序章
「もう少しよく考えるべきだったかな。」
僕がよく思うことだ。何も考えずにとりあえず行動して、当然のように後悔する。反省はするのだけれど、その癖は治らなかった。そんな失敗も、いつもは些細なことだったから別に面倒くさい後処理があるわけでもなかった。すぐに片付いて忘れることができた。でも今回ばかりはそうはいきそうもない。
考えなしとは言っても、今回の件に関しては僕なりに色々と考えた。ただ、結果として考えが足りなかったんだろう。やったことはごく単純なことだ。会社に辞表を出した。それだけだ。ただしキャリアアップのための転職でもなんでもない。次の仕事のあてもないままの行動だった。
僕は今年30歳になる。確かに若くはないが、時間をかければ次の仕事くらい見つかるだろう。でもそういうわけにはいかなかった。僕には結婚を控えている女性がいた。彼女の父親はなかなかの強者で、彼に僕と彼女との結婚にうんと言わせるのは骨の折れる仕事だった。彼女曰く、「まあ仕方ない、お前の人生だ。それに、あの会社に勤めているなら生活に困ることもないだろう。」という彼女の父親の言葉で、僕たちの結婚に関する家族会議は無事に良い形で終了したらしい。
僕が会社に辞表を出したことを彼女に告げると、彼女は目を丸くした。彼女も僕と同じで割とのんきな性格だったが、今回彼女の口から出てきた言葉はいつもの「なんとかなるでしょ。」ではなく、その場から逃げ出したくなるような類のものだった。彼女にそんなに非難されたのは初めてかもしれない。それでも結婚を諦めるという結論に彼女は至らなかったようだ。それで僕は少し救われた。さっきも言ったが、今回の件に関しては僕なりに色々と悩んでいた。それで少し気が滅入っていて、自分の存在価値に疑問を投げかけるような状態になっていた。そんな時、彼女が僕と結婚することを否定しなかったことで、少なくとも僕は一人の人間には必要とされていると思うことができた。でも僕の気持ちが少し落ち着いただけで、状況が良くなったわけではない。これからどうするかを、もちろん結婚の話だけでなく僕の次の仕事も含め、よく考え、その上で行動しなければならなかった。失敗は許されないだろう。