白羽
8
わたしは立ち上がりパタパタと翼を動かしてみた。それは飾りのようなものではなく、しっかりとわたしの背から生えていた。だがどうしてこうなったのかさっぱり分からなかった。
爆発の騒ぎで人が外に出てきていた。この姿で人前に出るわけにも行かないので、わたしは見つからないように給水タンクの陰に隠れた。
体力もすっかり消耗していたので、琴音に早退したと担任に報告してもらい、わたしは隙を見て自宅へ飛んで帰った。自宅から学校まではそれほど遠くないが、昼間に大きな白い翼で飛んでいれば目立つことこの上ないので、2000m迄垂直に昇り帰ることにした。
なれない実態の翼で飛んで、何回も失速しそうになり、マンションのヘリポートに着いた時には、既に消耗していた体力は空っぽになっていた。
マリコの肩を借りてメディカルルームまで行くと、マリーの簡単な検査を受けた。マリーの診断では肉体はわたし本人のモノで、先日負った傷もそのまま残っていた。
だが、翼もまたわたしの一部として体にしっかりつながっているそうだ。
なんでこうなったのか?
わたしは|超高速滑空体(HGV)接触時の琴音の視覚映像とマリーが集めた映像を確認した。映像には高軌道から飛び込む第三の光が捕らえられていた。わたしの見間違いではなかったのだ。
すると、わたしが生きているのも、この翼も第三の光が関係していると考えるのが妥当だろう。わたしはマリーに意見を求めた。
『第三の光は天使だと思われます』
マリーの話だと天使は、精神的な存在となった神とも、肉体をもつ守神子とも違う形で存在しているそうだ。天使は普段は高エネルギー体として天界にいて、地上に降りて肉体が必要な場合にはエネルギーを質量に変換して肉体を作るのだそうだ。なんとも便利そうだ。
しかし、なんで今わたしの体がこうなっているのかはマリーにも解析不可能だった。
爆発直後の琴音の視覚映像を確認すると、琴音の言った通り、爆発後、学校に向かって光が飛んで来た。それは学校の屋上まで来ると、わたしとそっくりの天使となった。そっくりと言ったのは目と髪の色が違うのだ、青い瞳と金色の髪、そして頭の上には光の輪まであった。暫く宙に止まっていたが、頭の輪が消えると共に、瞳と髪は黒色に戻り屋上に降りるとそのまま崩れ落ちた。わたしが天使になったのも不明なら、翼だけ残ったのも分からなかった。
この翼を何とかしないと不便この上ない。教室にいるとき加奈子には翼はなかったから仕舞う方法があるのだろうがわたしにはさっぱりだった。
疲労と翼のことですっかり失念していた。加奈子のことを調べなければ。マリーに言うとすでに調査は開始されているそうで、天界にも問い合わせを行っているそうだ。加奈子の学籍、戸籍の情報はなく今日突然現れたそうだ。みんなは精神操作を受けていたらしい。
くたくたに疲れたわたしは何か分かったら知らせるようにマリーに言って中庭の樹の下で休んだ。夕方戻った琴音に起こされるまで、わたしはグッスリと眠り込んでしまったらしい。それでもいつも感じる爽快感はなかった、それほどわたしは疲れ切っていたのだ。
背中の翼は、何をするにもジャマで椅子に座るのも不便なら、シャワーを浴びた後、すっかり乾かすのに一時間も掛かってしまった。
天界からの情報を期待していたのだが、なにやら天使の間で問題が起きているようで、何の情報も得ることが出来なかった。
この日は何もする気がせず、夕食後は琴音と二人、居間でボンヤリとテレビを見ていた。
ニュースで昼間のミサイル事故が流れた、点火スイッチの不良による誤発射とされ、命中前に自爆させたと報道された。続くニュースは、ラグランジュ2に輸送中の資源小惑星から、太陽の熱により気化したガスが吹き出し軌道が逸れたとか。カムチャッカ半島では地震が発生し大規模な災害が起こったようだし、ハワイでは竜巻が発生し、アラスカでは津波で海底油田の石油プラットフォームが破壊され、ミクロネシアでは海底火山が噴火したとか、なんか世界中で災害が続いているようだ。
時間はまだ十九時だったが、わたしは疲労のため目を開けていることが出来ず、ベッドに入ることにした。
翼がジャマで寝間着を着ることも出来なかった。なにか大事なことを見落としているような気がする?何だろう?・・・そこでわたしの意識は途切れた。
翌朝、目をさますと、暖かい温もりが横にあった。わたしに抱きつくように寝ている琴音を起こさないように腕を解くと、身を起こした。なんで、ここで琴音が寝ているのだ、それも裸で。背伸びをすると大きなあくびが出た。
それで、琴音が目を覚ました、眩しそうに開いた瞳は青色だった。よく見れば、髪も金髪だ、これは琴音ではない、これは・・・。
