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生存圏

作者: 幸橋

生存圏〜君と重ならない僕の居場所〜


【カートを押す音】

【小鳥のさえずりや風】

【本がまくれる音】

【ノックの音】

シロウ:どうぞ

コトハ:失礼致します

【ドアを開ける】

【部屋の中に入ってくる】

コトハ:おはようございます。御気分はいかがですか、シロウ様

シロウ:おはよう、コトハ。うん、今日は気分が良いよ

コトハ:それはようございました

【コトハが近くに歩いてくる】

コトハ:朝食をお持ちしました

シロウ:ありがとう。そうだね。ミルクと果物だけ貰おうかな

コトハ:やはり、食欲はありませんか

シロウ:そんな顔しないで。僕はずっとベッドの上にいるんだ。そんなに食べる必要ないとは思わないかい?:苦笑して

コトハ:しかし、お医者様も栄養のあるものを食べるのがよいと……

シロウ:それと:コトハの言葉を遮って

コトハ:はい?

シロウ:その堅苦しい言葉遣い、二人のときはやめてくれって言っただろう

コトハ:しかし、シロウ様はこのタチバナ家の次期当主様で、私はただの使用人です

シロウ:昔はちょっと驚かしただけで泣き叫んで、シロウのバカ!とか言ってたのに:茶化すように

コトハ:そ、それは……子どもの時の話です。からかうのは止めて下さい

シロウ:そうだね、子どもの時の話だ……:物思いにふけるように

コトハ:シロウ様……

シロウ:お父様が心臓の弱い僕の遊び相手として孤児院から君を連れて来てもう9年だね

コトハ:そんなに経ちますか……当時の私はまだ10歳の何も知らない子どもでした

シロウ:最初はどうして男の子じゃないのかと思ったよ。でも、腕白盛りの男の子よりも大人しい女の子の方が良いと判断してのことだったんだろう。でも、実際に来たのは男顔負けのお転婆さんだった

コトハ:シロウ様!もう……

【シロウがくすくす笑う】

シロウ:でも、あの頃が一番楽しかった。庭で草花を摘んだり、芝生に寝転がって空を眺めたり、鳥を追いかけて走りまわったりもした

コトハ:きっとお元気になられて、またできます

シロウ:もう大人なのに?:笑って

コトハ:大人がしてはいけないという決まりはありませんよ。ハルカ様も今もまだそうやって侍従長にはしたないと怒られています

シロウ:確かに。そのハルカは今日はどうしてるのかな

コトハ:今日は少し遠出をして海辺の街にショッピングに行かれるご予定です

シロウ:君は付いて行かないのかい?

コトハ:私は行けないのです、シロウ様。私の「生存圏」の範囲外ですので

シロウ:そうか……「生存圏」。東亜帝国が一人一人に定める居場所。その範囲内でしか生活することは許されず、そこを出れば警告無しに殺される

コトハ:はい

シロウ:屋敷をほとんど出ることがない僕にはなかなか実感は湧かないけど、「生存圏」のせいで行けない場所、会えない人もいるんだろうね

コトハ:人口を集中させずに分散し、資源を効率良く分配するためです。仕方ありません

【シロウがじっとコトハを見ている】

シロウ:コトハ、ちょっとこっちに来て

コトハ:はい?

【コトハがベッドの傍に寄る】

【シロウがコトハを引き寄せて抱きしめる】

コトハ:シ、シロウ様!?:慌てる

シロウ:君と僕の生存圏が重なっていて良かった

コトハ:シロウ様……

シロウ:君に会えて、君をこうやって抱きしめられることが嬉しい

【強く抱きしめる】

シロウ:ずっと傍にいてくれ、コトハ。ずっと僕の傍に

【コトハが息を吐く】

【シロウの背中をさする】

コトハ:はい。ずっと傍にいます、ずっと

【ドアを閉める音】

ハルカ:お兄様もさっさとコトハと婚約してしまえば良いのに

コトハ:ハルカ様!?どうしてここに、もう出発されてるはずでは……

ハルカ:ちょっと支度に手間取ってね。これから出掛けるところ

コトハ:いつからここにいらしたんですか

ハルカ:うーん、あなたがお兄様の部屋に入って行くところかしら

コトハ:最初からですか……:脱力して

ハルカ:ね、それでどうなの

コトハ:どうとは?

ハルカ:コトハもお兄様のこと好きなんでしょう?

コトハ:ハルカ様、こんなところで、そんな:慌てる

ハルカ:どうして?お兄様はコトハのことが好きよ。コトハもお兄様のことが好きなら、何の問題もないわ

コトハ:……私はただ使用人です。そして、シロウ様は大貴族のタチバナ家を背負うお方です

ハルカ:大貴族なんて、おじい様の時代の話だわ。お父様が亡くなられてからは没落の一途

コトハ:ハルカ様、口を慎まれて下さい

ハルカ:皆わかってることよ、こんなこと

コトハ:ハルカ様……:弱り切って

ハルカ:私は応援するわよ、コトハ。家名だけの高飛車なやな女が義姉になるくらいなら、気心しれたお前がお兄様と結婚する方がずっと良い

コトハ:そんなこと

ハルカ:ま、時間の問題だと思うけど。お兄様ももう二十歳ですもの。そろそろ結婚相手を決めて良い頃だわ。あ、もうこんな時間。早く出発しなくては帰りが遅くなってしまうわ。それじゃあね、プロポーズにどう答えるか考えておきなさいよー

【ハルカがバタバタと走り去る】

コトハ:本当にいつも嵐のような……明るくて、快活で、……シロウ様もハルカ様のように丈夫に生まれていたら……いえ、こんなこと言ってても仕方ないわね……

【コトハ歩き出す】

【海辺の街】

【人々の足音】

使用人:ハルカ様あちらに有名デザイナーデザインのジュエリーショップがあるそうですよ。見に行かれますか?

ハルカ:本当に?行きましょう

【店のテレビ?からの映像の音】

ハルカ:ん?

【足を止める】

キャスター:本日は女性の地位向上のための活動もされている青年実業家のマコト・アオキさんにお越しいただきました。宜しくお願いします

アオキ:宜しくお願いします

ハルカ:かっこいい人……

キャスター:アオキさんは主に西地区で活動されているとのことですが

アオキ:はい。そこが私の生存圏だから致し方なくということもありますが、生活水準、特に独身女性の生活水準が著しく低いことでも知られる地域です。女性は大切な労働力、社会を支える人材となり得るのです。私はまずそれを周囲に認知してもらい……

使用人:ハルカ様どうなさいましたか

ハルカ:この人

使用人:はい?

ハルカ:この人に会ってみたい

【回想、夢】

侍従長:シロウ様の遊び相手だからって立場をわきまえなさい。あなたはここから追い出されれば他に行くところなんてないんですからね

コトハ<幼少>:はい……

【コトハ<幼少>が泣いている】

【芝生を踏みしめる音】

少年:お前……

コトハ<幼少>:あなた……誰?

少年:ここがつらいなら……

コトハ<幼少>:え、何、聞えない

少年:俺は……

コトハ<幼少>:聞えないよ

少年:俺は……シロウだ

【夢が覚めていく】

【コトハ揺さぶられる】

ハルカ:コトハ、コトハ、コトハ!

コトハ:ん……え、ハルカ、様……?

ハルカ:起きて頂戴、コトハ

コトハ:どうなさったんですか、こんな夜中に

【コトハが起き上がる】

ハルカ:あなたにお願いがあるの:真剣に

コトハ:お願い?

ハルカ:私、会いたい人がいるの

コトハ:会いたい人?

ハルカ:そう、どうしても会いたくてね。私、手紙を書いて送ったの、返事も来たわ、電話もした。この半月、私たちたくさん話したの。すごく素敵な人、志が高くて、でも、思いやりもあって、優しくて。私ね、あの人のこと好きになってしまったの

コトハ:ハルカ様

ハルカ:……でも、あの人と私の生存圏は重なってない

【コトハが息をのむ】

ハルカ:私、あの人に会いたい、会いたいのよ。声を聞くだけなんて耐えられない。触れたい、抱きしめたい……:涙声

コトハ:お気持ちはわかります。でも、それは……

ハルカ:どうにもならないって言うんでしょう。わかってる。私もそう思ってた。でも、あの人が言ったの、とある筋に頼めば、「生存圏」を交換できるって

コトハ:「生存圏」を交換……?:驚き

ハルカ:そう、他人の「生存圏」と自分の「生存圏」を交換して行けなかった場所へ行く、会えるはずのない人に会う。それが可能なのよ

コトハ:まさか、そんなことが……

ハルカ:それには高額の対価が必要なの。でも、それは用意できた。あとは、交換する「生存圏」だけ。コトハ、お願い、あなたの「生存圏」をちょうだい

コトハ:え……

ハルカ:身寄りがない人の「生存圏」が交換には適しているらしいの。あなた、家族いないでしょ?

コトハ:ハルカ様……:声が震える

【コトハが後ずさる】

【ハルカがコトハの肩を掴む】

ハルカ:嫌なんて言わせない。そんなこと言ったら、屋敷を追いだすわよ。タチバナ家から追い出された使用人なんてどこでも雇ってもらえないわよ

コトハ:あ、ああ……:言葉が出てこない

ハルカ:大丈夫、当分の間生活できるお金は渡すわ。あなたなら、向こうでもやっていける。ね、私のお願い、聞いてくれるわよね

コトハ:私は……

【シロウのずっと傍にいてくれセリフ挿入】

コトハ:もし……

ハルカ:何?

コトハ:もし、「生存圏」を交換したら、シロウ様とは……

ハルカ:……会えないわ。だって「生存圏」が重なってないんですもの

コトハ:私は、シロウ様と……

ハルカ:どっちにしても、お兄様とは会えなくなるわ。あなたは屋敷にいられなくなる

コトハ:ハルカ様:懇願するように

ハルカ:っ……あなたには悪いと思ってる……でも、……これしか方法がないの!私はあの人に会いたいの!会いたいのよ!:泣き叫ぶ

コトハ:『私に他に選べる道はなかった……』

【ノックの音】

コトハ:シロウ様、コトハです。……入りますよ?

【ドアを開ける】

【ベッドに近づく】

【シロウの寝息】

コトハ:お休みだったんですね

【カーテンが風になびく】

【シロウの髪に触れる】

ハルカ:『このことをお兄様に言ってはダメよ。ま、言ったとしてもお兄様には何の力もないわ。だって、お兄様は……』

コトハ:シロウ……私……

シロウ:やっと、そう呼んでくれた

コトハ:っ!

【手をひっこめようとして、その手をシロウに掴まれる】

コトハ:起きてたの

シロウ:今、起きたんだ

コトハ:シロウは意地悪ね……

シロウ:そうだね。昔から、君だけには意地悪だった

【シロウがくすっと笑う】

シロウ:君はどんな顔をしても可愛い。怒ってる顔も、困ってる顔も、笑った顔も、……泣いた顔は嫌だけど、それ以外のどんな表情も愛おしい:少し笑って

【風、はためくカーテン】

シロウ:緑の匂いがする、濃い、むせかえるような

コトハ:もう夏だから

シロウ:そう、太陽の匂いだ、コトハの匂い……

コトハ:シロウ……

シロウ:……ねえ、コトハ

コトハ:何?

シロウ:君も知ってると思うけど、僕はもう長くない

【コトハ震える息をもらす】

【シロウが身じろぎしてコトハの方を向く】

シロウ:二十歳まで生きられないと医者に言われてた僕がここまで生きられたこと自体運が良かったんだ。僕はいつ死んでもおかしくない

コトハ:そんなこと、言わないでよ……:泣きそうに

シロウ:ごめん。でも、それをわかった上でもう一度君に言いたい。ずっと傍にいて欲しい、僕が死ぬまで

コトハ:シロウ……

シロウ:我がままだってわかってるんだ……でも……

【コトハが嗚咽をもらして突っ伏す】

シロウ:君には泣いて欲しくないのに、ごめん……

コトハ:違うの、そうじゃない、謝らないで、私も……

【ハルカのお兄様と会えなくなるセリフ挿入】

コトハ:私も、シロウの傍にいたいよ……

【シロウがゆっくりとコトハの頭をなでる】

シロウ:君はまだ泣き虫だね。ほっとけない……僕の傍にいなよ

コトハ:『ごめんね、シロウ。約束守れなくてごめんね』

【車のドアが閉まる】

【車のエンジン音】

コトハ:『さよなら、シロウ』

コトハ:『ハルカ様の思い人、マコト・アオキという青年に街の外れの杉の大木の下で会った。その辺りがちょうど私と彼の「生存圏」が接している場所だった』

アオキ:あなたには申し訳ないことをしました。これを

【メモを差し出す】

アオキ:ここを訪ねて下さい。良き様に計らってくれるでしょう

コトハ:……ありがとうございます

【メモを受け取る】

【すれ違う】

アオキ:あなたは若くて可愛い。その利点を上手く活かしなさい

コトハ:……っく:苦々しく

サイトウ:社長、お早く

アオキ:ああ

【遠ざかる足音】

【車が走り去って行く】

コトハ:『私はその足でメモを頼りに書いてある場所に向かった。そこは歓楽街だった。考える必要はない。つまりはそういうことだ。体を売って生活しろと言っているのだ。結局私はメモにあった住所を訪ねることはなく、その場を離れた』

【歩いている】

コトハ:『彼の「生存圏」があった西地区は、全体的に治安の悪い地区だった』

【人が急にぶつかってくる音】

【走り去る足音】

コトハ:あ!私のかばん!待って!

コトハ:『所持金もすぐにかばんごと盗まれた。誰も頼る人はいない。助けてくれる人もいない。私は一人ぼっちだった』

【水をまく音】

女:邪魔だよ!家の前に座りこんでるじゃないよ!

【走る足音】

男:お嬢さん、良い仕事紹介するよ。大丈夫、あんたならきっと稼げるよ

【走る足音、荒い息】

子ども:お姉ちゃん、何か食べる物ちょうだい……

【走る足音】

【転んで倒れる】

コトハ:きゃ!

コトハ:『もういや……嫌だよ……助けて……』

コトハ:シロウ……

【男のうめき声】

コトハ:この声……あ、人が倒れてる!

【駆け出す】

コトハ:大丈夫ですか!

【男がぜいぜいと呼吸する】

コトハ:ひどい熱……あの!私の声聞えてますか?……ダメだ、意識が朦朧としてるみたい……どこか横になれるところへ。すみません!誰か、誰か、手を貸して下さい!

【無視して行きかう足音】

【遠くからひそひそ声】

コトハ:どうして……:愕然と

【男の苦しそうな呼吸】

コトハ:っ……私一人で運ぶしかない

【男を抱えようとする】

コトハ:『ここでは誰も私を助けてくれないのに、いったい私は何をしてるんだろうと思った。でも、同じになりたくなかった。困ってる人を見て見ぬふりをするここの住人と』

コトハ:重い……やっぱり私の力じゃ……

男:う……

コトハ:あ!

【コトハよろめく】

【誰かがコトハを支える】

アスカ:おっと

コトハ:あ、すみません

アスカ:いや、大丈夫だ。あんたこそ大丈夫かって、そっちの男……あんたの連れか?:最後声が険しく

コトハ:いえ、ここで倒れていて、すごい熱で、放っておけなくて私……

アスカ:この男、もう長くない

コトハ:え……?

アスカ:知らないのか?ここらでまん延してる流行病だ。薬はあるが、高価なものだから一部の金持ちしか買えない。あとは皆死ぬのを待つだけだ。不衛生な飲み水からの感染だから、空気感染はしないが、それでも皆うつるのが恐くて患者に近づこうともしない

コトハ:そんな……だから、誰も……

【アスカがコトハの腕を掴んでひく】

アスカ:放っておくんだ。死ねば、埋めるくらいのことはしてやる

コトハ:……っ!

【アスカの手を振り払う】

アスカ:おい

コトハ:少し待っていて下さいね。すぐ戻ってきますから:男に語りかける

【コトハが立ち上がって駆けだそうとする】

アスカ:何をする気だ

【コトハ立ち止まる】

コトハ:近くで井戸を見つけました。水を汲んできます

アスカ:だから、それが!

コトハ:煮沸すれば少しはましになるでしょ!それに体をぬぐって、冷やしてあげることくらいなら出来る!何もしてくれないなら口出ししないで!

アスカ:そんなことしても治らないぞ!

コトハ:それでも!:涙声

【コトハがアスカを振り返る】

【アスカがはっとする】

コトハ:それでも、何もしないより良い……一人ぼっちで、誰からも見捨てられて、寂しく死んでいくとのでは違う……誰かが傍にいることがその人にとっての救いになることもある……:涙声

アスカ:あんた……

コトハ:最期まで傍に……:震える声

【沈黙】

【アスカが息をついて、頭をかく】

【アスカが男を背負う】

アスカ:よっ、と

コトハ:あなた、何を……

アスカ:うちに連れていく。行くところがないならあんたも来い。ここらの人間じゃないだろ

【コトハ息をのむ】

【アスカ歩き出す】

コトハ:待って

【コトハ追いかける】

【ドアを開ける音】

【家の中に入る足音】

コトハ:ここ……あなたの家?

