16 反逆の狼煙
「…………」
ある種の幻想的な雰囲気を纏わせる瀟洒なメイドさんを前にして、言葉を紡ごうとする者は皆無。
当のエレンさん自身もまた、いつもの無口で無感情なすまし顔のままでこれ以上喋る気配はなく、結局地上の私達を置き去りにしたまま天馬を操り空へと駆け上がって行ってしまった。メイド服のままで無理矢理乗馬しているため、たくしあげたロングスカートが彼女の衣服でなく白馬を飾る装飾の一部みたいにたなびいている。
「リンドーラ王女が認める唯一の侍女か。俺としては王女様当人よりもお近づきになってみたい相手だな」
あんなに神々しい女性は初めて見たとアニキが呟く。私の視線に気付いて少し気不味そうな顔をする。なんとなく言いたいことは分かる。
「スマン今はユメルも王女様のメイドだったっけな。あと5年頑張ればお前もあんくらい熟れた果実に……いやなんでもない。しかし1人で行かせて大丈夫なのか?」
「私は直接闘うところを観てないけど……お馬さんもあの人もなんだか綺麗過ぎるよ。あんまりアレに触るのは良くない気がする」
「アタシも気に入らねえな。無駄に後光の差した白馬なんか乗りやがってさ。前回優勝者だか王女付きのメイドだかしらねえが、1人でおいしいとこ全部持ってくなんて許さねえ」
軽口に続いてちゃんとフォローを入れるアニキに追重して、リーエとメルタが各々の意見を私に伝える。はっぱをかけられているのが分からないほど私もバカではない。
エレンさんはかつて黒い霧に操られたことがある。なんの対策も講じていない、なんてことはないだろうが……
「お兄ちゃ……ユメルちゃ……もうどっちでもいいや! お兄ちゃんも心配なんでしょ? 何をそんなに悩んでるのか私には分からないけど、今あの大人メイドさんの力になれるのはお兄ちゃんだけなんだよ?」
「そうだそうだ。もしかしたら王女さんと同じ目にあっちまうかもしれねえぞ? それが嫌だったらさっさとアタシ達を飛ばせ。あの気色悪い悪魔を思う存分殴らせろ」
「お前のことは絶対守ってやる。ついでに他の奴等も守ってやる。約束する。だからユメル。俺に力を貸してくれ」
“こんだけ頼られちゃもう逃げだす言い訳を考える方が難しいわな。さっさと腹括れ”
ついには頭の中の名もなき(名乗らないだけかもしれないが)変態竜にまで背中を押される始末。ゆっくり思い悩む暇すら与えないつもりか。
“今の煮え切らねえお前から体を奪うなんて朝飯前なんだぜ? だが敢えて空気を読んでやる。その意味をよく考えろ”
「はいはいわかった……わかりましたよ」
空気を読むべきは私の方だ。ここで逃げたらそれこそさっきまでの苦悩の意味がなくなる。
だから心のもやもやはそのままで構わない。後悔はもっとずっと後ですればいい。もう誰もリリンと同じ目に会うことがないよう、今私に出せる全力を。
「アニキはちゃんと約束守ってね。メルタさんはエレンさんを援護しつつガーゴイルをぶん殴って。リーエはまあ適当に頑張って……後で私とじっくり話そう」
これだけ血気盛んで頼りになる味方がいるなら立ち止まり続ける方が難しい。だったら転んでも傷ついても前に進み続ける方がまだマシだ。その気概に私も乗っからせてもらおうじゃないか。
「皆のファンタムズを出して」
無言の返答となって差し出される3つの金属棒。全員空気を読んでるなと満足げにひとりごちしてみる私。これなら風も味方してくれるような気がする。
中途半端な瞑想は余計に悩む時間を作るだけだとさっき理解したばかり。私のような俗物、一般人には“ふぁいといっぱつ”みたいな気合とノリの方がわかりやすくていい。
