三頭は仕留めきれず、コンソールブックが無い事から魔法の行使もでき

ない。

 知子は最後の可能性を掛けて獣のように吼えた。

「とまれえええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 しかし、大声で自分達が傷つけられないと学習しているのか、オオカミは構わずバード

アイへ向かって行く。辛うじて一瞬の瞬発力に勝った知子だが、四足歩行の獣が相手では

そもそも走力が勝負にならない。

「あああ…………!」

 必死の努力が手から零れて行く。知子の脳裏に、世界の破滅が過ぎった。

 しかし、神は知子を見捨ててはいなかった。

爆炎(ブレイズ)!」

 短い詠唱と同時に、三頭のオオカミへ大津波のような炎が浴びせかけられる。

 周囲へ熱波を撒き散らす致命の大熱量。

 それでいながら、バードアイ達には全く被害を及ぼさない絶妙なコントロール。炎の風

が吹き抜けた後には、炭ですらなくなったオオカミ三頭の影だけが残された。

 一般的な人間の力を遥かに超越した、圧倒的な魔法の行使である。

「弱いくせに何をやってるのよ貴女は!」

 苛立った声が聞こえた方へ目を向けると、そこに立っていたのは、不思議な石版を幾つ

も宙に漂わせた金髪の少女。

 ローラ。

「ローラさん!」

 知子は直ぐに立ち上がり、バードアイ達を背に、歩み寄ってきたローラへ目を流す。

「助かりました。本当に」

 ローラは髪を揺らしながら早足で知子へ近づくと、鼻を鳴らして知子を見下ろす。

「別に貴女の為なんかじゃないわ。サターンがどうしても行って欲しいって言うから! 

