チャプター 10:「圧殺」
「ううん…………ハッ?!」
まどろみの中から這い出るように、知子は緩やかに意識を覚醒させる。 そして、薄く
目を開くと、昨夜何が起きたのか思い出し息を呑む。
「あ…………ど、どうしよう」
暗殺者に狙われたという事実は、知子には受け止めきれない程重いものだった。普通に
生きている女子高生ならば経験しないと言っても過言ではなく、今の今まで眠っていた事
が嘘のようだった。
しかしそれもその筈で、連日報告される嫌がらせや暴力事件は、知子の精神を確実に痛
めつけていた。急激に精神的な疲労が蓄積し、慢性的な寝不足に陥っていた知子の身体は
遂に悲鳴を上げ、恐怖に打ち勝つ程の眠気によって、知子が気づかない内に意識が落ちて
いたのである。
そして、いざ目を覚ましてしまえば、最早その恐怖をせき止めるものは何も無い。ただ
ただ慄き、ベッドのシーツにくるまって、身動きが取れない。
「何の、騒ぎだろう」
しかし、それも長くは続かなかった。気持ちが落ち着いてくると、外が騒がしい事に気
がつく。知子は出来る限りその場を動きたくなかったが、しかし、騒ぎの原因を知らない
ことで味わうかもしれない何かの恐怖が勝り、知子を突き動かした。
パジャマのまま、クローゼットから防寒のローブを取り出し、それを羽織って部屋の外
へ出る。音の聞こえ方から、騒ぎは館の外で起きていると考え、恐る恐る廊下を進み、階
段を降りる。
そして、随分と大きくなった民衆らしき声から、騒ぎは館の前で起こっていると確信し、
正面の扉をゆっくりと開いた。
「あっ………………ちづる…………?」
ドアをくぐり、左右を見回した知子は、館の左手で馬を撫でるちづると目が合う。しか
し、ちづるの様子に何ら変わった点は無く、それが、騒ぎの原因ではないと判断した瞬間。
馬の鞍から垂れ下がったロープの先端に、人の手らしきものがぶら下がっていた(・・
・・・・・・・・・・・・・・・)。
そして、それを気にも留めないようなちづるの笑み。
「ああ、ちいちゃん、おはよう」
優しく笑むちづるに、知子は青ざめた。
「な、なんで…………どうして!?」
知子は堪えきれず涙を流した。自分を殺そうとしたとは言え、知った人間が死んでしま
ったことに対して。
そして何より、それを躊躇無く行ってしまったちづるに大して。
「こんな、の……無いよ! 何も殺す事――」
泣きじゃくる知子の言葉を遮るように、ちづるは知子の前に跪き、その顔を抱きしめた。
「ちいちゃん。この女には報いが必要だったの。誰に雇われていようと、どんな理由があ
ろうと。ちいちゃんや茅沙ちゃん、千歳ちゃんを手を掛けようとする奴らは、絶対に、絶
対に許さない」
その一言で、知子の心に様々な感情が渦巻いた。自分の為にそこまでしてくれる優しい
気持ち。そして、自分の為にそこまでしてしまう(・・・・・・・・・)恐怖。
複雑な感情を整理できず、知子はただ、黙ってちづるに抱かれていた。
「――これは! 一体何の騒ぎですか勇者殿!」
知子が外へ出てから暫く経った後、大声を上げて近づいて来たのは警邏の兵士達だった。
威圧的な態度を取る兵士に、知子はちづるが連れて行かれるのではないかと袖を強く握る。
しかし、ちづるは何ともないと言わんばかりに微笑した。
「実は昨夜、私の館に暗殺者が忍び込み、仲間が襲われまして」
「な、なんと!」
警邏の男兵士が目を剥くと同時に、辺りの野次馬が一層ざわめいた。
「我々を狙う輩など、魔王の手先に違いありません。少々野蛮な方法ではありますが……
……拷問し、有効な情報を引き出そうとしていた所です」
ちづるは、身内にしか判らないような芝居がかった調子で、滑らかに口を回す。それに