両掌を3人の武器に向けてかざし、限界まで吸い込んだ空気と一緒に不可視の力を解き放つ。
「主の思うがままに……私の望むがままに……無限の願いの彼方へと……もういいや取り敢えず好き勝手に飛んでけ!!」
言いたいことをそのまま言ってやったというだけの言霊に紡ぐべき意味を、理想を、力を全て詰め込んだ私なりの呪文。こんなことがあるなら厨二病的な台詞の1つでも考えておくんだった。
「……もういいの?」
特に変わった様子のないファンタムズをいぶかしげに受け取り観察するリーエ。この中では彼女が一番魔法に馴染みが薄いのかもしれない。私も気合いで適当にやってるだけなんだけど。
「ファンタムズ本来の機能を無理矢理書き替えて、武器の形状を作り出す光の代わりに超高出力の風が良い感じに出るようになってます。細かい調整は自分でやって下さい」
フラメちゃんが試合中にコレで本物の炎を出していたんだから、私だってやってやれないことはない。
飛行推進装置R2G2(D2じゃなくてG2)の超高性能版みたいなもんです……って言っても絶対通じないだろうな。
常時起動してないといけないから片手は塞がっちゃうし、魔法も使えないままかもしれないけど、器用そうなアニキや、拳で語り合うことが好きな拳闘士の2人なら大して問題にならないだろう。
「ユメルってこんな器用なことも出来たのか。いやあ見直したよ」
受け取った元武器を早速いじくりまわしつつもアニキがフォローを入れてくれた。こういうちょっとした優しさを忘れないところに、彼のリーダー気質が見え隠れしてる気がする。
「今更持ち上げてもらわなくてもいいですから」
どうせエレンさんと比べられるものは持ってないし。その飛行機械だって気合と妄想と魔法の力で無理矢理作り替えたものだから、いつ壊れるかちょい心配で後ろめたい気分だ。
「それじゃ……お先に失礼します」
仕事を早上がりするみたいな言葉を残して、私は一足先に地を蹴り風と一体となる。体と共にさっきまでうじうじしていた心が嘘のように軽く浮く。
距離はかなり離されてしまったが、あの白馬の輝きは巨大な黒雲の中でも色褪せることがないので見つけるのには苦労しない。
私が狙われているかもしれないのにのこのこと敵に近づくのはどうかと思わなくもないが、既に闘技場から溢れ出ながらも拡大を止めない黒雲を前にしたら大差ないだろう。
それにエレンさんならきっと大丈夫だろうという気持ちと、頭の片隅をチクリと刺す嫌な予感が半々でひしめいている中、動かずして待つのはちょっと辛い。
悩みだしたらキリがないんだから悩む暇を作るべきではない。
敵の攻撃が止んだ不気味な静けさのただ中。
ふと、空を飛ぶことに全くといっていいほど違和感、不信感を抱いていない自分に気付いた。
――人間が空を飛ぶ? 独力で? そんな馬鹿な話が……こうして現実にあるわけだが。
だからどうというわけではないがしかし、今を現実のものとしてちゃんと受け止めてなお、魔法などという曖昧模糊な力で空を飛ぶことに恐怖を抱かないのはおかしな話だろうか。
もしこの瞬間にも魔法が使えなくなったら……だから深く考えるのは駄目なんだ。
「エレンさーん! 元気だったら返事して下さーい!」
針の先っちょくらいだった白い光が、サッカーボール程に見えてきたあたりで、私は声を張り上げた。
彼女が彼女である限り返事をしてくれることはほぼ確実にないだろう。だから一方通行でも構わない。1人きりの孤独な戦いにはさせたくはないから、私はここにいるんだとしらしめておく。
