6 舞台へ
「面倒な手続きは私が済ませておきましたので、ユメルはひたすら勝ち抜くだけですわ」
「勝ち抜くだけって……」
「ちなみにワザと負けたらどうなるか――」
「私って意外と負けず嫌いなんだよ。出るからには本気でやるから安心して。
でもさ、相手は私みたいな小さい子どもじゃないんでしょ?」
「勿論ですわ。ただし、ここは貴方の常識とは一線を画す、魔法が支配するエリヌエの地。筋肉隆々の精悍な男達ばかりにもならないでしょうね。エレンを見れば分かるでしょう?」
大会までの日々はあっと言う間に過ぎていった。
まず最優先で行ったのは、古ぼけた宝石箱を発見して以来、突然騒ぎ出すようになった厄介な存在。私の頭の中に居候する(自称)竜達との対話だった。
リリンにお願いして昼間から1人きりにさせてもらい、ちょっとずつ意志疎通を図っていかないと、私の自我が崩壊してしまいそうだった。
なんでも彼等が表に出てくると、契約主でない私に精神、魔力の両面で負担がかかるので、本当の主と再開を果たすまではおとなしく眠っている予定だったらしい。
しかし、あの宝石箱に仲間の竜の魂だかなんだかが封印されているのを感知してしまい、どうしても助けたかったと、赤竜と名乗る1人、1匹? いや1尾? もうなんでもいいや、は語ってくれた。
“その前にも1度だけ、貴殿の命の灯が揺らいだせいで我の人格――半分以上は我が主のものだが、それが発現してしまったのも許して欲しい”
それはあれか、エレンさんに襲われた時のことか。
あのカマイタチを一発でもまともに喰らっていたら、体がどこかで2つにお別れしていただろうから、助けてくれたことには感謝したい。
「ところで、赤竜さんが炎を操るなら、私が風を作る時はもう1人の竜さんが手伝ってくれてるの?」
“いんや、俺様は所謂オールマイティだからな。しょっぱい扇風機の真似ごとするのに手伝うわけねーだろ。
俺様をまともに使役したけりゃ今の百倍の魔力と、千倍の精神力っつうか胆力? 今のユメル様にゃとにかくカリスマが足んねえんだ”
彼と会話したのはそれっきり。機嫌が悪いらしくて無理矢理眠ってしまったようだ。
今の私の技量だって、ヒト1人を黒焦げにしたり、吹き飛ばすくらいの出力は出せてるんだけど、どうやら口の悪い竜には物足りないらしい。
“過去が無いというのはそれだけで自信の喪失に繋がってくるもの。
貴殿の魂は我らと同じく、本来の姿ではない器に封じられている。その歪みこそ、現代の魔法の根幹を成している。つまりはそういうことだ”
代わりに赤竜からさらっと重たい事実を指摘、捕捉されたような気がするが、考えるより先にもっと情報が欲しい。
「あの、私の過去を教えてもらえるというのは――」
そう訊くと、赤竜は今更もったいぶった風になった。
プライバシーは守れるか? とか、彼女に悪気はないのだから嫌わないでくれだとか。
“過去をいくら説明しても実感が沸かないであろう。だから我と仮契約を結べ。さすれば炎の術も格段に冴えを増し、我が主と貴殿に繋がりがある記憶は鮮明に刻まれることになる”
「それで悪いことなんてあるの?」
“あくまで我が主を主観とした記憶なのだ。加えて貴殿への様々な感情が吐露されることだろう。そういった記憶を盗み見て、いつか彼女と対峙した時に全てを黙し続けると誓えるか?”
だからプライバシーか。しかしそもそも私には赤竜の主とやらに関する情報すら全く無いわけで。
「分かりました。彼女? には黙っています」
前に進むしかないだろう……相変わらず選択の余地がない人生だと思う。
“ならば目蓋を閉じてイメージせよ。赤き石を指輪に留め、自在に炎を操る貴殿の姿を”
言われた通りに目を閉じると、いきなり他人の思考で脳みそが圧迫される感覚が襲ってきた。
リリンのテレパスや、竜達が喋り出した時とは比べ物にならない異物感が、頭を抜けて右手の中指へと集まっていく。
指輪って、嵌める指によってそれぞれ意味があるんだっけなあ、とか無理矢理余計なことを考えながら耐え忍んでいたら、ものの数秒で赤竜から契約完了の合図があった。
「…………なんだ。私って、今と対して変わらないじゃん」
他人の感情入り混じった記憶が入り込むなんて、もっと混乱するかと思ったが、彼女の真っ直ぐな想いはむしろ私を安心させてくれた。良い友達に巡り合えてよかった。
なんか色々あって色々やって、そのほとんどが赤竜の主、通称フラメちゃんによって巻き込まれたものらしい。良い友達に巡り合えてよかった……よね?
