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そして捧げる、緋衣草と愛の唄


もう使うことはないと決めていた緋田との連絡用の携帯電話。

履歴からコールすれば、呼び出し音に緊張する間もなく相手は応じた。


「この後、時間を作って欲しいのだけど」



―そして捧げる、緋衣草と愛の唄



辺りが徐々に薄暗くなる。

昼間の青空は色を変え始め、風が少し強い。

時期になれば花見で賑わう整えられた河川敷。今では青々とした葉を茂らせるばかりの桜並木が続くその場所を、待ち合わせに指定した。


突然の呼び出しにも関わらず、嫌な顔もせずに来てくれる緋田に罪悪感を抱く。

しかしそれも偽りなのだろうかと思えば、過去に騙してきたカモたちと自分が重なり今更ながらに後悔した。

緋田は、これまで会ったときのようなカジュアルな私服やフォーマルな装いではなく、一般的な背広姿でやって来た。

仕事場から直接来たのだろうなと判る。


「お仕事、抜けてきたの?」

「切りがついたところだったからね」

だから大丈夫なのだと緋田は笑った。

つられるようにして口角を上げるが、心には晴れない気持ちを抱えたままである。


「あたし、もうあなたには会わないつもりだったの」

指輪を買わせたらどこかへふけようと思っていたと、打ち明ける。緋田は大して驚きもせずにただ聞いていた。ある程度は予想していたのかもしれない。

「ごめんなさい」

深々と、頭を下げる。

緋田はその様にたじろいだ。

「僕は別に責めたりしないから、謝らないで」

彼女が結婚詐欺師である以上、自分がカモとして騙されることは、親しくなりたいと思ったときから想定していた。それでも良いから、近付きたいと望んだのだ。


「指輪はお返しします」

そう言いながら、婚約指輪が納められているだろう箱を差し出す。だが緋田はそれを押し返した。

「指輪は里桜さんにあげたものだ。要らなくても持っていて」

棄ててしまっても、売り飛ばしてしまっても構わないからと、受け取りを拒否する。

彼女は困ったような表情を浮かべながらも、差し出していた手を引いた。


「あたしのこと…」

目線を落とし、おずおずと言葉を紡ぐ。

「あたしのこと、章造さんに聞いたの?」

「え?」

緋田には彼女の尋ねていることが解らなかった。何故、彼女の口から父である章造の名が出るのだろう。

「今日、章造さんに会ったの。3年振りに」

「3年振り?」

彼女と父は、3年前から付き合いがあったのだろうかと、初めて耳にする繋がりに驚愕する。そんなこと、今聞くまで考えもしなかった。


「3年前に、あたしが初めて騙した人。何も聞いてないの?」

2人に繋がりがあることなど知るはずがない。ましてや、父親が結婚詐欺のカモになっていたとは。

「何もかも初耳だよ。どうしていきなりそんなこと話そうと思ったの」

状況を理解仕切れていない緋田は、僅かに焦る。

「嘘ばっかり。あたしを騙せて良かったわね」

「騙そうだなんて、思ってない」

君に近付きたくて、偶然を装ったりはしたけれど悪意なんてなかった。

「そうやって嘘ばかり吐くんだから」

言いながら、目に涙を湛える。軽い混乱状態にあるようだった。


「どうしたの。里桜さんらしくない」

その姿に動揺し、緋田は問う。

「だって、」

堪え切れなくなったのだろう涙が頬を伝う。つい先日までの彼女とは別人のようだ。


「だってあたし、赤瀬里桜じゃないもの」

だから『里桜さんらしくない』のは当然なのだと言う。

彼女はそのまましゃがみこんでしまった。両手のひらで顔を覆い、しゃくり上げる。


『赤瀬里桜』が本名でないことは察していた。

だが、聞いたところで素直に答えてもらえるわけがない。現に、一度尋ねてはいるが教えてはもらえなかった。

それに関して聞き出すことは諦めていたのだが、どうやらここにいる女性は『赤瀬里桜』を演じる結婚詐欺師ではないようだ。

緋田は傍らに腰を下ろすと、泣いている彼女の頭を撫でる。


「じゃあ、何て呼べば良い?」

知らないうちに随分と彼女を追い詰めてしまったようだ。それを悔いながら、優しく声を掛けた。

彼女はそっと顔を上げて、赤くなった目を緋田と合わせる。

それから戸惑いながらも口を開いた。


「…愛。あたしの名前は、朱原愛」


久しく口にしていなかっただろう名前に、声が震えていた。



捨て犬がいた。

衰弱していて、元気のない子犬だった。

拾ってやりたかったが両親ともに忙しく、自分も昼間は小学校に通わなければならない。

家政婦に頼んでも良かったが、自分で世話をできない手前、飼いたいとは言えなかった。

それゆえ、そのまま何もせずに帰宅したのだが、どうしても気になり眠れなかった。

既に夜は更けていたが、堪らず家を抜け出した。子犬が捨てられていた場所を目指して河原を駆ける。

明るいところで見る景色と、暗がりとでは随分と勝手が違い、どこだか判らなくなるほどだった。

勘も働かせながら走っていると、視界の端に人影が見えた。

驚き、足を止める。


