チャプター 17:「巨獣襲来」
「…………という流れで、今のところサターンの農園は順調ね。千歳の作った肥料プラン
トのお陰で、土の改善もかなり進んでるのよね。この調子で行けば、ポポコ以上の農園に
成長するのも遠くないわ!」
「おー!」
知子が我が子を自慢するかのような口調で話すのは、いつもの晩餐会の席だった。サタ
ーンの食糧事情が改善されている事に最も関心を寄せているらしい茅沙が声を上げて喜び、
知子の左手に掛けるちづるは穏やかに頷いた。
「流石主様ですね。魔王……ああ、失礼致しました。サターン様もお喜びの事でしょう」
食事会に参加するようになったベガも、知子の成功に喜んでいる様子だった。
そして知子も、自分の計画が評価され、支持されている事に手応えを感じ、一層笑みを
増す。
「うん! かなり手強い土だけど、当分の食料はサターンの回復魔法と甘藷で確保できる
からね。急いで失敗しないように、確実にこなしていこうと思う」
全員に頷き返され、知子は報告すべき要件を話し終わった為椅子へと腰掛けなおした。
そして、左手に座るちづるが自分を見ている事に気づき、目を移す。
「本当に、凄い発想よね。回復魔法で促成栽培なんて」
「ああ。それは…………千歳が一番最初に薬草の効果を説明してたじゃない? あの時に、
これは他の事にも使えるかもしれないって考えてたの。実は薬草でも試してみたんだけど、
薬草は対象が人でないと駄目みたいだったから。あの薬草は、薬液だけじゃなくて、人に
対して効く魔法みたいなものが付与されてるのかな」
「うん、正解!」
話に割って入った茅沙へ、知子とちづるが目を向ける。
自分の話題に関心があると考えたのか、茅沙は続きを口にした。
「薬草はね? 薬液に予め魔法が掛けられているみたいなの。作るところを見せてもらっ
た事があるんだけど、作る途中で怪我した人に限定して作用するようにしているみたい。
そうしないと、持っているだけでどんどん魔法が抜けて効果がなくなっちゃうから、って。
だから魔法が使えない人でも使えるんだって」
「へえ。千歳も細かく考えてるのね。あっ…………そういえば、千歳は今日も?」
知子が視線を戻したちづるが頷いた。
「そう、ね。せかっくちいちゃんが王様にお願いして運営を任される事になった農業区画
も、千歳ちゃんの協力が無くて整理もあまり進んでいないの。毎日のように、例の二人と
どこかへ消えて――」
ちづるが言い掛けた途端、出入り口付近に桃色の転移ゲートが開き、中から千歳が姿を
見せた。
噂をすれば、と知子が笑むが、千歳の表情は固い。ポーカーフェイスの千歳だが、その
顔は知子達以外が見ても強ばっているように見える程だった。
「ちいちゃん、茅沙、ちづる。大変な事になった。直ぐに来て」
一言発した千歳は間髪入れずに踵を返し、ゲートの中へ消えて行く。
食事を摂っていた一同は、顔を見合わせた後、立ち上がりゲートへ近づいた。そして、
動こうとしないベガに目配せする。
「ベガ。貴女も来て。千歳のあの様子、普通じゃないわ」
一瞬戸惑ったベガだが、その後、手にしていた夕食を置き、知子へ歩み寄った。
「…………はい。お供致します」
知子が差し出した手を握ると、茅沙を先頭にゲートの中へ入って行く。
「あっ…………ここは………………?!」
そして、光の海を泳ぐような感覚を経て、知子は見たこともない部屋へと転移していた。
辺りは眩しいまでの光が溢れ、薄い桃色の空間が際限なく広がっている。そして、ゲート
に近い位置には、何かの管制室のようにいくつものモニターが浮かぶ。そして、その下に
立っていたのは、宙に浮くコンソールを操作する千歳。更に左右には、銀髪の少年と少女
が立っていた。
一体何が始まるのか固唾を呑んで状況を見守っていると、千歳の手が止まり、やってき
た知子達へと振り向く。
そして、ただ一言の宣言。
「今から、この世界を消去する」
「………………は?」
知子の口から零れ落ちたのもたった一文字の感嘆詞。