腰に穿いた日本刀を引き抜いて、次々と迫りくる腕の形をした黒い霧を縦横無尽に切り裂いてゆくエレンさん。なんだかいつも通りの彼女が見れて少しだけ安心した。
天駆ける翼と黄金に輝く角を持った白馬の幻獣の輝きは、かの敵に絶大な脅威となっているようだ。騎手の死角からやってくる黒い霧は、彼女に触れることすら許されずに消滅していく。
幻獣が放つ破魔の光に照らされて映える業物の刀は、おそらくファンタムズではなく刃のついた本物。私の目が確かなら、アレはエレンさんが操られていた時に持っていた……なんとかって名前は忘れたけどあれだ。カマイタチが出せるあの刀だ。きっと彼女なりの意趣返しのつもりだろう。
特段の気合が込められた斬撃がカマイタチとしてぐんぐん伸びてゆき、ついには黒雲を大きく裂いて日光を一部取り戻すことに成功する。
元凶であるガーゴイルの姿は、いつのまにか雲間に隠れて見えなくなっている。少なくともエレンさんと私はあいつを追って空を駆けていたはずなのだ。ここまで騒ぎを拡げておいて逃げるなんてことは……
「上から来るぞ、気をつけろ!」
アニキの叫び声と同時に稲光、遅れて落雷の轟音が聴覚を強く刺激する。
落ちたのはエレンさんの跨る白馬の角。金色に輝いていたそれは黒い雷を受けて少しくすんだようだが、より一層強く光を放つことで一瞬にして浄化を完了した。
私はそれをみてちょっとだけエレンさんを責めたくなった。あの白馬がいればリリンが助かっていたのではないかと。
「あの幻獣見た目もアレだけど馬力も半端ないな。多分反属性の攻撃だろうに、あそこまで一方的に黒い雷を打ち消しちまうなんて……俺の魔法の出番ないかもな」
左手に掲げたファンタムズを私が使っていた傘のように変形させ、器用に風を生みだしつつ追いついてきたのはアニキだった。右手には柄まで一本の金属で出来た小型ナイフを握っている。見る度に光沢が移り変わるのが不思議だと思った。あれが彼本来の武器、もしかしたら魔道具かもしれない。
「ねえアニキ、あの白馬ってフラメちゃんのドラゴンと同じようなもの?」
「多分な。順当に考えてあれが彼女の魔道具の魂だと仮定するなら、大会参加中で始終ファンタムズを握ってたら、とてもじゃないが直ぐには呼びだせなかっただろうな」
だから彼女を責めてやるなと言う顔で、アニキは私の頭にぽんと手を置いた。はいはい隙のないフォローに精が出ますね、と心の中でいじけておくことにする。
「しかし本当に俺達必要ないかもな。喧嘩ジャンキーの女子たちはまだうまく飛べてないみたいだし。あ、メイドさんが悪魔につっこんでくぞ」
エレンさんが2度3度と空を裂き、降り注ぐ光がいよいよ闘技場の面積の半分を超えようかという頃。
黒雲の切れ目から再び姿を現したガーゴイル目掛け、白馬がまばゆい光を伴い疾駆する。
「……」
無言にも気合の入りが伝わる勢いで、彼女は一端納刀した刀を居合いの如く抜き放つ。
白馬の全力疾走に加え更なる加速を加えられたカマイタチの斬撃が、今まさに雷を放たんと掲げられたガーゴイルの右腕から先を切り飛ばした。切り口から噴水のように溢れだす鮮血は、その姿からすれば逆に違和感をもたらすような人間と同じく真っ赤な血色。
「ようやく来たぜ! ユメルちゃんよう、魔法からっきしなアタシにももうちょっと扱いやすくだな……ってもう終わりそうじゃん!」
「私だってまともに魔法使うの初めてなんだから。それにしてもお兄ちゃんは随分魔法の扱いに慣れてるみたいだね。もしかして時間の流れがあっちと違うのかな? それともお兄ちゃんの記憶が跳んでるせいで順応しやすかったのか……」