気づいた知子が、別の可能性を考え始めた。
「しかしながら………………少々やりすぎたようでして。街道を引き回しているうちに、
擦り切れて腕だけになっていたようです」
「それはそれは。真でございましたか。いえ…………城下町に忍び込まれるなど、我々警
邏の怠慢です。民にも大きな不安を…………どうぞお許し下さい」
厳とした兵士達が民衆や知子達に深々と頭を下げた。知子達だけでなく、野次馬も反応
に困っている様子だった。
「顔を上げてください。私達は、私達が襲われるだけで済んだ事が何より幸いだと考えて
おります。もしも、私達英雄の血族だけが狙われるのならば僥倖。そこで、なのですが」
ちづるがちらりと見た方向が気になった知子は、その視線を目で追ってみた。
そこに立っていたのは、様子を見に来ていた商工会長、ブラド。
知子の中で、見えていなかったパズルが動き始め、ちづるの意図が見え始める。
「我々が逆賊を捕らえた場合、尋問する許可を頂けませんでしょうか? 何、相手はモン
スターです。多少の良心は痛みますが、それより、この国に住む人々、ひいては世界中に
住む尊い誰かを失う事の方が悲しい。ですから、一刻も早く魔王を倒す為、是非許可を」
「むう。本来ならば、民に尋問や拷問を行う権利はございません…………しかし」
数瞬黙考した兵士長らしき男が、続きを口にする。
「それ以上に、勇者様が魔王討伐を達成できるよう、全力で支援せよとも仰せつかってお
ります。よって…………尋問を許可しましょう」
知子がもう一度、見たブラドは、野次馬にやってきた頃よりも明らかに顔色が悪かった。
それもその筈で、ちづるが暗殺を仕向ける人間は魔王の手先であると断定し、それを周知
させてしまったという事は、自分が暗殺者を仕向けた場合、暗殺者共々、ちづるに捕まっ
て拷問を受ける可能性が発生した為である。迂闊に動けば嫌疑を掛けられ、そのまま殺さ
れてしまう事も考えられる。王家の血筋とは言え、魔王の手先であると疑われては家の威
信に関わり、最悪、事態が公になるまえに王家から消される危険すらある。
この瞬間、ブラドが知子に手を出す事は叶わなくなった。
「有難うございます。幸い、仲間がその手の道具を作れる設備を整えましたので。今日よ
りも更に多くの情報を仕入れられるでしょう」
嬉しそうに話すちづるに、兵士長は顔を引き攣らせた。
「しかしながら…………程々にお願いします」
「はいっ! 善処しますわ」
兵士達が去って行くと、それが合図のように野次馬も散ってゆく。そして、ブラドがゆ
っくりと歩き始めた頃、ちづるがわざとらしく知子へ微笑む。
「あっ、そうそう! ちいちゃん。千歳ちゃんが、ミンチマシンのプロトタイプが出来た
から見て欲しいって言ってたわ」
料理の話を振られ、知子の興味は一気に引きこまれる。
「ほ、ホント?! あれがあればレシピも増えるし、協会のサービスも増えるわね!」
「ええ! ちいちゃんの注文通り、太ももくらいの肉なら一気にミンチになる強力な機械
よ? 蒸気機関で動くから凄く力もあるし、残渣も無いから合挽きも正確に作れるって」
知子は益々ちづるの話に食いつく。無意識に、殺人の禁忌から目を背けようとしていた。
そして、ちづるがしっかりと聞こえるように言葉を向けた相手のブラドは、すっかり竦
みあがり、呆然と知子達の方を見ていた。
「凄いわね…………早速見に行くわ!」
「ええ、そうね。行きましょう」
ちづるが差し出した手を握り、知子は館の中に戻る。
そして、音を立てて扉が閉まると、ちづるが即座に鍵を掛け、知子を抱きしめた。
「えっ………………? どうしたの、ちづる?」
