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チャプター 11:「甘味の獣」

 体感で半月ぶりに現実世界へ戻った知子達は、わけあって小川家のビジタールームで同

衾していた。

「ううん…………むう……」

 真っ白なシーツに包まれて眠る知子が、呻き声と共にゆっくりと覚醒する。両目を薄く

見開きながら、その日はよく眠れたと、自分が思いの外図太い事に苦笑した。

 しかしその理由は、知子を囲む茅沙や千歳、ちづるが同衾してくれている事が大きい。

ブラドの嫌がらせによって、ただでさえ精神をすり減らして知子は、暗殺者の一件ですっ

かり不眠に悩まされる事になっていた。

 横になると心臓の動悸が激しくなり、眠ろうとする程目が冴えてしまっていた知子にと

って、信頼する友人達の肌の温もりは、これ以上ない程の鎮静効果をもたらしていたので

ある。

 カーテンを開けると、太陽が出てから幾らかたった夏の日差しが眩しく、それを手で遮

りながら、未だに眠る三人へ視線を落とした。

「みんな…………ありがとう」

「どういたしまして。えへへー」

 予想外の応答に、知子は飛び上がった。

「な、ななな! 茅沙、貴女起きて――」

「ああ、ちいちゃん。私、ちいちゃんを抱きしめすぎて鼻血出そう…………」

 知子の言葉を遮ったのは、知子の眠っていた場所の右側に横たわっていたちづるだった。

更に目を移せば、薄く見開いた千歳の双眸が、知子を静かに眺めている。

「ちいちゃんの寝顔はじっくり観察させてもらった。これはいろいろ捗る」

「あ、ああ…………?!」

 遂に、恥ずかしさに耐えられなくなった知子が逆上した。

「あ、貴女達はああああああああああああああああああああああああああ!」

 その後、結局知子に正座させられた三人は、知子をからかった事に対して説教を受ける

事となった。あまりに理不尽な所業である。

「――と、言う事よ。皆には感謝してるんだから、あまり茶化さないで?」

「はーい!」

 いの一番に手を挙げ満面の笑みで賛成した茅沙に、知子は苦笑した。

「ちょっと調子に乗りすぎたわね。ごめんなさい」

「右に同じ。猛省している」

 そして、他の二人も十分反省している事に納得した知子が、大きくため息を吐く。厳密

には、千歳には反省の色が見られなかったが、言葉だけでも反省の色を見せた事に対して

妥協する事にした。

「まあ、いいわ。先ずは朝ごはんにしましょう。適当に作るから、リビングで待ってて」

 ようやく解放された三人は頷いた後、安堵した様子で立ち上がり、リビングへ向けて降

りて行く。そして、三人後についてキッチンへ降りて行く知子は、こっそりはにかみなが

ら拳を握る。

「…………よし! 今日も頑張ろう!」

 知子に背中を向けた三人が僅かに反応するが、知子は気づかない。

 そして、本人だけは気づかれていないと思いながらキッチンへ到着した。

「一日ぶりの筈なのに、何だか久しぶり…………さて、やりますか!」

 ステンレスの調理台を撫でた後、直ぐに作業へ掛かる。フックから愛用のエプロンを手

に取ると、芸術的なまでに手早く身につけ、直ぐに調理を開始する。冷蔵庫を開いて中を

覗いた知子は、瞬時に朝食のメニューを組み立てる。そして、取り出した食材が瞬く間に

調理され、四人分の朝食が完成した。ローストベーコンに目玉焼き、バタートースト、シ

ーザーサラダに、フルーツのヨーグルト和え。

 それらを危なげなくリビングテーブルに運ぶと、三人は奇妙な様子で一枚の広告を見て

いた。不審に思った知子が、同じように広告を覗き込んだ。

「新聞とってきてくれたのね。皆、何を見て――」

