幕間:それぞれの思惑 2
「おい! そこの可愛いカッコした黒髪の嬢ちゃん。姉御が戻るまで暇なんだ。ちょっと俺と遊んでいかねえ?」
ここはエリヌエと呼ばれる異世界、大陸南西部を支配するリンドーラの国。
そのさらに南端に位置する首都リヴェラは、年に一度の闘技大会を前にして様々な形で賑わいをみせていた。
「確認しときますけど、ここでの遊びってコレを使った決闘でいいんですよね?
じゃあ私が勝ったら質問に答えてよ……あとついでにお財布になって」
様々な香りで観光客の食欲を煽る露店。射的や観賞魚掬いに一喜一憂する少年達。
「ヒッヒッヒ。駄目元で言ってみるもんだな。腰につけたおもちゃは飾りじゃねえってか? じゃあ俺が勝ったら、嬢ちゃんがいつも想像してるような男女の遊びに付き合ってくれよ」
ちょっと路地へ入ると、怪しげな魅力を放つアクセサリを扱っていたり、非合法すれすれの景品を目玉にした、レートの高いくじ引きなんかもやっている。
「そんなこと言う下品なお兄さんのお財布は直ぐカラになっちゃうけど構わないよね?
じゃあ合図は……そこのおっちゃん、お願いしていい?」
ここではそんな一般的なお祭り騒ぎに加えて、専用に設けられた広場にて、少し変わった光景を見られるのが醍醐味でもある。
「別に構わないけどさ……お譲さんそんな約束しちゃって大丈夫なのかい?」
2人の決闘者が決まり、それぞれに観客が賭け金を提示。オッズはやや少女の方が高いか。
一方は、服装こそ現地人らしく納めているが、いかにもチンピラ風で不健康なひょろひょろした若い男。それでも一応成人くらいの力ある男である。
他方、少女はこの世界では多分見られない特徴的な服装、まだ幼くとも凛々しさを感じさせる好ましい顔つきのおかげで、人気がうまく分散していた。
「それじゃあ……お互いに武器を重ねて認証したら位置について…………始め!」
合図と同時に調子づいて飛び出したのは男の方だった。
もやしのような胴体と同じように栄養の足りてないその細腕は、しかし見た目よりずっと確実な動きで腰の金属棒を掴み、抜刀する勢いのまま魔力をファンタムズへ伝達。
釘付きバットのように歪な形の魔力装甲を編み上げ、それを黒髪の少女の真っ向へ叩き込まんと打ちかかる。
リンドーラ闘技大会が始まるまでの1週間、こうしてそこかしこで繰り広げられる試合は、その一般参加枠の予選も兼ねている。
野次馬が見守る中、大会へ参加申請したファンタムズを用い、1対1の闘いに勝利した者には、その武器へ自動的に勝ち星が刻まれる。
同じ相手との再戦は不可。対戦を断るのは自由。勝ち星のみが計上されるので、本気で本戦に進もうとする者なら無碍に断ることは少ない。大会の規定により、観客の賭けた金も僅かながら決闘者に渡るシステムになっている。
ちなみに不正な方法で誰かに勝ちを集中させるような行為は、白熱した闘いを酒に楽しもうとする大勢の観客達の大ブーイングをくらうだろうし、それに紛れて監察官もちゃんと存在する。
「私も舐められたもんだ。そもそもアイツがこんな格好のままで送りだすから……」
提示されたオッズをチラっと確認しながら、自分以外に聞こえない愚痴を続ける少女は、棒立ちのまま腕を上げ、ひょろ長い若男のこん棒みたいな武器を受け止めようとする。
“馬鹿め! 魔力で編まれた装甲は素手じゃ受けられねえってことも知らねえのか?”
