ハートフィールド
毎晩毎晩悪夢の連鎖。夢から夢へとはしごする。
恩師に絞殺されたら次は、包丁片手にお母さん。
数珠でつながる破滅と惨死、ときどき虚しい喪失感。
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地球上でもっとも心優しい少女のお話は、もっぱら奇形児座のあたりで評判になっていました。
なにしろ地球人というのは広い宇宙でも際だって愚かな知的生命体です。エゴ・利己・我欲とためごかし。ときどきホビーな自己嫌悪。挙げ句の果てに仲間同士で殺し合うなんてとんでもなく非合理的! こんなに楽しい生き物が注目されないはずがありません。
少女の話に戻りましょう。
彼女は地球でいうところの北半球はユーラシアの端も端、毒蛾のイモムシのような形をした列島のちょうど真ん中あたりに住まっていました。
地球人の中にあっては、彼女の心映えはもうまったくの規格外! 温情愛情慈しみは誰彼をわけずに振りまかれ、知らない人にも疑いのない笑顔をさっと預け、愛と勇気とお友達はもりだくさん。こうして例を並べるもばかばかしいほどの、まさに天使のごとき……って、ああ、なんて陳腐な表現でしょう! これってほんとに地球的!
でね、そのうち、首つり座の連中がこんな風に言い出したんですよ。
「あの娘のそういう部分がどの程度地球離れしてるかね、みなさん、ちょいと確かめてみたかないかね」
もちろん反対意見なんてありませんでしたよ。こうして当の地球を除く全宇宙が、たった一人の地球人少女に大注目したのです!
首つり座からの使者が地球に降り立ったのは、地球時間にしてそれから三日目のことでした。
彼らはまず全地球人の精神に直接イメージを送り込んで圧倒的な力の差を誇示し、無駄な希望を抱くことの愚かさを親切丁寧にムシケラどもに教えてあげました。
それから、彼らはあわせて三十五万六千四百五十三人の地球人を少女の住む島国を除いた世界各地からさらってきて、しかる後に、今度は件の少女にだけテレパシーで語りかけました。
『この人質たちのうちに、直接・間接の区別なく、君と関わりのあるものはただの一人もいない。君の国からさらって来たものもいない、ひとりも』
『地球時間で一日が経過するごとに、我々は気が向いた分だけ人質を屠殺する』
『すべての人質の命を奪った時点で我々は地球を去り、そして二度とはやって来ない。新たに人質を追加することもしない』
『つまり、君とは無関係な三十五万六千四百五十三人が(たったのそれだけ)死ぬだけでこの大騒ぎは幕を閉じる。君の日常にはなんらの影響も残らないというわけだ』
『しかし、それでも彼らを助けたいというならば、ひとつだけ提案してあげてもいい。そう、君一人が彼ら全員の身代わりになるのだ』
『ただし、その場合君は我々の星への招待を受け、地球時間にしてきっかり九百四十五年間のあいだ苦しみを味わってもらうこととする』
最後に使者たちは『九百四十五年間の苦しみ』の具体的なイメージを少女に送りました。
大宇宙テクノロジーの粋を集めて用意すると約束された地獄は、地球人のおそまつな発想など軽く超越したものです。
少女は一瞬のうちに一生分の負の映像をその稚い精神に受け止め、そして、それが宇宙のどこかで自分のために用意されていると考えて、発狂しそうになりました。
それから二十三時間五十八分後、最初の人質屠殺の様子が全地球人の精神に生中継されました。
黄色人種が三十八人、白人が九十六人、黒人が三人、混血も二人。
計百三十九人がそれぞれ生きたままちぎれて潰れて破裂してあるいはどろどろに溶けたり蒸発したりしていく様子がライブで100億人の脳裡に垂れ流し。目をそらすことはもちろん不可能。世界中で同時多発的に大自殺キャンペーンが発生しました。
それでも、これは人質の総数の一%にも満たない犠牲です。
「もう少し節約して屠殺すればこの惑星の時間にして十年はもちそうだ」
使者たちはそういって笑いあいましたが、意外や意外の想定外。
屠殺ショウはその晩が最初で最後の最終回とあいなります。
例の少女が身代わりを申し出たのです。
驚きが宇宙を駆けぬけました。
三十万六千四百五十三人(ひく三十九人)とたった一人の交換は確かに破格、とんでもなく割のいい取引ではありましたが、問題の少女にとっては唯一無二の自分と名前も知らなきゃ言葉も通じぬ連中との交換。しかもあとには簡単に死ぬことも許されぬ地獄が控えているのです。
この自己犠牲。この友愛。「はたして彼女は本当に地球人なのか?」なんて疑問までが飛び出す始末。
いえいえ、そう思う気持ちはようくわかります。地球人というのはもっときちんときっかりと、愚かで不合理で唾棄すべき存在であるべきなのです。
この地球的でない自己犠牲はもちろん即日全地球人に告知されました。
少女が宇宙へ旅立つ朝。地上には立錐の余地もなく人々が詰めよせ、楽隊の演奏はたからかに青空に響き、全地球規模の小さな聖女に百千万の祈りは捧げられました。
やがて、少女を乗せた宇宙船はゆっくりと浮上し、ほとんど動いてるかどうかもわからないような速度でゆるゆると上昇していきます。
グロテスクな容貌をした二人の使者が、地球の、少女の国の言葉で彼女に問いかけました。
「本当にこれでよかったのかね?」
問われて、少女は青ざめた顔をしたままかすかに頷きました。
「君は狂っているねぇ! 狂っているよ!」
使者は熱狂的な口調でそう言いました。
宇宙船はゆるゆると空に上ります。
やがて太陽は地球の裏側へと回り込んで、地上には夜の闇がおります。
少女を一目見送ろうと集まった人々は、ひとりが去るとふたりが去り、三人帰れば十人がいなくなりといった具合に、まわりの様子にあわせつつ、いそいそと帰ってゆきます。
もうこれで義理は果たしたよな、なんて、確認するみたいに。
その様子を目撃した少女は、やがてゆっくりと顔をあげると、涙声に後悔を滲ませて、か細い声で使者たちに言いました。
「やっぱりいやだ、行きたくないよ」
使者たちはにんまりと笑顔になって、本当に嬉しそうな声音で地球人の少女に言いました。
「いまさら遅いね」
宇宙船はゆるゆると上昇し、やがて大気圏も越えるでしょう。
そしてその先には、永遠とも続く地獄が少女を待ち受けているのです。
さて、いったい彼女はどの瞬間にすべてを失ったのでしょうか?
※
毎晩毎晩悪夢の連鎖。陰鬱な夢の短編集。
親友の自殺目撃したら、恋人殺して無理心中。
悲鳴をあげて夢から醒めりゃ、黄色い朝のお出迎え。
2009/10/29