【男をベッドに寝かせる】

アスカ:そうだ

コトハ:何これ。ビンとか、植物がいっぱい……

アスカ:薬の材料だ。うちは代々、薬師の家系なんだ

コトハ:薬師……薬剤師?

アスカ:薬を扱うという点で国の認定は受けてるが、国家試験を通ってるわけじゃない。民間療法に近いからな。ここにはまともな医者も薬剤師もいない

【ノックの音】

アスカ:ちょっと待っててくれ

【ドアに歩いて行き開ける】

リナ:こんにちは……あの……

アスカ:わかってる。いつものだな。そこにいろ、今持ってくる

リナ:あ、あの:慌てて

アスカ:うん?

リナ:今日は、その、お金が……弟たちが今、大通りで靴磨きしてるけど、まだ今日のパンの分も稼げてなくて……

【アスカ息をついて、しゃがみ込み女の子の頭を撫でる】

アスカ:いいさ。代金はある時に持って来い

【アスカが薬を取ってきて渡す】

アスカ:ほら、お母さんに

リナ:ありがとう!

【女の子走り去って行く】

【ドアを閉める】

コトハ:あの子は?

アスカ:あの子の母親もこの男と同じ流行病なんだ

コトハ:でも、薬は高価だって……

アスカ:あれは気休めだ。一時的に熱を下げるだけで飲んでも治らない。あの子もそれはわかってる

コトハ:あの子、お母さんがいなくなったらどうなるの

アスカ:さあな。父親はもう死んでるらしい。母親が死ねば、あとはあの子と幼い弟たちだけだ。だけど、そういう子どもはここにはたくさんいる。あの子たちだけじゃない:言葉と裏腹にどこかつらそうに

コトハ:あなた……

アスカ:俺にできることは死を僅かに遅らせることだけだ。それもただ患者に苦しみの生を押しつけてるだけなのかもな

コトハ:そんなことないよ。あなたは生きたいと思う人、生きていて欲しいと思う人の心を救ってるよ、きっと……

アスカ:あんた……

コトハ:きっと……

コトハ:『それから数日、寝る間も惜しんで看病を続けた。彼もその間ずっと起きて薬を調合するなどして傍にいた。三日後の明け方、日が昇り始めた頃、男性は静かに息を引き取った』

【アスカがコトハの肩に手を置く】

アスカ:安らかな死に顔だ

コトハ:そうだね:少し疲れたように

アスカ:こんな死に顔、めったに見られないぞ。だいたい皆苦痛に顔を歪ませて死ぬ。あんたは良くやったよ

【コトハがアスカを見て笑う】

コトハ:……ありがとう

アスカ:なんで俺に礼を言うんだ

コトハ:この人が静かに逝けたのは、あなたのおかげだよ。それに私も、あなたのおかげで救われた

アスカ:あんたが?

コトハ:私、何も知らないくせに、ただ喚いて、身捨てたくないって。私一人じゃ何もできなかった。あなたのおかげだよ。あなたが助けてくれたから、私、私のままでいられた。この人を見捨てなくて済んだ……本当にありがとう

アスカ:いや、礼を言うのは俺の方だ

コトハ:え?

アスカ:俺は自分の無力さに絶望してた……俺には何もできないんだと苦しむ人たちから目を逸らしていた。だけど、あんたが違うと教えてくれた。だから、あんたには感謝してるんだ、ありがとう

コトハ:コトハ

アスカ:え?

【コトハくすっと笑う】

コトハ:私の名前、コトハっていうの。コトハ・アマノ。変ね、ずっと名乗ってなかったし、あなたの名前も訊いてなかった

アスカ:そう言えば、そうだったな。気付かなかった:苦笑して

コトハ:あなたの名前も訊いていい?

アスカ:アスカだ。アスカ・コバヤシ

コトハ:アスカさんね。この数日いさせてくれてありがとう、アスカさん。この人を埋葬したら、私も出ていくから

アスカ:どこか行くあてがあるのか

コトハ:あるにはあるけど……でも、そこへは行かない。どこか別の自分一人で暮らせる、そうね、住み込みの仕事を見つけるわ

アスカ:そんな仕事めったにないぞ。紹介状でもない限り。あんた、どこから来たんだ、流行病のことも、ここのことも良く知らないようだし。「生存圏」にここが含まれてるなら、出身もそんなに遠くないだろ

コトハ:それは……ごめんなさい、言えないの

アスカ:言っちゃ悪いが、身元がはっきりしないなら雇ってはもらえないぞ。それこそ、若い女なら、体を売るしか……

コトハ:そうね……そうよね、きっと。それでも、探してみる。きっと何か道があるはずよ

コトハ:『ここに来たのは私の意思じゃない。でも、ここからは私の意思で選ぶことができる』

【アスカ躊躇いがちに】

アスカ:なら、ここで働かないか

コトハ:え?

アスカ:働くといってもまともな給金はやれないが、衣食住だけなら……いや、でも、見た通りぼろ屋だし、生活もそんなに豊かじゃないから、無理にとは言わないが

コトハ:良いの?

アスカ:あんたが良いならな

コトハ:もちろんだよ!ありがとう、アスカさん!

【アスカが笑う】

アスカ:さん付けやめろ。アスカでいい。じゃ、これから宜しくな、コトハ

コトハ:うん、アスカ

コトハ:『そうして、私はアスカと暮らし始めた』

【タチバナ邸】

【苦しそうな咳と呼吸】

シロウ:……コトハ……

【回想】

ハルカ:コトハがいなくなったわ

シロウ:どうして……:驚愕

ハルカ:わからないわ、でも、屋敷から姿を消したの

シロウ:そんなはずない!コトハがいなくなるなんて!……何かあったんだ、それしか考えられない!うっ……

【シロウが苦しそうに咳をする】

ハルカ:興奮しては体にさわるわ、お兄様。今、家のもので探してるけれど、一向に手掛かりは見つからない……もしかしたら、もうコトハは……

【回想終了】

シロウ:コトハ……どこにいるんだ……

【ドアがゆっくりと開く】

シロウ:誰だ……:緊張して

【歩いてくる。フード付きのマントなので衣擦れ多く】

シロウ:屋敷の者では、ないな。どうしてフードを被っている。顔を見せろ

【足を止める】

【フードをぬぐ】

シロウ:お前……:驚く

【(エイト)息をもらすだけの笑い】

【雪が降っている】

アスカ:ただいま

【雪を払う音】

コトハ:おかえりなさい。あれ、雪降ってるの?

アスカ:ああ。積もらないとは思うが

コトハ:どうりで寒いはずだね。それで時計屋の御主人どうだったの?踏み台から落ちたって

【コートをかける】

アスカ:大したことはなかったよ。足を固定して痛み止めを処方したくらい。あのじいさんはいつも大げさだ。報酬もな

【袋をテーブルに置く(重い音)】

アスカ:干し肉をもらった

コトハ:こんなにいっぱい?今度会ったらお礼言わないと

アスカ:そうだ、帰り道でリナに会った

コトハ:リナちゃんに?

アスカ:弟たちもいっしょだったな。夕飯に誘ったんだが良いか?

コトハ:じゃあ、今日の夕飯は頑張って作らないとね:楽しそうに

コトハ:『リナちゃんは、私がアスカの家に来たときに会った女の子だ。私がアスカの家に来てから半年が経っていた。リナちゃんのお母さんは1ヶ月前に亡くなった。それでもなんとか兄弟で力を合わせて生活しているらしい。アスカも事あるごとに気にかけているようだった』

【アスカが笑う】

コトハ:何?

アスカ:いや、あんたは変わってるなと思って。みんな自分たちの生活だけで精一杯なのに、あんたはそうやって他人に優しくできる

コトハ:アスカだって人のこと言えないと思うけど。薬代だってまともにもらってないでしょ。貰った代金だってほとんど薬の材料費に使って生活費に全然残らない

アスカ:悪い……貧乏暮らしで。食事もままならないことも多い

コトハ:そういう意味じゃない。私、アスカのそういうとこ好きだよ:軽く

アスカ:好きって……:少し慌てて

コトハ:でも、隣のおばさんも言ってたけど、やっぱりお嫁さんもらうには蓄えがあった方が良いってさ。だから、その分を用意してた方が良いと思うよー、アスカは見た目もそこそこ良いし、優しいんだから、あとはそれくらいでしょ

【アスカがため息をつく】

アスカ:あんたって……

コトハ:何?ため息多いと幸せ逃げちゃうよ

アスカ:いや、何でもない。俺、夕飯出来るまで隣で薬の調合してるから

コトハ:うん、わかった。できたら呼ぶね

【アスカが隣の部屋に行き、ドアを閉める】

【ドアを開ける】

リナ:こんにちは!

コトハ:いらっしゃい、リナちゃん。寒かったでしょ、ほら、早く中に入って。夕飯もうちょっとでできるからね

リナ:うん。あのね、今日はパンもらったの。だから、持って来たよ

コトハ:そんな良いのに。明日の分に取っておきなさい

リナ:大丈夫、明日の分はあるの。だから、あのね、これと干し肉少しだけ交換して貰っちゃダメかな……

コトハ:良いけど、どうして?今日の夕飯で使うわよ

リナ:一番下の弟のユウがね、ここには来れないの。だから、ユウの分も欲しくて

コトハ:来れないって……

リナ:ユウの「生存圏」にこの家が入ってないの

コトハ:そう……わかったわ。でも、パンはやっぱりリナちゃんが持ってなさい。干し肉はあげるから

リナ:でも……

コトハ:子どもは遠慮しない!大人に甘えなさい、ね?

リナ:うん!ありがとう!

コトハ:さて、横の菜園からハーブ取って来て、入れれば完成ね

リナ:私も手伝う!

コトハ:ありがと

【二人で家から出る】

リナ:晩御飯何作ったの?

コトハ:干し肉入りのシチューとあとは、……

ユウ:お姉ちゃん!:遠くからの声

コトハ:え……

リナ:ユウ!

【ユウが半ば走るように歩いてくる】

ユウ:お姉ちゃん、僕だけ置いて行かないで

リナ:それ以上来ちゃダメ!

【リナが駆けだす】

コトハ:リナちゃん!

ユウ:一人にしないで

リナ:ユウ!!

【銃声】

【ユウの倒れる音】

リナ:ユウ、ユウ!

【ユウを揺さぶる】

リナ:そんな、ユウ、……や……嫌だ、……いやあーーーーーー!!:泣き叫ぶ

【アスカが飛び出してくる】

アスカ:今、銃声が!何があった!?

コトハ:アスカ!ユウ君が!

アスカ:ユウ!

【アスカがユウに駆け寄る】

【リナの泣き声】

アスカ:っ……ダメだ、頭を撃ち抜かれてる、即死だ……

コトハ:そんな……

【足音】

アスカ:リナは?

コトハ:ユウ君の遺体の傍に付いてる

アスカ:そうか

コトハ:あんな、何で……どうして……:声を震わせて

アスカ:国民の生態情報は全て帝国が保管している。それをもとに衛星で管理して、少しでも「生存圏」から出れば軍の施設から自動狙撃される。それが「生存圏」の仕組みだ

コトハ:わかってる!わかってるけど……こんなのってない……ひどい……

アスカ:……俺の親父もああやって死んだ

コトハ:え……

アスカ:患者がいたんだ。助けられる患者だった。だけど、その患者の「生存圏」と親父の「生存圏」は重なってなくて、親父は軍の人間に頼んだ、今だけで良いから行かせてくれと。でも、あいつらは聞いちゃくれなくて、軍の目を盗んで密かに行こうとして、それで、撃たれた。ユウみたいに頭を撃ち抜かれて、一発で、簡単なもんだったよ……母さんも親父が死んだショックでおかしくなって、あとを追うように死んでしまった……

コトハ:アスカ……

アスカ:俺たちは他人が勝手に決められた場所でしか生きられない。制限された自由の中でしか選ぶことはできない

コトハ:制限された自由……

【アスカが苦笑をもらす】

アスカ:理不尽だと思う。でもな、コトハ……

コトハ:何?

アスカ:俺は、あんたと俺の「生存圏」が重なってて良かったって思ってる。俺の自由の中にあんたと会える自由が含まれていて良かったって、卑怯な考え方だけどさ、そう思うんだ

【コトハがはっとしてから、力なく笑う】

コトハ:……私もアスカに会えて良かったと思ってるよ……

コトハ:『でも……』

アスカ:ありがとう

コトハ:『でも、もし、私が「生存圏」を選ぶことが出来たなら、私はここに来ただろうか?シロウと会うことができないここへ……』

【コトハがため息をもらす】

コトハ:『今は考えたくなかった。考えても仕方ないことだと思おうとした。どうせ、私はもうシロウに二度と会えないのだから』

シロウ:コトハが見つかった……?

【離れていく足音】

シロウ:待て!

【足が止まる】

シロウ:やめてくれ。お願いだ。僕にできることなら何でもする。殺してくれたって構わない。だから、彼女にだけは手を出さないでくれ、頼む……:苦しそうに

【シロウがベッドから落ちる】

シロウ:うっ……!

【シロウが這いずって行く】

シロウ:君が恨んでるのは僕だろう。彼女は関係ない……だから……殺すなら、僕を……:呼吸荒く

【シロウが相手の足を掴む】

シロウ:頼む……

【マントがはためく音】

【(エイト)くすっと笑う】

【窓から強い風が入り込む】

シロウ:え…………そんな……:愕然と

【シロウを蹴り飛ばす】

シロウ:あっ!

【歩き去る】

【ドアが閉まる】

【風が収まっていく】

シロウ:……コトハ……

コトハ:『ここに来てからあっという間に1年が経った。彼がやってきたのは、夏が近づいて日に日に暑くなるそんなある日のことだった』

【コトハが菜園に水をやる】

オカ:やあ、ご精が出ますね

コトハ:はあ、どうも。……あの、どちら様でしょう?アスカにご用ですか?彼、今でかけてるんですけど

オカ:あ、すみません。私、オカと申します。あなたがコトハ・アマノさんですか?

コトハ:はい。そうですが……

オカ:私、骨董店を経営していまして

コトハ:はあ

オカ:そのお客様の中にタチバナ家の方がいらっしゃいまして

コトハ:タチバナ!?

オカ:はい、それで。このお手紙をお預かりして来たのです

【手紙を差し出す】

【コトハ手紙を受け取る】

コトハ:差出人の名前がない……あの、これはどなたから

オカ:それはちょっと……使いの方から預かったものですから

コトハ:そうですか。わざわざありがとうございます

オカ:いえ。それでは、私はこれで

【オカが歩き去って行く】

【手紙の封を開く】

コトハ:明日の正午、杉の大木の下で待っています……

コトハ:『私がここにいることを知ってるのはハルカ様だけだ』

【手紙を握り締める】

コトハ:『恨んでないと言えば嘘になる。けど、ハルカ様の気持ちもわかる。それに幼い時からハルカ様のことを知っている。情もある。責める気にはなれなかった。それでも、どんな顔をして会えばいいのかわからない……でも、シロウのことだけは気になった。どうしているのか知りたかった……』

【ざあと風の吹く音】

コトハ:夏の匂い、濃い緑の匂い……

【「僕はもう長くない」挿入】

コトハ:っ……シロウ……

【皿を片づける音】

アスカ:明日は薬草摘みに行くが、いっしょに来るか?前来たいって言ってただろ

コトハ:私……

【一瞬手を止める】

コトハ:明日はやめとくよ、洗濯もしたいし。次の機会にね:明るく

アスカ:そうか。わかった

コトハ:『私はアスカに嘘をついた』

アスカ:じゃあ、行ってくる

コトハ:うん、行ってらっしゃい

【アスカの足音が遠ざかる】

【コトハが息をつく】

コトハ:よし、私も行こう:決意を込めて

【人々の足音】

【コトハの足音】

コトハ:『ハルカ様に会ったら、なんて言おう…………お元気にしてらっしゃいましたか、あの男性とは仲良くされてますか……そして、訊くんだ、シロウはどうしてますか、って』

【足が止まる】

コトハ:もし、シロウが死んでたら……:声が震える

コトハ:『恐い……恐いけど、でも、訊きたい。訊かなきゃいけない』

【再び歩き出す】

【コトハの足音だけ】

コトハ:『見えてきた。あの木だ。あの木の下が約束の、あの下にハルカ様が、って……え?』

【コートかマントらしきものがはためく】

【1、2歩歩く音】

【コトハの足音が段々早くなる】

コトハ:『うそ、……そんなはずない……でも、あれは、……あの人は……』

【駆け足になる】

【木が風でざわつく】

【コトハが速度を緩める】

コトハ:シロウ?……シロウなの?