記憶の最後の方、2体の竜の争いについては、後で頭の中の住人に小一時間は説教したい気分になった。特に口の悪い竜……絶対に意識を表には出させないからな。
それ以外、リリンとエレンさんと私の3人での生活は実に平穏なものだった。
いつのまにか3人で一緒に入ることが決まりになったお風呂で、彼女の執拗なスキンシップを除けば……
もうひとつ。結局1日1回エレンさんと模擬戦させられたことは、まあ楽しい運動で済んだと言えなくもな――やっぱり全然平穏じゃない。
「ちょ! 速い! 待っ! エレンさん少しは手加減して下さいよ!」
「まだまだ9割くらいの力しか出してないらしいですよ」
「それって……結構本気じゃないですか!?」
喋らない彼女の代わりにリリンが答えてくれる。模擬戦とはいえ闘いの最中喋ってる私の方が変なんだろうけど。
エレンさんの攻撃は苛烈の一言に尽きる。
操られていた時は刀を振る機械のような彼女だったが、同じような日本刀を模したファンタムズを、力任せではなく流麗に回転しながら的確に急所を狙い切りつけてくる姿は、ある種の演武を観せられているようだった。
しかし速い。とにかく速い。
動きは丁寧で無駄がない分読みやすいが、気を抜いたら体が真っ二つの判定がついて即ゲームオーバーだ。
加えてエレンさんの無表情な顔からは感情がまるで読めない。
私は彼女の全体の動作から演算を開始、次の動きを必死に先読みしながら刃を避け、時に自分の武器でいなし、受け流す。
ちなみに初めての模擬戦で刀をまともに受け止めた時は、なんとこちらの魔力で編んだ武器がすっぱり切れた。
魔力の質、武器の形状、切断性能に重きを置いたエレンさんの日本刀は、魔力の塊だろうと難なく両断する。初めての敗北を持って私が学んだことの一つだ。
「まだまだ成長期のおっ!?……女の子にこんなっ……激しい運動をさせたら……変に背が伸びたり筋肉がついちゃうよ」
逆袈裟から襲い来る刃に合わせて武器の軌道を僅かに逸らしながら後方宙返り。大きく退いた私はそれでも喋る。
何事も余裕をもって……それが余裕をもった振りだとしても、精神の安定には重要だ。
「ちゃんと魔力――体内のイドを使って体の動きをブーストさせているなら無駄な肉がつくことはありませんわ」
リリンはお茶を飲みながら、いつものテーブルでいつも通り優雅に佇んでいる。
「私ほとんど攻撃させてもらえないんですけど大丈夫なんでしょうか?」
「……」
「攻撃魔法は夜にこっそり練習しているのでしょう? どちらにせよファンタムズを使った闘いに慣れるならエレンの攻撃を避け続けるのが一番ですわ。
私もユメルが追いつめられるのを観ていて楽しいですし。もっと愛おしく接してあげたくなりますし。お風呂でもっと念入りに全身をマッサージし――」
「それはもういいから!」
全くブレないリリンは放っておいて、エレンさんに問いかけたのだが……彼女の無口っぷりもブレない。
あの時なんで喋ったのか気になるなあ。たまに喋りたくなる時でもあるんだろうか?
飛び道具のように飛んできた斬撃光を紙一重で避けながら、ただ1人にして唯一の王女付き侍女の内面について考えていた私の視界を暗く覆ったのは、メイド服を翻して頭上から切りかかるエレンさんその人だった。
スカート下の黒のガーターベルトに隠されたナイフの数を数えきる前に、私の意識は彼女によって一刀両断されていた。
これで0勝5敗2引き分け。
本戦でもし当たったら一泡くらい吹かせてやりたい。
一度だけ、王の勅使とかいう影の薄そうな人が来た。
大会の段取りや王女が成すべき閉会の挨拶について。それと、今後宝物庫を荒すことのないように、とテンプレのような注意書きのみが書かれた手紙を持って。
一切の感情が伴わない文を斜め読みしたリリンは、それを千切って捨てた。
「私の父はね、政治を全て大臣達に任せて引き籠っているんですよ。恐らく大会にも顔を出さないでしょう……実の娘の顔を見る度胸すらない」
馬鹿にしたように唇を歪め、それでも憂いを隠ききれない王女は皮肉気にそう言った。
掛ける言葉が見つからなかった。慰めの言葉の1つや2つくらい気を利かせてもよかったのだろうか?
