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鼓動のゆくえは



―鼓動のゆくえは



緋田の自宅を出た里桜は、一度役所に寄り書類を受け取る。書類をバッグに入れると、まっすぐアパートに帰った。


バッグとカモに会うときに着ていた服の入った紙袋をソファに放る。

真っ白なシフォンのワンピースは、ハンガーに掛けて壁に吊した。

部屋着に着替え、フレグランスランプに火を灯した後は、放った紙袋の中の服をクローゼットに仕舞い込む。再び袖を通すことは、恐らくないだろう。


ベッドに身を預ける。

たゆたう思いと満ちる香りに、次第に里桜はまどろんだ。


夢を見ていた。

施設にいた頃の夢。親戚が彼女を引き取ったのはその4年後。中学を卒業した年だった。


親戚の元にいたのは僅か5年。

彼らは早くから引き取ろうとはしてくれていたのだが、当人が渋った。

再び、家族を失うのが怖かった。

それならば、家族にならなければ良い。

10歳の少女はそう考え、親戚の誘いを断ったのだ。


しかし、進学したかった彼女は後に親戚に頼ることとなる。それでも就職するまでの期間限定。そう決めていた。

施設での生活に不満はなかったが、唯一自分がひどく可哀相な子に思えるところが嫌いだった。

同じ施設の友達も、両親がいないことは変わらない。

だが、施設の外の友達や周りの大人が自分を可哀相な子として見ているような気がすることが愉快でなかった。


そんなある日。一度、施設を抜け出したことがある。

11歳の誕生日。

初めて両親が祝ってくれることのない誕生日、彼女は目を盗んで飛び出した。

行く先はどこでも良い。ただそこにいたくなかった。


川縁の、坂になった土手に腰を下ろす。

オリオンが瞬く夜空を見上げた。有する1等星、ベテルギウスが赤く輝いている。

力のある猟師であったオリオンは、大変な乱暴者でもあったため困り果てた女神ガイアは蠍を使って彼を刺し殺した。

ゆえに天に上げられた後もオリオン座は蠍座が現れる季節になると逃げるようにして西の空に沈む。


しかし、その蠍座もまた、オリオンを刺し殺した危険性から射手座に監視され続けている。

蠍座が暴れたのならば、直ぐさま隣にいる射手座が射殺する。


「星になってからも、運命に縛られるなんて」

悲しすぎると、夜空を仰いだまま呟いた。

そこにいるはずの両親はどうだろうか。

今もまだ、運命に縛られ苦しんでいるのだろうか。幸せに暮らせてはいないのだろうか。

そう思い、涙が流れる。


「泣いてるの?」


不意に、声を掛けられた。

弾かれたように振り返ると、反動で体勢を崩し坂を滑り落ちてしまう。


「痛っ」

目覚めた里桜は、床の上にいた。

眠っているうちにベッドから落ちたようだ。

昔の夢を見ていたように思う。

打ち付けた体を擦りながら、起き上がった。

あの頃の夢を見るなんて、心を乱されているようで苦々しく感じなくもない。


カーテンを開け、すっかり暗くなってしまっていることを確認する。

窓を開け放つと、心地好い風が頬を撫ぜた。

あの日と同じように、夜空を見上げる。

既にオリオンは西の空へ逃げた季節。

蠍座の1等星、アンタレスが赤く瞬いていた。


言われた通りにオリオンを殺しただけなのに、感謝されるどころかそのために監視され続けている蠍。

誰に言われるわけでもなく、自ら犯罪行為を重ねる自分こそ咎められるべきなのにと目を伏せる。


「哀れな蠍」

小さく零し、窓を閉めた。

ソファに座ると、見るわけでもないのにテレビをつける。興味のないバラエティ番組からは、楽しそうな笑い声が流れた。

無造作に置かれたバッグの中から携帯電話を取り出し充電器と繋ぐ。

購入したばかりの緋田用の携帯電話だ。


メモリーにただ一つ登録された緋田のメールアドレスを呼び出す。

今日のことについて軽く触れた後、話したいことがあるから時間を作って欲しいと打ち込み、送信した。

内容の入ってこないテレビに目を向けると、里桜の知らない芸人が皆を笑わせていた。