悪態をつくメルタさんと、ブツブツ別のことを呟くリーエを尻眼に、私はエレンさんとガーゴイルの戦いの行方を息を呑んで見守っていた。傍らには余裕の表情ながらも気を引き締め続けるアニキがいる。
「ガ……ガガガ……グガガガガガガ!」
黒い霧が大きく減退したせいか、はたまた痛みを感じて呻いているのか知らないが、ガーゴイルは醜悪な顔面を余計に歪めて意味不明の叫びを上げている。彼の両腕ともにすっぱり両断され、弱々しく羽ばたくこうもりのような翼だけが儚い存在を示している。
かくも哀れな存在、しかし確かにリリンの仇(死んだと決まったわけじゃないけど)である敵の前に立つのはもちろんエレンさん。だが最後に言い残したことでもあるかと問うわけでもなく、リリンが撃たれた雷からの回復方法等について尋ねる様子もない。ただただ無表情、無感動に見降ろす姿に一体どんな想いが携わっているのやら。
「どうするんだ?」
「どうなるの?」
「取り敢えず生きてるうちに一発殴らせろ」
空に浮かぶ者全てが見守る中、エレンさんは少しだけ躊躇うそぶりを見せた後、刀をゆっくりと大上段まで振り上げる。
――そのまま刀が振り下ろされればこの場はうまく収まるだろうか?
残った黒雲の残骸も消えてゆくだろうか。リリンは大丈夫なんだろうか。
この大会はどうなりことやら。また仕切り直し?
決勝トーナメントに出てた他の選手達はどうなったんだろう? 特にロッソ少佐。リンドーラの軍隊も何かしら対策を講じている筈だろうに、今のところ動きが見られない。
終わるものも終わる気がしないのは私の頭の中だけだろうか。
「なあユメル。ポン刀のメイドさん……幻獣も……不自然に動きが止まってないか?」
長いようで短い思考をしてたと思っていたら、本当に数十秒程度は経過していたらしい。
ぽつりと漏れたアニキの小さな疑問に重なるような形で、こんなときだけ調子の良い声が頭に響いてくる。
“そろそろ本気でやばいヤツが、本気になってくるかもな……おい赤いの! 緑の! いつまで寝りゃ気が済むんだ? いい加減起きろ! 全力でヘタレな主さんを助けねえとやべえかもしれねえぞ”
私は全身が総毛立つモノを感じた。
いつも身勝手な変態竜が本気で私の体を案じている。それほどまでに危険な何かが迫って来てるのだろうか。
“いや、あいつは来るとか来ないとかの次元はとっくに飛び超えてる。お前も知ってるだろ?”
両手のもげたガーゴイルではなく、その目の前にあまりに隙だらけな格好で立つエレンさんへ向かって急激な収束を開始する黒い霧。
動かないのではない。動けない彼女と白馬は瞬く間に黒く浸食され塗りつぶされた。
パチンと何かが鳴る音がすると、私達の前には1人の男の姿が現れる。
彼の突然の来訪にはもう驚かない。けれどこのタイミングで現れるというのは――
「ふむ。ユメルちゃんとエレンさん、それにリリン王女も出来ればもう少し泳がせておきたかった。出来ればもう2~3匹の竜を押さえてくれればなお良かったんだが……」
甘いマスク? 変な形のツバ付き帽子に警備員みたいな格好。
「君達は予想以上に強すぎ、そして知り過ぎてしまった」
隙あらば女性を口説くと嘯いている。ピンチの時もそうでない時も、指パッチンと共にふらりと現れては消えてゆく。
「さて交渉だ。こちらには3枚のカードがある」
ナオレイナ魔法学校の警備員。リンドーラ闘技大会の元優勝者にして、ついさっきまでは現行大会の実況解説。
「……嘘……だよね?」
ライトロード・グレンフォードさんが、黒い霧に染まりきって意識のないエレンさん、リリン王女……そしてフラメちゃんを宙空に浮かべて微笑んでいた。