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誰も救われなかった

 友人が牧師をやっている。


 住宅街の真っ白な建物が教会であるということに、近辺に住む人々はあまり気がつかないらしい。あるいはもともとがいい加減だったこの国の信仰がいよいよ消滅しかかっているのかもしれないが、ともかく彼の教会には日曜日でも閑古鳥が鳴いている。

 それでも日頃からしっかりと説法をしたためている彼のことを、私はビートルズの『エリナー・リグビー』に引っかけて『マッケンジー神父』と揶揄したものだが、実際の彼は歌詞に登場する神父とは正反対の篤信家である。

 誰に対しても分け隔てなく向けられる柔和な笑顔に優越の色を見たことなど一度もない。他者への慈悲を自らの為と信じ実践する善良な謙虚さ。施しを求めてチャイムを鳴らす者があれば、たとえそれが信仰の片鱗すら見受けられない浮浪者であったとしても、彼は例外なくスープを温めなおしてやった。

 生まれるのがもう少しだけ早ければ、きっと大勢の信者に取り巻かれていたのだろう。立派な神父さまだ。

 しかし、彼は私の職業についてだけは、ほとんど顔をあわせるたびに苦言を呈してきた。


『裁きを下すのは神の役目であり、そしてその執行は天使の役目だ。そして政府は神ではなく、君も天使ではない』 


 彼の主張はこのようなものだった。

 私は友人である彼を尊敬しているし、彼だって私という人格を認めてくれている。それだけはほとんど確信をもって言い切ることが出来る。

 しかしそれでも、彼が賛同を示す「死刑廃止論」というものは私の職業と絶対に相容れぬものであるし、逆にわたしも、薄っぺらな理想や形骸化した道徳を振りかざすばかりのそんな論調を、絶対に認めない。

 犠牲者や遺族の魂は、加害者の死でもってしか癒せないのだから。


 水曜日、近くを通りがかったついでに実家に立ち寄ることにした。

 畑の畦に車を止めてまわりこむと、縁側から楽しそうな声が聞こえた。年老いた母と談笑する、腰の曲がったもうひとりの老女。母の趣味仲間だと教えられた。

 お互いに母から簡単な紹介をされ、私も談笑に加わることになる。ぎこちなくはあったが、決して居心地は悪くなかった。

 しかし、母が私の職業について口を滑らせたその瞬間、それまで人好きのする笑顔を浮かべていた老女は、まっさかさまにその態度を硬化させた。

賤業を蔑む視線。私という個人への軽蔑。そして、ひどく歪な優越。

 そういった様々な色を彼女の態度から感じ取りながら、私は『ああ、またか』と無言のうちに嘆じた。


 死刑執行人という職業への偏見を抱いている人は、ご年配の層に特に多い。

 延和えんな四年より以前は刑務所看守がこの役目も担っていたらしいが、平成二十八年にアメリカの主要な州が専門の執行人を備えるに至ると、右に倣えとばかりに時の与党も執行人制度についての法案をまとめあげた。

 当時は物議を醸し出したこの役目も、延和も二十二年を数える昨今ではすっかり定着したものと思っていたのだが、それでも偏見が完全に消え去るにはまだ時間が掛かるのだろう。


 ――いや、違う。


 私は自らの内面に向けて反論を投げた。

 偏見だと反論する資格など、私に有りはしない。

 死刑反対論者たちがことあるごとに口にするように、この役目が人を殺して金を握る賎職だということは、紛うことなき事実なのだ。

 刑の執行後に心を病んでしまうものもいたという、古き時代の看守たちと私は決定的に違う。

 私は自分から望んで、熱烈に志願してこの役目に就いたのだ。

 クズどもをこの手で葬る役目。人殺しの役目に。


 ひとりの執行を翌日に控えた日曜の夜、例のマッケンジー神父から電話があった。

 お互いの近況を報告しあったりとなんとない話題に花を咲かせた談笑は、『月曜の執行』に関して話題が及んだその瞬間、あっさりと終わりを迎えた。

 電話口でもわかるほど悲痛に彼は私を批判した。私もまた苛烈に反論を返した。かろうじて議論という体裁を維持しただけの口論は、どこまでも平行線のままだった。

 おそらく彼は、死後に私が並ぶことになるであろう窓口の心配をしてくれていたのだろう。『言い争うことなかれ』という聖書の言葉に反してまでも。まったく、友誼深い男だ。

 だが生憎、いい加減辟易としていたわたしには彼の友情を斟酌してやれるだけの余裕がなかった。


「わかった。お前は天国を夢想する死刑囚どもの為に祈ってくれ」と私は言った。「俺は地獄の存在を熱望する遺族の為にボタンを押す」


 ほとんど吐き捨てるようにそう締めくくり、一方的に通話を切った。

 なんだか、ひどく疲れていた。


 月曜日。死ぬべき罪人が階段を昇る。

 三年前に幼い女児を強姦して殺し、その遺体は解体してパーキングに捨てた、唾棄すべき外道。

 階段の終着の、また、彼の人生の終着点ともなる最上段床の開閉ボタンに指を添えながら、わたしは昨夜の電話を思い出していた。


『私は地獄の存在を熱望する遺族のためにボタンを押す』


 そうだ。昨晩、私は確かにそう言った。

 だが彼が死ぬことで、遺族の傷痕が帳消しになるとでもいうのだろうか?

 はたして彼が死んだ瞬間に、殺された女の子が蘇るとでもいうのだろうか?

 答えは、どちらも否だ。

 遺族は涙ながらに鬼畜がこの世から追放されたことを少女の墓前に報告する。それだけだ。残るものなどありはしない。

 結局、彼が死んだところで誰一人として救われることはない。

 だが、それでも遺族は彼の死を望むだろう。

 それは無駄な死だが、それは必要な死なのだ。


 今まさに縄輪に首を通した男を、いつになく厳粛な気持ちで私は見つめていた。

2007/1


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