【歩を進める】

シロウ:止まって

【コトハが足を止める】

シロウ:それ以上進めば、「生存圏」を出てしまう

コトハ:シロウ……

シロウ:久しぶりだね、コトハ

コトハ:シロウ……:泣きそうになる

シロウ:ごめんね、ずっと見つけてあげられなくて……会いたかったよ、コトハ

コトハ:シロウ……:泣きだす

シロウ:痩せたね。いっぱいつらい思いをさせてしまった。本当にごめん

コトハ:ううん、シロウのせいじゃない、シロウのせいじゃないよ……でも、どうして、私がここにいるってわかったの……

シロウ:ハルカが最後に教えてくれた。君の「生存圏」と愛した人の「生存圏」を交換したって

コトハ:ハルカ様が?まさか……それに最後って?

シロウ:……ハルカは自殺したよ

コトハ:……そんな、……どうして……:驚愕

シロウ:相手の男に騙されたんだ。彼はもっと暮らしやすい地域の「生存圏」を望んで、ハルカを利用した。そして、こちらで別の女性と恋仲になって姿を消したよ。それでやっとハルカも騙されたとわかって、そのことに絶望して……

コトハ:そんなハルカ様……

シロウ:ハルカの遺品を整理してたら、遺書が見つかってね。そこに君のことが書いてあったよ。申し訳ない、いくら謝っても足りないって……

コトハ:ハルカ様……幸せになって欲しかったのに……それじゃあ、私がここに来た意味って……:泣きながら

【シロウが手を伸ばす(衣擦れ?)】

【シロウが悔しそうに息をもらす】

シロウ:僕はいつだって無力だね。こうして君に会いに来れるようになったのに、目の前で泣いてる君の涙をぬぐうこともできない……

コトハ:シロウ……そうだよ、屋敷を出て……体は大丈夫なの?

シロウ:ああ、君がいなくなってからこちらで治療法が見つかったんだ。それでこの通り、外を出歩けるまでになった

【コトハが最初言葉にならずに震える息を吐く】

コトハ:……良かった……:しみじみと

シロウ:コトハ?

コトハ:シロウが元気になって、良かった、本当に良かった……シロウのことがずっと気がかりだったの、もし、シロウが死んでたらって、恐くて……でも、シロウが元気になって……すごく嬉しい……

シロウ:コトハ……

【シロウがふっと息を吐く】

シロウ:君はどこまで優しいんだ……:一人言のように

コトハ:ハルカ様のことは残念だけど、でも、あなたはきっと幸せになってね。こっちで祈ってる、ずっと………………傍にいるって約束破ってごめんね……:最後ぽつりと

シロウ:コトハ、僕は……

コトハ:ごめん、もう、私、帰るね。いっしょに暮らしてる人に黙って出てきたの。もし、「生存圏」を交換したことがばれたら……だから、行かなきゃ

【踵を返そうとする】

シロウ:コトハ!

コトハ:え?

シロウ:また会ってくれないか、ここで

コトハ:でも……

シロウ:また手紙を出すよ

コトハ:無理だよ、私……

シロウ:君が来るまで待ってる

コトハ:シロウ……

コトハ:待ってるから

コトハ:『シロウの言葉通り1週間後にまたオカさんが手紙を持ってきた。それから月に2、3回の頻度で私はシロウと会うようになった』

コトハ:それでね、アスカったらリナちゃんに冗談で嘘教えて、あとからすごく怒られてね。大の大人が女の子の前でシュンとしちゃって

シロウ:楽しく暮らしてるみたいだね

コトハ:うん、仲良くなると皆良い人でね。確かに来たばっかりの頃はなんて冷たい人たちなんだろうって思ったけど、でも、今なら仕方ないんだってわかる……すごく大変だもの、生きるって……

シロウ:でも、コトハは変わってない。優しいままだ

コトハ:アスカに守られてるからだよ。アスカがいなかったら、私、本当に身売りするしか方法がなかったかもしれない……

シロウ:少し妬けるな

コトハ:え、どうして?

シロウ:僕が君の傍で君を守りたかった

コトハ:それは……嬉しいけど、無理だよ。その気持ちだけで嬉しい、ありがとう、シロウ

シロウ:コトハ……もし、もしだよ?

コトハ:ん?

シロウ:もし、こっちに戻ってくる方法があるなら

コトハ:え……

シロウ:戻ってくるかい

【コトハ言葉にならない】

コトハ:……やめてよ、そういうの、夢見させないで:振り払うように

シロウ:コトハ

コトハ:私、諦めてるの、もうここで生きていくんだって

シロウ:でも、もし諦めなくて良いなら!

コトハ:やめて!

シロウ:コトハ……

コトハ:やめてよ。勝手に私の生きる場所を決めないで!私は言いなりの人形じゃない!悩んで、苦しんで、いっぱい考えて、それで、今ここで生きてるの!これ以上私の気持ち無視して振り回さないでよ!

シロウ:……ごめん

【コトハがはっとする】

シロウ:そうだね、君の気持ち考えてなかった。悪かった

コトハ:違うの、私……!

【コトハため息】

コトハ:ごめん……でも、私のために危険なことして欲しくないの。私はここで生きていけるから、大丈夫だから、だから、心配しないで

シロウ:コトハ

コトハ:人のことばかり考えてないで、自分のことも考えなよ。シロウから良い人見つけたって報告待ってるんだからね

シロウ:そんな、ないよ:苦笑して

コトハ:大丈夫!シロウなら、どんな人もOKしてくれるから自信持って

シロウ:僕は……

コトハ:これまで苦しい思いいっぱいしてきたんだから、幸せにならないと許さないよ

シロウ:僕は……君とこうして話せる、それで幸せだよ……

【コトハが息をのむ】

コトハ:……もう、ほんと欲がないなあ:僅かに震えながら強がって

シロウ:そんなことない。欲ならありすぎるくらいにある

コトハ:『その時のシロウの目は少しだけ恐くて、そして、悲しかった』

コトハ:わー、白詰草がこんなに!きれいだね!

アスカ:もっと花らしい花が咲いてるところを知ってれば良かったんだけどな。こういう野草の類しか知らないんだ

コトハ:そんなことない。私、好きだよ、白詰草。

【コトハが嬉しそうに走る】

【アスカがふっと笑う】

コトハ:懐かしいなあ、昔、花冠とか指輪とか作って遊んだなあ。アスカもおいでよ、いっしょに作ろう

アスカ:子どもじゃあるまいし

コトハ:良いじゃない。大人がしちゃいけないなんて決まりないわ

アスカ:そりゃそうだ

【二人で作る】

コトハ:花冠できたー!はい、あげる。あ、似合う、似合う

【アスカの頭に花冠を載せる】

アスカ:男に花冠なんて似合わないぞ

コトハ:そんなことないよ。アスカはできた?

アスカ:ああ

コトハ:あ、指輪かー、うんうん、初めてにしては上手いよ。きれいにできてる。アスカ手先器用だもんね、さすが

アスカ:……なあ、コトハ

コトハ:何?

アスカ:この指輪もらってくれないか

コトハ:うん、もちろん。アスカがせっかく作ったものだしね

アスカ:そうじゃなくて

コトハ:え?

【白詰草が風で揺れる】

アスカ:俺と結婚してくれないか

コトハ:アスカ……?

アスカ:いっしょに生きていきたい。傍にいて欲しい

コトハ:私……

【アスカが苦笑する】

アスカ:断っても追い出しりしない。今までのことにも恩義を感じる必要はない。それに見合うほど十分働いてくれたしな。だから、有りのままの気持ちで、お前が選んでくれ。この指輪はここに置いておく

【指輪を置いてアスカが立ち上がる】

コトハ:アスカ……

アスカ:よく考えて答えを出してくれ。俺は先に家に戻ってる

【アスカが離れていく】

コトハ:私……:呆然と

【アスカのセリフ挿入】

コトハ:『私、アスカのこと』、好きだよ、好き。『でも、そういう好きなの?』、考えたことなかった……アスカ……『アスカがいなければ、今こんな風に笑って暮らすことはできなかった』……アスカとなら、きっと幸せになれる……

【シロウがコトハを呼ぶセリフ挿入】

コトハ:……シロウ……:声が震える

【「僕は……君とこうして話せる、それで幸せだよ……」挿入】

コトハ:私……

【カラスの鳴く声】

コトハ:行こう:決意を込めて

【コトハ立ち上がって歩き出す】

【アスカの家】

【時計の針の音】

【ドアが開く音】

【アスカが椅子から立ち上がる】

アスカ:コトハ

【コトハがアスカの傍に歩み寄る】

コトハ:これ

【指輪を差し出す】

アスカ:指輪……そうか、それが答えか……

コトハ:左手出して?

アスカ:え?

コトハ:良いから出して

アスカ:ああ

【左手を出す】

【薬指にはめる】

コトハ:よし、ぴったり

アスカ:コトハ?

コトハ:じゃあ、これ。アスカがはめて、左の薬指に

アスカ:あ……あ、はは……何だよ、それじゃあ、順番逆だろ。普通男が最初だ:最初、声をもらしつつ段々ぎこちない笑い

コトハ:良いでしょ、別に。私がそうしたいと思ったんだから。ほら、ね?

【左手を差し出す】

アスカ:ん

【指輪をはめる】

コトハ:指輪、ぶかぶかー

アスカ:痩せすぎだ

コトハ:そんなことないよ

アスカ:これからはちゃんと養う

コトハ:太ったら、好きじゃなくなるかもよ

アスカ:そんなことない

コトハ:それに、私はアスカのお荷物になるつもりはないよ。これからずっと一緒に生きていくんでしょう?

アスカ:ああ:少し声を震わして

【コトハを抱きしめる】

コトハ:アスカ……:ちょっと慌てて

アスカ:ずっと一緒だ:ささやく

【コトハ抱きしめ返す】

コトハ:……うん

【近づいてくる足音】

シロウ:やあ、コトハ

コトハ:シロウ……

シロウ:君が先に待ってるなんて珍しいね

コトハ:……そうだね、私はシロウを待たせてばかりだった

シロウ:コトハ?

コトハ:受け取って

シロウ:え?

【コトハが何かを投げる】

【シロウ受け取る】

シロウ:花?……

【シロウはっとする】

シロウ:これは、キンセンカ……

コトハ:知ってるの?外来種で、ここでは咲いてない花だって聞いたのに。シロウは物知りだね:悲しそうに

【回想】

コトハ:きれいな花だね

アスカ:キンセンカと言って、ハーブの一種でもあるんだ。塗り薬の材料にもなる

コトハ:へえ、きれいなのに、薬にもなるんだ。すごいねえ

アスカ:……でも、見てるとちょっと胸が痛むよな

コトハ:何で?

アスカ:だって、この花の花言葉は……

コトハ:なら、この花の花言葉も知ってるかな

シロウ:コトハ……

コトハ:私ね、アスカと結婚する

シロウ:っ……!

コトハ:アスカとここで生きる、ずっと、死ぬまで……ごめんね、シロウ

【シロウ震える息をもらすだけだったが、ため息をつく】

シロウ:……もう、決めてしまったんだね

コトハ:うん

シロウ:そうか……

コトハ:シロウ……私、こんなこと言えた義理じゃないけど、ここで、あなたの幸せを祈ってるよ……あなたは私の大切な人だから……

シロウ:うん……ありがとう

コトハ:もうここには来ない。さよなら、元気でね

【コトハの遠ざかる足音(シロウ視点)】

【窓から風が吹き込む】

【近づく足音】

オカ:シロウ様

【シロウ応えない】

オカ:シロウ様

【応えない】

【オカが舌打ちする】

【シロウの胸倉をつかむ】

【椅子が倒れる】

シロウ:な!

オカ:返事をしろ!

シロウ:……なんだ、お前か……離せよ:気だるげに

【オカの手を振り払う】

【窓辺に歩み寄る】

【オカがため息をつく】

オカ:良かったじゃないか。俺はあの女と会うことは賛成できなかったんだ。危険が大きい

シロウ:そうだな

オカ:それか、別れ際に渡された花って

シロウ:ああ

オカ:なんだドライフラワーか、西地区にだってもっとましな花もあっただろうに

シロウ:知らないのか、この花。お前の生まれ故郷にも咲いてるだろ

オカ:花には興味ないんだ

シロウ:キンセンカ、別名カレンデュラ、ポットマリーゴールドとも呼ばれてる

オカ:へえ:興味なさそうに

シロウ:花言葉は……

アスカ:『別れの悲しみ』

シロウ:別れの悲しみ……

オカ:ふーん、そうかい。お前にはぴったりの花ってわけだ。今晩だけは感傷に浸ってろよ、色男

【オカが踵を返して離れていく】

【ドアの前で立ち止まる】

オカ:別れにそんな花をやるなんて、残酷な女だ……やっぱり会わない方が良かったじゃないか:ポツリ

【ドアを閉じる】

シロウ:コトハ……俺はお前のこと……

コトハ:『私とアスカは夫婦になった。と言っても、今までも一緒に暮らしてきたのだから、生活に特別な変化はなかった。そう、アスカも含め、周りの人間は今までと変わらないと思っていた。私以外は……』

【ドアを開ける】

【コトハが息をのむ】

コトハ:まただ

【置いてある袋を持ちあげる】

【ジャラと鳴る】

コトハ:『結婚してから定期的に置かれている貴金属。帝国では最近、北大陸連邦との関係が悪化し、通貨の価値も変動している。その中では通貨よりもよほど確かな財産となるものだった。誰からの物かは明白だった』

コトハ:シロウ……

【コトハ、家に入る】

【床の隠し扉を開ける】

【中に入れる(同じような袋が触れ合う音)】

コトハ:『送られた貴金属は全て使わずに隠している。生活は今まで以上に苦しい。だけど、私には使うことはできなかった』

【子どもの笑い声】

コトハ:アイ!リナちゃんはお仕事中なの、邪魔しちゃダメよ!

アイ:はーい、お母さん!

リナ:大丈夫ですよ。アイ君はお利口さんにしてます。ね?

アイ:うん!

【コトハが歩いてくる】

コトハ:ごめんね。リナちゃん

リナ:いいえ。アイ君も植物に興味あるみたいですよ。さすがアスカさんの息子さんですね

コトハ:ほんとにこの頃ますますあの人に似てきて

リナ:良いじゃないですか。アスカさんは素敵な人です

コトハ:あら、わかってるわよ。私が選んだ人ですもの

【二人で笑う】

リナ:良いなあ、コトハさんとアスカさんは私の理想の夫婦です。アイ君も含めて、理想の家族

コトハ:リナちゃんにもきっと良い人が見つかるわよ

リナ:そうだなあ、でも、今はこうやってハーブ育てたり、品種改良したりする方楽しいかも

コトハ:あら、リナちゃんがそんなこと言っては周りの男の子が泣くわよ、ヒロト君とか

リナ:泣かせておきましょう、あいつ、いつも偉そうな口きいてくるし、ブスとか言ってくるし、どうして、男ってああ成長しないんでしょうね

コトハ:男の子は、好きな子には意地悪をしたくなるものよ

リナ:そうですかねえ……あ……

【革靴の音】

リナ:最近、兵隊さんをよく見かけますね

コトハ:そうね

リナ:ほんとに連邦と戦争になるのかな

コトハ:え?

リナ:弟たちが軍事施設で清掃員をしてるんです。それで、そういう話をよく耳にするようになったって。ニュースでも、戦争は時間の問題って言ってるし。街の人もピリピリしてて…………コトハさん、私、恐いんです……

コトハ:リナちゃん……

リナ:戦争になったら、弟たちは戦場に行かなきゃいけない。そしたら、銃で撃たれるかもしれない、死んでしまうかもしれない……ユウのように……

【コトハがリナの肩に手をおく】

コトハ:大丈夫よ。連邦とは講和条約があるんだから、すぐに戦争になるなんてことないわ。それに連邦と戦争になっても勝ち目はないわ、あちらの方がずっと大きい国なんですもの、そんなこと帝国だってきっとわかってる。そんな馬鹿なことしないわよ

リナ:そうだと良いんですけど……あれ?コトハさん、家の前に誰か立ってますよ、お客さんじゃないですか?

コトハ:え?

【コトハ息をのむ】

コトハ:オカさん……

リナ:コトハさん?

コトハ:リナちゃん、ちょっとアイを見ていてもらっていいかしら

リナ:それは構いませんが、どうしたんですか?

