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序章

赤瀬里桜、26歳。


いわゆるキャリアウーマンだが、密かに夢見るは幸せな家庭。


それが、今回あたしが演じる女。



―序章



「あの、それはどういうことかしら」

里桜は耳を疑い、恋人に問う。

「だからね、家を買ったんだ。君と暮らす家だよ。おかげで貯金は限り無くゼロに近付いてしまったけれど」

君がいれば、そんなものは不必要だ、と恋人は笑う。

「里桜の夢を叶えてあげられる。結婚しよう」

突然、ランチでもどうか、とカフェに呼び出されてみればこの状況だ。

里桜は困惑する。


「指輪を受け取ってくれるかい?」

恋人が小さな箱を取り出し、その中身を里桜の左の薬指に通した。

光を反射し、輝く宝石に目を奪われる。

「嬉しいわ。ありがとう」

里桜は顔を綻ばせ、答えた。


「それは、結婚を承諾したと取ってもいい?」

「もちろんよ」

恋人は、里桜の返事に満足すると席を立つ。

仕事に戻るのだと言う。

昼休みを利用してまで里桜に会った理由は、どうしても今日、プロポーズしたかったからだと彼は言った。

「じゃあ、今夜時間が作れてまた会えそうなら連絡するよ」

「ええ、待ってるわ」

伝票を持って去った恋人を、里桜は席を立たず見送る。

彼が完全に店を出たことを確認すると、先程までの笑顔を消し、溜息を付いた。


あの男、とんだ見込み違いだった。

大企業でそれなりの役職についているから、貯えもかなりのものだろうと近付いたのに、酷い浪費家で貯金など微々たるものだった。

挙句の果てには家を購入したと言うことだから、もうほとんど残ってはいないだろう。

(適当に絞り出してバイバイするつもりだったけれど、ここで終わりね)

今夜、いくら彼の時間が空こうとも会うつもりはない。


(だいたい、プロポーズを今日に決めたのだって占いでそう出たからだなんて、そんな男願い下げ)

里桜は薬指の指輪を見、いくらで売れるかしら、などと考えていた。

すると、かたり、と音がし、少し前まで恋人と呼んでいた男が腰掛けていた席に誰かが座ったのが視界に入った。

昼時とはいえ、空いている席は他にもある。

訝しみ、目線を上げると目の前には若い男が座っていた。

「あの、私もう帰りますから」


「リオさんさ、結婚詐欺師なんでしょ」


奇妙な相席から逃れようと席を立つと、男に声を掛けられた。


「は?」

「あ、いやすみません。隣りで食べてたら話聞こえちゃって」

リオさん、って言うんでしょう?と笑う男に、里桜は苛ついた。


「聞こえちゃった、だなんて『耳を澄まして聞いてた』の間違いじゃないの?」

「まあ、そうなんですけど」

へらへらとして捉えどころのないその男に、里桜は関わり合いにはなりたくないと感じた。

生理的に、受け付けない。

更には「結婚詐欺師なんでしょ」と問われている。


その通りだった。

恋人との会話の、どこで悟られたのかは解らないが、自分を結婚詐欺師だと見抜くこの男とは、一刻も早く離れたかった。


「リオさん、一緒にお茶しません?」

「誰がお茶なんか。帰ります」

脱いでいたジャケットを手に取り、バッグを持って足早に店を出た。


(今日は厄日だわ)

里桜はうなだれる。

カモは見込み違いにも程があったし、妙な男に目を付けられた。


「早く帰ろ」

里桜は早々と帰途に就いた。

お洒落、などとは決して言い表すことのできない古びたアパートが里桜の住まいである。


最低限、暮らせる環境が整ってさえするならば外観などどうだって良い。

むしろ仕事柄自らを着飾らなければならない里桜にとって、家賃は抑えたい支出のひとつであった。


里桜が、詐欺を始めたのは3年前、二十歳の時。

短大を卒業し、就職したまでは良かったが、その僅か2ヵ月後に会社が潰れた。


再就職先を探したが、なかなか見つからず、どうしたものかと途方に暮れていたときにある男と出会った。

彼は俗に言う金持ちであったため、里桜はそれとなく近寄り私腹を肥やしてしたのだが、それが結果的に詐欺のようになった。


その男と付き合うのが面倒になり、関わりを切ってからは同じような結婚詐欺を繰り返して生活してきた。

今更、普通に働くことなど、できそうにない。

「不景気だしね」

自宅のベッドに寝転がり、里桜はふう、と息を吐く。

「あ。携帯、解約しなきゃ」

占いプロポーズ男に連絡を寄越されても困る。

早いうちに解約してしまわなくては、とバッグを掻き回すが、肝心の携帯電話が見つからない。

「あれ?」

まさか、あの店に忘れて来たのでは。


里桜は、最寄りのコンビニまで出掛けた。公衆電話を利用するためだ。

直接、店に出掛けても良かったが、先ずは誰かが携帯電話を拾った可能性のほうを試したかった。

手持ちの10円玉を全て投入し、自分の携帯電話の番号を押すと何度目かのコールで繋がる。

やはり、誰かが拾っていたらしい。

「あの、拾っていただいてありがとうございます。それ、あたしの携帯なんですけど」


「あ。リオさん。携帯忘れるなんてらしくないじゃん。どうしたの?」

聞きたくない男の声が、受話器から聞こえた。


「あんた、さっきの」

不快感が相手に伝わるよう、それが誇張された声で言う。


これで里桜の不快が相手に伝わらないのならば、男は不謹慎甚だしい人間なのだと断言できてしまうほどに。

「そんな言い方しないでくださいよ。取って食いやしませんから」

空気を読まない笑い声が、受話器の当てられた左耳から里桜を逆撫でる。


不快感は伝わったようだが、不謹慎甚だしい人間には違いないようだ。

「でね、リオさん。携帯を返してあげたいんだけど」

「そうよ、早く返しなさい」

公衆電話が10円玉を徴収する。

あまり長く、この男と話していたくはない。

「今からどこかで落ち合いましょうよ。リオさんの好きな場所でいいですから」


正直、会いたくなどはなかった。

直ぐにでも解約しようとしていた携帯電話だ。なくて困ることもない。


プライベート用の携帯電話が別にもう一台あるから、それさえ手元にあれば構わない。

だがこのまま、占いプロポーズ男に使っていた携帯電話が、不謹慎人間の手元に残ることは避けたい。

何より、中身を見られたくはないからだ。


「解ったわ、会いましょう。場所は、」

里桜は、これから家に戻り、支度をしてからでも間に合う場所と時間を指定した。

カモでもない人間に会うために着飾る必要など皆無ではあるが、占いプロポーズ男仕様である今の自分を脱ぎ棄てたかった。

相手の了承を聞き、受話器を置く。

入れた10円玉は、残らず落ち切っていた。


里桜は公衆電話に身を預け、溜息を吐く。

未だ気は進まないが、会わないことには携帯電話は返って来ない。

第三者を使うのはまどろっこしいし、郵送では住所が割れる。適当な住所を使っても良かったが、そこまでするのはどうかと思えた。


ただ一度、会って返してもらうだけでもう二度と会うことはない。

そう自分に言い聞かせ、アパートに帰った。

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