「昨日の天使ッ!」わたしは叫んでいた。
わたしの声に驚いた琴音がわたしの部屋に駆け込んできた。
「静音ッ!」
そこで琴音も固まった。わたし達二人に見つめられた、わたしソックリの美少女は眠そうに目を擦りながら言った。
「おはよう御座いますぅ」そして天使のように微笑んだ。
どうして良いか分からず、わたしは返事を返した。
「おはよう・・・」
天使は笑みを浮かべたままそれ以上話そうとはせず、じっと、わたしの顔を見ていた。
「あの、えっと、取り敢えずなんて呼べばいいかしら?」
「?・・・すいません、私名前が思い出せなくって」
起き上がった天使は下着も付けない全裸だった。
「ちょっと、あなた服ッ」
「あ、ごめんなさい」
天使は取り敢えず、シーツを巻き付けた。そういえば、わたしも下着しか身につけて居ない。
「とりあえず、着替えましょう」
わたしの背中の翼が無くなっていたので普通に服を着ること出来た。
天使には取り敢えず、わたしの部屋着を着て貰った。下着は下だけだ。わたしソックリなのにブラのカップだけはわたしより2サイズも上だった。
わたしのサイズわって?聞くな!
食堂に移り、わたし達は朝食を取りながら、事態を検討することにした。
「で、名前が思い出せないんなら、取りあえず、天使だから天音でいい?」
「なんかそのままですよ」琴音から珍しく突っ込みが入った。
「わたしはかまいません、天音ってなんかいい名前です。本当の名前にも似ている気がします」
「そう、じゃあ、天音で決定、マリー登録しておいて」
「はい、天音様に当ロフトでのゲストアカウントを設定しました」
「ありがとう、マリーさん」
「どういたしまして、天音様」
うっ、癒し系か天音は?
「で、なんでわたしに翼が生えたり、わたしのベッドであなたが寝ていたりしたのか説明してもらえる?」
「ごめんなさい、まだ記憶が曖昧で、憶えているだけでいいなら」
「それでいいから」
「えっとですね、天界から地上に降りるように命令をもらったんです。それで地上に降りている途中で、天使の失墜の発動を感じて、其処に向かったんですう。そしたら無謀にもミサイルに突っ込む人影があって・・・あれが静音さんだったんですね」
「無謀で悪かったわね」
「すいません・・・」
「静音抑えて」
「いいから、続けて」
「それで助けるために飛びこんだんです。それで、静音さんを守るためにわたしのエネルギーを使い切って、実体化することが出来なくなって・・・それで、えっと、現世だとエネルギー体のままだと、常にエネルギーを放出し続けて消えちゃうんです。だから手近な入れ物に入って休んでいたんです・・・つまり静音さんに・・・」
「つまり昨日からわたしに取り憑いていたと」
「はい、でも普通ならここまで消耗すると実体化するのはもっと時間が掛かるんです。でも、樹の、生命の樹の力が働いて昨日の晩には実体化することが出来たみたいで」
昨日、樹の根本で休んだのに体力が回復しなかったのは、天音に全部持って行かれていたからなのか・・・。
「すいません、体をお借りして」
「いいのよ、あなたが助けてくれなかったら、今頃死んでいたんだから、それで何でわたしの姿をしているの?」
「わたし達は天使は天界ではエネルギー体なので、肉体の概念がないんです、それで地上に降りる時には人間のイメージを借りるんです。今回は静音さんに取り憑いていたので、そのまま、静音さんの姿になったんです」
「でもわたしの瞳は青じゃないし、金髪でもないわよ、胸もそんなに大きくないし」
「瞳と髪の色は天使の属性で決まるんです。でも胸は静音さんのイメージのままですよ」
「だから、そんなに大きくないって」
「ですからイメージなんです、静音さんの持っている・・・」
わたしは言外の意味をさして顔が赤くなった。
「そ、それは、わかったわ、それで」
「・・・えっと、これだけです」
「どうして降りてきたのか、まだ聞いてないけど・・・」
「ああ、そうですね。えっと、えっっと、えっと、ごめんなさい、憶えていません」
天音は下を向き、殆ど聞き取れないような声で言った
「まったく憶えていないの?」
「天使の失墜に関係しているように、思えるんですが・・・」
「昨日の天使の失墜?そうすると昨日、綾瀬加奈子を名乗った天使と関係しているのかな?」
「たぶん・・・そうかと・・・」
「昨日はわたしを助けてくれたんだから、加奈子の仲間ってことではなさそうね」
「そうです、静音さんとなにか関係があったような・・・?」
「わたしと?」
「そういえば、綾瀬加奈子も静音を待っていたって言っていましたよね」
確かに琴音が言う通りだ。だが、わたしと天使と天使の失墜に何の関係があるんだろう?