コトハ:ちょっとね:声が堅い

オカ:お久しぶりです。コトハ・アマノさん。いや、今はコトハ・コバヤシさんですか

コトハ:会うのは10年ぶりでしょうか。頻繁に拙宅にはお越し頂いてるようですが、今になってどうして現れたんですか

オカ:あなたに来て頂きたいのです

コトハ:どこに

オカ:あの杉の大木に

【コトハは応えない】

オカ:来て頂けますね

コトハ:理由を教えて下さい

オカ:それは彼が話してくれます。それに

【オカが踵を返す】

オカ:あなたは彼に会いに来るでしょう、必ず

コトハ:……ええ

【オカとコトハの足音】

【木が風でざわつく】

【足音が止まる】

コトハ:シロウ……

シロウ:久しぶり、コトハ……きれいになったね

コトハ:私、もう7歳になる息子がいる母親よ:苦笑して

シロウ:知ってる。でも、君はますますきれいになった

コトハ:あなたも素敵になったわ、雰囲気が変わった

シロウ:僕は何も変わってないよ

コトハ:そんなことない。もう10年も経ったのよ、変らないなんてことないわ

シロウ:そうだね……

コトハ:シロウ……どうして会いに来たの。もう二度と会わないって言ったわよね

シロウ:でも、君は僕に会いに来てくれた

コトハ:言葉を違えた私を笑う?

シロウ:いや、嬉しいよ。それに会いに来てくれるって信じてた

コトハ:私は……あなたに会いに来たんじゃない。あなたに理由を聞きに来たの

シロウ:それで

コトハ:どうして、この10年ずっと高価な貴金属を送ってきたの

シロウ:ダメだったかい?

コトハ:もう止めて。私は、いえ、私たちは自分の力で生きていけるわ。貰ったものは全部使わないでとってある

シロウ:うん、知ってる

コトハ:なら、なんで!

シロウ:僕がそうしたかったからだ。それしか出来なかったから、君のために

コトハ:そんなことしなくて良いのに……あなたはあなたの幸せだけ考えてくれれば、それで……:泣きそうになりながら

シロウ:君の幸せが僕の幸せだ……僕の自由はもうそれしか残されてない

コトハ:そんなこと

シロウ:ずっとそうやって見守るつもりだった……だけど、事情が変わった

コトハ:え?

シロウ:帝国と連邦とが戦争になる

コトハ:う、そ……

シロウ:嘘じゃないよ。軍の上層部ではこれはもう決定事項だ

コトハ:そんな、帝国がそんなこと……:声が震える

シロウ;帝国じゃない

コトハ:え?

シロウ:戦争を決めたのは、連邦の方だ

コトハ:どうして、あなたが、連邦のことを知ってるの……?

シロウ:どうしてだろうね

コトハ:あなた、祖国を裏切ったの……?

シロウ:そういうことになるのかな

コトハ:いつから……

シロウ:いつからだろう……ずっと前……そうだね……

【ふっと笑って】

シロウ:君と初めて出会った時から

コトハ:ふざけないで!!

シロウ:ふざけてない。僕は真面目だ。聞いてくれ、僕は、

コトハ:いや、もうあなたとは話したくない!

シロウ:聞くんだ!!

【コトハが息をのむ】

シロウ:もうこの国はダメだ。腐りきってる。連邦が手を下さずとも、いつか内側から崩れたさ。それが少し早まっただけだ

コトハ:そんなこと……

シロウ:君だって帝国の悪政の犠牲者じゃないか。「生存圏」そんなものであいつらは君から自由を奪った

コトハ:それは……

シロウ:僕は君を助けたいんだ。僕といっしょに来てくれ

コトハ:どこへ?

シロウ:連邦へ

コトハ:そんな……無理よ、だって、ここには、アスカもアイもいるのよ、私だけ行くなんて出来ない!

シロウ:なら連れてくれば良い。君と君の夫と子どもの3人くらいならどうにかできる

コトハ:リナちゃんは……?

シロウ:コトハ……:悲しそうに

コトハ:リナちゃんの弟や、隣のおばさんや、時計屋のご主人や、街の人は……

シロウ:そんなこと言ってはきりが無い。わかってるだろ?

【コトハが後ずさる】

コトハ:行けない……私、行けないよ、シロウ……

シロウ:コトハ……お願いだから僕の言うことを聞いてくれ、このままじゃ、この国は戦場に

コトハ:行けない!

シロウ:コトハ……

コトハ:確かに、この帝国に生まれたのも、この「生存圏」に来たのも、私の意思じゃない。だけど、それでも、私はここで生きてきたの。ここには大切な人たちがいる。それは私が生きてきた証、私が選んだ結果なの、それを置いて行けない……

シロウ:それで君自身が死んでもいいのか!!

コトハ:あなたは健康になって忘れてしまったの……?昔、命が残り僅かだと知っていたあなたは、それでもあなたらしく生きようとしてた、残った時間を大切に生きようとしてた……:涙声

シロウ:コトハ……

コトハ:その時間を、あなたの大切な時間を、私にくれようとしてくれたことが、嬉しくて、悲しくて、愛おしかった……

シロウ:俺は……

コトハ:やっぱり、あなたは変わってしまったわ

【コトハが後ずさって行く】

シロウ:頼む、待ってくれ

コトハ:あなたのこと好きだった……だから、あなたのこと誰にも言わない。でも、もう放っておいて!

【コトハ駆け出す】

シロウ:コトハ!!

【シロウが駆けだそうとする】

【オカがシロウを止める】

オカ:おっと、それ以上はダメだ

シロウ:お前……:苦々しく

オカ:忘れるな、お前は「シロウ」なんだ。これ以上は「生存圏」を越える

シロウ:俺は!!

オカ:どんな事情があろうとお前自身がその「生存圏」を選んだんだ。あの女のようにな

シロウ:……っ!

オカ:お前は昔からの馴染みだからな。だから、あの女を助ける手助けはしてやった。だが、これ以上は力になってやれない。それに、あの女自身が、お前が差しのべた手を振り払った。諦めろ

シロウ:くっそ!!

【シロウが木を殴る】

シロウ:俺は諦めない……コトハ……!

【アイの寝息】

【コトハが布団をかけ直す】

【部屋を出てドアを閉める】

【アスカが薬の調合の作業をしている】

アスカ:アイは寝たのか

コトハ:ええ

【コトハ椅子に座る】

【沈黙】

【アスカが作業を続ける】

コトハ:あなた

アスカ:なんだ

【アスカ手を止める】

コトハ:……私ね……ずっとあなたに黙ってたことがあるの:ためらいながら

アスカ:うん

コトハ:私……ほんとはね、別の「生存圏」から来たの

アスカ:別?

コトハ:他人の「生存圏」と自分の「生存圏」を交換してここに来たのよ

【アスカが息をのむ】

コトハ:『それから私は全てを話した。孤児だったこと、タチバナ家に引きとられ、シロウと出会い、そこで使用人として暮らしたこと、そこのお嬢様の願いで「生存圏」を交換してここに来たこと、シロウと再会したこと、別れてから彼から貴金属を送られていたこと、今日10年ぶりにシロウに会ったこと。彼が連邦と通じていること以外は全て話した。アスカは何も言わずに耳を傾けてくれた』

アスカ:そうか、そうだったのか

コトハ:黙っていてごめんなさい:声が震える

【アスカがふっと笑う】

アスカ:いや、何かを隠しているということは最初からわかっていた。それでも、俺はお前を妻にしたいと望んだ。秘密もお前が話したくないなら無理に聞く必要はないと思っていた

コトハ:ごめんなさい……

【アスカがコトハの頭をぽんぽんと叩く】

アスカ:謝るな。俺の方こそ、お前が苦しんでたことに気付いてやれなくて済まなかった

コトハ:ううん、何も聞かずにただ傍にいてくれたことがどれほど嬉しかったか。あなたの妻になれて何度も感謝したわ

アスカ:そうか:笑う

【アスカが表情を堅くして】

アスカ:しかし、どうして、お前の昔の主人はもうすぐ戦争になるだなんて断言できたんだ?

コトハ:……それは……シロウ様は、大貴族タチバナ家のご当主様だから、きっと国の機密事項を知ってたんだと思う……:か細く

アスカ:なるほど。まあ、断言まで行かなくても、戦争への不安はこの国の者なら誰しもが持ってる……しかし、そうか、戦争に……:声が堅い

コトハ:ごめんなさい、もっと私がシロウ様からいろいろ聞いておけば何か

アスカ:聞いたところで平民の俺たちにできることはほとんどないさ。それに妻が他の男と会ってるなんて気持ち良いものじゃない

コトハ:嫉妬してくれるの?

アスカ:当たり前だ:ふてくされて

コトハ:そっか……ふふ

アスカ:何笑ってるんだ

コトハ:何でもありません

【コトハがくすくすと笑い続ける】

アスカ:お前な……:呆れて

コトハ:あ:笑いを止めて

アスカ:ん?

コトハ:シロウ様からの贈物どうしよう

アスカ:今まで使ってないんだったな、10年分

コトハ:……ごめんなさい:アスカの様子をうかがって

アスカ:だから、なんで謝るんだ

コトハ:だって、あれを使えばもっと良い暮らしができたのに

アスカ:他の男からの金を使うなんて俺の男としての沽券に関わる

コトハ:あなたらしい:笑って

アスカ:だけど、お前はなんで使わなかったんだ?俺の意地なんてお前には関係ないだろう

コトハ:それは……自分の意思を否定するように思えたから……

アスカ:意思を否定する?

コトハ:最初、私がここに来たのは私の意思じゃなかった。権力とお金で無理やりここに連れて来られた。でも、ここに来てからは自分の意思で選んで来た。すぐにお金を盗られたことも今になってみれば良かったわ。おかげで私は過去に縛られる必要はなくなったんだもの。だけど、シロウ様から貰った貴金属を使えば、これまでの私の意思で選んできたものを否定するように思えたの。あなたと結婚したことも、アイを生んだことも、ここで生きてることも、全て、私の意思じゃなく、誰かに選ばされたものだって。そんなの嫌だった、だから、使えなかったの……

アスカ:コトハ……

コトハ:あれを使うのは私の女の沽券にも関わるのよ:苦笑して

アスカ:そうか:また笑う

コトハ:でも、ほんとにどうしよう。捨てるわけにもいかないし

アスカ:そうだなあ、自分たちのために使うのは俺たちの信念に反するしな

コトハ:信念なんてかっこいいものじゃないけどね。ただどうにか生活はできるから意地をはってるだけで、そんな力なかったら、もしかしたら……って、あ……

アスカ:なんだ?

コトハ:そうよ、力の無い、子どものための孤児院を作りましょう

アスカ:孤児院か、なるほど、この辺りには親のいない子どもを受け入れる施設はないからな

コトハ:ね?良い考えでしょ

アスカ:だが、良いのか?もっと苦労することになるぞ。ましてや、これから戦争になるかもしれないって時だ。今まで以上に生活も厳しくなる

コトハ:だからこそ、私たち大人が子どもたちを守らないきゃ。それに私はここで生きるって自分の意思で決めたの。現実から目を逸らしたくない。ここに孤児院は必要よ:真剣に

【アスカが笑うように息をつく】

アスカ:そんなところはずっと変わらないんだな。お前はいつだって困ってる人間を放っておけない

コトハ:あなたを巻き込んでしまって申し訳ないと思ってるわ

アスカ:構わないさ。出会った時、俺はお前のその気高さに心を打たれて、そして、今は愛している

コトハ:ありがとう、アスカ

コトハ:『その日、私は夢を見た。夢の中で子どもが泣いてる声が聞えた。誰の泣き声かはわからない。誰か一人ではなく、幾人もの子どもの泣き声だったのかもしれない。私はその涙を止めたいと願って泣く子どもを抱きしめた。そして、ふと気付くのだ。少し離れたところで泣きもせず一人歯を食いしばって立っている子どもの存在に。その子どもの目に見覚えがあった。ギラギラとした光をたたえた目は恐ろしく、だけど、それ以上に悲しかった……』

【机をバンッと叩く】

オカ:戦争を回避する!?何バカなこと言ってるんだ

シロウ:でかい声を出すな。誰かに聞かれたらやっかいだ

オカ:お前、頭おかしいだろ、そんなの不可能だ!!

シロウ:なぜそう言いきれる?立憲君主制なんて名ばかりの王制の残るこの帝国と違って連邦は共和政だ。国のお偉い方は選挙で当選してなんぼだ。選挙権のある主権者に媚びへつらっている。今回の戦争だって帝国が国際法を破って連邦の民間旅客機を撃ち落としたことで戦争への気運が高まっただけで、連邦の国民だって本当は親兄弟を戦争へなんて行かせたくないさ。だから、連邦の政治家も国民も皆望んでる、帝国が勝手に自滅することを……

オカ:お前……まさか、革命を起こすつもりか……?

シロウ:そうだ

オカ:馬鹿げてる!!狂ってやがる、そんなことできるわけがない!

シロウ:出来る出来ないじゃない。やるしかないんだ

オカ:……あの女のためか

【シロウは答えない】

オカ:気持ちまで「シロウ」になってるんじゃねえぞ!お前は!

シロウ:俺はシロウだ

オカ:違うだろ!お前はシロウじゃない!

シロウ:シロウだ

オカ:「エイト」!

シロウ:俺はシロウだ!

オカ:エイト……

シロウ:違う……俺はシロウ・タチバナだ。シロウになるために生まれて、そして、お前たち連邦もそれを望んだ。俺は最初から「シロウ」として生き、そして、死ぬ自由しか与えられなかった。今じゃそれさえもままならないがな……だが、これだけは譲れない。この気持ちだけは、俺に残された唯一の自由、「シロウ」じゃない俺の生きた証だ

オカ:お前、死ぬぞ……

シロウ:それでも、俺が俺の意思で選んだんだ

オカ:っ……勝手にしろ!付き合いきれねえ!

【オカがどかどかと歩き去って行く】

【シロウが窓の外を見やる】

シロウ:月が出てる……

【月に向かって手を伸ばす】

シロウ:見えるのに触れられない。どんなに焦がれても手が届かない。月といっしょだな、コトハ……

【鎖の音】

コトハ:『孤児院を作ると決めてから目まぐるしく日々は過ぎていった。手始めに今や使われず無人だったビルを借り、傷んだところは修理して、家の無い子どもたちを集めて共同生活を始めた。リナちゃんのような私の考えに賛同してくれる人の協力で孤児院は切り盛りされていた。その内、胡散臭げに見ていた地域住人たちの中にも、治安改善などに役立ったことで、孤児を保護することに有用性を見出して手伝ってくれる人も出てきた。子どもたちの将来を考えてのことなら尚嬉しいけれど、贅沢は言ってられない。受け入れてもらえただけでも良しとしなければならない。その間にも段々と不穏な空気は帝国を満たしていた』

【コトハの足音】

男1:連邦が帝国の植民地を空爆したらしいぞ

男2:まじかよ

【コトハの足音が止まる】

男2:でも、あれは帝国が中立の小国を無理矢理占領して植民地だって言ってるだけで、他の国は認めてないんだろう?連邦の空爆も軍事施設だけだし、名目は国の解放だって言うじゃないか

男1:えらく詳しいな。そんな情報どこから仕入れたんだよ

男2:最近、アンダーグラウンドの活動家たちが活発に活動してて、国が規制してた情報ばらまいてんだよ

男1:帝国ももうダメだな

男2:そうだ、もう帝国の上流階級の奴なんて信用ならねえ

男1:その通りだ、何も俺たちに得のあることをしてくれねえ

男2:今こそ上流階級に代わって俺たちがこの国を動かすときだ!

ヒロト:ここ最近、きな臭い話ばかり耳にしますね……

コトハ:そうね

ヒロト:連邦だけじゃなく、連邦と勢力争いをしているイデーア共和国も、動きを見せてるって聞いたことがあります

コトハ:そう

ヒロト:帝国はどうするつもりなんでしょう。貴族たちも何もしないつもりなんでしょうか

コトハ:私たちにはわからないことだわ。ただ日々生きるために出来ることをするだけよ。それより、ごめんね、ヒロト君。荷物運んでもらっちゃって

ヒロト:いえいえ、何でも言って下さい。お手伝いしますよ

コトハ:ありがと。あ、あそこにいるのリナちゃんじゃない?良いの?:ちょっといたずらっぽく

ヒロト:あ……そうですね、じゃ、俺、ここで

コトハ:うん、ここまでで十分よ、じゃあね

ヒロト:はい!

【ヒロトが駆けて行く】

【以下遠くから】

ヒロト:リナ!

リナ:あ、また来たわね

ヒロト:そんなに嫌そうにしないでくれよ

リナ:今、忙しいの

コトハ:微笑ましいわねえ:笑いながら

【笑いが消えため息をつく】

コトハ:『帝国は外からも内からもどんどん削られ侵食されている……シロウの言う通り、もうもたないのかもしれない……でも……』

【子どもたちの遊ぶ声】

【リナとヒロトの話し声】

コトハ:『あの子たちは守らなければ』

【発砲音】

【悲鳴】

【金属音(銃を落とす音)、人の倒れる音】

活動家1:う、そだろ……100人近い警備兵を1人で全滅……

活動家2:人間じゃない……

活動家1:だが、彼がいれば!!

