埋める、真っ赤な嘘。
―埋める、真っ赤な嘘
里桜がディナーに選んだのは、落ち着いた緋色のワンピースドレスだった。
ロングヘアをまとめ、シンプルなアクセサリーを身に着けている。
ドレスコードにうるさい高級レストラン。
その条件を、彼女の装いは十分過ぎるほど満たしている。
里桜は常々、このような場所で食事をする意味が解らないでいた。食欲を満たすのに、かしこまる必要性を感じないためだ。
しかし、カモである男たちは一様に里桜を高級レストランでの食事に誘う。
そして、緋田も。
緋田のメールに返信はしていなかった。
何もかも緋田の思う通りに事が運ばれていることが癪であったためだが、連絡しなくとも彼はここに来るだろうと何故だか確信が持てたからでもあった。
里桜は、わざと指定された時間に遅れて行った。
少しくらい、待ちぼうけをさせてやりたい。ささやかながらの手向いだった。
タクシーが目的の場所に到着すると、里桜はたおやかに降り立つ。
「緋田で予約を入れているはずですが」
レストランの門をくぐるとウエイターに微笑み、声を掛けた。
クロークにバッグとジャケットを預けた後に案内されたのは、雰囲気のある個室で、予想通りそこには既に緋田がいた。
「やあ里桜さん。来てくれると思ってました」
フォーマルなダークグレーのスーツを着た緋田が、笑顔を向ける。里桜はそれには答えず、ウエイターが引いた椅子に無言で腰掛ける。
会釈を一つ残し、ウエイターが去ってしまえば個室に二人だけになる。
それを見計らったように里桜は肘をつき、指を絡めたその上に顎を乗せた。テーブル越しの緋田を見据える。
そうして。ふわりと、綺麗な笑顔を彼に向けた。
「ねえ。貴方も詐欺師なんでしょう、緋田吏雄さん?」
それは、ここに来るまでずっと考えていたことであった。そうでなければあたしが振り回される訳がない。そうよ、そうであってほしい。
そんな、希望も込めて。
緋田は一瞬、目を見開いたが直ぐにだらしのない笑みを浮かべた。
「良く解りましたね」
「貴方みたいな人、詐欺師以外の職には就けないでしょう?」
里桜は変わらず笑顔でいる。やはり、と読みが当たったことを喜ばしく感じながら、同時に緋田を信用仕切れない思いを隠せないでいた。
「私にどうして欲しいの?騙されてはあげないわよ」
里桜はナプキンを膝に広げた。テーブルにはオードブルが出される。
「僕がどうしたいか、里桜さんは知りたい?」
緋田は料理を口に運ぶ。
「興味はあるわ。名前も年齢も、私達、数時間前に知り合ったばかりでしょう?」
正直、緋田の情報などはどうでも良かったが、彼が何を考えているのか窺い知りたい気持ちはあった。
「名前は緋田吏雄、23歳だよ。詐欺で生計を立ててる」
「それは、どこまで本当なの?本名じゃないんでしょ」
里桜がそう問うと、緋田は小さく笑った。
「本名ですよ。里桜さんに言うことは全部本当。何なら身分証を見せてもいいし、詳細にプロフィールも述べましょうか?」
未だ疑心を緋田に抱いたままの里桜は、警戒を解かぬまま「結構よ」と答えた。
「里桜さんの本名は?」
「赤瀬里桜よ。生年月日も教えてあげましょうか?」
「是非」
かつてのカモには3歳歳を偽り伝えていたものを、緋田には実年齢の23だと教えた。
普段、カモは年上であることがほとんどであるため、それに合わせ告げる年齢も上げてはいるが、同年代の緋田にはその必要はないと判断したからだった。
フルコースの料理が順に運ばれてくる中、二人は途切れることなく会話を続けた。
互いに探り合うような内容でもあったが、里桜の警戒心は次第に和らいでいった。
「連絡先教えて下さいよ」
「貴方、知ってるじゃない。私の携帯見たんでしょう」
だからこそ、こうして食事をしている。
「仕事用のじゃなくて。プライベートのほうの連絡先」
そう言う緋田に、里桜はナイフを持つ手を止めかけたが、表情には出さず続ける。
「そんなの、教える訳がないじゃない。何のために公衆電話使ったと思ってるの」
カモとの連絡に使っている携帯電話がないことに気が付いたとき、里桜はコンビニに足を運んでまで公衆電話を利用した。
プライベート用の携帯電話が傍らにあったが、それを使うことははばかられた。
掛ければ出るであろう誰かに、電話番号を知らせたくなかったためだ。
「残念。流れで教えて貰えるかもしれないと思ったのに」
緋田は少しも残念がってはいないように見えたが、里桜はそれには気付かなかったことにした。
この男に関する小さなことにまで気に掛けていては、いつまで経っても話が先に進まない。
そんな緋田が、デザートがテーブルに出された頃、唐突に提案をした。
「ねえ里桜さん。僕の、恋人にならない?」
「は?」
思わず固まる里桜に構うことなく、緋田はデザートを口に運ぶ。
「何を言ってるの?」
「里桜さんが僕を騙せるように、ちゃんとしたシチュエーションが必要かと思って」
屈託ない表情を見せる。
緋田のこの、本心かどうか計り知れない表情が苦手であると里桜は思った。
「貴方の理屈って、理解しかねるわ」
ひとつ息を吐き、里桜はデザートを食べることを再開させる。
「サプライズが好きなんですよ」
びっくりしたでしょう?と緋田は笑う。
「そんなのはサプライズとは言わないわ。ただの戯言よ」
「なら、乗らない?」
「乗らないとは言ってないじゃない。良いわよ、恋人になってあげる」
不敵に笑う里桜を見やり、緋田も笑った。
「それなら里桜さん。プライベートの連絡先を交換しなきゃね」
喜々として言う緋田に、里桜はやられた、と僅かにうなだれた。こうして連絡先を聞き出すつもりであったから、先程里桜が教えなくとも構わなかったのだと合点がいってしまった。
だがしかし、里桜も折れるつもりはない。
「私たちは詐欺師とカモの関係でしょう?真っ赤な嘘で作られた恋人に、プライベートは関係ないわ」
ここでプライベートの連絡先を教えてしまえば、里桜は緋田のカモとなることになる。
それでは緋田を騙すと言う目的が果たせない。
「携帯をあなた用に作るから、その番号で良いでしょ」
「良くはないですけど。まあ今はそれで我慢しますよ」
プティフールの残りひとかけらを口に運ぶ。
食後の紅茶を飲み干せば、この奇妙な密会も終わりを告げることとなる。
ふと里桜の脳裏に、アパートにわざと置いてきた携帯電話のことが過ぎった。
恐らく、カモからの連絡が何件も入っているだろう。
繋がらなかった理由を、なんと説明しようかと頭を働かせたが直ぐに止めた。
そんなことはどうでも良いと思わせる。
緋田の空気に居心地の良さを感じ始めていた。