こんなふうに笑ったのは、いつが最後だっただろうか。また、心から笑える日は来るのだろうか。


マイナス思考に陥り始めた自分を戒めるように頬を叩いたところで携帯電話が鳴る。

緋田からの返信のようだ。

「お早いお返事で」

苦笑混じりに呟き、携帯電話を開く。

1週間後、ディナーの場所と時間が記されていた。

別れ際に食事に誘うと言っていた彼の言葉を思い出し、壁に吊されたワンピースに目をやる。

決めかねているこれからのことも、定まらない気持ちも、それまでにどうにかしなくては。

誘いに対する了承のメールを緋田に送ると、里桜は再びベッドに横になる。


気付き始めた裏腹な思いに戸惑いながら体を丸め、まぶたを閉じた。


********


約束の日、緋田との待ち合わせ場所に向かう。

真っ白なシフォンを揺らめかせ、颯爽と歩く様は周囲の者を振り向かせる。

この1週間、緋田という男についてずっと思案していた。

結論は、まだ出ていない。

ただ、今日彼と会うことを待ち遠しいと感じた自分がいる。

歯痒い思いも否めないが、待ち合わせ場所に緋田の姿を見つけると何故だかほっとした。


「久し振り、里桜さん」

相変わらず仕立ての良いスーツを着た緋田が微笑む。

1週間前は黒かった髪は、再び亜麻色に戻っていた。


「久し振り、って…たった1週間じゃない」

里桜は目を逸らし言う。

たった1週間。それなのに、とても長い間だったように思える。


「食事に向かう前にこれを」

「何?」

緋田が、持っていた紙袋を里桜に手渡す。

中を見れば洋服であった。

「服なら私、あなたにもらったものを着て来たわ」

「もっと良いものをプレゼントするって言ったでしょう?」

得意そうに笑う緋田につられ、里桜も表情を緩めた。

「じゃあ…遠慮なくいただきますけど、どこで着替えたら良いのかしら」

「一度、僕の家に行きましょう。ディナーへはそれから車で向かえば良いから」

緋田に手を引かれ、駅前のパーキングまで歩く。そこに停められた緋田の車の助手席に乗り込んだ。

期待を裏切らない高級車に溜息を吐く。

「この車は、どっち?」

詐欺の収入か、親の会社での収入か。

「さあ。どっちでしょう」

話を濁す緋田に、里桜は「どっちでもいいけど」と零した。


車は快適に、緋田の家へと向かう。

1週間前にも訪れた緋田の自宅。今日もまた、日は落ちていないため夜景は楽しめないが、それでも溜息の出る眺めである。

「ここで着替えて」と言われて通された部屋はどうやら使われていない余った部屋のようだった。

里桜のためであろう姿見が、ぽつんと一つ置かれている。


広さは7畳ほどであるが、何もないに等しいため実際より幾分か広く思える。

「あたしの部屋と同じくらいの広さの部屋が、まるまる余ってるなんて」

里桜は自らのワンルームを思い、自虐的に一言漏らす。

有名ブランドのロゴが刻まれた紙袋から取り出した白のワンピースドレスも、未だかつて里桜が身に着けたことのない高級品である。

恐れ多くも袖を通せば、緊張感に背筋がピンとなる。

自分の姿を鏡に映して見てみるが、あのシフォンのワンピースと同様に里桜に良く似合っていた。

深く息を吐き、気持ちを落ち着かせたところで部屋を出た。


緋田はソファに座って待っていたようだが、里桜が現れると立ち上がり「やっぱり里桜さんには真っ白なドレスが良く似合う」と笑った。

「ねえ、あんまりおかしな買い物はしないほうが良いんじゃない?」

自分への贈り物を買うよりも、もっと有意義な買い物の仕方があるはずだと里桜は言う。


それを聞いて緋田は首を傾げた。

「何で?里桜さんへの贈り物を買う以上に有意義な買い物の仕方なんてないよ」

だから気にしないでと笑い、続けて彼は疑問を口にする。

「それに、結婚詐欺師の里桜さんがそんなこと言うなんてどうしたの」

より良いものを贈られるほうが仕事としては正解なのではないか、と。


そんなこと、言われるまで忘れていた。

それと同時に気付される。