活動家2:そうだ!この体制を覆せる!!

【サイトウの歩み寄る音】

エイト:行くぞ

サイトウ:はい

【歓声】

サイトウ:シロウ様、お探しの人物のリストをお持ちしました

シロウ:ああ、サイトウか。ありがとう

【シロウが紙を受け取り、紙をめくる】

サイトウ:何かありましたら、何なりとお申し付け下さい、シロウ様

シロウ:そのシロウ様と呼ぶの止めないか。俺はお前の主人でも何でもない

サイトウ:しかし、シロウ様は崇高な理念の下、国を正そうとしておられます。私はシロウ様をご尊敬申し上げているのです。ですから、シロウ様は私の主人です

シロウ:活動家とはもっと現実主義かと思っていた

サイトウ:我々ほどの理想主義者はいないと思いますよ。何の見返りも得られない中で、ただ己の信念に命をかけているのですから

シロウ:そうだな、その通りだ

サイトウ:そして、シロウ様はその最たるお方です。国のため、大義のため、その身を削って日々活動を続けておられます。

シロウ:国のため、大義のためか……

【シロウが苦笑する】

シロウ:お前もそんなもののためにここにいるのか?

サイトウ:そうです

シロウ:そうか……俺は……

【紙をめくる手を止める】

シロウ:こいつは……

サイトウ:どうされましたか?

【紙を覗きこむ】

サイトウ:ああ、彼は帝国のセキュリティーシステムを考案した企業の下請け会社の社長ですよ。システムの一部にこの会社の技術が使われたという話です。今は失踪してどこにいるかわからないそうですが……それが何か?

シロウ:なんでも……いや、もう1つだけ頼んでもいいか

サイトウ:なんなりと

シロウ:連れて来て欲しい人間がいる

サイトウ:では、行って参ります

【部屋から出ていく】

【シロウが自嘲的に笑う】

シロウ:……やっぱり、お前には触れられないのか……コトハ……

【足音】

アスカ:これが終ったら、熱さましの薬を調合して、それから……

サイトウ:すみません

アスカ:はい、なにか

サイトウ:あなたが、アスカ・コバヤシ様ですか

アスカ:そうですが、あなたは?

サイトウ:あなたに会いたいとおっしゃってる方がいます

アスカ:俺に会いたい?それは誰ですか

サイトウ:この孤児院の出資者だと言えばわかると:少し笑って

アスカ:まさか、タチバナ家の当主、……コトハの昔の主人か

サイトウ:来てくれますね

アスカ:……わかった……

アイ:お母さん!

【アイが駆けて来る】

コトハ:あら、アイどうしたの?

アイ:お父さんどこに行ったかわかる?この本に載ってる薬草のことで聞きたいことがあるんだけど

コトハ:家にいなかった?

アイ:いなかったよ

コトハ:どこに行ったのかしら。薬草を摘みにでも行ったのかも

アイ:えー、次行くときは連れて行ってくれるって約束したのに

コトハ:今はどこも物騒だからお父さんもアイをあまり連れて回りたくないのよ

アイ:お父さんもお母さんも僕に構ってくれなくなったね……

【コトハがはっとする】

コトハ:アイ……

【アイを抱きしめる】

アイ:お母さん、痛いよ

コトハ:ごめんね、アイ。寂しい思いをさせて、でも、わかって……私はアイのお母さんよ。いつだってアイのこと思ってる。でもね、ここにいる子どもたちは皆お母さんがいないの、すごく寂しい子たちなの

アイ:わかってるよ。リナお姉ちゃんがいつも言ってる。お母さんは、今は皆のお母さんで、それはすごいことなんだって。そんなお母さんの息子なんだから、しっかりしないといけないって。でも、僕……

リナ:アイ君!

【リナが走ってくる】

コトハ:リナちゃん

アイ:リナお姉ちゃん

リナ:アイ君探したのよ。急にいなくなったら心配するじゃない

アイ:ごめんなさい

リナ:コトハさん、すみません

コトハ:良いのよ。アイの面倒を任せてごめんね

リナ:いえ。さ、アイ君、行きましょう。お母さんは今忙しいんだから

アイ:うん……:力なく

コトハ:アイ

アイ:うん?

コトハ:今日の夕飯はアイの好きなものを作るわ、何がいい?

アイ:何でも良いの?

コトハ:うん、何でも。お母さんが作れるものなら

アイ:じゃあ、シチューが良いな

コトハ:シチュー?そんなもので良いの?

アイ:うん、僕、お母さんのシチューが好き!お店のシチューよりずっと

コトハ:わかったわ。じゃあ、今晩はシチューね

アイ:やったー!

コトハ:だから、それまで良い子にしててね

アイ:わかった!約束だよ

コトハ:うん、約束

アイ:じゃあ、お母さん、またあとでね!

【離れていく足音】

コトハ:さて、さっさと洗濯終わらせて、買い物に行かなきゃね

【コトハが歩き出す】

コトハ:それにしても、ほんとにアスカはどこに行ったんだろ

【足音(草を踏みしめる音)】

【木のざわめき】

サイトウ:アスカ・コバヤシ様をお連れしました

【シロウが振り向く(足音?)】

アスカ:あんたがシロウ・タチバナか

【シロウがアスカの問いを無視して、サイトウを見る】

シロウ:彼と二人にしてくれないか

サイトウ:わかりました

【サイトウが離れていく】

アスカ:人を使うことに慣れてるな。さすが大貴族のご当主様だ

シロウ:タチバナ家はもう貴族ではない。いや、貴族ではなくなると言った方が正しいか。タチバナ家は途絶えるのだから

アスカ:どういうことだ

【シロウが口を開きかけて閉じる】

シロウ:いや、やめておこう。そんな話をするために呼んだわけじゃない

アスカ:じゃあ、何のために俺を呼んだ

シロウ:……守って欲しい、コトハを

アスカ:あんたに言われるまでもない。守るさ、コトハは俺の愛する妻だからな

【シロウが杉の大木を見上げる】

シロウ:アスカ・コバヤシ。お前の「生存圏」はこの木からこちら側も含まれているな

アスカ:ああ、それがどうした

シロウ:何があっても、コトハから離れるな

アスカ:だから、あんたに言われる……

シロウ:何があってもだ

【風がざあと吹く】

アスカ:あんた、何を知ってる……何が起こるっていうんだ:緊張して

シロウ:お前は知らなくて良い。ただコトハの傍にいて、コトハを守れ。それは俺の自由の範囲外だ。俺には選べないものだ

アスカ:あんたはどうするんだ

シロウ:コトハを守る。それが約束だ。俺はその約束を守ることを選んだ

アスカ:それは誰との約束だ

シロウ:それは……

【シロウ少し逡巡する】

シロウ:……愛する人……それと恩人との……:少し声が震える

アスカ:愛する人と恩人?

シロウ:話は以上だ。もう行っても良い

アスカ:何だ、その勝手な言い草は!まだ何も答えてもらってないぞ!

【サイトウがアスカを捕まえる】

サイトウ:お話は終わりました。ご自宅までお送りしましょう

シロウ:サイトウ……

サイトウ:連れて行きます

アスカ:くそ、離せ!自分で帰れる!付いてくるな

【二人分の遠ざかる足音】

【代わりに近づく足音】

オカ:何をするつもりだ、エイト

シロウ:お前には関係ない

【シロウが振り返る】

シロウ:俺に関わらないんじゃなかったのか

オカ:ああ、そのつもりだった。だから、お前が身をひそめていた活動家、思想家を集めて何かを企んでても見て見ぬふりをしていた。だけど、1つ気になることがある。お前、ある施設を「生存圏」内に持つ人間を調べさせていたな。そして、ある人間に目をつけた。帝国の中でも重大な役割を担うその施設のセキュリティーの一部を担った会社の元社長で、会社の金を懐に失踪した、マコト・アオキ

シロウ:……それがどうした

オカ:俺が知らないわけないだろ。ハルカ・タチバナをそそのかして、あの女の「生存圏」と自分の「生存圏」を交換させた張本人だ。つまり、マコト・アオキの「生存圏」は、今はあの女の「生存圏」になっている

シロウ:だから、なんだ。お前には関係ない

オカ:お前、あの女の「生存圏」と自分の「生存圏」を交換するつもりだろ?それでアオキの「生存圏」を手に入れて、その施設……帝国民の「生存圏」を管理してる施設を潰す気だろ。それで「生存圏」とっぱらった上で革命を起こすつもりなんだ

シロウ:だとしたら?

オカ:やめろ:のどの奥から絞り出すように

シロウ:なぜ?

オカ:なぜって?囲われてた帝国のウジ虫どもが溢れるんだ!そんなこと我慢できるか!

シロウ:……お前の祖父母は帝国からの亡命者だったな:冷静に

オカ:だったら、なんだよ

シロウ:なぜ、同じ民族、同じ人種の帝国民をそんなに嫌うんだ

オカ:それこそお前には関係ないだろ:少し動揺して

シロウ:帝国民の特徴を色濃く受け継いだその容姿のせいで迫害されでもしたか?それで、逆恨みしてるとか

オカ:てめえ……

シロウ:当たりか。だが、その容姿を買われて、お前は連邦のスパイとして帝国に侵入したんだろ

オカ:うるさい

シロウ:お前は立派に迫害の対象でしかなかったその容姿を武器にした。それで良いじゃないか

オカ:うるせえ!

【銃を構えて2、3発発砲する】

【シロウ全て避けて(オカの腕をひねりあげて押し倒す)】

【銃の落ちる音】

【倒れる音】

オカ:ぐっ……:倒されたときの呻き

シロウ:無駄だって知ってるだろ。俺に銃なんて意味がない

オカ:この化け物めっ!:絞り出すように

シロウ:そうだ。図らずも、帝国と連邦の科学技術の粋を結集させてしまった生物兵器、それが俺だ。俺はそれを武器に生きてきた、お前らに使われることで。でも、今度は違う。俺は俺のためにこの力を使う。誰にも俺を止められない

【オカが押し殺したように笑う】

オカ:誰にも?じゃあ、なんで今まで「シロウ・タチバナ」の「生存圏」から出なかった?愛しい女に触れることも叶わずに

【シロウは答えない】

オカ:お前の化け物じみた身体能力でも帝国中に張り巡らされた自動狙撃の網の全てをよけきれないからだ。一度「生存圏」を出れば、どこまでも追ってくる。それはお前にもどうしようもない。だから、出なかった

【オカが汚く高笑いする】

オカ:帝国と連邦の技術の粋を結集させただって?笑わせるな。お前は帝国からも、連邦からも首輪をつけられた中途半端な化け物だ!お前は死ぬ、あの施設のセキュリティーは固い。お前でも無理だ。ハチの巣にされて死んでしまえ!!

【オカが高笑いを続ける】

シロウ:そうだ、俺はお前が言う通り、飼い犬同然の化け物だ

【オカを解放する】

オカ:おわっ!:解放された反動

シロウ:でも、そんな俺だからこそ出来ることがある。俺にしかできないことだ

オカ:お前

シロウ:行け。お前にはいろいろ助けてもらった。それには感謝してるんだ。だから、殺さないでおいてやる。だが、次は保証しない。今後、俺の前に姿を現すな

【オカが舌打ちする】

オカ:お前は俺と同じ穴のむじなだと思ってたのによ:少し寂しそうに

【オカが立ち上がる】

オカ:化け物は理性がないって本当だな、お前なんておっちんじまえ、じゃあな

【オカが去って行く】

【風が強くなる】

【オカの足音】

オカ:くそ、エイトの奴、ヒーロー気取りやがって……柄じゃねえんだよ

【回想】

子ども1:この東亜帝国のサルが!

子ども2:生意気な口きくなよな!

【石を投げる】

オカ<幼少>:くそ、俺が何をしたってんだ……好きでこんな風に生まれたわけじゃない。いつか見返してやるっ……:苦々しく

【オカの化け物というセリフ挿入】

【オカ足を止める】

【オカ舌打ち】

オカ:俺、同じことしてんじゃねえかよ…………あ?

【何かに気づく】

オカ:今通って行ったの、エイトと一緒にいるサイトウって男……なんでここにいるんだ、あの女の旦那を送って行ったはずなのに、ここは孤児院ともあいつの家とも方向が違うぞ

【オカがサイトウを追う】

オカ:廃ビルに入っていった。あそこ、あいつらの隠れ家の1つなのか?

【オカ喉を鳴らす】

【足を踏み出す】

【金属の階段を下りる音】

【部屋を覗きこむ(オカの抑えきれない震える息)】

アスカ:う……

オカ:お前!?

【部屋の中に入る】

オカ:どうして、この男がここに倒れてるんだ?おい、大丈夫か

アオキ:大丈夫、彼には眠っていてもらってるだけですから

【オカがはっとする】

オカ:お前、……マコト・アオキか

アオキ:よくご存知ですね。連邦に知り合いはいないはずですが

オカ:俺が連邦の人間だと知ってるみたいだな

アオキ:ええ。連邦のスパイは何人も帝国に入りこんでいますが、あなたは特に広く活動している。まあ、一部は連邦の指示というよりご友人の頼みだったようですが

オカ:友人じゃねえよ。ただの腐れ縁だ。今、絶交してきたとこだ

アオキ:そうですか。私にはその方が都合が良い。当初はアスカ・コバヤシを人質にコトハ・コバヤシを通して、現在「シロウ・タチバナ」と名乗る男とコンタクトをとるつもりだったのですが

オカ:まわりくどい方法をとるな。なんで最初からあの女を狙わなかった

アオキ:あなたもご存知なのではありませんか?私と彼女の「生存圏」は重なってませんから。人質は傍に置いておかなければね

オカ:下種が……それで自分はこそこそと安全なとこに隠れて、サイトウって奴に全部やらせてるってわけだ

アオキ:慎重と言って欲しいですね

オカ:それで俺に会ってどうするつもりだ

アオキ:あなたはスパイの中でも特殊だ。広域の「生存圏」、数人分の「生存圏」を持ってる、その中には、空港、港も含まれている

オカ:それで

アオキ:あなたなら直接手引きできるでしょう?私を連邦へ

オカ:なっ……そうか、お前の目的は連邦への亡命か

アオキ:そうです

オカ:故郷を捨て、今度は祖国を捨てるわけだ

アオキ:西地区も、引いては、帝国も腐っている。私はこんなものと運命を共にするつもりはさらさらありません。私はここで終わらない。終わるべき人間ではない

オカ:ふん、お前を助けるメリットがないな

アオキ:ありますよ。あなたもご存知のはずです。私の会社が「生存圏」を管理する施設、通称、ブラックタワーのセキュリティーを担っていたと

オカ:元、な。それに一部だけだろ

アオキ:一部……確かに。でも、その一部がどの部分であるかも重要だと思われませんか?

オカ:何?

アオキ:お忘れじゃないですよね。私は「生存圏」を交換した人間ですよ?

オカ:まさか、お前自身がアクセスして書き変えたのか?それができるって?

アオキ:そうです。私に力を貸して下されば、容易いことです。あなたたちも楽にスパイを送り込むことができますよ

オカ:なるほどな

アオキ:わかって下さいましたか

オカ:だけど、証拠がねえ

アオキ:なら、今この場でこの男の「生存圏」を奪ってみましょうか?

【アオキがアスカを蹴る】

オカ:そんなことすれば、「生存圏」を持たない生体反応があることになって、さすがに異変に気付かれるぞ

アオキ:おかしなことを言いますね。あなたも「生存圏」を奪い、そして、気付かれないように相手を殺してきたのでしょう?:笑って

【オカが苦々しげに息をもらす】

【オカの雰囲気が変わる】

オカ:そうだな、今更、聖人ぶるのもおかしな話だ。やってみろよ。お前の言うことが正しいなら、亡命に手を貸してやる:軽い口調で

アオキ:良いでしょう

【アオキがPCを出して準備を始める】

【起動音】

【キーボードをたたく音】

【オカが喉を鳴らす】

【オカが僅かに身じろぎする(衣擦れ)】

【金属音】

【銃声】

【銃が転がる音】

オカ:っ!

サイトウ:ご無事ですか、社長

アオキ:ああ、ありがとう、サイトウ君

オカ:ちっ

アオキ:本当に疑り深い人ですね。何もしなければ、私は誠実にあなたに接しようと思っていたのに

オカ:この状況で誠実なんて口にするのかよ。はっ!笑っちまうね

サイトウ:どうなさいますか?

アオキ:致し方ない。殺せ

オカ:くっ……

サイトウ:宜しいのですか?