「ごめんね? 怖い思いをさせて。でも、軽蔑しないで? お願い」
知子は、はっとした。自分がちづるに恐怖を抱いている以上に、ちづるは自分達に怖が
られる事をおそれていたのではないか、と。
知子は、ちづるの行いを許容する事はできなかったが、ちづるの気持ちを汲み、安心さ
せたくなった。膝をついたちづるの頭に両手を伸ばし、そっと抱く。
「…………大丈夫。ちづるは優しいね。私も、怖がってごめんなさい」
「ちいちゃん…………!?」
心から安堵した様子のちづるに、知子も心のささくれが癒えて行くかのような感覚を覚
えた。
「ああ、そうだ」
暫く抱き合っていた二人だが、ちづるが知子の胸から顔を離すと静かに話し始める。
「ちいちゃん。ちょっと来て欲しいの」
「う、うん」
突然の申し出に戸惑いながら、ちづるに手を引かれ付いて行く知子。
自分が利用した事のない地下室の階段を下ると、おどろおどろしい雰囲気の通路へ出る。
ガスランプに照らされる地下通路は、まるでダンジョンのようだった。
そして、木と鉄で出来た扉の前にやってくると、知子へ振り向いたちづるが微笑む。
「私が先に入るわ」
「うん」
扉の向こうは、通路と同じように薄暗い小さな部屋だった。
そして、室内には見覚えのある女が鎖に繋がれていた。
「あ、貴女は?!」
知子を殺そうとした、アサシンの女。
「良かった…………生きてたんだ!」
穏やかな視線で知子を眺めていたちづるが、アサシンの女へ視線を移した。
「それで? 私は本当に、貴女に罪を償わせたいんだけど。どう? 貴女は生きたい?」
「生きたい」
暗殺者は即答した。そして、二度頷いたちづるが知子を見る。
「だ、そうだけど。私には、ちいちゃんを傷つけようとした彼女を、心情的に許せない。
けれど、一つだけ生きたまま罪を償わせる事ができるわ」
知子は迷わなかった。続きを促すように、力強く首肯する。
すると、ちづるは苦笑しながら口を開く。
「それなら簡単ね。この間茅沙ちゃんが手に入れてきた、服従の魔法を使うの。刻印を施
した人間、生物は、主の命令に絶対服従になり、主人に危害を加えられなくなる。そのま
ま、ちいちゃんが僕として従え、いろいろな仕事をさせればいいの。そうして少
しずつ、罪を償わせるのよ」
「で、でもそんな…………」
即答できない知子に、ちづるは顔を近づける。そして、声色を硬くしないよう配慮しつ
つ、真剣な眼差しで知子の両肩を持った。
「これは私からできる最大限の譲歩よ。どちらにしてもこの女を野放しにはできない。で
も、ちいちゃんが従えれば、少なくともこの女から狙われる事は無くなる」
知子が迷っていると、アサシンの女がかすれた声で願い出た。
「アタシからも頼みたい。奴隷でも僕でも何でも良い…………アタシはまだ、死にたく、
ない…………!?」
搾り出すような声で懇願する女に、知子は決心する。
「わかり、ました。それでは…………失礼します」
知子がコンソールブックを呼び出すと、スペルモードのページへ移動する。操作性を向
上させる為コンソールがブックが宙に浮くと、茅沙から渡された服従の魔法を選択する。
そして、女の額に手をかざしながら、スペル実行のボタンを押した。
そして、知子の手から額へ服従の証である、四角形と丸を組み合わせたマークが浮き上
がる。
「それではちいちゃん。彼女に命令を」
知子は、戸惑いながら頷いた。
「う、うん…………それでは、名前を教えて?」
「ベガ、と申します」
「それでは、ベガ。私と友達、それに協会の皆を傷つけないで」
ちづるが警戒しつつ鎖を外すと、ベガと呼ばれた女は当たり前のように知子の前に跪き、
頭を垂れる。
「お安い御用です。我が、主よ」