「……一体どうしてそうなっちゃったのか訊いてもいい?」
「半分は私の、もう半分は……“ユメル”貴方のせいですよ」
私たちの間を沈黙が支配する。
責めているのだろうか? 思い出となってしまった自分達を。
悔やむべきだろうか? 思い出すら消えてしまった自分を。
分からないことは過去の自分に請求するとして、今は彼女の傍に寄り添ってあげようと、それだけは思った。
「だから……その銀色に目立つ髪の毛を染めて、偽名を使わないといけませんね」
「どういうこと?」
話が噛み合っていなかった。私がどこか鈍いだけなんだろうか?
「あと少し早いかもしれないけれど、これらも返しておきます。」
相変わらず人の話を意図的に無視して進めるのは、彼女なりの処世術かもしれない。
そうして無理矢理手渡されたのは地味な色の巾着、アンティークで香ばしい感じのモノクル、それに千切れた紙を一身に集めて作ったような、多分本に挟んで使う栞。
分からないことばかり増えたまま、リンドーラ闘技大会は当日を迎える。
前回と同じ恰好で同じように、ギンネ大臣とロッソ少佐が2人で私たちを迎えに来てくれた。
一方私とエレンさんは動きやすいメイド服? ……え?
「私は特別席からゆる~く見守ってますわ」
「あの……こんな格好で決闘するんですか?」
フリルのようなものがいくつかついた白のチュニック。黒のプロテクターがそこかしこで連結して重要な部位を守っている。
黒のホットパンツを隠すのは膝上のプリーツスカート。白黒ストライプで目がチカチカする。真っ白なオーバーニーを無骨で頑丈そうな褐色ブーツが浸食する。
相手に舐められるならまだしも、逆に舐められたと思って激昂されたり……もっといやなのは下手すると下心を出されることかもしれない。
断じてメイド服ではない。白黒なだけでゴスロリファッションと言った方がまだ通じそうだ。
「ユメル――勝利に美しさは欠かせない要素なのですよ」
ちなみに私の髪の毛は茶色に染め上げられている。存在自体“裏”なブラックリストに載っているこの姿を知る人はそんなにいないらしいけど、念の為とのこと。
リリン王女は大臣に連れられて、私とエレンさんは少佐に導かれてそれぞれ大会への道を馬車で行く。
自分の格好はもう気にするだけ損だ。
私は離宮から出て外の世界を見られることにわくわくしていた。笑顔の輝き具合は、きっとこのルビーの指輪にも負けない。
リリンだってどれだけあそこに留まっていたのか分からないけど、それなりに今回の外出を楽しみにしていたのだろう。あの嬉しそうな横顔にもし裏があったとしても、私には気付けない。
私とエレンさん、ロッソ少佐の3人を載せた馬車がやがて森を抜ける。と、直ぐにお祭り騒ぎみたいな喧騒が耳に入ってくる。
「闘技大会の由来をしっているか?」
これだけ人が集まる中でこんな格好で闘うのか……
にぎやかさを増す町の雰囲気と反比例して、暗澹たる気分に沈んでいく私を気遣ってくれたのか、それとも単なる気まぐれなのか、少佐が話しかけてきた。
「いえ……王女様の結婚相手を決めるとかそんなんですか?」
「直接関係あるわけじゃないんだが、おとぎ話になるくらい大昔の話だ。2つの国の2人の王さまが、1人の女を好きになってしまったんだと。
2人は様々な方法で彼女を巡り争ったが、そのうちの一つ……あのコロセウムは、2人が決闘でぶつかり合って作られたクレーターだと伝えられている」
出店などでごたごたした視界が開けた先には――何もなかった。
いや、地平線より上には何もない、というのが正しい。
馬車を降りた私を待っていたのは、少佐の言うとおり直径が数百メートルはありそうな巨大なクレーター。
地下に掘り下げられたローマのコロッセオのイメージそのものだった。
暗い気分は吹っ飛んでいた。
開けた大地から吹きすさぶ強い風が、私の染めたての茶髪を強く波打たせた。