アオキ:ビジネスは信頼が命だ。信頼関係を築けない者とビジネスはできない

サイトウ:そうですか。わかりました

【金属音】

【発砲】

【倒れる音】

オカ:どう、して……:声が震える

サイトウ:ビジネスは信頼が命。それには同意しますよ

オカ:どうして、お前、アオキを殺した……

サイトウ:祖国を裏切る人間など信用できない。だからです

オカ:お前、こいつの部下なんだろ

サイトウ:名目上は。ですが、私はこの男を監視していただけです。多額の金銭による違法な「生存圏」の変更はまだ目をつむりました。けれど、祖国を裏切っての敵国への逃亡は許されません

オカ:お前、帝国の回し者か?

【サイトウが振り返る】

サイトウ:いいえ、私は私の信念で動いている。自らの保身しか頭にない上層部のクズどもが、この帝国自体の守護を考えるなんてもはやあり得ません。……だから、あなたを騙していたわけではありませよ、シロウ様

オカ:なっ

【シロウが部屋に入ってくる】

オカ:エイト、何でお前、ここに……

シロウ:俺がお前にコトハの夫を任せると思うか、サイトウ

サイトウ:あなたも信用がありませんね:ちょっと笑って

シロウ:信用なんてしてない。使えるから生かしている。それはお互い様だろ

サイトウ:やはりあなたはアオキと違うようです。私の目に狂いはなかった。あなたこそが主人と成り得る

シロウ:仮初のか

サイトウ:そうです。革命には旗印が必要です。カリスマ性を持つ旗印が。一時期はアオキにそれを期待しましたが、こいつはダメでした

【アオキの死体を蹴る】

シロウ:俺はそんなものになるつもりはない

サイトウ:あなたにそのつもりがなくても、あなたはそれを為した。その力で人々を惹きつけた

シロウ:あれは恐怖心だ。長くは続かない

サイトウ:恐怖と畏敬は似ているのですよ。少なくとも、支配されることに慣れ切った馬鹿な民衆にはその区別はつかない。それに長く続かなくとも構いません。そうすれば、あなたを捨てて別の旗印を掲げれば良い

オカ:アオキもくそみたいな奴だったが、お前はそれを越える最低野郎だな、反吐が出る

サイトウ:何とでも。さあ、シロウ様、共に革命を起こしましょう

【シロウがサイトウを見つめる】

オカ:エイト、お前……

サイトウ:さあ

シロウ:1つ聞く

サイトウ:何でしょう

シロウ:一度は俺はお前の計画に乗った。お前の思想など別に知ったことじゃない。俺は革命を起こし、この帝国を崩壊させたいだけだ。お前もそれで了承したはずだ。なぜ、今になってコトハの夫、アスカ・コバヤシを人質にとるまねをした

【沈黙】

【サイトウがため息をつく】

サイトウ:あなたはもう少し馬鹿な部分をアオキから見習うべきですね

【サイトウの空気が変わる】

サイトウ:あなたが「生存圏」のシステムさえも壊そうとするからですよ。「生存圏」は必要です。この無能な帝国民を管理するために

【サイトウがオカを見やる】

サイトウ:こればかりはあなたが正しいですよ、オカさん。帝国民はウジ虫の集まりだ。囲ってこちらがしっかり管理してやらなければ、その強欲さで帝国を食いつぶす

オカ:なんでその話を

シロウ:盗聴器だろ

【シロウが盗聴器を投げる。床をはねる金属音】

サイトウ:知ってて付けていたんですか

シロウ:この程度のことでお前が大人しくしてるなら安いものだからな

サイトウ:本当にあなたは面白い観察対象です

オカ:なにさまだよ

サイトウ:私は答えましたよ。さあ、あなたの回答は?私たちの意見の相違はそこだけ。あなたが「生存圏」のシステムを破壊しないと言うなら、あなたの持つ「シロウ・タチバナ」の生存圏とコトハ・コバヤシの持つ「マコト・アオキ」の「生存圏」を交換しましょう。そして、共に革命を!

【シロウが黙る】

サイトウ:さあ!

【シロウがサイトウに歩み寄る】

オカ:おい、エイト!お前、まさか!

【サイトウが笑う】

【シロウが足を止める】

シロウ:断る

サイトウ:何?:声が険しい

シロウ:断る。「生存圏」など必要ない。他人に勝手に生きる場所を決められてたまるか

サイトウ:ああ、そうですか、あなたはコトハ・コバヤシと重ならない「生存圏」に不満なんですね。ならば、特例としてあなたの「生存圏」をコトハ・コバヤシと重なるようにしましょう。望むなら、コトハ・コバヤシとアスカ・コバヤシの「生存圏」を重ならないようにしてさしあげますよ。そうすれば、あなたの邪魔をする者はいない。これでどうですか

シロウ:何度も言わせるな。「生存圏」は必要ない。それにそんな「生存圏」の変更もする必要ない。俺はこれが終われば、コトハの前からいなくなる

オカ:エイト……

サイトウ:そうですか……

【サイトウがふっと息を吐く(笑う)】

サイトウ:この化け物め

オカ:てめえ!

【オカがナイフを構えて投げる】

【サイトウが笑う】

【銃声】

オカ:っが!:撃たれる

シロウ:オカ!

オカ:バカ!あいつが!

【シロウがはっと息をのむ】

【サイトウが銃をアスカに向ける】

シロウ:やめろ!!

【銃声】

【シロウの荒い呼吸】

サイトウ:本当に化け物ですね。あの一瞬でこの距離を詰めるなんて

シロウ:っく……

サイトウ:動かない方が良いですよ。急所を外したと思ってるかもしれませんが、それはただの銃弾ではありません

シロウ:な、にを……っ!……がっ、あ、……あああああああああああ!!:激しい頭痛

【膝をつく】

サイトウ:脳に直接作用する薬です。半日も経たずに廃人になりますよ

シロウ:く、そ……

【シロウが這いずる】

サイトウ:まだ動けるんですか。さすが連邦の殺人まがいの人体実験を受けてきた化け物だけのことはある

シロウ:殺して、やる……

サイトウ:やめておいた方が良いですよ。今、あなたの愛する女性の大切な人を守ったことが無駄になります

シロウ:どう、いう、……いみ……だ

サイトウ:コトハ・コバヤシの家族はアスカ・コバヤシだけではないでしょう?

シロウ:まさ、か

オカ:アイ……コバヤシ……幼い子どもまで……この、くそやろう……

サイトウ:罵倒するしかできない無力な人間はそこで這いつくばっていればいい。あなたには私と来て頂きます。こうなったからには、見せしめとして死に、革命のかがり火となって頂きます。皆の帝国への不満も爆発するでしょう……英雄の死は上手く使わなくてはね:最後少し笑う

【シロウを引き起こす】

【胸元から懐中時計が零れる】

サイトウ:ほう

【懐中時計に触れる】

サイトウ:いつも見ていた懐中時計ですか。良い代物だ。これもシロウ・タチバナから奪ったものですか!

【懐中時計の鎖を引きちぎる】

【シロウを突き飛ばす】

シロウ:くっ、返せ!それは……

サイトウ:偽物には過ぎたものですよ

【サイトウが歩き出す】

【アオキのPCを拾おうとする】

【誰かが走り抜ける】

【ナイフを拾う】

【サイトウを羽交い絞めにしてナイフを突きつける】

アスカ:アイを、解放、しろ……

シロウ:お前……

サイトウ:もう目が覚めたのですか

アスカ:俺は薬師だ、大抵の薬には耐性がある……:苦しげ

サイトウ:そうですか。ですが、だいぶ無理をしているみたいですね

アスカ:うるさい!!アイを!

【ナイフを近づける】

【サイトウが笑う】

シロウ:っ!よけろ!

【アスカを突き飛ばす】

【銃声】

【サイトウがカバンに向かって駆けだそうとする】

オカ:カバンを奪え!

アスカ:この!

サイトウ:この死にぞこない!

【銃構える】

シロウ:させるかっ!

【銃をはじく】

【サイトウ舌打ち】

サイトウ:くそ!

【何かを投げる】

【金属音】

【ガスが噴き出す】

オカ:催涙ガスだ!

【三人の苦しげに咳をする】

【ガス切れ】

シロウ:サイトウ、は……

オカ:逃げたか

アスカ:くそ!アイが!

【アスカが駆けだそうとする】

シロウ:待て!

アスカ:なんだ!息子の命が!

シロウ:あいつの、目的は、俺だ……俺を、連れていけ……

アスカ:何?

シロウ:息子を人質に、コトハを。俺を脅すために……コトハが、危ない。行かないと……

オカ:そんな状態じゃ無理だ!ほんとに死んじまうぞ!

シロウ:今、行けないなら、生きてるいみがない!

オカ:エイト……

アスカ:お前……

シロウ:く……

【シロウ行こうとする】

オカ:待て!おそらくあいつが向かったのは、ブラックタワーだ。お前、行けないだろ

シロウ:だけど、行く……!

オカ:……あー!たく、ちょっと、待て!そこのお前!かばんとパソコン持って来い

アスカ:どうするつもりだ?

オカ:俺の持ってる「生存圏」の一部をエイトに渡す。どれもブラックタワーには重なってないが、近くまでは行けるだろう

アスカ:そんなことができるのか?:驚愕

オカ:俺だけが数人分の「生存圏」を持ってるんだ。その理由は俺がハッキングして奪ったからだ。俺はハッキングの技術も買われてここに来たんだ、見た目だけが理由じゃねえ

【キーボードをたたく】

オカ:これを使えば、もっと簡単に書きかえることができるはずだ

アスカ:早く、早くしてくれっ、じゃないと、アイが、コトハがっ!

オカ:わかってる!

シロウ:『コトハ……そして……』

シロウ:『必ず、コトハは守る』

【ドアを激しく叩く音】

リナ:コトハさん!コトハさん!:ドアの向こうから焦った声

【コトハがドアを開ける】

コトハ:リナちゃん、どうし、わ!

【リナがコトハに抱きつく】

リナ:コトハさん、ごめんなさい!アイ君が、アイ君が!:泣きながら

コトハ:っ!アイがどうしたの?:声が堅い

リナ:私、ごめんなさい、ごめんなさい!

コトハ:泣いてちゃわからないわ。落ち付いて。アイがどうしたの?

リナ:ここに来る途中、いきなり、変な男たちに襲われて、それで、アイ君が……連れて、行かれて!

コトハ:何ですって……:愕然

リナ:それで、コトハさんに、ブラックタワーに来いって伝えろって……

コトハ:ブラックタワー?

リナ:何かの施設です。私、場所知ってます!案内させて下さい

コトハ:ダメよ!危険だわ。場所だけ教えてちょうだい、私一人で行くから

リナ:それこそ危険です!一緒に!私のせいなんです……だから!

コトハ:……わかったわ。じゃあ、近くまでよ。危なくなったら逃げるって約束して。いいわね

リナ:はい!

コトハ:うん。じゃあ、行きましょう

【オカがキーボードをたたく】

【アスカがシロウをじっと見て】

アスカ:なあ

シロウ:何だ

アスカ:お前、本当の「シロウ・タチバナ」じゃないんだろ

【オカの手が止まる】

シロウ:手を止めるな

オカ:あ、ああ、すまん

【オカが作業再開】

アスカ:あの男の話うっすらと記憶に残ってるんだ。それに、そいつはお前を「エイト」と呼んでる。お前は「シロウ・タチバナ」じゃないな

シロウ:だとしたら?

アスカ:お前は誰だ?どうしてあんな人間ばなれした動きができる?どうして、シロウ・タチバナになり変わることができた?本物はどうした?

【キーボードをたたく音】

シロウ:俺は……

【躊躇】

シロウ:俺は……「シロウ・タチバナ」のクローンだ

アスカ:っ!?

【足音、足音が止まる】

リナ:コトハさん

コトハ:何?

【電撃か何かで殴る】

【コトハのうめき声】

【倒れる】

【リナの荒い呼吸】

リナ:ごめん、なさい。コトハさん……

リナ:コトハさん、コトハさん

コトハ:うっ……

リナ:目が覚めましたか、コトハさん

コトハ:リ、ナちゃん……?……っ!

【腕が縛られてまま身じろぎ】

コトハ:腕が縛られて……どういうこと、リナちゃん……:緊張して

リナ:……コトハさんにお願いがあるんです

コトハ:お願い?

リナ:シロウ・タチバナと名乗ってる男にブラックタワーを襲撃するなと言ってほしいんです

コトハ:どういうこと?シロウが何で。それにブラックタワーって、行こうとしていた。ここがそうなの?

リナ:いいえ、ここはブラックタワー近くの倉庫です。私はブラックタワーには入れないんです、「生存圏」の外だから。でも……弟たちの「生存圏」は敷地の一部と重なってる。だから、働いてた……

コトハ:清掃員として働いてる施設って……まさか……

リナ:そうです。ブラックタワー、「生存圏」を管理する施設です。今、弟たちはブラックタワーのどこかに閉じ込められているんです

コトハ:どうして?

リナ:活動家たちがブラックタワーを襲撃するという情報が入ったから。だから、帝国に雇われた技術者たちは、民間の下働きをしていた人間を人質にしたんですっ!その中に弟たちが……

コトハ:そんな……

リナ:このままでは殺されてしまう!!ユウみたいに!そんなの、もう嫌!嫌なの!

【リナがコトハの腕をつかむ】

リナ:お願いです!止めて下さい。コトハさんなら止められるって!あの人も言ってたんです!シロウ・タチバナを止めて下さい!

コトハ:シロウが活動家を率いてるって言うの……?そんな、まさか、シロウがそんなことするはず……

リナ:騙されないで下さい!あれはあなたの知ってるシロウ・タチバナじゃないんです!

コトハ:え……何、言って……:声が震える

リナ:コトハさん……:泣きそうに

コトハ::嘘よ、だって、あれはシロウだった。間違いない。私が間違えるはずない……

リナ:もう、あなたのシロウはいないんですよ

コトハ:嘘……

サイトウ:嘘ではありません。リナさんが言ってることは真実です

【足音】

リナ:サイトウさん……

サイトウ:彼は心臓が弱かった本当のシロウ・タチバナの心臓移植用に作られたクローン。帝国の機密事項、知られれば、倫理に反すると国際社会からのバッシングは避けられない。けれど、タチバナ家は跡取りの延命を図りたかった。一方で、帝国は軍用の生物兵器の開発を進めたかった。両者の利害は一致した。タチバナ家が研究費を支出し、国が研究者を集めたんです

シロウ:十体まで作られた覚えがある。その中で成功したのは俺だけ……他は形が保てなかったり、本物のように体が弱かったり。俺だけが健康体で、それに、帝国の求める超人的な身体能力を持ち合わせてた……

サイトウ:しかし、成功した一体も研究施設から逃亡し、姿を消した。その後タチバナ家は没落、帝国自体も研究を続ける国力を失いつつあり、研究はそこで止まって、クローンはそれ以上作られなかったのです。逃げたクローンは今も行方不明、というのが知られていない公的な記録です

コトハ:そのクローンがあのシロウだって言うの……?:声が震える

サイトウ:その通りです。逃げた彼は連邦に渡った。そして、連邦に目を付けられ、更に優秀な生物兵器とするため、投薬など人体実験が繰り返された。同時にスパイとしての教育も受け、再び、帝国に戻ってきたのです。シロウ・タチバナに化けてスパイ活動をするために

コトハ:じゃあ……本当の、シロウは……

【サイトウがくすっと笑う】

サイトウ:化けるのに本物がいてはダメでしょう?……本物のシロウ・タチバナはすでに死んでますよ

コトハ:……そ、んな……うそ、うそよ、……いや……や、……いやああああああああああ!!!

【アスカがシロウの胸倉をつかむ】

アスカ:お前が殺したのか!おい!

シロウ:離せ……

オカ:おい、止めろよ!

【オカが止めに入ろうとする】

シロウ:オカ

オカ:ち……わかったよ

【作業を続ける】

【アスカが揺さぶる】

アスカ:お前が、本物のシロウを殺したのかって聞いてるんだ!

シロウ:だとしたら?

アスカ:コトハは、シロウを大切に思ってた:絞り出すように

シロウ:知ってる

アスカ:嫉妬するくらいシロウの存在はコトハには大きくて……過去に入りこむ余地はなかった……わかってるのか!お前はシロウ自身もそうだが!その過去も全部奪って、コトハを騙してたんだぞ!!それがどれほどコトハにとって残酷なことか!!

シロウ:わかってる。弁解するつもりはない。許してもらおうとも思わない。俺はただ俺のために、約束を果たす、コトハを守る……そのために生きて、死ぬ

アスカ:信じられるか。口だけなら何とでも言える

シロウ:信じなくて良い。誰にも信じられなくて構わない。誰も俺を信じはしなかった。……過去二回だけだ、俺が信じてもらえたのは……

アスカ:二回……?

