幕間:それぞれの思惑 1
「フラメちゃん、あなた宛てのお手紙が来てるわよ」
「……ありがとう、お母様。その辺に置いといて」
「ちゃんと起きないと、またシィとスゥを遊びに行かせるわよ? 言わなくても勝手に行くんでしょうけど」
「お母様がけしかけてたの!? そろそろ迷惑だから止めさせてくれない?」
「だったら早く元気になって学校へ行きなさい。ユメルちゃんもきっと心配してるわよ」
フラメは引き籠っていた。不健康な生活が祟っているらしく彼女の長い金髪はボサボサで普段と比べて光沢がない。
母もこうして彼女を元気づけてくれるのだが、根本的な解決にはなりそうもない。
あの日以来、魔道具であるルビーの指輪の、その中に宿った彼女だけの相棒。それを失ってしまったせいで、彼女は魔法をほとんど使えなくなってしまった。
「はあ……こんなアタシに手紙なんて。魔法もほとんど使えない、普通の学校にも転校しないゴミ屑みたいなアタシを、ゴミ拾いのボランティアか何かが誘いにきたのかしら?」
当然ながら魔法学校に通う意味もない。だからといって年頃の女子が布団を被って欝な妄想に浸るのは色々な面からよろしくないのはフラメ自身にも分かっている。しかし……
「アタシのせいで……アタシのファイアドラゴンが、ユメルを……」
母には言っていないが、王都で出来た初めての、大切な友達は行方不明扱いになっている。無論まだ死んだと決まったわけではない。
それでも、今ここにはいないのだ。今まで持て余していた絶大な力を失ってしまったことで、そんな僅かな希望にすがりつく――自らユメルを探しに行くことすら叶わなくなった彼女に大した違いはない。
相棒と親友をいっぺんに失った、不幸のどん底にいる少女を慰めることが出来る人物は――
「こんにちはフラメ……ってまだ着替えてないのか。もう昼だぞ? 俺だって男なんだから、お前がそんな格好のままだと色々と気にするぞ(正直もう見慣れたけど)」
ここのところ毎日のように見舞いに来てくれるのはハック・ディノフィンガーという名の元不良青年。ちょっと痩せ気味だが不健康と言う程ではない。芯直に伸びる青っぽい光沢を放つ髪が、彼の人と成りを表している。
学校の帰りにしてはまだ昼だが、制服姿のハックを見て、そういえばまだ自分はパジャマのままだったことを思い出す。しかもネグリジェ風。
「アタシは……魔法もロクに使えないしムネもない未熟でゴミカスみたいな子どもだから気にしないで。それに、どうせアタシはお姉ちゃんのついでか代わりなんでしょ?」
フラメが彼とよく話すようになったのは最近のことだが、彼女の姉であるミリュードは、とても元不良とは思えない優男風味の好青年と恋人同士“だった”のだ。
「自分で自分をそこまで貶めるなよ。そりゃ俺としては、ミリュー先輩があんな風に捻くれてしまった責任を少しは感じてはいるけど。彼女とのそういう縁はとっくに切れてる。
だからフラメや……ユメルのことは話が別だ。不良をやめたって、俺は俺がやりたいと思ったことをやり通すだけだ」
「……ありがとう。でもお姉ちゃんは元々あんな性格だったから気にしない方がいいわ」
ハックがすっかり馴染んでしまった動作で部屋のカーテンと窓を開けた。気持ちの良い風と日の光が、淀んだ部屋の空気を浄化していく。
「今日はまだ双子にイタズラされてないか?」
「うん。アンタと同じく、毎日飽きずに弱体化したアタシをからかいに来るわ。あれって半分はお母様の命令だったみたい」
つい最近まで何度も気絶させれられていたのに、両親があの双子の魔霊とあそこまで仲が良いのがフラメは未だに納得できない。
「お前が元気ないから遠まわしに心配してくれてるんだろ。あと別に俺はそんなつもりで見舞いに来てるわけじゃ――」
「わかってるわよ。アタシのささやかな愚痴に付き合ってくれるのはハックだけだわ」
気だるい体を無理矢理動かし、ようやくベッドから抜け出したフラメは、戸棚からカップを2つ出して、母が用意しておいてくれたらしいポットのアイスティーを注ぐ。
本日は晴天なり。捕捉するなら少し蒸し暑いくらい。
「相変わらずインディソフィアの家は広いよな。ヴェニスの家も凄かったけど」
「ヴェニスは土地ばっかり余ってる田舎町だし、ここはオッペの屋敷だっていうのは知ってるでしょ? つまりそういうことよ。
そういえばハックの家とか家族についてはなんにも訊いてなかったわね……」
青年は苦虫を噛み潰したような顔でカップを受け取る。
「俺の家は普通だよ。俺だけが……魔法も、結果的には喧嘩の腕前も普通じゃなかったから、勝手に捻くれちまったってだけだ。今は大分大人しくしてるけどな」
フラメはなんとなく彼の気持ちが理解できる気がした。
姉のミリュードも、妹の自分が強い魔力を持って生まれて、炎竜を呼び出せる程の異端者だと分かるまでは、周囲から畏怖され孤独を感じていたのかもしれない。
しかし今ここでそんな話をしたら姉に負けた気がするのでやめておいた。
「ユメルとファイアドラゴンの戦いを目撃して、気が付いたらライトさんに助けられていて……あれからもう2週間か。毎日催促して悪いけど、校長はまだ何の連絡もくれない?」
「ああ、俺も毎日校長室に通いつめてるけど、全く相手にされないよ」
