19 独白
「胸糞悪い気分なのは俺も同じだ。後で好きなだけ罵るがいいさ」
誰にともなく皮肉っぽく吐き捨てるオルト・ロッソ少佐。熱い何かを無理矢理押し隠したような彼の後姿を、私は膝をつきながら見上げるしかなかった。
何をされたか分からないけど体に力が入らない。ファンタムズで練り上げた武器は掻き消えた上に風の魔法も無効化され、虚脱感に寒気すら覚える。
「よくもユメルを!」「ガキだからって舐めるな!」
ファンタムズは無効化されても2人は元気なようで、フラメちゃんは小ぶりのナイフを、アニキはファンタムズに似た棒状の金属塊を手に持ち果敢に突進。
闘技大会中ならばいざしらず、そんな得物で白昼堂々人を狙うなんて一歩間違えば傷害罪。だが実践レベルのプロ相手に私の常識的(今更くだらないともいえる)発想は杞憂だった。
いくら規格外の強さを持つ私の友達とはいえ謎の光を受けて魔法を封じられてしまっている。
速さも重さも付加効果もない単長な突進×2を、ロッソ少佐は涼しげな顔で回避。返す刃で躊躇うことなく切り捨てた。
ファンタムズでは人体に物理的な干渉が出来ないが、代わりに奪うのは体力、精神力、魔力等々人間の見えない活力。よってそれ以上の抵抗は出来ず仲良く崩れ落ちたフラメちゃんとアニキ。
「……早まった。今の俺めっちゃ格好悪い」
「あんなのインチキよ。アイツ以外魔法使えなくなるなんて……ユメル大丈夫?」
まだ体に力が入りきらないけど心配かけたくないから頷いておく。なんで私だけこんな大打撃受けてるんだろう。
「ごめん。これで2人も完璧に巻き込んじゃったね」
「今更だな。俺は男と女が敵対してたら無条件で女を助ける派閥だから気にするな」
……アニキは元々こういうキャラなんだろうか。若干ライトさんと被ってる気がしなくもない。
「アンタの面倒はアタシが見るんだから、もっと堂々と助けられなさい」
でもあのインチキの前じゃファイアドラゴン使えても消されちゃうかも、とフラメちゃんは珍しく自信なさそうに呟く。
“そろそろ力が欲しいんじゃねえか?”
頭の中でささやく声を、私は無視しきれなくなっていた。
今の攻防で完全に吹っ切れたロッソ少佐は、地に伏す私達には目もくれず、今度こそとエレンさんめがけて剣を突きつける。鋭い視線にこもる想いは再戦の喜びか、それともこれが任務となってしまったことへの行き場のない怒りか。
エレンさんはその視線に取り合わず、指示を仰ぐようにリリンの顔を伺っていたが、目を閉じ黙に徹する主を数秒凝視すると諦めたように溜息をつき、それからライトさんの両手を解放して腰の日本刀に手をかける。
「やっとその気になってくれたか。俺の胸糞悪い気分もこれで少しは晴れるだろう」
「すまないねロッソ少佐。君が最後にこちら側についてくれて助かったよ」
人によっては羨ましがられるであろう、メイドさんと恋人握りなどという特殊な手錠から解放されたライトさんは、指のストレッチをしながらリンドーラ王の下にゆったり歩を進める。少佐の鋭い目線がそれを追う。
「あんた達カルト集団の味方になった覚えはない。リンドーラが再び魔女の掌で弄ばれたくないだけだ」
少佐の言葉に追い討ちをかけるように大臣が言う。
「それ以上王に近づくな。約束通りそこの小娘を連れて行くがいい。過去の英傑にして盲信の愚者グレンフォード卿よ。君も2度とこのリンドーラに立ち入るな」
「はいはい過去の罪はさっさと清算され消え去りますよ……と言いたい所ですが」
張りつめた空気が空虚な空間を満たしていく――
パチンと小気味よい音をたてて鳴る指。まだリリンの張った結界が効いているのか誰の姿も掻き消えることはなかったが、彼は微笑みを絶やさない。
「ここまで強力な魔法使いに成長した王女、それにこの飛行機械も手放すのは惜しいところだ。“虚空”の探索にも役立ちそうだしね」