その意味を、茅沙も、ちづるも、ベガも、知子も理解できなかった。
「……ちょ、ちょっとまって! どうしてそんな事しないといけないの?!」
真っ先に思考を復旧させ抗議したのは茅沙。謀では知子が最も頭の切れる人間だが、そ
の知子以上に仮想世界への思い入れがあるのが茅沙だった。
そして知子も、同じように疑問を投げかける。
「私も。どうしてそんな話になってるの? これからも、ここででいろいろな事をしてい
こうって話し合ったでしょ? それが、どうして?」
ちづるは他の二人が十分な疑問をぶつけたと感じたのか、知子や茅沙に首肯した後、千
歳へ目を向ける。
三人の視線が集まる中、千歳が説明を始めた。
「現実時間で五秒前。こちらの時間にして十分前。芹沢家のゲートサーバが敵に掌握され
た。この状況を一刻も早く打開しなければならない。そのため、このマシンのメモリを全
て解放し、攻撃用のプログラムを用いて管理者権限を奪還する必要がある。それを実現す
るには、仮想世界をシミュレートしているこのマシンの力が絶対に必要。今、仮想世界を
置いているメモリの情報を全て開放し、攻撃用プログラムを使って管理者のパスワードを
クラックする」
サイバー攻撃を受けている事は理解できた知子達だが、それでも茅沙は納得できない様
子で、続けて疑問を投げかける。
「どうして? それで、この世界を壊さなくちゃいけないの? 他に方法は――」
「ない」
たった一言で切り捨てられ、茅沙は閉口する。そして、口下手な自分を責めてか、どう
にもできない事への憤りか、突然の世界崩壊に涙を滲ませた。
何も感じていないわけではないらしい千歳は、茅沙の姿を正視できないのか、視線を外
しながら理由を説明する。
「敵がゲートサーバの管理者権限を手に入れたのは、間違いなく芹沢家のデータサーバへ
アクセスする権限を得るため。このデータを盗まれるわけにはいかない。データサーバの
ファイル群は鍵付きのフォルダへ格納し、各ファイルも暗号化されているが、敵のマシン
スペックから推定すると、一時間強保つかどうか」
ちづるが挙手し、質問を投げかける。
「先ず第一に、千歳ちゃんが"敵"と呼んでいるのは? 凄腕のハッカー?」
千歳が首肯した。
「最初にアタックを仕掛けてきた時は、動きの単調なエンジニアだと警戒していなかった
が、私に気づかれないよう巧妙にバックドアを仕掛けている辺り、かなりの妙手。しかし
それだけではない」
千歳がコンソールを操作すると、アクセス元のアドレスらしい数字と、幾つかの画像が
表示された。
知子はその画像に見覚えがあり、目を皿のように見開く。
「これって…………ガニメデの"クラナックス"じゃ?!」
千歳が頷くと、続きを話し始める。
「現在世界最速の計算能力を持つと言われる、今年のスパコンランキング一位、ガニメデ
社のクラナックスが攻撃を仕掛けて来ている。さらに…………中国、大電工司の持つ同ラ
ンキング三位、"電河三型"が計算補助を担当しているらしく、攻防共に盤石の態勢を用意
して挑んできている。業務用とは言え、民間向けに設計されているマシンでは相手になら
ない」
説明を聞き、ちづるが途方に暮れると共に、何かに思い当たったのか、青ざめ、千歳の
両肩を掴んだ。
「ねえ千歳ちゃん。まさか、ファイルの中に軍事転用可能な技術が?」
「その通り」
ちづるを含め、ダイバーズの少女達は凍り付いた。
「商用炉として開発していた、超小型相転移融合炉が最も流出させてはならないデータ。
小型化する過程で一定以上の効率を出さなければならないと判明し、実際に仮説を立て設
計してみたものの、あまりに高効率になり、悪用を恐れてプロジェクトを凍結させた。原
子力に精通した人間ならば、ペットボトル大のマスで戦術レベルの核兵器に仕立て上げる
事ができる。これを世に出してしまったが最期、世界のミリタリーバランスが崩壊する」
「そん、な…………」
うろたえる知子だが、追い打ちを掛けるように千歳は続けた。
