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揺り動かされる心臓の



―揺り動かされる心臓の



「何その髪型」

開口一番、里桜は緋田の髪型に眉根を寄せた。

「何って…里桜さんの上司ですけど」

どこが悪かったのか解りかねている緋田は、ぽかんとしている。

亜麻色であった緋田の髪は黒く染められ、無造作ヘアはきっちりと見事な七三分けにセットされている。

しっかりとした仕立ての良いスーツを着ているまでは良いのだが、なんとも言い難い違和感が否めない。


「エリート上司を意識してみたんだけどなあ」

「鏡、ちゃんと見たの?あなたそれでも詐欺師?」

里桜は大きく溜息を吐く。

「僕の専門はフィッシングなんですよ。カモとは顔を合わせないから、身なりに気を使ったりはしたことなくて」

緋田の言い訳は続くが、里桜は「もう良いわ」と止めさせた。


緋田と食事をしてから数日後。

これから先日まで里桜が相手をしていたカモのもとを訪れる。

関係を、断つためだ。


『赤瀬里桜』はアパレル商社に勤務している。

この度、彼女は昇進し、フランスに渡ることとなった。そこでの経営を任される。着任当初は多忙となるため結婚は落ち着いてから、と打ち明ける手筈だ。

だが実際は、里桜が恋人の前に再び現れることはない。

携帯電話は一度解約し、現地のものを新たに契約すると伝える。ゆえに、連絡先は里桜から知らせない限り解らないことになる。


「やっぱり私一人で行くわ。上司がいるのは不自然だし、それ以前にあなたのその格好では問題外」

里桜は左手を額に当てる。

その薬指には、カモが贈った指輪が輝いていた。


「僕も何かしたかったのだけれど」

緋田が俯き加減に呟く。

「何かしたいのなら、何もしないでいてちょうだい」

そう言い残し、里桜はカモの待つカフェへと向かった。


一方緋田は、適当な場所に腰掛け、里桜を待つ。七三分けに撫で付けた髪は、手でぐしゃぐしゃと崩した。

平日の昼間だと言うのに待ち合わせをする人々で賑わう駅前。

これだけ人がいるのならば、誰も自分のことなど気に止めやしないだろう。

そう思いながらも緋田は、この場にスーツ姿の男がいる様がひどく滑稽に思え、一人苦笑した。


行き交う人たちをぼんやりと観察する。

仕事に奔走する者、恋人と手を繋ぎ歩く者、腕時計に頻繁に目をやり待ち人の訪れを望む者、買い物を楽しむ者――。

自分がどれにも当てはまらないのだと思うと、何故だかやるせない気持ちになった。


緋田が行なっているフィッシング詐欺は、ソフトウェアを使ってオンラインバンキングのIDやパスワード、口座番号やクレジットカード番号などを不正に入手するものだ。

パソコンの前にいるだけで、大金を騙し取ることが出来てしまう。

自分がそうして詐欺を働いている間も、世間は今と変わらず忙しなく巡っているのだろう。

それが、物悲しい。


彼が詐欺を始めたのは、興味本位からであった。

自分にも出来るものなのか試してみたくなったのだ。

やってみれば呆気ないもので、すんなり騙せてしまったことを覚えている。

物足りなさを感じたが、同時に真面目に生きる意味を見失った。詐欺で金を稼ぎ、ふらふらと遊び暮らす生活を続ける。


里桜を見掛けたのは、そんな生き方が定着してきた頃だった。

綺麗な洋服を着て、釣り合わない男の傍らで幸せそうに笑っていた。

あんな風に笑っていられる生き方が羨ましいと思った。


だが数日後、偶然にも再び彼女を見掛けた時に緋田は違和感を抱く。

相変わらず隣には釣り合わない男がいたが、前に見掛けた男とは違っていた。

微笑む彼女もどことなく印象が異なる。初めは里桜だと気付けなかったほどだ。

それでも、彼女であると確信できたのは、里桜に惹かれていたためだと緋田は結論付けた。


(彼女も、俺と同じなのだろうな)