そしてもう一度指が鳴った。
消えたのは――光
飛空艇内部を照らす照明が一斉に落ちた。
「電源をいじられたな。図体が大きくてもデリケートな機械なんだから、素人に好き勝手されると私も機械も参ってしまうよ」
のほほんと愚痴るフォルツさんの声は、いくつもの軍靴の音に紛れて聞こえなくなる。
「少佐。王と王女、どちらにつくべきかで割れた軍をまとめあげるのは大変だったろう?」
「……リンドーラの兵士達は、貴様のように自らの忠誠を利を得るための糧にはしない!」
そして武器と武器がぶつかる音。
暗闇で互いを見失う事がないよう、不安で心が押しつぶされないよう私達は自然と手を繋いだ。力の入らない体に鞭打ちながら、入り乱れる剣戟の連鎖を這って潜り抜ける。
飛空艇の内部構造を把握してるわけじゃないが、こうして屈んで部屋を壁伝いに移動していれば、少なくともこの戦場から逃れることは出来るだろう。
「もう何が何だかわかんない。ドンパチ好きなアタシでもこれ以上付き合い切れないわ。体力が戻ったらさっさと逃げちゃおう」
「だがナオレイナに帰ったところでライトさ……ライトロードが言うには校長、それにミリュー先輩も……」
アニキの不安を煽るように争いの火種は膨らんでゆく。
ファンタムズから発せられる緑色光に照らされながら1人激しく闘うのはロッソ少佐。相手はエレンさんではなく、仲間である筈のリンドーラ軍の兵士達。
「素晴らしいね。仲間を相手に容赦してもその実力。それでも私の“黒”を止めることは出来ないか」
少佐は強かった。実剣を使い容赦なく囲い攻めてくる軍の仲間をファンタムズで受け止め、弾き、切り返す。僅かな隙をついて確実に敵を減らしてゆく。
「然り! 俺とてまだまだ未熟。王と大臣を通じてとはいえ、貴様の甘言を僅かでも信じた自分が憎い。だからこそ貴様だけは絶対に逃さない」
「まあそう熱くなるな。ところで君が守るべき王様と王女様はどうなったかな? 私は操り人形のように夜目が効くわけじゃないんでね。王族ともあろう方々が、まさか鼠のようにコソコソと逃げ出してはいないだろうね」
混乱の最中でもライトさんの指の鳴る音だけは妙に響いた。ついでに直後の舌打ちもよく聞こえる。
「まだこの場にはいる……か。優秀で美人なメイドさんがついているからな。しかしゲートの封鎖は万全だ。誰もここから逃げることはできない」
そう言って、両手を使った指パッチンで焦らすようなリズムを刻みだすライトさん。自分に向けてやられたらさぞウザいだろう。暗闇で姿が見えないだけまだマシだ。
「ユメルちゃん聞こえてるかい? 全部片付いたら選ばせてあげるよ。素直に協力するか、人質の為に仕方なく手を貸すか、それとも隅々まで“黒”に浸食されて完璧なお人形さんになるか」
軽くラップを刻みながら空恐ろしいことを平気で口に出すライトさん。
私はゾクゾクと鳥肌がたつのを抑えられない。こんなに自分が必要とされているのに全然嬉しくないなんて驚きだ。
“ライトロード卿の魔法を封じている間、私は他の魔法を唱えることが出来ません”
リリンの優しい声が、寒気のする体に沁み渡る。同時にメッセージが頭に直接響いてくる。
私なんかにテレパスを送るくらいなら軍人達を操ってる黒い霧をどうにかして欲しい。ライトさんの魔法は確かに便利だけど、そこまでして抑え込む必要があるのかどうか。リリンなら、兵士達を操ってる黒い霧を払える筈なのに。
“いろんな事情をちゃんと話しておくべきだったのかもしれません。でも、貴方にはあまり負担を掛けたくなかった”
「今更そんなこと言われても困るよ……」
「どうしたユメル?」
「変な電波でも受信した?」
「う……うんその通りだけど気にしないで。いたって正常だから」