里桜は詐欺師で、緋田を騙すためにここにいるのだと。

「そうよね。変なこと言ったわ」

忘れて、と右手を振り笑う。

緋田はそんな里桜を何も言わずにただ見つめていた。


食事の間も、里桜は浮かない表情をし、心ここにあらずの様相であった。

緋田の話に相槌は打つものの、半分も聞いていないだろうと思える。

「里桜さん?」

手を止め、緋田は声を掛ける。

「え?」

里桜は顔を上げ「ごめんなさい、聞いてなかったわ」と詫びた。


「前のお店も美味しかったけれど、ここのパスタもとても美味しいわ」

素敵なお店をたくさん知ってるのね、と笑う。

それでも彼女の表情はどこか無理しているようで、奥底は晴れないままのような気がした。

「里桜さん、何かあるなら言って」

真剣な面持ちで緋田は問う。

里桜は一瞬目線を落とし、その後緋田を見据えた。


「私…この1週間、ずっと考えていたことがあるの」

聞いてくれる?と不安そうに尋ねる里桜を、緋田はもちろんだと促した。

彼女は言葉にするのを躊躇するかのように、口を開く。


「詐欺師を、辞めたいの」


逸らすことなく緋田と合わせたままの目は、明確な意思を映していた。

「考えてみたら近頃はろくなカモを捕まえられてないし、そろそろ足を洗うべきなんじゃないかって、思ってる」

「それで、どうするの」

「ずっと踏み外してたけど、ちゃんとした仕事に就いて、普通の生活をしたいなあって」

その生活を送る自分を思い描いているのだろうか、幸せそうな笑みを浮かべながらも「今更、無理かな」と俯く。


「里桜さんならきっと出来るよ」

「本当?」

未だ不安がる里桜を緋田は励ます。

「僕が言えることじゃないけど、詐欺なんて続けたって何も良いことはないよ。里桜さんが足を洗うと言うなら、僕に出来ることがあれば何でも協力するから」

笑いながら彼は言う。


自らも詐欺を続けている身だ。何か言える立場ではないし、言ったところで説得力がないことは明らかであった。

だが、彼女が決めたことなら後押しをしてやりたい。

そう思っての言葉だった。


「じゃあ、一つお願いがあるのだけれど」

そう言い、里桜はクラッチバッグから書類を取り出す。


「私と結婚して。緋田くん」


1週間前に役所で受け取ってきた、婚姻届だった。

「え?」

思ってもみなかった一言に、驚きが隠せない。

「初めは正直、あなたのこといけ好かないと思ってたわ。だけど、こうして食事をしたり、話したりしてるうちにあなたといる時間が大切に思えるようになったの」

緋田は目の前に広げられた婚姻届に目を落とす。

既に里桜の名前が書かれたその書類をからは、確かに里桜の思いが感じられるような気がした。

それでも抱いた疑問に、緋田は口を開く。


「なんで、いきなり結婚なの」

知り合って1週間と数日。

いささか突飛すぎるように思えなくもない。

「詐欺師を辞めるために、何か一つでも信用出来るものが欲しいの」

それがあるから乗り切れる。

それのために意志を押し通せる。

「あなたがいるから、更生するって思いたい」

駄目かしら?と里桜は首を傾げる。


駄目であるわけがなかった。

緋田自身が里桜に好意を寄せている。

どうやってその気持ちを打ち明けようかと思案していたほどだ。

しかし彼女のほうから、しかも結婚をこの場で言い出してくるなど考えてもいなかったために緋田は困惑する。


「里桜さん。これは、仕事?」

訝しみ、問う。

その可能性がないわけではない。

彼女は結婚詐欺師であり、自分はカモなのだ。

恋人という関係であることにはなっているが、それも偽り。


真っ赤な嘘の、作られた恋人。


だが彼女は心外であると言うように溜息を吐き、答える。

「信じてもらえないのは解ってる。でもこれだけは疑わないで」

緋田と目を合わせ、続ける。


「あたしは、あなたが好きよ」


そう言って微笑む彼女に、嘘はないように思えた。

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