シロウ:だけど、それで十分だ、十分すぎる……

【機械音か、キーを押す】

オカ:できたぞ!これで、ブラックタワーまで500メートルまで近づける

シロウ:十分だ

オカ:いつものお前ならな。だけど、今のお前じゃ……

シロウ:少しは回復した

オカ:だが、確実に薬は効いてくるぞ

シロウ:それでも

オカ:行くんだろ。わかってる。……なんとしてでもブラックタワーに入れ。恐らくブラックタワーの中は、自動狙撃は関係ない。まあ、内部用の特別のセキュリティーがあるけどな

シロウ:ああ、助かった、ありがとう

【オカがふっと寂しげに笑う】

オカ:俺の言葉を信じるんだな。俺はお前を信じなかったのに

シロウ:信じるしか方法がないとも言えるが……だが、

【オカを見る】

シロウ:一度でも信じてもらえれば、誰かを信じることはできる……人間とはそういうものだ……俺は半分化け物だけどな:最後自嘲的に

オカ:エイト……

【シロウ立とうとする】

シロウ:くっ……

アスカ:っ……!

【アスカがどかどかと歩み寄る】

シロウ:お前……

アスカ:肩を貸す

シロウ:助かる

【アスカがシロウをじっと見て】

アスカ:お前、コトハを愛してるか:真剣に

シロウ:ああ

アスカ:そうか、……俺もだ

【アスカがふっと笑う】

【シロウが息をもらす】

シロウ:行こう、コトハのところへ

アスカ:ああ

【コトハのすすり泣く声】

【サイトウがコトハの腕を持ちあげて立たせようとする】

サイトウ:あなたはブラックタワーに入れる。来て貰いましょう

リナ:待って下さい!コトハさんにはあの人を説得してもらわないと!

サイトウ:事情が変わりました。彼には死んでもらう

コトハ:……え

リナ:死……じゃあ、襲撃は止まるの……?

サイトウ:ええ

リナ:じゃあ、弟たちは助かるんですね!でも、それなら、もうコトハさんは良いじゃないですか

サイトウ:彼女はまだ必要なんです

リナ:どうして

サイトウ:彼をおびき出し、殺すために

コトハ:……私……?:驚愕

サイトウ:彼は必ず来ます。あなたを助けに

コトハ:私を……助け……に?

コトハ:『シロウじゃないのに?嘘のシロウなのに?でも、いつからだった……いつから、シロウはシロウじゃなかったの……?いつから……いつから?』

コトハ:……いや……

サイトウ:何?

コトハ:いや!離して!

【コトハが暴れる】

サイトウ:大人しくしなさい。あなたに危害は加えない

コトハ:いや!あの人を殺すのに使われるなんて、絶対!

サイトウ:彼はあなたを騙してたんですよ

コトハ:それでも!

【サイトウをにらむ(乱れた呼吸)】

コトハ:いつもシロウは私に優しかった。いつでも、いつシロウが別の人に変わってても、いつでも、私の会っていたシロウは優しかった……:涙声

サイトウ:それはシロウ・タチバナを演じていたからです

コトハ:じゃあ、何で私を助けに来ると思うの?それにあなたはアイを、リナちゃんを利用した、あなたの言うことなんて聞かない!

リナ:コトハさん……

【サイトウため息】

サイトウ:来なさい

コトハ:いや

【銃を構える】

サイトウ:力ずくでも来てもらいます

【コトハ息をのむ】

リナ:止めて!話が違う!コトハさんとアイ君には何もしないって

サイトウ:うるさい

【発砲】

リナ:うっ……

【リナ倒れる】

コトハ:リナちゃん!!

サイトウ:あなたにはもう用はないんですよ

コトハ:リナちゃん!リナちゃん!

【コトハが暴れる】

【コトハを無理やり引きずって行く?】

リナ:コト、ハ……さん……

【足音】

アスカ:見えた!あれがブラックタワーか

シロウ:ブラックタワーは施設の中心部だ。このまま敷地に少しは入れるはずだ

【シロウが何かに気付く】

シロウ:待て

【足が止まる】

アスカ:どうした

シロウ:人影が……

【おぼつかない足音】

アスカ:誰だ!

リナ:ア、スカ……さ、ん……

アスカ:リナ!?

【リナが倒れる】

アスカ:リナ!どうした!おい

【リナの荒い呼吸】

シロウ:動かすな、撃たれてる

アスカ:何で……

【リナがアスカの服を掴む】

リナ:ごめ、……な、さい。わた、しの、せいで、コトハさん、連れて……

アスカ:しゃべるな!止血を……

シロウ:ダメだ、もう手遅れだ

リナ:第、4、きかい、室……

アスカ:え……?

リナ:そこ、に……アイ君が……弟が……アス、カさん、なら、行ける……

アスカ:リナ……

リナ:ごめん、な、……さい……わた……なんて、ひど、い……こと……

アスカ:わかった。わかったから、もう

【リナの呼吸】

【シロウに手を伸ばす】

リナ:……コト、ハさん……を、助け……て

シロウ:ああ

リナ:……あ、ああ……ユ、ウ……

【手が落ちる】

アスカ:リナ!っ……くそっ……!

【アスカ地面を殴る】

シロウ:お前は、第4機械室に行け

アスカ:え

シロウ:俺はこのままブラックタワーに行って、コトハを助ける。お前はコトハの大切な者を守れ。大切な者、それがその人間の居場所だ。お前はコトハの居場所を守れ

アスカ:居場所……

シロウ:……っぐ……:頭痛でうめく

【シロウがよろめく】

アスカ:お前!

シロウ:大丈夫だ……

アスカ:お前……お前の居場所はコトハなんだな……

シロウ:コトハの居場所はお前と息子だ

【アスカが息をのむ】

シロウ:たった一度、たった一瞬……それだけで良い……俺は帰りたい……居場所に……

【アスカが何か言いかけて口を閉ざす】

アスカ:……コトハを、頼む

シロウ:わかった

【アスカが別の方向に走り出す】

【シロウも歩き出す】

シロウ:コトハ……

【ピーという警告音?】

オカ:くっそ、ダメか。やっぱシステム止めるにはメインコンピュータじゃねえと。これで出来るのはせいぜい保存データを書き変えて「生存圏」の交換や譲渡をするくらい……ん?待てよ、そういえば、あいつ……

【指を鳴らす】

オカ:そうだ、いけるかもしれねえ

【キーボードをたたく音】

オカ:間にあえよ!

【足音】

コトハ:離して、離して!……きゃ!

【コトハ突き飛ばされて倒れる】

サイトウ:ここで静かにしていなさい

コトハ:ここは……

サイトウ:ブラックタワーの最上階。メインコンピュータのある部屋ですよ。ここでならブラックタワー全体を把握できる

コトハ:……っ……

サイトウ::ほら

【サイトウが懐中時計を投げる】

【地面に落ちた拍子に開く】

コトハ:これは

サイトウ:偽物がシロウ・タチバナから奪ったものですよ。それを見て懐かしんでいるんですね

【サイトウの足音が離れる】

サイトウ:ま、どうせ、すぐに同じところに行くことになりますが:一人言

コトハ:シロウの懐中時計……この写真、小さい頃のシロウと私だ……でも、シロウはこんな時計……

シロウ:『これを持って行け』

【コトハが息をのむ】

コトハ:これは……

少年:『泣いているのか……?』

コトハ:これは……:涙声

少年:『俺は……シロウだ。シロウ・タチバナだ』

コトハ:あの時の……

【回想】

コトハ:シロウ……?そんなはずないわ、シロウはお部屋にいるもの。あなたは誰?

少年:俺は……シロウ……八番目のシロウ、唯一の成功例、ナンバーエイト、そうエイトと呼ばれていた

コトハ:エイト?それがあなたの名前?お父さんかお母さんが付けてくれたの?

少年:わからない

コトハ:お父さんとお母さんいないの?

少年:わからない

コトハ:そう……じゃあ、私と一緒だね

少年:一緒?

コトハ:うん。私もお父さんとお母さんがいないの

少年:そうか……

コトハ:エイトのおうちはどこ?

少年:わからない

コトハ:じゃあ、今までどこにいたの?

少年:どこか、暗いところ。俺がたくさんいた

コトハ:エイトがたくさん?

少年:でも、逃げてきた

コトハ:どうして?

少年:いたくなかった。ここは俺の居場所じゃないと思った

コトハ:そっか……ねえ、エイトの顔見たいな、フードに隠れて見えないの

少年:それは……

【笛の音】

少年:追手だ

コトハ:え!

男性1:いたぞ、あそこだ!

男性2:捕まえろ!

少年:伏せていろ

【風を切る音(エイトが走り出す)】

コトハ:エイト!

【いくつもの発砲音】

【叫び声】

【倒れる音】

コトハ:もういいぞ

コトハ:あ、ああ……:震える

【血の滴る音】

コトハ:死ん、で……る

【エイトが近寄ってくる】

コトハ:ひっ……:小さい悲鳴

【エイトが立ちとまる】

少年:恐いか?

コトハ:え?

少年:俺が恐いか……?

コトハ:こわ……い?

【エイトが自嘲的に息をもらす】

少年:そうだな、恐いな。……俺は化け物だから

コトハ:ばけ、もの……?

少年:ナンバーエイトは化け物だ。信じられない速さで動ける。身長の何倍もある壁を易々と跳び越える。蹴っても殴っても傷はすぐに治る

【血の滴る音】

【コトハが息をのむ】

コトハ:エイト、今ので怪我……

少年:俺は化け物だ

【遠くからの声】

男性3:銃声がしたのは確かこっちだったな

男性4:急所に当てなければ死なない!見つけたら両腕両足を潰せ

少年:来たか……恐がらせて悪かった。じゃあ

コトハ:待って!

【コトハがエイトを引っ張る】

少年:え?

コトハ:こっち

【物音】

コトハ:ここでじっとしてて:囁き声

【コトハがエイトを抱きしめる】

少年:お前……

【遠くで足音】

【コトハの震える声】

少年:俺、行くよ

コトハ:ダメ。殺しちゃダメ、ダメだよ

少年:……なら、捕まる:疲れたように

コトハ:それもダメ

少年:え

コトハ:エイトは人間だよ。こんなに人間なのに、化け物じゃないのに……それがわからない人のとこに行っちゃダメ

少年:俺が恐くないのか

【エイトがコトハに触れる(胸か首)】

少年:この手で人を殺した:雰囲気が変わる

コトハ:エイト……

少年:少し力を込めれば殺すなんてすごく簡単なんだ。こんな風に

【きしむ音】

【コトハが喉をならす】

少年:俺が恐いだろ

コトハ:……こわ、い……でも、こわいより、かなしい

【エイトが息をもらす】

【コトハがエイトを抱きしめる】

コトハ:悲しいよね、お母さんも、お父さんもいなくて、おうちもなくて、寂しいよね

少年:俺……

【足音が近づく】

【エイトが息をのむ】

コトハ:ダメ

【いっそう強く抱きしめる】

コトハ:エイトは殺さない。殺さないよ

少年:俺……化け物で……

コトハ:エイトは人間、化け物じゃない。誰も教えてくれなかっただけ、知らないだけだよ

少年:俺……

コトハ:信じてるよ。エイトは殺さない、殺したくない

少年:…………うん

【足音が遠ざかる】

【コトハが息をつく】

コトハ:行ったね

少年:ああ

コトハ:ほらね、エイトは殺さない:笑う

少年:……ああ

【物音】

シロウ:そこにいるのは……

コトハ:シロウ!

少年:っ……!

シロウ:何があったんだい?銃声が聞こえて心配で、それに、その子は……

コトハ:シロウ、助けて。この子、追われてるの

少年:おい!:囁き、声が堅い

シロウ:追われてる?誰に?

コトハ:わからない。でも、銃を持っていて、それで……

シロウ:……さっき、うちに特務が来た……危険人物が逃走して、それで追ってるって……君……:緊張して

コトハ:シロウ信じて、エイトは悪い人じゃない

少年:いい。そいつと帰るんだ

コトハ:エイト……ダメだよ、放っておけないよ

【シロウが息をつく】

シロウ:どちらにしろ、特務が探しているのでは、このままでは捕まるのは時間の問題だ。「生存圏」内でしか動けないんだから

少年:……俺に「生存圏」はない

シロウ:何だって

少年:まだ設定されていない

コトハ:「生存圏」がない?そんなことあるの?ねえ、シロウ?

シロウ:……君は、まさか……

コトハ:シロウ?

シロウ:いや何でもない。……「生存圏」がないなら好都合だ。この国を出るんだ。港に行って、出航する船の貨物に紛れ込むんだ

コトハ:そんなこと出来るの?

シロウ:普通なら難しい……でも、彼なら……

【首にかけていた懐中時計を外す】

シロウ:これを

少年:懐中時計……

シロウ:売ればしばらく生活はできるはずだ。港は通りに沿って南東へ進めば見える。急ぐんだ

【エイトが時計を受け取る】

コトハ:エイト。死なないで。気を付けて

少年:……お前も寂しいなら、俺と……

コトハ:何?

少年:いや……ありがとう

コトハ:うん

少年:お前が俺を守ってくれた。だから、今度お前に何かあるときは、俺がお前を守るから……それまで、必ず生き延びる

コトハ:うん、約束だよ

少年:約束だ

コトハ:あなたは……あの時の……

【ブンッと映像がつく】

サイトウ:ふ、来ましたね

コトハ:あ!

【足音】

エイト:この辺りが「生存圏」の境界か

エイト:『シロウ……』

シロウ:約束して、コトハを守って

エイト:なぜ俺に

シロウ:君だからだ:笑って

エイト:シロウ……

シロウ:僕はもうすぐ死ぬ。コトハを守れない……だから、代わりに。頼む

エイト:俺は連邦のスパイで、……それに、お前のせいで、こんな、化け物として生まれさせられた……俺はお前をっ……!

シロウ:わかってる、恨んでるよね。……でも、君は約束した、コトハと。コトハを必ず守るって

エイト:もう10年も前の話だ、俺はコトハの名前さえも知らなかった

シロウ:それでも、君は戻ってきた。そして、彼女に気付いて、彼女を殺さなかった

エイト:っ……!

シロウ:君は約束を守る。信じている

エイト:俺は……

【懐中時計がこぼれる】

シロウ:ああ……まだ持っててくれたのかい、それ……嬉しいな

エイト:っ……売れなかった、持っていたかった……だって、お前は恩人で、コトハは、俺の……俺の……

シロウ:エイト

エイト:シロウ……

シロウ:これから、君がシロウだ……シロウになってコトハを守って……

【シロウがふっと力なく笑う】

シロウ:ごめんね、こんなこと押し付けて。でも……いくら望んでも、僕には、もうできないから……

エイト:シロウ……

シロウ:約束だよ、エイト

エイト:……ああ、約束だ。コトハは守る、必ず

シロウ:……ありがとう

エイト:必ずだ、シロウ……

サイトウ:来なさい

コトハ:ダメ!来ちゃダメ!

【エイトのどんどん早くなる足音】

【エイトが境界に近づくことを知らせる機械音】

【エイト強く踏み出す】

サイトウ:越えた!

【銃声】

【エイトが避ける】

エイト:っ!

サイトウ:避けましたか。でも、いつまで続きますかね

コトハ:エイト……

【銃声と避けるを繰り返す、時々かする】

エイト:くっ……

サイトウ:避けきれなくなってきましたね

コトハ:ああ……

【カウントダウンをするような機械音】

オカ:来い、来い……

【銃声】

エイト:あと、少し……っ!ぐっ!:避けながら、最後頭痛

【よろける】

コトハ:エイト!!

サイトウ:終わりです!

【長い機械音】

オカ:来た!!

【キーを叩く】

エイト:『止まった?』

【エイトがタワーに飛び込む】

エイト:う!……:倒れた時の衝撃

【エイトがぜいぜい呼吸する】

【立ち上がる】

エイト:コトハ……

【走り出す】

【紙のようなものが落ちる音】

サイトウ:なぜ……どうして、狙撃が止まった……くそ!

【近くのものを蹴る】

コトハ:エイト……良かった……

【パワーダウンの音】

コトハ:え……停電……?

サイトウ:今度は何だ!?

【アスカがドアを激しく開ける】

アスカ:アイ!ジュン!アツシ!

ジュン:アスカさん!

【周りの人がざわめく】

アスカ:助けに来た。ここから出るぞ。アイは?

ジュン:ここに

アスカ:アイ!?どうした?

ジュン:大丈夫、気絶してるだけです

【ロープを解くか、切る】

アスカ:だが、どうなってんだ、いきなり停電なんて

アツシ:逃げるために無理やり切ったのかもしれません……

アスカ:どういうことだ?

アツシ:さっき聞いたんです。もう少しで襲撃が始まるって、ものすごい数の人間が襲ってくる、逃げないと、って。あいつらも監視されてて勝手に持ち場を離れられないんです。だから、逃げるために

アスカ:襲撃?まさか、そんなはずない。だって……

ヒロト:デマだよ

ジュン:ヒロト!?お前もここにいたのか?

アスカ:ヒロト?