「さらに、GPSに頼らず、地磁気だけで正確な座標計算をする高耐圧回路も危険。戦闘
機へ搭載できる小型巡航ミサイルを低コストで量産でき、また電磁パルスの影響も受けに
くい。これと先に述べた相転移融合炉を組み合わせれば、スーツケースで核ミサイルが輸
送できる時代が来てもおかしくない。今起きつつあるのは、そのレベルの危機」
置き去りにされ、何の話かまるで付いていけない様子のベガだが、知子や茅沙はフォロ
ーしている余裕が無かった。
知子は奥歯を噛みしめながら、今までの苦労を捨てる覚悟を決めつつあった。天秤に掛
かるのは、自分達が十七年近く過ごした現実世界である。今まで、家事以外にここまで本
気になれた事が無かった知子にとって、それは苦渋の選択だった。
しかし、言葉を失う一同の中で、ちづるだけは尚も食い下がる。
「本当に他に手は無い? 例えば、ネットワークケーブルを切断するとか、電源を落とす
とか」
「それは私も考えたが、どちらも現実的ではない。まず、芹沢家のゲートサーバ、データ
サーバは、民間向けの中でも最高のスペックを持つマシンを使用している。ソフト的なセ
キュリティは万全と判断し、次にハードの盗難の対策を行った。サーバ本体は地下十二階
に相当する場所へ納め、入室には幾重に用意したセキュリティゲートを通過する必要があ
る。これは一定の儀式が必要であり、一時間という制約の中で実行する事が難しい。次に
電源のダウン、回線の切断だが、これも難しい。同じように切断や不正工作を警戒し、二
カ所の基地局、四カ所の変電所まで埋設されている。電力会社や通信会社へ連絡しても、
恐らく切断まで三時間は掛かる。私達が自分達で行おうにも、専門知識の無いちいちゃん
や茅沙では時間内にすべてをカバーする事は現実的ではない。また、地域の通信や電力を
遮断する為、テロ行為と見なされる危険もある。また電源に関しては、シミュレートサー
バの方が遙かに大きな電力を必要とする。非常用発電機の容量をオーバーすれば、この世
界を維持できず、更にデータを盗まれる最悪のパターンも考えられる」
ふと、千歳が何か思いついたそぶりを見せ、ちづるへ視線を向けた。
「……今、一つ思いついた。地中まで届くバンカーバスターならば、全ての通信ケーブル
を切断する事ができるかもしれない。電線に当たらないよう爆撃する事は?」
ちづるが力なく首を振った。
「無茶言わないで。仮に駐屯している米軍へ爆撃要請できたとしても、ケーブルを切断で
きるような精度はとても出せない。誤差一メートル程度が精度の限界なの。仮に一センチ
の太さだとして、確実に切断できるかどうか保証は無いわ。それに、一発落とすだけでも
賄賂混みで億単位のお金がかかるわ。それより…………仮想世界の保存はできないの?
それができたら、全く問題なく決着できる筈よね?」
千歳が無表情で首を振り、否定した。
「今メモリ上に保持されているデータを保存するのには半日以上掛かる。データドライブ
にパラレル転送しても現実の時間で計算上十三時間は掛かる大仕事。とても間に合わない
と直ぐに判断できたからこそ、他のアプローチを模索していた。しかし、それも不可能だ
と結論するに至った」
議論の結果、知子は歯噛みしながら事態の行く末を見守った。軍事にも、電子技術にも
詳しくない自分には出る幕はない。そして、同じように専門知識を持たない茅沙は、黙っ
たままみるみる青ざめていった。
重苦しい沈黙の中、ふと、ちづるが更に新たなアイデアを思いついたらしく顔を上げる。
「…………それなら、相手のコンピュータを物理的に攻撃するのは? 爆撃でないにして
も、電力供給を滞らせればパワーダウンさせられる筈よね?」
千歳の目が薄められ、ちづるの表情を注意深く観察する。
「"クラナックス"は不可能に近い。複合企業体であるガニメデ社の大
きな敷地内に専用の箱を用意して収まっており、近くに軍の基地も無く、コネ
も無い。ただし…………"電河三型"は可能。施設の電源は非常に貧弱で、公共の電力会社