あんな…………満身創痍の彼に言われて無視できるわけないじゃない!」

 ヒステリックに喚くローラに、知子は涙が零れそうだった。

 かつての敵が、世界の為に隣に立ってくれている。

 敵味方の境界を越え、世界が一つに纏まって行く。

「よし! 死ぬ気で、持ち堪えます!」

「いいえ」

 知子の作戦を否定したローラは、知子の背後にまわり、石版を左右に配置する。

「私の魔法の有効範囲が広いのは持ってきた石版以外の呪文を行使できないからなの。獣

が多いことを前提に炎の石版だけで固めて火力を上げているけれど、炎に強い大型獣が来

た場合受け止めきれない。だから貴女が先行して数を減らして頂戴。貴女が数を減らして

くれば分だけ、私の仕事も確実になるから…………どうせなら、ついでに死んで彼を解放

してくれない?」

 頼もしいローラの提案に、知子は笑いながら力強く頷いた。皮肉交じりの言葉にすら、

知子は笑い返す余裕が戻っていた。

「わかりました。行きます!」

 宣言すると、知子は前方に駆け出した。そして、突然向かってきた知子を牽制するよう

に吼えるオオカミを切り払い、辺りを見回す。

「まだ…………まだ!」

 オオカミ数頭に囲まれながらも、知子は自分の足を止めなかった。中型のオオカミだけ

ならば何頭だろうがローラの敵ではない。倒さなければならないのは、ローラが倒せない

と話す大型獣。

「どいて!」

 守りを任せられる人間が現れた事で、籠を飛び立った鳥のような気持ちで戦う知子。自

分が生き残る事だけを考えれば良い状況で、知子は短剣使いとしての技能を知らずの内に

開花させて行った。

 しかし。

「灰色熊…………?!」

 知子が遭遇してしまったのは、現実世界にも棲息する大型の熊。所謂グリズリーと呼ば

れる大型獣である。

 そして運の悪い事に、知子が見つけた個体は大きかった。グリズリーは大きいもので体

重が五百キログラムに達する個体が存在し、その場合体長は三メートルにも達する。巨体

から繰り出される攻撃は、人の身体を容易く砕く事ができ(・・・・・・・・・・・・・

・)、言うまでも無く人が相手にするべきでない危険生物である。

 その熊が、知子を見つけた。

「くっ…………やるしか、ない!」

 知子は覚悟を決め、推定全長にして二倍、推定重量にして十二倍の巨獣と相対した。

 そして、ゆっくりとした足取りで近づいてきた熊は、知子の前で立ち上がる。

 知子の前方にそびえ立つのは、高さ三メートルの肉の壁。

「かかって………………来なさい!」

 しかし知子は臆する事なく短剣を構えた。少なくとも、自分が熊を相手にしていればそ

の熊がバードアイへ向かう事はない。本来の目的は演算素子であるバードアイの防衛であ

り、熊を倒せなくとも先に千歳の仕事が完了してしまえば自分達の勝利となる。

 熊と知子がにらみ合う。しかし、お互いが動かない理由は全くの逆。

 熊は知子を一撃で仕留める事ができる隙をうかがい、知子はその一撃を確実にいなせる

よう距離を測る。

 不可視の重圧が知子へ襲い掛かり、熊の一挙手一投足を見逃さないよう全体を観察した。

爪の動き、熊が見ている場所、毛皮に包まれた筋肉の緊張まで感じ取り、熊の攻撃を予測

する。

 そして当然の事ながら、熊が先に動いた

「…………ぐうっ?!」

 熊はその体躯を活かし、横薙ぎの攻撃を仕掛けてくる。上半身を加えて二メートル近い

腕のレンジは、知子が前後に避けてとても間に合うものではない。

 ナイフを上げ、茅沙よろしくダッキングで身体を落とすと、刀身と頭をかすめながら熊

の巨腕が頭上を通過する。

「はあ…………はあ!」

 直ぐに身体を起こすと、同じようにナイフを構えて敵の攻撃動作を予測する。

 しかしこの時知子は気づいていなかった。極度の緊張状態にさらされた知子の身体は、

既に限界を超えていたのである。脳内麻薬の分泌によって身体の疲れは感じにくくなって

いるものの、その疲労は確実に知子の動きを鈍らせていた。

 元々フィジカルが強くない知子にとって、それは熊を相手にした時点で致命的である。

「くっ…………ぬう……?!」

 更に攻撃を続ける熊と、それをかわし続ける知子。刃は確実に熊の腕を切り裂いている

筈だが、ダメージの蓄積は見られない。それどころか、避けているだけの知子の動きがみ

るみる色褪せて行く。

「あっ……しまっ――」

 野生の勘か。一瞬途切れた集中力を、熊は見逃さなかった。巨体から繰り出された横払

いの手刀を同じように避けた知子だが、熊はさらに足を繰り出し、確実に知子を捕らえる。

「グハッ…………あ、ああ…………!」

 軽い当たりだが、五百キロが乗った蹴りは知子を容易く蹴り飛ばした。知子は子供が放

り投げた人形のように地面を転がると、身体を起こそうと力を入れる。

 しかし身体が言う事を聞かなかった。胸部にヒットした事で、知子の肋骨は粉々に砕け

散り、潰れた肺は呼吸すら許さない。意識が朦朧とし始め、死亡時の帰還システムが動き

始める。

 知子は白んでゆく意識の中で必死に抗った。仮に自分が熊の餌になれば、バードアイ達

が仕事を完遂するまで時間を稼ぐ事ができるかもしれない。

「……く、な…………いで………………?!」

 片肺の空気を搾り出し、熊の注意を引こうとする知子。しかし熊は、数度爪で知子をつ

ついた後、それに興味を無くしたかのようにバードアイの方へと歩み始める。

 知子はこの時、自分が無力な事を心の底から呪った。戦闘で役に立つどころか、熊の餌

になる事すらできない。

「ごめ…………ん……!」

 涙が零れ落ち、去ってゆく熊を睨む瞳から光が消えて行く。

「よく頑張ったね、ちいちゃん!」

 知子の意識が消失しかけた瞬間、空が煌き、蒼白い光の中から一人の少女が飛び出して

きた。

 茅沙である。

 流星の如く降り立った茅沙は、熊の前に立ちはだかる。

「ブリーズ…………バンカアアアアアアアアアアアア!」

 茅沙が嵌めていたのは、自身が遺跡で発見したそよ風の篭手である。いつもと違う掛け

声で殴打すると、熊は重機に跳ね飛ばされたが如く吹き飛び、地面を転がると動かなくな

った。茅沙の腕には、付与魔法によってか白い渦巻きが絡みつくように纏われていた。

 そして、知子が気力だけでシステムに抗っている間に、駆けつけた茅沙は、白い霊薬を

取り出して知子へと振りかけた。

 死神の糸と並ぶ、奇跡の霊薬、エリクシール。

 振りかけられた霊薬が染み込むように消えると、知子の身体が徐々に治癒され、傷が消

えて行く。

 そして、僅か数秒で知子の損傷は消えていた。

「ありが……とう…………茅沙!」

 治癒直後で上手く動かない喉を動かし、友人への感謝を伝えた。

 しかし、熊の出現が確認された以上、他の防衛線が攻められている可能性もある。知子

は直ぐに上体を起こし、茅沙の肩を掴む。

「ねえ、茅沙。直ぐに索敵を再開しましょう。外に大型獣が居たら、ベガやローラさんだ

けじゃ凌ぎ切れない!」

 必死に理由を説く知子だが、茅沙は目を輝かせて自分のコンソールブックを知子へ見せ

る。

 コンソールには、Vサインを見せる千歳が映っていた。

 もしや、と、知子が千歳の言葉を待つ。

『作戦は成功。ちづるのコネによって"電河三型"を黙らせている間に、解析した暗号で芹

沢のゲートサーバを奪還。同時に、防御が剥がれた"クラナックス"へアクセス、バックド

アを生成し、管理者権限を奪取。そのまま敵のプロセッサを過駆動、焼損させた…………

仮想世界を守り、敵にも授業料を払わせた今回の作戦は大成功。ちいちゃんの立てた作戦

で完全勝利』

 知子は報告を聞くと、全身の力が抜け落ち、その場に倒れた。

「ち、ちいちゃん大丈夫?!」

 心配する茅沙の声が聞こえていながら、知子は言葉を返す事ができなかった。

 淀んだ空を見つめながら、知子は呟いた。

「私達、勝ったんだ」

 その日は、ポポコ初となる、民と魔王が協力し巨悪を倒した記念すべき日となった。


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