「なんだよ。幽霊か?」

真冬に幽霊とは季節外れではあるが、怖々と目を凝らす。落ち着いて見てみれば、生きている人間のようだ。

自分と同い年くらいの女の子。

川縁に腰掛け、夜空を見上げていた。

そっと近付くと、どうやら泣いているようである。


「泣いてるの?」

「え」

思わず声を掛ければ、驚いて振り返った少女はバランスを崩し、坂を滑り落ちてしまう。

しかし、瞬間に彼女の手首を掴み、引っ張り上げたためそれは回避することができた。

「あっぶな」

「ご、ごめんなさい。びっくりしちゃって」

ばくばくと音を立てているのだろう心臓を押さえながら少女は謝罪した。

「俺も急に話し掛けたし」

だから気にしないようにと言いながら脇に腰掛ける。

「あたし、アイっていうの。ねえ、こんな時間に何してるの?」


アイと名乗る少女は、自分は星を見に来たのだと説明した。オリオン座の物語を教えてもらったから、実際に見て見たくなったのだと言う。

「そんなん、家で見ればいいじゃん」

わざわざ夜更けにこんなところまで来て星を見なければならない理由が解らない。

「家なんか、ないもん」

「はあ?」

家がないならどこに住んでいるというのだ。わけが解らず首を捻る。

「えっと、家はあるんだけど、家じゃないっていうか」

「わけ解んねえ」


アイはなんとか説明しようと試みるのだか、いまいち相手には伝わらず肩を落とした。

「そうだ、お前この辺で犬見なかった?」

当初の目的を思い出す。

街灯の少ないこの辺りの具合が判らないため、目的の場所を見失っていた。

「犬?」

「なんか、黒っぽくてちっさい犬だよ。捨て犬なんだ」

身振り手振りでどうにか伝えようとしてみる。初めのうちは不思議そうな顔をしていたアイは、やがて何かを思い出したらしく表情を明るくした。

「トトならサヤカちゃんが拾ってきたよ」

「誰だよ、トトとかサヤカって」

「トトはわんちゃんの名前。サヤカちゃんは施設のお友達。トト、施設で飼うことになったの」

あたしもお散歩するんだ、とアイは楽しそうに笑った。

施設がどんなところか良く判らなかったが、あの子犬の飼い主か見つかったようなので安心した。

「良かった」

そのまま大の字になるように体を倒す。

アイが星を見に来たと言ったのがなんとなく解るような星空が、目線の先には広がっていた。


「トトのことが気になるなら、見に来ればいいよ。えーっと…」

アイは隣で寝そべる男の子の名前が判らず口ごもる。

「リオだよ」

トトが幸せにやれるならそれで良い、とリオは笑った。



雨が降っている。

店で気に入って買った下ろし立ての赤い傘も、愛の気持ちを明るくはしてくれなかった。

どこからおかしくなってしまったのだろう。

何故、こんなにもついていないと思えることばかり起こるのだろう。

一人だけ生き残ってしまったり、やっと慣れてきた会社が潰れてしまったり。


なかなか見つからない再就職先を探すことにも疲れてしまって、今日は何もしたくないと、ふらふらこんなところまで来てしまった。

天気の悪い空と、暗く澱んだ海が、一層気分を落ち込ませた。


傘をたたみ、しゃがみこむ。

もうどうだって良かった。

雨に濡れようが、おかしなことをしているように見えようが、なんだって構わなかった。

むしろ雨と一緒に自分も溶けてしまえたら、なんて考えていた。


「せっかくの傘も差さずにどうしたんだい」

体に当たる雨を感じなくなったと思ったら、一人の男性が自らの傘を愛の頭上に差していた。

「風邪をひくよ」

傘を差したまま腰を下ろし、愛がたたんで脇に置いた傘を手に取る。それを広げると、優しい笑顔で愛に差し出した。

「まだ新しい、綺麗な傘じゃないか。差してあげないと悲しむよ」

愛は無言で傘を受け取る。そっとしておいてほしいのに、話し掛けてくる見知らぬ男を不快に思った。


「こんなところで何をしてるんだ?」

「別に。海を見てただけです」

本当にそれだけだった。

何をしているのかと聞かれても、自分でも何をするためにここに来たのか解らない。

「君、名前は?」

途切れた会話を補うように男が問う。

「…理緒」

素性の知れない男に本名を語るのをためらい、咄嗟に違う名前を口にした。不意に出たのは、いつか川縁で出会った男の子の名前。

あの一度きりしか会っていないのに、何故だか思い出されたその名前を偽名として使った。

「そう、じゃあ理緒さん。そのままでは冷えてしまう。移動しよう」


手を引かれて乗った車の中で、彼は鈴木章造だと名乗った。

連れられて行ったのはどこだか判らない会社のようなところの一室で、秘書らしき女性にタオルと真新しい服を手渡された。

着替えも終わり少しの会話を楽しむと、章造は愛を家まで送ってくれた。


4月からひとり暮らしを始めたマンション。

交換した連絡先の入った携帯電話と赤い傘を握り締め、彼の車を見送った。

「きっと、連絡をします。今日はどうもありがとうございました」


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