 それが目に入った瞬間、知子は手に持っていた皿を取り落としそうになる。しかし、落

としかけたそれをテーブルへ置くと、更に広告へ近づき、睨みつけた。

「遂に…………ノエインの販売車が、自然公園に来る、だと?!」

 あまりに動揺した知子は、漫画のキャラクターのような台詞を零す。

 一同の反応は無理もないものだった。ノエインと名乗る菓子販売車は、絶品スイーツを

移動販売する超有名菓子露店として有名で、営業を始めると、あっという間に当日販売分

を売り切ってしまう人気店なのである。しかし、人気店にもかかわらず創業者自身が洋菓

子に相当の拘りを持っている為、販売車を増やそうとしない事でも有名な店だった。

 それが遂に、買いに行ける場所へやってきた。

 知子が全員とアイコンタクトを取ると、気持ちが通じ合ったのか、ただ無言で頷き合う。

「直ぐに朝食を食べましょう。朝食後、装具点検の後玄関前に集合。いいわね?」

 三人は力強く頷く。

 それを確認した知子は、直ぐにキッチンへ戻り、残りの朝食を配膳する。

 そして、手を合わせるや否や、四人は猛烈な勢いで朝食を食べ始めた。ベーコンや卵を

味わう事もなくひたすら口へ放り込み、筋肉が痛くなるような速度で租借し、飲み込む。

 食べるのが早いちづるが一番に完食し、直ぐに空き皿をもってシンクへ向かう。そして、

皿を水につけると競走馬も真っ青な速度で家を飛び出していった。

 千歳、知子、茅沙も、順に空き皿を片付け、直ぐに行動を開始する。

「先ずは…………身だしなみ!」

 女子たるもの、恥ずかしい格好で外は歩けない。急いでいても、知子は最低限の身だし

なみを整える。

 洗面台へ向かった知子は、直ぐにタオルを取り出し、歯を磨き始める。電動歯ブラシで

はないかと勘違いするような速度でストロークすると、次の瞬間には口を濯ぎ終わり、顔

を洗っていた。そして、洗顔が完了すると、ベースメイクを素早く済ませ、ビューラーで

まつげを整えた。髪を素早く梳いた後、シュシュでそれを二つに留めると、身なりの用意

は概ね完了する。

 次は着替えである。洗面所から飛び出した知子は、四人で寝ていた二階のゲストルーム

の横、自室へと戻る。そして、ハンガーラックとタンスから身につける洋服を瞬時に選択

し、身につける。

 デニムのハーフパンツに白のTシャツという非常にラフな格好だが、走ってパンツが落

ちて行かないよう、念のためサスペンダーをつけた。

「よし。行こう!」

 ここまで、三分弱。

 玄関に出ると、既に茅沙と千歳が準備を終えて向かってきている姿が見えた。知子が合

図を送ると、二人が足早に近づいてくる。

「こちらはオッケイ! ケータイと財布も持ってる?」

 茅沙が力強く首肯した。

「もちろん! 早く行こう!」

 年に一度あるかどうかのチャンスであり、逃せば次があるかすらわからない。のんびり

屋の茅沙が急かす程の一大事だが、ちづるは一向にやってこない。四人は歩いて三十秒も

かからない場所に住んでおり、ちづるの家が極端に遠いという事はなかった。

 何か問題があったのかと、直ぐ近くのちづるの家に向かおうとした瞬間、玄関を開けて

ちづるが出てきた。

「ちづる、早くしないと…………それは?!」

 知子が驚いたのは、ちづるが背負っている大きな機械だった。

「待たせたわね。これは飛行ドローン…………移動しながら説明するわ」

「そうね。行きましょう!」

 知子達は駆け足に近い速度で移動を始める。

 目的地となるのは、歩いて五分程度の距離にある、古屋自然公園。平野に作られた公園

としては規格外のサイズを誇り、園内を一周散歩するだけで二時間近く掛かる巨大な施設

である。

 しかしそこは、四人が幼少時から遊び場にしていた場所である。何度も迷子になりなが