「もらったあ!!」
ひょろ長男の勝利を確信した叫び。
だがその声は、彼が形作った歪な魔力装甲が破砕される音にかき消された。
通りすがりにこの決闘を見ていた観光客や、物騒な喚声を上げながらも攻防の瞬間をしっかり捉えていた野次馬どもの喧騒が一瞬途絶える。
ひょろ長男当人を含めた多くの視線が、防御した少女の右腕に集中する。
彼女の腕は、薄い光の膜に覆われていた。
“くそっ油断した! 予備動作無しで体外強化系の魔法を使えるのか!? しかもあんな薄い装甲で……ただ防御するって次元の硬さじゃねえぞ”
慌てて少女との距離を取りながら、しかし冷静に戦力を分析するひょろ男。
「ちゃんと儀式? 契約だかなんだか知らないけど……それをしてないからって、こんなつまらない技しか使えないんじゃちっとも楽しくないじゃない……」
一方少女の愚痴吐きは続いていたが、その内容まで聞き取れる者は対戦者も含めて存在しない。
ひょろ男は勘違いしていた。
彼女はまだ通神の儀を終えていない。そもそも“この世界”には、つい昨日辿り着いたばかりなのだ。少なくとも、魔道具を用いてマナに干渉する魔法は使えない。
「けっこう観客もいるし、今までの試合は適当に手加減して盛り上げてきたけど……こういう弱いヤツの相手をするのは面倒だな。もういいかな?」
頭部を防御していた少女の右腕が、腰に括り付けたファンタムズに伸びる。
ひょろ男も観客も、彼女の一挙一動を見逃すまいと眼差しに真剣見を帯びるが――
一瞬の後、男の喉元には彼女の武器、いや……それを握ったままの拳が突きつけられていた。
――彼女の動きに遅れて一陣の風が吹きすさぶ。
数メートルの間合いを移動する少女の姿は、誰にも捉えきれなかった。
「降参でいいよね?」
ひょろ男の額には汗が滲んでいたがしかし、こんな風に舐められたまま終わるわけにはいかない。
僅かなプライドが彼の運命を左右する。
「冗談じゃねえ! 姉御じゃあるまいし、嬢ちゃんのヤワな拳で俺をどうにかしようなんてグボファッ!?」
少女は微動だにしていない。ただちょっとの魔力を込めただけ。それにファンタムズが反応、握り拳を覆う巨大なナックルが形成され、それに弾き飛ばされるようにひょろ男は宙を舞っていた。
物理的なダメージは発生しない大会仕様の武器だが、部位欠損感覚、ノックバック等はちゃんと発生するので、より実戦的な決闘が楽しめるようになっている。
「ナット……また見た目の幼さに騙されたのか? 普通の人間だったら、ああいう手合いは逆に警戒するべきだろうに……これで何敗だ? ああ、負けは武器にカウントされてないんだっけ。ちょっと残念」
「姉御……最悪のタイミングで来ましたね……なんで……俺はこんなにも……少女運が悪いんでしょう」
「知らん! アタシから言えることは……もうロリコンは卒業しろ。お前の運の悪さだと、大会じゃなかったら体がいくつあっても足りねえぞ」
――行き交う観客と金の嵐が中々収束しないの私の行いのせいかもしれない。
セーラー服姿の黒髪少女は、手元の武器に星が一つ追加されるのを、どうでもいいと思いながらも律儀に確認してしまう。
本戦へと進めるのは勝利数上位数名らしいが、果たして自分は届いているだろうか?