「もっと思い出せない?」
「すいません・・・もう少し力が回復すれば思い出せると思うんですが」
「マリー天界との連絡はまだ取れないの?」
『はい、残念ながら』
「天使は何やっているの」
『どうやら、天使達の間で争いが起こっているようでして、廃絶派が他の神世界との交信を遮断しているようです』
「あの他の神を認めないって連中?」
『はい』
神々が民を持った時、乾燥した過酷な西の土地を欲しがる神はいなかった。
もっとも優しい一人の神を除いて。かの神は天使を作り民を守らせた。だが、それでも実りに恵まれた東の土地とは違い、民の暮らしは厳しいモノだった。神は民を生き残らせるため、自らの優しさとは逆の厳しい戒律を説いた。その為に神は心を痛めていた。
もう数千の間、かの神は天使にも姿を見せていない。そのため、かの神の優しさを知らない、若い天使達の間では、戒律を絶対的なモノとして崇め、神の意思として他の神を認めない、狂信的な天使が出てきていた。廃絶派と呼ばれる右翼的な天使達だ。
「すると加奈子は廃絶派の天使ってことかしら?」
『その可能性はあります』
「また、天使の失墜をやる可能性はどうかしら?」
『可能性は考えられます、但し天使の失墜には天使自身のエネルギーを消費しますので、若い天使には連続して何回も使えるモノではないようです』
「若い天使には?」
『天使は誕生してから、扱えるエネルギーが徐々に増えていきます、天使の失墜を使えるのは千歳以上の天使ですが、廃絶派の天使は殆どが千五百歳以下なので、続けて二回は使えないと考えられます、一度天界に戻り数年掛けて力を回復する必要があるでしょう』
「他の天使がやる可能は?」
『それについては何とも言えません、廃絶派の天使がどれだけ降りて来ているのかわかりませし、綾瀬加奈子が廃絶派の天使という確証もありません』
「たしかに答えを急ぐべきではないわね」
『せめて静音様が狙われる理由がわかれば可能性を絞れるのですが』
「天音に思い出して貰うしかないようね、樹の力を借りれば回復は早くなるの?」
「はい、でもその為には天界に戻らないと・・・今はエネルギー体になると、消えてしまうほどしか回復していないので・・・」
「それは問題ないわ」
わたしは天音を中庭に連れて行った。
「そんな、生命の樹が現世にあるなんて・・・静音さんあなたいったい?・・・」
「子供の頃に、樹が若枝を分けてくれたの、それを挿し木にしたんだけど」
「・・・天界では生命の樹が枝を分けたのは、父神が天使を作ったときだけです・・・最初の天使達はその枝についた葉から生まれたんです。生命の樹はわたし達にとって母なんです・・・」
それは、初めて聞く話だった。樹が枝を分けることが、それほど希なことなら叔母様があれほど驚いたのも納得が行く。でも何で枝を分けてくれたのか?樹がわたしの気持ちに答えるように葉を一枚落とした。それはわたしの掌に落ち手に吸い込まれるように消えた。