ら覚えた公園の移動に関してはスペシャリストに近いレベルに到達していた。

 それだけに、販売車の場所さえ判れば他の購入者を出し抜く事も可能。

 競歩のような速度で歩くちづるが、横を行く知子や千歳、茅沙へ目を向ける。

「改めて説明するわね。これは飛行ドローンと言ってカメラのついたヘリコプターのラジ

コンのようなものよ。これで園内を空から偵察して、販売車を探すわ」

「なるほど…………ちづるは流石に慣れているわね!」

 ちづるが持ち込んできたドローンは、本来戦場で偵察に用いられるものだった。軍用レ

ベルの機械だけに信頼性も高く、非常に高精細な画像情報をコントローラの画面へ送る事

ができる。言うまでもなく、俯瞰視点を持つことは、他の購入者より圧倒的に有利。

 そして次は、千歳が何かを差し出した。

「私からは、全員が通話できるインカムと、古屋自然公園の地図を配っておく。得られた

情報を並列化するのは、非常に大事。私が情報を整理し、各自に索敵範囲を指示する」

「わかったわ! それで――」

 言い掛け、知子が口を噤む。四人の前には、巨大な自然公園の正門が立っていた。広告

を見て来たのか、園内の人口密度は平時より遥かに高い。

 知子が踵を返し、三人を見回した。

「それじゃあ…………いくわよ!」

「りょうかい!」

「了解!」

「了解」

 知子の宣言と共に、四人の猟犬が公園へ放たれた。他の参加者も比較的真剣な顔つきで

やってきてはいるものの、知子達の雰囲気に比べればレジャーの域を出ないレベルである。

 それはまさに、甘味を欲する獣と言っても過言ではない眼光。

「インカムテスト」

『聞こえるよー!』

『問題ない』

『こちらもドローンを離陸させたわ!』

 説明するまでもなく、それぞれの仕事を当たり前に行う茅沙達。

 知子は成功を確信する。

「これなら行けるわね! 千歳。場の管理をお願い」

『無論。手元の地図にある遊具エリア…………C1からE2までのセルをちいちゃんが。

それの東部、C3からE4までを私が。更に東部の広場エリアを茅沙に。そして、北部森

林エリア…………可能性は低いが視認性が悪いここををちづるに。全員…………可能性の

無いエリアは直ぐに報告を』

「了解!」

 知子に続き、千歳の指示に肯定した茅沙とちづる。

「私の担当エリアは…………西!」

 公園の各エリアを繋ぐ石畳の歩道を掛けながら、知子は目を血走らせて目的の車を探し

続ける。朝とは言え、気温は七月下旬の平均値を示しており、立っているだけでも汗が出

てくる暑さである。走り続ける知子も全身から汗が噴き出し、僅か数分でシャツまで水浸

しになっていた。

 しかし、自身の服が透けかけていようとも、知子はそれを気にも留めず走り続けた。あ

まりに必死の形相で走る知子に、他の購入希望者らしき人間や、それらに興味の無い老人

達から奇異の視線を向けられる。

 しかし、知子という人間にとって、それは必死になってでも、何としてでも手に入れた

いものだった。食に対する興味と欲は、他人より遥かに強く、そしてそれは、知子と共に

育った茅沙達も同じだった。

「はあ…………はあ! ここから…………私、の……担当!」

 汗に濡れる地図を握り締めながら、自身の担当となったエリアに突入した知子は、更に

目を光らせ、車を探す。

 そして走りながら、直ぐに連絡を入れる。

「こちら、はあ…………知子。E1、E2に……ターゲット無し!」

「了解。引き続き索敵を」

 息を切らせる知子とは対象的に、千歳は走っているのにもかかわらず冷静そのものだっ

た。インドア派で運動などろくにしない千歳の超人じみた体力に呆れながら、更に足へ鞭

を入れる知子。

「あれは……まさか!」