――まあ別にお兄ちゃんが見つかれば、もしくはアタシを見つけてくれればそれでいいんだけどね。
気を取り直して、いつのまにか長身の女性が寄り添う対戦相手に話しかける。
「あの……ちょっとやり過ぎちゃってたらごめんなさい。お財布はいいですからお大事にして下さい」
2人は付き合っているのかもしれないが、既に尻にしかれてそうな関係に見えなくもない。
それでも一応言葉を選んで余計な波風を立てないようにする。
基本的に彼女は真面目な優等生なのだ。
兄と同様、この世界に下りてきてちょっとだけ羽目が外れかけている自覚はまだない。
「いやいやこんな自称ロリコンのクズに優しい言葉なんかかけてやる価値はないよ。
しかしアンタ強いねえ。今闘るのは勿体無いし、子分の無様な姿を晒しちまって気分が乗らないけど、本戦で当たったらよろしくね」
「お姉さんも大会に?」
「ああ、ここはアタシの故郷だからね。年に一度くらいは、このお祭りに合わせて帰るようにしてるんだ……今年はちょっと遠くに飛ばされてて危なかったけど」
仕事で左遷でもされたのかと思いながら、少女は自分の目的を明かすことにする。
「あの、実は私お兄ちゃんを……いえ、(今は)私よりちょっと小さいかもしれない女の子を探しているんです」
「ナット……まさかお前が今まで手を出した中にいないだろうね……?」
「ヒイィィ!!? だ、だだ大丈夫ですよ姉御! さっき言ったでしょう? 俺はリアルでは結局口だけで、むしろボコボコにやられることの方が多いっす!」
「リアルでは? ……まあいい。この辺りにいるってんなら、本戦に出れば見つけてもらえるかもね」
――やっぱり尻に敷かれてる。それ以前に子分って言ってたっけ。
「それで特徴は、えっと……人形みたいに整った色白の顔、髪が銀色のセミロングで、青い瞳? らしいです。名前は確かユメ――」
「銀髪!?」
「青眼!?」
2人の驚き具合がちょっと異常だったのは気になったが、ようやく手がかりを見つけられたことで、少女はちょっとだけ心細さが解消された気がした。
「なんでインディソフィアの妹がこんなところにいるのかと思ったら……」
「ナットは一昨日あの娘にも吹っかけてボロ負けだったけどねえ。彼氏付きだったのは傑作だったなあ。
しかしアタシも……あの時のリベンジマッチが出来るかもしれないってわけか。こりゃ楽しくなってきた!」
ギエスは後悔していた。
彼をここまで優しく引きとめてくれる人物は他にいないであろう、リリン王女の誘いを断り、しかし気配を消してちゃっかり離宮に居残り観察を続けていたのだが……
「なんだよこの黒いもやもやしたヤツは!? うっとおしい! 俺様に纏わりつくな!」
得体の知れない黒い霧が、ガーゴイルの強化躯体を静かに蹂躙してゆく
彼はかぎ爪のついた特製の剛腕で、コウモリの羽をそのまま大きくしたような禍々しい翼で、ソレ振り払おうをするが、所詮は雲を掴むような真似。
“我が悲願を達成せよ。我が願いを聞き届けよ。我が任務を遂行せよ 我が存在意義を――”
それは先日、ギンネ大臣がリリンへと贈った刀“和刀影密”を介し、エレンに取り憑いたことのある影と、同種のものだった。
“我が悲願を達成せよ。我が願いを聞き届けよ。我が任務を遂行せよ――”
「こんな影にも意志があるってえのか? だが話は通じねえか……くそっ! なんでか分からねえが魔法も使えねえし、このままじゃ御主人に大目玉喰らっちまう」
ギエスの小さなプライドには、リリン王女へ助けを求めるという選択肢はない。何故だかわからないが、彼女には親近感が沸くのだ。
それにこの黒い霧は彼女が刀から払ったのだ。全く同じものかはギエスにも判断が付かないが、せっかく払った厄介者をまた押し付けるわけにはいかない。
“我が悲願を達成せよ。我が願いを聞き届けよ――”
「仕方ねえ、多少古典的な方法になるが……御主人もとい今はどこぞの出所もわからねえじゃじゃ馬姫でも巻き込むわけにはいかねえしな」
人間と違うのは見た目だけ。
気の弱い人なら一目で気絶してしまいかねない容貌を持つ彼が、何処からか羽ペンを取り出し、丁寧な文体で書面をしたためる光景は、ある意味神秘的でさえあっただろう。
ギエスはひたすらに孤独だった。しかし彼には手紙を出すべき相手がいた。それが決して友好的とはいえない仲であっても。
1通は、現在の主が入れ替わってから初めて出来た友人へ
2通目は、彼を生みだした憎き研究者へ
そして最後の1通は、主と魂を交換した過去を持つもう1人の王女の下へ
闇夜に紛れて空を飛び、全ての手紙を投稿し終えたとき、ギエスの心はすっかり黒い霧に覆われていた。
例えガーゴイルの体を持つ彼といえども、かの者の“アザマ”支配から逃れることは出来ない。
“我が悲願を達成せよ――異端の魔女をエリヌエから排除せよ”