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アリを殺す

 ひとりでアリを殺していると、いつものあの娘がやってきて「なにをしてるの?」と僕に尋ねた。

 僕はアリから足を毟る手を止めて、「アリを殺しているんだよ」と答えた。

 アリを殺すとき、僕はまずはじめに六本ある足を一本一本丁寧にむしりとってしまう。そうすると、ヤツらはその醜悪な存在意義を完全に喪失して、ただ命だけを残された世界のお荷物になりはてる。僕はその惨めったらしさをしばらく眺めてから、今度は腹を潰し、最後に頭をねじ切る。あとにはただ胸部だけが取り残される。


「どうしてアリを殺すの?」 


 少女がまた聞いた。僕を非難しているわけでも、気味悪がっているわけでもない。ただ気になるから聞いているだけ。そういう音調の声だ。“どうして?”

 僕はすぐには答えることが出来ずに、シャッター通りの薄暗いアーケード天井に視線を彷徨わせる。要約して答えるのが難しい質問だった。アリを殺すことについての理由とその精神。説明したところで理解してもらえるだろうか。


「夜になるとさ、あそこの電灯が灯るよね」


 僕はアリの体液でべとべとになった手をシャツになでつけて、死に絶えた金物屋の軒下にある電灯を指差した。少女の視線がすかさずそれを追う。

 少女が得意げな顔をして、知ってるわ、と言った。


「知ってるわ。青い光がちかちかしてるのよ。そしてね、虫がいっぱい集まるの」

「そう、虫が集まるんだ」


 僕は少女の言葉を部分的に引き取った。


「でも、あそこの電灯は電力は無茶みたいに出るくせに、安全性はお粗末でね。強い光に誘われてやってきた虫たちは、みんな感電して死んでしまうんだ」

「それも知っているわ。バチバチ、バチバチって、すごい音がしているわよね。そして朝になると、街路灯の下には虫たちの死骸がごっそりたまっているの。かわいそうよね」

「なんの意味もない、無益な死だよ」


 僕は少女の「かわいそう」を打ち消すようなニュアンスでそう言った。


「本能に従ってせっせと電灯に飛び込んで、感電してそのまま落ちるんだ。自殺ですらない。まさに無駄死にとしか言い表せない死だよ。でもね」


 僕はそこで言葉を切った。少女は真剣な表情で僕の話に耳を傾けている。


「その無益さは死んだ虫たちのものなんだ。彼らが死と引き替えにたったひとつ手に入れた無益さなんだ。なのに、アリたちはその神聖な無益さを冒涜して、身勝手な犠牲として自分たちのものにしてしまう。こんなに気分の悪くなるはなしがほかにあるかい?」


 白い蛾の死体に群がろうとしていたアリたちを、僕は精一杯の憎悪を込めて靴底で踏み殺した。本当は一匹一匹バラバラにしてやりたいけれど、それでは蛾の無益さを救うことができない。別のアリたちに簒奪されてしまう。


「だからあなたはアリが許せないのね?」


 少女が僕に尋ねた。その声音はあくまでも無垢に澄んでいた。


「ああ、だから僕はアリが許せないんだ」


 僕は少女に答えた。僕の声音は憎しみに淀みきっている。少女のそれとは正反対だ。


「ふうん」


 少女は納得したようにそう頷くと、足下を歩いていたアリを一匹つまみ上げて、しげしげと眺めた。


「あなたの話しはわかったけれど、でも私は別にアリのことをそこまで嫌いではないわ。好きでもないけれど」


 僕は少しだけがっかりした。僕はもしかしたら少女が僕の話しに感化されて、僕のようにアリを憎むようになって、そして僕と一緒にアリを殺してくれるようにならないだろうかと、本当は少しだけ期待していたのだ。なにしろ僕一人で殺してまわるには、世の中のアリの数は少し多すぎる。

 僕は少女の指の中でもがくアリを見つめる。少女の指の白さとアリの黒さが対照的で、僕は「やっぱりこいつらは殺さなければならないんだ」という考えをより深くする。

 少女は、今度は僕の顔をじっと見つめ、そしてにっこりと微笑んだ。


「ねぇ、私はアリのこと憎くないわ。アリなんてどうでもいいのよ。でもね、あなたがアリを殺しつづけるっていうなら、たまには私も付き合ってあげる」


 そう言って、少女は指先に力を込めた。アリの体液が少女の指を汚した。

 僕は嬉しくって叫び出しそうになった。

 ああ、これこそ友情だよ。ねぇ、これこそ。


 それから、僕らは日が暮れて電灯が虫を殺しはじめるころまで一緒にアリを殺した。

 今夜、街からアリは減っただろうか?

2010年02月01日

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