 ふと、遊具エリアの程脇に人だかりが出来ている事を視認した知子が、急いでそこへ駆

け寄る。

「こちら知子! それらしき人だかりをはっけ――」

 報告しながら近づいていた知子は、その人だかりの原因を確認し、顔を顰める。

 子供や中高生らしき男女に囲まれていたのは、散歩途中の中年女性だった。そして、そ

の女のリードの先に繋がれていたのは、まるで小動物のような子犬である。その愛らしい

姿に黄色い声が幾つも上がる中、知子は舌打ちする。

「こちら知子! 人だかりは間違いだったわ! D1、D2でも発見できず!」

『了解。こちらも…………茅沙から発見の報告があった』

 知子が驚愕を露にし、目を見開いた。

「どこに?!」

『エリアD6。幹線道路側から入った模様。今、茅沙が並んでいるそうだけど、限定数が

少なすぎて、最低二人は並ばなければ全員分の確保は難しいとの事。私も急行する』

 知子は奥歯を噛み締めながら、その場から撃ち出されるかのように走り始めた。

 既に足は疲労で感覚が鈍り、意思に反して動いてくれない。その上、照りつける太陽に

よって意識が薄れ、思考と肉体が切り離されてゆく。

 しかし、知子は己の肉体に与えられた限界を、最後の一滴まで搾り出そうと雄叫びを上

げる。

「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 最も遠い知子が戦力になるかどうかは怪しいが、それでも、目玉のケーキ以外も食べら

れるに越した事はない。自分にできる最高のパフォーマンスを発揮しながら、甘味の獣は

歩道を駆け抜ける。

 そして、千鳥足になりながらその場に到着した知子は、販売車が店を畳み始め、並んで

いたらしい客が散ってゆく様に、呆然と立ち尽くした。そして、遂に限界を超えた足が身

体を支えきれなくなると、知子は芝生に膝をつき、倒れた。

「ち、ちいちゃん!」

 インカムからではない、ちづるの叫びを聞いた知子は、目だけを動かし、自分を抱き上

げるちづるを見た。

「ああ…………ごめんなさい。私は大丈夫」

「いいから! ほら、飲んで!」

 いつの間にかちづるが手にしていた飲料を手に取り、目を閉じながらそれを飲む知子。

まるで綿に水が吸い込まれてゆくように、自身の身体へ水分が染み込んでゆく感覚に囚わ

れる。

 そして、息も落ち着いた頃に改めて目を開くと、抱き抱えるちづるの腕に手を置き、微

笑した。

「ありがとう、ちづる。もう、大丈夫だから」

「よかった…………」

 胸を撫で下ろすちづるの背後に、千歳と茅沙が近づいてくる。

 その表情は曇っていたが、茅沙が手にする小さな箱を目にした知子は、今までの疲れが

嘘のように飛び上がる。

「茅沙! それって?!」

 迫ってくる知子に、茅沙は面目ないとでも言わんばかりの表情で目を伏せる。

「ごめんね。2つしか買えなくて。これだけだと、分けたらあんまり食べられないよね」

 茅沙が開けた箱の中には、大きなカットケーキが二つ入っていた。一つは、ノエインの

代名詞とも言えるベイクドチーズケーキ。そしてもう一つは、最新作であるトロピカルフ

ルーツタルト。平均的なカットケーキより大きいサイズではあるものの、四人で分けると

なると、本当の意味で味見程度しか食べる事ができない。

 他の三人と同じように、知子も暗い雰囲気になるが、ふと、夏風で頭が僅かに冷えると、

あるアイデアが浮かび上がる。

 そして、落ち込んだ様子の茅沙へ、不敵な笑みを向けた。

「ねえ、茅沙。そのケーキ。貴女が全部食べて」

 他の三人は数瞬沈黙し、そして、知子の意図に気づき笑みを浮かべた。

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