可愛い壊れた女の子
彼女を名前で呼ぶ者など町には一人もいなかった。
大人たちはもっぱら『吉坂さんちのあの子』と呼び、子供たちは『キチガイ』あるいは『くるくるぱー』というニックネームとともに、彼女にコンクリート片とセミの抜け殻を投げつける。両親は彼女を『故障品』と呼び、掃除機や洗濯機以下の扱いで我が子に接した。
だが、故障品という言葉はまったく的を射ている。
彼女は脳みそが少し故障しているだけで、世の中の大多数を占める偽善者たちが重要視する『心』とか『魂』とか、そういった安っぽくて尊い部分には汚れひとつなかったのだから。
しかしもちろん、そんなことには誰も頓着していない。両親はただ表面的な印象によってのみ故障品という言葉を選んだに過ぎない。
彼女の純心は誰にも発見されぬまま、狂気と狂態の狭間に埋没してしまっていた。
ところで、彼女の町には悪魔が住んでいた。
たった一匹/一人しかいないのに、そいつはすべての辻と電柱の陰に潜んでいる。
姿はない。
だが、形はあるらしい。
誰も見てない夕暮れに、醜い矮躯は長身の影を伸ばす。
悪魔は狂った少女に愛着を持った。
狂った少女は悪魔がお気に入りになった。
彼女と悪魔は仲良しになった。
虫眼鏡でアリを焼き殺し、野良猫の毛をむしりとり、二人/一人と一匹は連日を思いのままに過ごした。
しかし、そんな交友関係は許されない。
彼と彼女の友情を、自らを正義と自覚する人々は認めなかった。
楽しげに無人の空間に話しかける彼女をみんな気味悪がった。
正しく歪曲した民主主義に、迫害はついに正当化される。
人々は手分けしてセミの抜け殻とコンクリート片を集めはじめた。
そのうち誰もが、自分たちが何故そんなことをしているのか、理由は忘れさってしまう。
でも、こんなに楽しいことはない。こんなに楽しいことはない。
切れた頬から血を流し、セミの抜け殻を服につけ、狂った娘はうれしそうにしくしくと泣いた。
怒った悪魔は彼女の流した涙から狂気を掬い集め、正しくて愚かな連中に手当たり次第に吹き込んでいった。
そして半分の人々が気狂いになった。
そして半分の人々がその世話をする羽目になった。
見捨てることは許されない。彼らは正しい人だから。
摩耗する。狂えなかった人たちは、次第に精神を磨り減らしていく。
いつしか、真夜中になると彼らはひそかにお祈りを捧げるようになった。
どうか私も狂わせてください。どうか私も。どうか私もと。
狂った純心の下へと、身勝手な祈りは今夜も押しつけられる。
やがて願いは成就する。
それに伴い信仰は確立されていく。
可愛い壊れた少女の下で、奇人の町の狂気の宗教は廻りはじめる。
2009/5/24