ふと、そう思った。

緋田が焦がれた笑顔も、恐らくは偽り。彼女はそうして生きている。


詐欺師なのだろうと。


羨ましく感じた笑顔が偽物であったことは残念だったが、それ以上に彼女をもっと知りたいと思った。

何故彼女が、自分と同じように詐欺を働いて生きているのか、聞いてみたい。

以来、緋田は里桜のことが気になって仕方がなくなった。

何とかして彼女に近付けはしないかと考え続けていた。


「一人でぼーっと、何考えごとしてるの?」

不意に、声を掛けられる。

目線を上げれば里桜であった。

「里桜さん、この後の予定は?」

「特にないわ」

里桜は言いながら薬指の指輪を外す。

「強いて挙げるなら着替えたいわね」

服装も、メイクも、先程別れを告げて来た男に合わせたものとなっている。今や必要のないものだ。


「じゃあ里桜さん、僕の家に来ませんか?」

口元を緩め、緋田が言う。

「着替えたいって言ってるじゃない」

里桜は僅かに顔をしかめた。

「どうせ里桜さんの家に行きたいって言っても駄目って言うでしょ」

「当たり前よ」

「服なら買ってあげるから」

緋田は里桜が答える間もなく手を引く。


緋田と出会って数日。未だ里桜は彼のペースに飲まれがちだった。

幾分かコツのようなものは掴みかけてはいたが、毎度のことに、まあいいかと思うのが常であった。

それほど嫌でもないと言うのも事実かもしれない。


今もまた、溜息は吐くものの素直に緋田に従った。

緋田に連れられて入ったブティックは、里桜好みの店で、緋田はシンプルなワンピースを選んだ。

洋服は演じるために着飾るためのものであり、『自分』に似合う服などここ数年着ていなかった。

里桜は複雑な思いに駆られながらも「良く似合うよ」と笑う緋田に、ありがとうと微笑み返した。


緋田の自宅はいわゆる高級マンションで、さぞ夜景が綺麗に見えるだろうなという場所に位置していた。

おあつらえ向きの大きな窓まである。

中に通された里桜は、高そうなソファに身を沈める。


「随分と荒稼ぎしてるみたいじゃない」

自分のアパートとは比べ物にならないと、里桜は呟く。

「親がちょっと金持ちなんだよ」

だからこれは、自分の稼ぎではないと緋田は言った。そんな親に反発する気持ちもあり、詐欺を始めたのだと言う。


「名前だけは親の会社の社員になってる」

「恵まれてるのにもったいない人」

出された紅茶に角砂糖を落としながらも、どこか違うところを見ているようだった。あまりにも無心で、シュガーポットとティーカップを往復していく。


「里桜さんの両親は?」

恐らく、込み入る事情があるのだろうと察しながら緋田は問う。

里桜が、聞いて欲しがっているように思えた。

「死んだの。あたしが10歳のときに」

車の事故で、里桜だけが奇跡的に助かった。

「短大を出るまでは親戚の人が面倒見てくれてたんだけど、就職したのを機に一人で生きていこうって決めたの」

緋田は、そう話す里桜の憂い顔を見つめていた。


「里桜さん、働いてたんだ?」

「2ヵ月だけね」

「2ヵ月?」

まあ色々と、と里桜は苦笑いをする。

そんな里桜を見て、本当に色々あったのだろうなと緋田は感じる。


少しの間、互いに口を開かず時間が流れる。

「里桜さん、あの…」

「…って、カモには言って同情を誘ってるのよ」

沈黙を破るように発した緋田の言葉を、里桜の明るい声が遮る。

騙された?と笑う彼女だか、どこか寂しそうな空気は消えてはいなかった。

口をつけた紅茶が恐らく甘すぎたのだろう、僅かに顔を歪めるその里桜の横顔ですら、物哀しく感じられてしまうほどに。


その空気を払拭するかのように発した緋田の問いに里桜が答えたり、里桜もまた緋田の話に耳を傾け、何かあれば尋ねたりを繰り返ししながら少しずつ針は進んでいく。


互いにカップの中の紅茶は、既になくなっていた。

「私、そろそろ帰るわ」

「えー」

「えー、って…」

まだいればいいのにと不満を漏らす緋田を、里桜はたしなめる。

「もう十分おしゃべりしたでしょう。紅茶、ごちそうさま」


美味しかったわ、と言いながら帰り支度をする里桜を、砂糖入れすぎたくせになどと思いながら見ていた。

「また、食事に誘いますね」

駅まで送ると言うのをやんわりと、だが頑として断られたため、玄関での見送り。

「じゃあそのときはこのワンピースを着て行くわ」

シフォンの裾を軽く摘んで里桜は答える。

誘い自体を断られると半ば期待せず口にした緋田はやや面食らったが、へらっと笑って「もっと良いものをプレゼントしますよ」と返した。


耳障りな音とともに扉が閉まれば、無音の部屋に一人取り残される。

ふう、と息を吐きそのまま玄関に座り込んだ。


思っていたより深刻かもしれない。

初めは会って話を出来ればとしか考えてはいなかった。それが今や、気付けば彼女のことばかり考えている。


彼女が望むならば、何でもしてやりたいと思う。


彼女が喜ぶのならば、何でもできると思う。


そう考えるほどなのに、聞きたかったことは未だ聞けてはいない。

他人から見れば、緋田吏雄という男は人当たりの良い人間だと誰もが言うだろう。

だがしかし、緋田自身が人当たりの良い人間でありたいと思いながらそう装っているに過ぎなかった。

本来彼は、出来る限り人に関わらずにいたいと思うところがある。

それでも、家庭環境を始めとした自分を取り巻く全てのものがそれを許さなかった。


ゆえに緋田は、人当たりの良い人間を演じながら本来の自分を隠し、真面目に生きているふりをして生活してきたのだ。

それが自分を守る術だった。

心の底から願い、行動したことなどないに等しい。

そんな暮らしに反発するように始めた詐欺も、ソフトウエアを使ったフィッシングという『直接人と対面する必要のない』手法を選んだ。

その自分が、一人の女性に対してここまで執着してしまうことに緋田自身戸惑いを隠せないでいる。


彼女を想う心臓が、痛んだ気がした。


「俺が好きだと打ち明けたら、彼女はなんて言うかな」


目を伏せ紡いだ言葉は、ゆくあてもなく空気にただ溶ける。

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