アツシ:姉ちゃんに言いよってた奴です

ヒロト:あいつらビクビクしてるから、少し揺さぶればあっという間だったぜ。さ、早く逃げろ

アスカ:よし、行くぞ

アツシ:はい!

【人々が逃げていく】

サイトウ:くそ……あの、出来そこないどもが!どいつも、こいつも、腐ってる

コトハ:あなたが、そんなだからよ

サイトウ:何……?

コトハ:そうやって人間をごみのように考えてるから。誰もが一人一人誰かにとって大切な人で、特別なのに、あなたは……

サイトウ:黙れ

【ずかずか歩いてくる】

コトハ:だから、誰もあなたを信じないのよ!

サイトウ:黙れ!

【銃をつきつける】

コトハ:っ!

サイトウ:自分の状況を理解しろ。そうだ、お前らはごみだ。ごみなんていつでも処分できるんだからな

エイト:コトハ!!

コトハ:あ!

サイトウ:もう来ましたか

エイト:サイトウ……お前っ……!

【エイトが足を一歩踏み出す】

サイトウ:おっと、そこから動かないで下さい、この女を撃ちますよ

【エイト舌打ち】

サイトウ:まさか本当にここまで来るとは、もうすでに薬がだいぶ回って意識を保つのもつらいでしょうに

エイト:コトハを放せ

サイトウ:良いですよ。あなたが死ねば

コトハ:止めて!エイト!お願い逃げて!

エイト:コトハ……そうか、知ってしまったのか……

【エイトがふっと笑う】

エイト:それでも気遣ってくれるんだな。お前は昔からずっと優しいままだ

コトハ:エイト……

エイト:だけど、もう良いんだ、俺は……

【エイトが身じろぎする、何かを破る音】

【電気がつく】

サイトウ:照明が。やっと非常電源に切り替わったか……ん?

【コトハの震える呼吸】

コトハ:あ……

サイトウ:ほう、面白い

コトハ:エイト、その顔……

サイトウ:化けの皮が剥がれたと言うところですか

コトハ:昔の……シロウ……

サイトウ:成長を止めましたか。若いままの力を維持するために。今までの姿は変装ですか

エイト:そうだ

サイトウ:は!ことごとく化け物ですね

コトハ:エイト……

エイト:俺は化け物だ、コトハ

コトハ:ちが、……:泣きそうに

エイト:でも、それでいい。俺が選んだんだ。約束を守るために、お前を守るために、化け物であることを

コトハ:そ、んな……私、ただあなたに生きて、……生きて欲しくて……それで約束を……

エイト:わかってる:優しく

コトハ:お願、い……逃げて、生きて、お願いだから……

エイト:あいつの言う通りに俺が死ねば、あいつはお前に手は出さない

コトハ:お願い……:懇願して

エイト:息子は大丈夫だ。アスカが助けたから

【コトハがはっとする】

【エイトが微笑む】

エイト:あいつとなら、幸せになれる。そうだろう?

コトハ:エイト……

エイト:幸せになってくれ。それが俺とシロウの願いだ

【エイトがサイトウに向かって歩き出す】

エイト:俺を殺せ、サイトウ

コトハ:止めて!!

【サイトウが笑う】

サイトウ:望み通りに

【爆音と地鳴り】

【三人それぞれの驚きの声を上げる】

【警告音】

エイト:っ!?

コトハ:きゃっ!

サイトウ:何が起こってる!

【サイトウがモニターを見る】

サイトウ:ブラックタワーが、攻撃を受けている、だと!?どういうことだ……襲撃?いや、違う……あいつらには不可能だ……

【通信機器が鳴る】

サイトウ:誰だ?

ヒロト:僕ですよ

サイトウ:何の用だ!今はお前に構ってる暇はない!

ヒロト:お別れを言おうと思いまして

サイトウ:別れ……?

ヒロト:我が国は貴君への援助を打ち切ります

サイトウ:な、に……!:驚愕

【爆音が続く】

エイト:コトハ!

【エイトがコトハに走り寄る】

コトハ:エイト!何が起こってるの?

エイト:わからないが……サイトウの様子がおかしい

【エイトがサイトウの様子をうかがう】

サイトウ:なぜだ!そちらも帝国に連邦の影響が及ぶことを恐れて、私と手を組んだはずだ!

ヒロト:そうですね。それで東亜帝国を我が国の傀儡にするはずだった……あなたは、出し抜くつもりだったでしょうが

サイトウ:っ!?

ヒロト:あなたのような徹底的な愛国者が傀儡を是とするはずないでしょう。でも、あなたの思惑などどうでも良い。我が国は連邦と不可侵条約を結ぶ運びとなりました

サイトウ:なっ……そんな、馬鹿な……

ヒロト:このまま敵対するより、その方が国益にかなうと指導部は判断しました。だから、帝国を手中に収める意味はなくなった。わかるでしょう?余計なことを知ってしまったあなたは邪魔なんです

【爆音】

サイトウ:あ、あ……:言葉にならない

ヒロト:あなたは用済みです

サイトウ:待ってくれ!私は!

ヒロト:……どうして、自分だけは捨てられる側にならないと思えたんですか?:声の雰囲気が変わる

【サイトウが息をのむ】

ヒロト:さようなら

サイトウ:まっ!

【通信が切れる】

【地鳴りや爆音】

サイトウ:……くっ……

コトハ:エイト、何がどうなって……

エイト:……まさかあいつのバックには……

サイトウ:あ、……は……はは……あははは!!:声をもらしつつ、最後は狂ったように笑いだす

エイト:サイトウ……

サイトウ:あははは……終わりだ……全て……この国は薄汚い大国どもの餌食になる!何もかも搾取されて、使い捨てられる……終わりだ、私も、お前たちも……!

【サイトウが狂ったように笑い続ける】

コトハ:……終わりじゃないわ

サイトウ:はは、は……:コトハの言葉を受けて笑いが止まる

エイト:コトハ……

コトハ:あなたは、自分ではどうしようもない力に運命を強いられたことはないの?私たちはずっとそうだった。行きたいところに行けない、会いたい人にも会えない、自分ではどうしようもなかった。それでも生きて来た、選んできたわ!

サイトウ:……黙れ……

コトハ:例え、絶望に突き落とされても、まだ選べることがある、それがどこに続いていても、自分の選らんだ道なら、胸を張って生きていける。歩んできた道が生きた証になる、私たちはそれを支えに進むのよ!

サイトウ:黙れ!愚民が!何も知らず、ただ与えられたものだけを受容していた無能者め!

エイト:お前たちが何を与えてくれた?

コトハ:エイト……

サイトウ:私たちは無力なお前たちの代わりに国存続のために管理していた、敵国の脅威から守っていた

エイト:その代償が恐怖、怒り、悲しみ、苦しみ、そして、死か。誰がそんな国に希望など持つ?信じる?実際、今、お前の隣には誰もいない

サイトウ:黙れ……

エイト:絶望の中で、希望を掴んだのは彼らの力だ。お前たちの力じゃない

サイトウ:私は……

エイト:話は終わりだ。今は時間がない。脱出がさ……

サイトウ:私は、この国を愛していた!

【サイトウが走り出す】

エイト:待て!そっちは!…ぐっ……:追いかけようとして、頭痛で蹲る

【サイトウが窓を突き破って外に身を投げる】

【風の音】

【銃声】

【地面にサイトウの体がぶつかる音?】

【コトハの悲鳴】

【爆音が遠くから聞える】

ヒロト:死を選んだか……

リナ:『ヒロト!』:楽しげに呼ぶ

【ヒロトが息をつく】

【遠ざかる足音】

【コトハ言葉にならない息をもらす】

【エイトが苦しそうに息をする】

コトハ:何で……:泣きそうに

エイト:……コトハ、俺たちも早くここを出よう

【爆音、地鳴り、出口が崩れる音】

コトハ;出口が!

エイト:くそ……

【爆音が続く】

コトハ:このままじゃ……タワーが崩れてしまう……アスカ……アイ……

エイト:コトハ……

コトハ:私、……まだ死ねないの、こんなところで……:涙声で

【シロウやアスカのコトハを守れという言葉】

【エイトのコトハは必ず守るという言葉】

エイト:コトハ……俺を信じてくれるか?

コトハ:え?

エイト:俺がどうなってもお前だけは必ず守るから

コトハ:エイト……

エイト:だから……

コトハ:エイト?

【爆音】

エイト:コトハ…………俺は、お前に、触れて良いか……?:打って変わって恐る恐る

【エイトが苦笑(泣き笑い?)をもらす】

エイト:生存圏さえなければって何度も考えて、今ならお前に触れられるのに……だけど、俺は……化け物だ……

コトハ:あ……:思わず声をもらす

【コトハがふっと笑う】

【コトハがエイトに歩み寄って抱きしめる】

【エイトが息をのむ】

コトハ:私、恐くないよ

エイト:コトハ……

コトハ:あなたを信じてる……必ずいっしょに生きて帰ろう

【エイトがコトハを抱きしめる】

エイト:ああ……:コトハに応えたのか、息を漏らしただけなのかは曖昧

【風の吹き込む音】

【エイトの苦しそうな呼吸】

エイト;ぐっ!:頭痛

コトハ:エイト!:心配そうに

エイト:大丈夫だ、しっかりつかまってろ:苦しそうに

コトハ:うん

【しがみつく】

【エイトが深く息を吸う】

エイト:行くぞ!

【走る音】

【エイトの呼吸】

【爆音】

【今までのセリフ(走馬灯?)】

エイト:『コトハ、俺は、お前のこと……』

【跳ぶ音】

【耳の傍で風を切る音】

【タワーが崩れる】

【人々の悲鳴】

アツシ:タワーが崩れる!

アスカ:コトハ!!

オカ:ブラックタワーが崩れてから、各地で活動家たちが蜂起し、あっという間に政府は実効的支配を失った。それぞれの勢力の利権争いによって紛争が起き帝国内は混とんと化した。そこへ連邦が治安維持を名目に軍を投入、連邦監視下で暫定政権、議会が設置され、やっと帝国であった国は自立のため進み出した。それから6年。今も連邦軍は駐在を続けているが、概ね人道支援に従事しているのは、イデーア共和国その他の大国が連邦の動きに目を光らせているからだろう。少なくとも、住民の生活は平穏なものになっている。

【子どもたちの笑い声】

【草を踏みしめる音】

オカ:よう

アスカ:あんた、また来たのか、連邦のお偉いさんは暇なのか

オカ:暇じゃねえよ、毎日使いっ走りでこき使われてる。それに別に偉くねえ

アスカ:なんだ、前に長ったらしい名前の役職もらっていたじゃないか?

オカ:名前だけだ

アスカ:そうか、ま、ゆっくりしていけ:笑いながら

オカ:ここでゆっくりなんてできねえだろ、すぐガキどもが寄って来る

アスカ:あんたが菓子やおもちゃをくれてるんだってわかっているんだよ

オカ:俺じゃねえ、国の支援プログラムに入ってんだ

アスカ:それでも子どもたちは喜んでいる……ありがとう

オカ:けっ!:照れる

【オカが雰囲気が変わって】

オカ:で、あいつは……?

アスカ:いっしょに来てるよ。さっき見たが……あ、あそこに座ってる、ほら

オカ:確かに

【オカが歩き出す】

アスカ:あ、待ってくれ

【オカを止める】

オカ:何だよ……って、あ……:何かに気付く

【懐中時計の金属音と針の音】

【草を踏みしめて歩く音が近づいてくる】

【しゃがみ込む】

コトハ:何を見てるの、エイト?:優しく

【反応がない】

コトハ:チョウチョかー

【コトハが伸びをする】

コトハ:んー、良いお天気。気持ちいいわね。空も真っ青で澄んでる

【コトハが息をはく】

【エイトは無反応なまま】

【コトハがエイトを引き寄せる】

コトハ:全部、すごくきれいだよ、エイト……:愛しげに呼ぶ

【風が吹く】

オカ:あの女もよく続くな。まともに反応しない人形みたいな相手に

アスカ:ああ……

オカ:普通の人間だったらあの薬で死んでる。あいつだから奇跡的に命を取り留めた……だけど、あんな風になるなら、死んだ方が良かったのかもな……:苦々しく

【アスカが遠くの2人を見やって息を吐く】

アスカ:でも、何もかも忘れても、何も答えなくても、コトハにとってあいつはやっぱり変わらずあいつなんだよ……それに

オカ:それに?

アスカ:あんたには言ったことなかったかもしれないが、コトハが孤児院を始めたとき言ったんだ

コトハ:私が孤児院を作ろうと思ったのは、自分が孤児だったってのもあるし、リナちゃんたちのこともある……だけど、もううっすらとした記憶だけど、時々、悲しい子どもの目を思い出すの。どこにも帰るところがない可哀相な子ども……今ではもう子どもって歳じゃなくなってるだろうけど、あの子の目が忘れられない……

アスカ:コトハは、やっとその子ども、本当に助けたかった寂しい子どもに手を差し伸べることが出来たんだ

オカ:……だが、運命は、エイトにも、あの女にも、もっとましな結末用意してやっても良かったんじゃねえのか……

【沈黙】

【アイが歩いてくる音】

アイ:父さん!あ、オカさん、こんにちは。来て下さったんですね

オカ:ああ、大きくなったな

アイ:3ヶ月前に会ったじゃないですか

オカ:お前くらいの年頃の男はちょっと見ないとすぐ変わっちまうよ。背も伸びて、ぼやっとしてるといつの間にか見下ろされてしまいそうだ

アイ:なら、もう髪の毛をめちゃくちゃにされることもなくなりますね:笑いながら

アスカ:どうしたんだ?

アイ:もう戻る時間だから、子どもたちを集めようかと思って

アスカ:あ、もう、そんな時間か。わかった

アイ:母さんは……エイトといっしょか:遠くの2人を見つけて

オカ:アイ……

【オカがアイの髪をぐしゃぐしゃにかきまわす】

アイ:ちょっと、オカさん!言った傍から止めて下さい

オカ:これは俺なりのご褒美だよ!……お前は立派だよ、お前だってまだガキなんだから母親に甘えたいだろうによ

アイ:もう……

【アイが髪を直す】

【アイがふっと笑う】

アイ:俺、十分甘えてますよ、母さんにも父さんにも

オカ:そうか?

アイ:はい。俺わかったんです。両親や周りの人が愛してくれたから、俺は甘えることを知っていて、それが出来る

オカ:そうか

アイ:でも、愛されなかった子どもは甘えることを知らない……ここの子どもはやり直してるんです。愛されて、我儘を言って甘えて、また、誰かを愛するために……彼も

オカ:やり直せるのか?

アイ:え?

オカ:いや、悪い。お前にこんなこと言ったって仕方ないよな

アイ:……確かに全てを戻すのは無理かもしれません。それでも、まだできることがある、そう思ったから、母さんは共に生きることを選んだと思います。俺はそんな母さんも、母さんを支える父さんもすごいと思う、だから、俺も少しでも助けになりたい……オカさんもそうでしょ?

【オカがはっとして】

オカ:ガキがいっちょまえに……だが、お前の言う通りだな……

【アスカがアイの肩をたたく】

アスカ:さ、母さんを呼んで来よう

アイ:うん

【三人の足音】

アイ:母さん

コトハ:あら、もう時間なの

【立ちあがって砂を払う】

アスカ:ん?コトハ、エイトの頭の上のそれ

コトハ:ああ、花冠作ってたの、どう?

アスカ:だから、男に花冠って:苦笑して

オカ:良いじゃねえか、見ものだ

アイ:オカさん、そういう馬鹿にした言い方ないです、似合ってるじゃないですか

コトハ:うんうん、アイはわかってるわね

【コトハがアイを抱きしめる】

アイ:ちょっと母さん、止めて、子どもたちが見てる:焦る

オカ:何だ、さっき甘えてるって言ってたじゃないか:からかって

アイ:オカさん!

コトハ:あら、そうなの?もっと甘えても良いのよ、最近、アイが立派になりすぎて寂しいのよね

アイ:母さんもオカさんに合わせるの止めて

アスカ:ほらほら、お前たち行くぞ

アイ:うん

オカ:はいよ

コトハ:そうね

【コトハがエイトを振り返る】

【コトハが手を差し伸べる】

コトハ:帰りましょう、エイト

【エイトの帰りたいと言うセリフ】

【エイトの吐息?】

【エイトが手を伸ばして抱きしめる(衣擦れ)】

【コトハがはっとする】

【風が吹く】

コトハ:エ、イト……:囁く声がふるえる

アスカ:え……

オカ:あ……

アイ:わ、らってる……?

コトハ:あ、ああ……

【コトハが抱きしめる】

コトハ:うん、うん……:泣きだす

エイト:あ……は、……は……:笑ってるのがわかるかわからないかの境目、ほぼ息(コトハを呼んでる?)

コトハ:帰りましょう、エイト、私たちの居場所に……

【懐中時計の針の音】


終わり


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