これで簡単に納得されてしまうのもなんか悔しいが、何も言わずに私を庇いながら動いてくれるのはすごく有り難いことだと思う。特にフラメちゃんは、私が頭に何を飼っているかちゃんと理解した上で信じてくれてるんだから。
“かつて私は貴方と同じ経験をしました。5年前のあの時、私は貴方――ユメル・バーティシアその人でした”
操り人形と化した兵士の両刃剣がロッソ少佐に弾き飛ばされ、私の顔の直ぐ横を通って壁に突き刺さった。
冷えた肝を落ち着かせるようにリリンの声へと意識を向けつつも、これ以上のとばっちりを受けないように注意して暗闇を急ぐ。
“私の体に入ったユメル――異端の魔女は、入れ替わりによって覚醒した私の魔法を倫理観に囚われることなく私以上に使いこなし……リンドーラの中枢を担う人々の心を瞬く間に掌握しました”
――正しき政変は悪しきにあらず。しかし清き急流がもたらすのは恵みでなく水害
“魔法の才に恵まれず、母にも先立たれていた父は、飾り物となった玉座に縛り付けられ、唯一の存在意義を失いショックで隠遁。まだ小さかった私は入れ替わり先でほとんど軟禁状態。一時的なこととはいえ、王家はリンドーラ国から完全に切り離されたのです”
多くの人が幸せを掴む中、たくさんの人が不幸になったのだろう。
私には分からない。何も言えない。彼女の言葉を聞き続けながら自分の逃げ道を模索するのが精一杯。
“私も父ほどではないにしろ、心にそれなりの傷を負いました。ですが収穫もありました”
ガイン・バーティシア達の思い描く古代魔法の復活。そこに至れば力も忌避されなくなるかもしれない。つまらない身分に煩わされることもなくなるかもしれない。
――でもそれもまた自らが最も忌避する急激な、多くの代償を必要とする変革
“リンドーラ最初の闘技大会で、ライトロード卿が彼の手の者だと気付かず招き入れてしまったのは私の過ちです。空間だけでなく心をも完璧に制御し、私の魔法も付け入る隙がなく、それゆえ魅かれたことを否定はしません。いつでも知れる人の心など当時の私にとっては全く価値のないものでしたから”
少しの間テレパスが途切れる。何故だろう、リリンの照れくさい気持ちが伝わってくる気がする。
“ギエスに頼まれて貴方を助けた時はびっくりしましたわ。もちろん最初は猫を被っているのかと疑っていましたの。一時的なこととはいえ、もしも貴方があの魔女ならばと勘繰って読心術を使ってしまったことは謝罪します。あの晩エレンの行動を放置していたことも……”
「よし、扉だ」
「これどうやって開けるの? 力ずく……は今の私達にはキツイわね」
「まかせろ。今度こそ俺の魔法の出番だ。小細工程度の魔力なら回復したし……」
そういえばアニキの魔法ってまともに見れてない。真っ暗だから今も見れない。
“私ったら、なんでこんなに饒舌なのかしらね。これが貴方の言うところの死亡フラグというものかしら”
そんなの言った覚えありません。あとリアルで言われると笑えないからやめて。
「くそ、どうなってんだ。鍵は開けたのに動かないぞ」
――こっちへ
現在私の耳が聴き取る音と、脳が感知する声は、様々な人で溢れ返っていて溢れ返りそうになっている……まずい自分の思考も混乱し始めている。
――早くして、時間がない
私の頭に3人(竜だから3匹? いや3頭?)くらい、リリンのテレパス、フラメちゃんとアニキ、戦場で舞う者達の武器の音。それに――
「いいからこっちこいっつってんだろ! お・に・い・ちゃ・ん」
「リーエ?」
今までどこにいたんだと聞く間もない。
彼女の猫撫で声に次いで手を握られ、ジェットコースターみたく重力にまかせて思い切り引っ張り込まれる感覚。アニキとフラメちゃんが騒ぎ出す声が急速に遠のく。
全てを宙ぶらりんに投げ出したまま、私の体と思考は誰かの引いた糸に手繰り寄せられていった。