IV 「任せておいてよ」
午前中の部活が終わって、部の友達と食堂を訪れた。昼休みは一時間ももらっている。
でも、食事よりも気になっていたのが、弥くんがいないかということだ。食券を買う列に並びながらきょろきょろと見回し、あの弱々しい男の子がいないかと首を伸ばす。
すると、ちょうどいたのである! あたしは友達に一言残してそちらへ向かった。
「弥くん!」
「やあ、桜井さん。良かった、捜していたんだ」
「そ、そうなの?」
捜していた自分が捜されていたとわかると、途端に照れくさくなる。
「次に会う約束を忘れとったな、あかんかったわ。だからきょうは一か八かで頼れる味方を連れてきて待っていたんだ」
と言って示した先には、女の子が座っている。
「才華ちゃん!」
「……どうも」
才華ちゃんは静かに会釈した。
それにしても、弥くんが連れてきてあたしを一緒に待っていたということは、才華ちゃんはきのう語られていた「解決にうってつけの人」である。まさかクラスメイトにそんな人がいるとは思いもしなかったし、きのうの晩もやもやした思いに襲われている。
改めて才華ちゃんを眺めると、「綺麗」とも「かわいい」とも褒められるなんとも完成された容姿だ。艶のあるセミロングの黒髪、滑らかそうで透き通った肌、潤った柔らかそうな唇――整ったパーツが揃っている。教室で気の抜けたような顔をしていたり、電子辞書を読み漁っていたりするときとは大きく異なっていて驚いた。
「どうして才華ちゃんなの?」
「いやあ、まあ任せておいてよ」弥くんはにやにやと笑う。「きのう事情を話してもらったけど、実は録音させてもらっていてね。才華に聞いてもらったんだ」
なるほど、きのう携帯電話を気にしていたのはこのためか。途中通話したのは、あたしが不思議に思っていることを「解決してほしい」とだけ聞かされた才華ちゃんが、せめて調べてほしいことを指図していたのだ。
「けれど、才華ちゃんはクラスのことあんまり知らないんじゃ……夏休みは一度も来ていないし、打ち上げも参加できてないでしょ? あ、もちろん嫌味じゃないよ」
懸念を漏らすと、今度は才華ちゃんがにっと口角を吊り上げた。
「それは大丈夫だよ。わたしも、気になったんだ……マリアさんがどうして姿を見せなくなったのか。話は弥からちゃんと聞いた」
一瞬目を閉じる。瞬きではない、何かの意思の表明だ。
「でも、もうだいたい見当はついているよ」
あたしは唖然とした。
才華ちゃんは得意げだ。
誰より弥くんがしたり顔である。
「ねえ、話すなら人のいないところがいいんだけれど、大丈夫?」
才華ちゃんの提案に、わたしはすぐ頷いた。
「わかった! うちのクラスで話そう」
お昼ご飯はロッカーに常備しているエナジーバーでも食べることにしよう。
お菓子を口に咥えながら、エアコンの電源を入れ、机に座る。
誰も見ていないからこその、ちょっと下品なわがままだ。弥くんは近くの椅子を引いて腰かけ、才華ちゃんはチョークを手に取り弄びながら教卓に身を乗り出す。
「ねえ、才華ちゃん。どういうことだとわかったの?」
早速本題を切り出すと、才華ちゃんは申し訳なさそうに笑った。
「先走らないで。まだ質問したいことがいくつかあるの。見当はついているけれど、どうしても足りない部分があるから」
「わかった。いいよ。何でも聞いて、マリアのためなら何でも答える」
すると、才華ちゃんは急に真剣な眼差しになり、声も低くなった。
「まずひとつ。マリアさんって、本名は田橋智夏だよね?」
「そうだよ」
「日本人?」
「も、もちろん」
「でも、ヨーロッパの血が混ざっていて、そっちで暮らすこともあったでしょ? 特に、イギリスなんてのは?」
あたしは身震いした。決して突飛な質問ではない、むしろ的中しているのだ。
「すごい、そうだよ。マリアの見た目は八割方日本人なんだけど、お母さんがイギリスの人で、小学校低学年のときは向こうで暮らしていたみたい。受験が終わった前の春にもイギリスに行っていたって。あだ名のマリアも、日本じゃ使わないだけで、ミドルネームとして命名されてはいるらしいよ」
「やっぱりね……イギリス。思ったとおり」
才華ちゃんは何かを飲み込むと、さらに尋ねる。
「マリアさんは真面目だっていうけれど、怒られることは本当に珍しかったの?」
「全然なかったって言ってもいいよ」
「じゃあ、先生に呼びだされた理由も心当たりがないんだね?」
ない、と頷いた。むしろあたしが怒られてばっかり、と笑って付け足すと、才華ちゃんは作り笑いを浮かべた。冗談や軽口が好きなタイプではないらしい。
それにしたって、どうして怒られたのかがさっぱりわからない。部活中に担任から呼びだされるケースはそう滅多にないはずだ。夏休み前に呼ぶほうが楽であるから、夏休み中に何かがあったということになる。
やはり、マリアが部活で怒られたあの日、何かがあったのだ。
それにしても、と弥くんが切り出す。
「何で呼びだされたんだろうね?」
疑問はあたしと同じ点だ。最大の謎であることは三人で一致できているのだろう。
「夏休み中に何かをやってしまった、ってことだよね?」
「そうだね」才華ちゃんが応じる。掛け合いへと発展していった。「でも、まずいことをしたのは間違いなく、四日前」
「そうだろうね、ぼくもそう思う」弥くんが続ける。「あの、部活に遅刻して、文化祭の準備に参加した日だよね」
「弥はどうしてそう思った?」
「ううん、翌日すぐに呼びつけたところかな?」
「だよね、わたしも同じ。さらにわかることもある」
「というと?」
「告発があったんだよ」
「告発?」
弥くんもあたしも耳を疑った。才華ちゃんは乗り出していた身を引いて胸を張り、さも当たり前のようにつらつらと話を続けた。
「だって、翌日に呼びだすほどの火急の罪が発覚したとするでしょ? たとえば、『近所のコンビニで万引きがあった』って通報が入ったとする。『こうこうこういう生徒がカメラに映った写真がここにある。疑わしい生徒を炙り出して呼びだしてくれ』と。すると、どうなる?」
「警察から通報があったんだよね。しかも、個人がかなり特定された状態で」
「そう。つまりは確保をしに来るよね? すると当然、警察が学校に来る」
「ははあ、もっとえらい騒ぎになっているはずや」
「そういうこと。警官が来れば目立つ。けれども、夏休み中とはいえ、全然噂になっていないんだもの。そうなんでしょ?」
あたしに確認を求めてきたので、確かに噂はないと首肯した。
「……ということだから、『田橋智夏がこんないけないことをしていたのを見た』なんて程度のことを先生が小耳に挟んだんだろう、と言えるわけ」
どう? と訊かれたが、ぽかんと口を開けているしかできなかった。視界の端では、弥くんが嬉しそうな顔をしている。
「まあ、この通りわたしの考えはかなりまとまっているけれど、証拠がないのよ」
と言って、才華ちゃんはふと見つけた教卓のペン立てをいじった。口を尖らせながら、くるくると筒を回している。
きょうはここまでか、と息をついたとき、携帯電話がにわかに騒ぎ出す。咄嗟に通話ボタンを押すと、耳を貫かんばかりの大声が響いた。
『エンちゃん! お昼一緒にって言ったのにどこ行ったのさ! もう午後の活動始まる時間だぞ!』
あたしは通話を終え、そういうことだから、と苦笑してふたりと別れた。