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ある晴れた終末に

「一年後のエイプリルフールに人類を終わらせちゃおうと思います。カウントダウンとかもしますから楽しみにしててくださいね」



 神様による人類終了宣言はどこまでも軽いノリだったけれど、疑う人は一人もいませんでした。なにしろそれが天より告知されたのは三月三十一日のことで、つまりぎりぎりエイプリルフールではなかったのだから。


 全人類がどんな感じで終末までの猶予を過ごしたのか、どういった混乱が全世界にもたらされたのか、詳細はまぁ省略するとして、とりあえずボクたちのニッポンは平和なものでした。

 おおかたの絶望は一ヶ月もする頃にはだいたい諦観にこなされたし、そうするとやけくそでポジティブな発想も生まれてくるんでしょうね。「なんだ、まだ十一ヶ月もあるじゃん」なんてさ。


 人々はいまやハッキリ有限となった人生を最大限に謳歌すべく、こぞって会社や学校へ行かなくなりました。わざわざ辞表や退学届けを書くようなクソ真面目もまったくの少数派でした。



 みんながみんな自分の役割を投げ出したら社会はまわんないじゃん、って思うかもしれないけど、それが実際はそうでもありませんでした。

 職業矜持、つまり自分のお仕事に誇りやプライド(あ、これは同じ意味か)を持つ人たちは、最後の最後まで『通常通りの日常』に殉じようとしたからで、そして、そういう人はスーパーのレジ打ちから警察官、ウソだと思われるかもしれないけど政治家にだって幾人かはいたのです。

 逆を言えば、はからずも志の低い人たちが淘汰された形となったわけです。

 至高の純度に濾過されたそれぞれの現場は円滑に廻り、日常を投げ出した人々は彼らに対して強烈な尊敬の念を抱きました。

 優越感も劣等感もはてしなく善良なかたちで発露し……つまり、社会は慈愛と尊敬の念で満たされた。


 名も知らぬ隣人を愛する文化が、最後の最後の土壇場で人類に蘇ったってわけですよ。



 さいしょこそみんなやり残しのないように張り切っていたけど、そんなのも三ヶ月くらいでだいたいネタ切れになるもんです。

 テレビは安上がりで出演者も視聴者も楽しい気分になれるバラエティ番組と再放送ばかりになり、みんなその前で寝っ転がったりしてもそもそと安逸にまどろみました。つまんねぇテレビばかりだなぁって、楽しそうに文句をいったりして。、

 それはさながら、数ヶ月続く寝正月とでもいったふうに。

 毎日無駄に過ごすから一日がひどく長く感じられるのに、なんにもしてないわけだから、あとから振り返ってみてもひどくスカスカだったりする。妙な感じです。


 老後ってこんなもんかなあ、とフリーターだったお兄さんは思います。

 ニートってこんな感じかねえ、と団塊世代のお偉いさんは思います。



 さあ、世界の終わりまで、いよいよあと一ヶ月。

 カウントダウンを心待ちにしている人も、今では少なくないらしいですよ。

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