校長であり、ユメルの養父でもあるガイン・バーティシアは、方々の伝手を用いてユメルを探してくれている、らしい。探索に進展があるのかすら教えてもらえない。
ちなみに実質魔道具を失ったフラメだが、校長に事態を考慮してもらい、例外的に在学を許可されている。だから彼女の身分は今のところ不登校の学生だ。かろうじて無職ではない。
「そんなに暇ならアンタも探しに行けばいいじゃない。どうせロクに授業とってないんでしょ?」
自分のことを棚に上げてフラメは言う。
彼の実力を直接見たわけではないが、あの姉が一目置く人物なのだ。自分より年上とはいえまだ若いが、世界をまたにかけるくらいワケはないのではないだろうかと思い訊いてみたのだ。
「図書館でざっと調べたけど、あの火山帯が世界の何処にあるのか全然分からなかった。他になんの手がかりもない。
もうひとつ、馬鹿にするわけじゃないが、ロクに魔法が使えなくなったお前を置いてアテのない旅に出るわけにはいかない」
その言葉は彼女のプライドにグサっとくるものがある。
純粋に心配してくれるのは嬉しい。あの姉が惚れてしまうのも分かると思うが、それ以上に自分の弱さを否応なく認めさせられた気分になって、胸が苦しくなる。
一方、少し気不味くなったのか、ハックはわざとらしく席を外して辺りを見回す。フラメもつられて目線を移動させると、先程母が届けてくれた手紙が視界に入った。
「その手紙は?」
「さっきお母様が届けてくれたの。ゴミ拾いのボランティアから」
「なんでそんなとこからフラメに手紙が来るんだよ? 寝てるくらいなら手紙の確認くらいしろよ。
仕方ないな……何々? 恐らく唯一にして親愛なるじゃじゃ馬姫の御学友へ……?」
“貴方様の忠実なる僕を取り戻したいのであれば、来週末に開かれるリンドーラ王国闘技大会への参加しろ。大会の詳細等はライトロード・グレンフォードへ師事すべし”
「ユメル・バーティシアの使い魔より……ユメル?」
体に染みついた敬礼をして、ギンネ大臣の部屋から退室する。
ロッソ少佐は迷っていた。
大臣の言うところでは、あの頭巾を被ったメイド少女こそが、かつてリリン王女と魂の交換を果たした天災少女。腐敗した貴族たちの称号を次々をはく奪、当時一桁という年齢で、リンドーラの政変改革を指揮した張本人とのことだ。
「あの銀髪の少女の存在は危険だ。前回と違い、入れ替わり先の銀髪の少女の所在は既に割れている。もし万が一またリリン王女と入れ替わった時、不足の事態が起こる可能性もある」
確かに、ちょっと考えれば分かることだ。誘拐等の犯罪に巻き込まれる恐れが倍になると思えばいい。王の唯一の1人娘の体、魂どちらか片方でも失うことは国家の失墜に繋がりかねない。
王女があの離宮の庭園に半ば幽閉生活を強いられているのも、そういった理由が一端にあるのかもしれない。
少し話はズレるが、実はギンネ大臣本人も、彼女の改革によって恩恵を受けた口だという。腐りきった軍部の立て直しに抜擢された生粋の軍人上がりとして。
当時リリン王女の中にいた天災……いや天才少女は、大臣の卓越した指揮力が、しぶとく政界に居座り続ける、一癖も二癖もある貴族達との論争でも有用に働くと見抜いたのだ。
「私だってこの地位に付けたのは誰のおかげだか分かっているつもりだ。だがどうしても、リリン王女の下に置いておくのは不安が残る。だからといって、彼女がナオレイナ国の狡猾な養父の下へ帰るのを、このまま指を咥えて待つ、というのは下策だと思わないか?
今度の大会は良い機会だ。なんとしても我々の庇護下に加えろ。力に頼っても構わん。それでも無理なら……」
そう言って大臣が隠すように渡してきたのは見慣れた金属棒。皮肉にも他国との友好関係が続く現在、模擬戦で最もこれが活躍しているせいで、ロッソ少佐にとっても使いなれた武器の一つとなっている。
「このファンタムズはまだ試作機の段階だが、使用者の“イド”リミッター解除装置と対魔法無効化結晶付きの最新型だ。これにリセットボールを組み合わせれば、如何に魂の交換を可能にする大魔女であろうと、お前ならどうにでも出来るだろう?」
しかし、と彼は思う。
当時は雲の上の身分の人事異動など知るよしもなかったし、直接王女を拝見する機会もなかったのだが、もし魂の交換が成立していたなら、現在もまた別の誰かと入れ替わっている可能性は否定できるのだろうか?
戦闘のポテンシャルはかなり高そうだが、実際に対峙した身としては、とてもではないが政治に参加する類の才覚は感じられなかったのだ。
「今から外部の刺客を手配している時間はない。お前だけが頼りなのだ」
大臣の懇願が彼の耳にいつまでも響いていた。
純粋な個人の力量を示せる数少ない舞台、闘技大会ではあるが、エレンとの真剣勝負を大臣の密命より優先させることは出来ない。少なくともロッソ少佐の中ではそういう考えだ。
しかし前大会の決勝、あの時の借りを返すためだけに己の技量を突き詰めてきた。その結果身に付けた力を、皮肉にもこの平和な現代において、軍本来の仕事(正確にはそうとも言い切れないが)として役立てることになろうとは……
あの時の勝者であるはずの彼女の、喜びの欠片も感じられない顔は、今でも彼の目に焼き付いている。