から供給を受けている。この給電設備を破壊できれば、中国からのバックアップは切れる
…………しかし」
千歳がちづるから目を逸らし、宙に浮くウインドウの中で右上の画面を見る。
「スペックから解るように、メインのアタックは完全に"クラナックス"。計算補助は実質
防御協力に近く、相手に攻撃の手を止めさせるに至らない。また、中国にも破壊工作がで
きるコネはない」
ちづるが悔しそうに俯くと、絞り出すように呟いた。
「それが、中国にはその手の知り合いが居るのよ。あるいは、と思ったのだけれど」
遂に議論が途絶え、再度重苦しい空気が満ちる。諦めると決めた知子だが、未だに思考
は解決の道を探り続けていた。
「…………ベガ?」
全員が押し黙る中、知子の側で跪いたベガが、下げていた顔を上げ、知子へ微笑みかけ
た。
「私には学が無く、お話全てを推し量る事はできませんが…………主様の世界に危機が迫
っているならば、私共の事はお気になさらずご決断下さい」
「ベガ…………そんなの」
「絶対にイヤだ!」
突然大声を上げたのは茅沙だった。心中に押し留めていた感情が吐き出されたような悲
痛な叫び。
「こんなの絶対におかしいよ! ベガさんだって、サターンくんだって…………みんな一
生懸命なのに、どうしてそんな風に消されなきゃいけないの?! だって――」
「茅沙ちゃん!」
感情的になる茅沙を一喝したのはちづるだった。しかし、親友を窘めながらも、ちづる
の目には二つの感情が渦巻いていた。
茅沙の心中を推し量り同情する気持ち。
世界に大量破壊兵器を放つまいとする義務感。
「私だって、みんなを助けてあげたい…………でも無理なのよ! 万が一流出すれば、今
以上に爆弾テロが致命的な世界になってしまう。テロリストの犠牲になるのは、いつだっ
て何の関係もない人達なのよ? 何にも…………何も悪い事をしてないのに、理不尽に殺
されていい筈がない! 私も、父さんも母さんも! そんな奴らから皆を守りたくて戦っ
てるんだから!」
涙を流しながら訴えるちづるに、茅沙も泣きながら声を押し殺す。
「こんなの無いよ…………こんな終わり方って」
すすり泣く茅沙につられ、知子まで涙が出そうになる。そして、仮想世界の犠牲を飲み
込むために、千歳の考えるプランを聞こうと息を吸った。
「それで、さ。千歳はどうやってスパコン相手に戦うつもりなの? 普通に考えたら、世
界一のコンピュータを相手にできるとは思えないんだけど」
「この世界をシミュレートしているコンピュータは世界最強。特に、確率計算と可能性の
模索は十八番であり、専用プログラム、"クアルゴ"をロードすれば、スパコン数台相手で
も渡り合う事ができる。特別なメモリとコンとローラによって、疑似的な量子計算機とし
て動作させる事ができるから」
「でも、それっておかしくない? 世界最強なら、このマシンだってランキングに載って
る筈よね?」
「それは、発表されているマシンだけのランキングだから。このマシンは私が父に許可を
貰って極秘に…………ちいちゃん?」
知子の脳が何かに気づき、思考が巡る。
並列動作。
量子計算機。
サターンの魔兵。
「ああ、これは」
俯いていた知子が、千歳へ視線を移した。その顔には、引き攣った笑みが浮かぶ。
「もしかしたら、なんだけど。魔王の……サターンのモンスターに、画像の正誤みたいな
形で正否を判断させるプログラムって、すぐ作れる?」
千歳は一瞬戸惑い、そして、顔に見たこともないような驚愕を張り付けた。
「できるか、と問われたなら。可能」
知子が不敵に笑み、ちづると茅沙へ目配せした。
「まだ可能性はゼロじゃないわ。みんな、協力して!」
状況を飲み込めないちづる、ベガは、困惑しながら頷いた。
そして、代弁者代表として茅沙が手を挙げる。
「ちいちゃん。一体何をするの?」
知子は顔を引き攣らせながら笑った。
「モンスターを…………量子ビットに見立てた暗号解析装置を作るの!」




