5 魔法講座とか戦いの決意とか
「“原初の3要素”の一つは“イド”。自分の体内に抱えている魔力のこと。どんな魔法を使う場合にも必ず影響されうるという点において最も重要な要素になります」
リリン王女が暮らす離宮の庭にて、私は今日もお茶会のついでみたいに魔法の講釈の続きを受けている。
ちなみに私の格好は、昨日リリンの御眼鏡に適ったのか白黒のメイド服となっている。ロッソ少佐との模擬戦でところどころ破けてしまったが、リリンの魔法にかかると、私が受けたダメージと共に一瞬で綺麗な状態に元通りとなった。恐ろしく便利だが、あの闘いを、私にとっては結構命がけであった時間を全部なかったことにしてしまったように思えて少し恐い。
しかもこうして彼女の講釈を聞いていると、なんだか毎日が平和だと思えてしまいそうだが、実際そんなことは全くないので今だってホントは全く気を抜くことが出来ない。
小鳥のさえずりさえ聴き逃すことのない心地よい静寂に包まれた離宮に、こうしてゆったりと流れる時間に慣れてしまっている私も私なのだが。
「じゃあさ……もしかして大気中の魔力というか自然界の力みたいなのは“マナ”とでも言うの?」
「その通り。マナは世界のあらゆる現象の元となる根源の力。ユメルの世界にもそういった概念自体はあったのかしら?」
「ん~と、ちょっと違うだろうけどよく使われてたのは電気……かな?」
「電気?」
「雷を魔法みたいな動力として……まあいいや気にしないで」
私は単なるの記憶喪失ではないらしい。
常識として頭にこびりついている記憶がちょっとズレた知識だというところが、余計に身の振り方をややこしくしている。冒険者みたいな職業に就いて、好き勝手世界を飛び回ろうにも、通貨の価値すら知らないのだ。
まあ思い悩むほど苦しい生活をしているわけではない、むしろ毎日豪華なホテルに泊まらせてもらっているような待遇なので、自分の記憶だってそのうちなんとかなるだろう――程度に考えているから、我ながら呑気なもので。
「私の過去については、今これ以上詮索の余地はないと思う。でもね、私は魔法を“よく知らないけど大好き”だっていうのは分かるんだ」
なんて説明したらいいのか分からない。おとぎ話とか(眠っている時に見る)夢に出てきたというのもいいけど、それじゃあなんだか味気ない。未だ私にとって魔法のイメージは、夢そのものなのだから。
「……ユメルが魔法を学ぶことに前向きなのは分かりましたわ。でもあまり不信がられる発言は控えた方がいいかもしれませんね。そんな貴方も私は大好――」
「私も友達としてはリリンのこと好きだけどそこまでにしとこうね。それでイドとマナがあるのは理解出来たけど、なんとかの3要素ってことは、もう一つあるんでしょ?」
これについてはどう説明しようか一瞬ためらいの様子を見せたリリン。
「そうですね……“原初の3要素”として最後の一つに定義されるのは、自分でも自然界でもない力の源。この意味が分かりますか?」
いつもの調子で『教えてあげるからキスしなさい』とかなんとか言われるかと思ったが、王女様にしては割と素直に問題提起型で来た。でも質問に質問で返すのはマナー違反……ではないか。
しかし、自分でも世界でもない力となると――
「宇宙とか? 他の星の力?」
「いいえ。“エリヌエ”の外についても研究はなされていますが……一つだけ確かなことは、この世界から離れると、恐らく魔法は使えなくなる……らしいです」
リリン王女らしくもない不明瞭な答え方だ。しかも“確か”なのに“らしい”って全然ダメダメじゃん。
「コホン。その話はいずれまたどこかで致しましょう。今は3要素の最後の一つです。人によっては最も近く、また最も遠い魔力の源になりえるでしょう。一言で説明してしまうのは簡単なのですが、この要素については自分で気づくことが大事なんですよ」
……パッと思いつくものがないから、今の私が使う魔法から考えてみよう。
私がこの離宮で意識を取り戻してから最初に使ったのは火球を生みだす魔法だった。それは体内の魔力“イド”を源として、エリヌエと呼ばれるこの世界の源“マナ”に対し働きかけることで、火を物理現象として具現化させている(という私の中のイメージ)。
密かに練習している風の魔法についても同じことが言えるだろう。もう1つの要素の出番はない。
じゃあリリンの魔法は? 彼女の歌は人の傷を癒し、壊れた物を直し、他人の頭に直接語りかける。
あとはエレンさんが操られた話でも何か言われてたような……これって――?
「そこまで考えて分からないなら、最後の1つについては宿題にしましょう。魔法にしても“それ”を実用に堪え得るだけの行使力を持つ者は限られますから、知っておいて損はない程度の知識かもしれません」
答えに確信を持てないまま唸る私の顔を、少しだけ寂しそうな微笑みで見つめるリリンからは、どことなく超然的な雰囲気が感じられた。
こんなときは敢えて無言無表情のエレンさんに助けを求め……しかし周囲を見回しても、コスプレといって差し支えない私なんかより遥かに年季の入った本物のメイドさんを見つけることは出来なかった。
「あと知っておいてもらいたいことと言えば“通神の儀”や“魔道具”についてですが……正直今のユメルに話す必要性が感じられませんので後回しにしますね」
日頃可能な限りの大口でご飯を頬張ってる私とはまるで正反対のリリンの小さな口から、なんだか聞き慣れない、けど何処かで聞いたような単語が出てきた。
「なんだか嫌味っぽく聞こえるんだけど、それってどういう意味?」
「ユメルは全く何もない空間から火の魔法を生みだせるでしょう? 自然の摂理から考えて、それは本来異質な現象であると気付いていますか?」
確かに、火のない所に煙は立たない……とはちょっと違うけど、燃やす物も燃える物もないのに手から炎が沸き出たら変だろう。でもそもそも魔法ってそういうものじゃないの?
「大抵の魔法を行使するためにはイドをマナへと繋げる行為が必須になってきますの」
それはなんとなく分かる。意識下では分かってやっているつもりなんだけど、それじゃダメってこと?
「その為には普通、媒介として魔道具を用いる必要があります。通神の儀を通して当人に相応しい魔道具を得、呼び起こされる“発動キー”によって魔法を行使する……現在の人類はその行程を得なければ、イドを用いた自身の肉体強化という例外を除き、ほぼ全ての魔法が使えないことになるのですが――」
「えっと……要するに、なんの前触れもなく手からポッと魔法が出たら人としておかしいってことなの?」
「はい! その通りです!」
冗談すら挟まれず!付きの笑顔で即答されるとなんか悲しい。
「しかし例外も存在します」
なんだ冗談の落ちはここからか……って違う。ちゃんと話を聴こう。
「いわゆる人外です」
「人じゃないじゃん!!」
ちゃんと落ちたじゃないか……ちっとも笑えないけど。
「“マナ”の結晶体とも噂される竜を例外とするならば、かつてこの“エリヌエ”には人間以外にも魔法を自在に操る程の知性を持った所謂“魔族”が存在していたそうです。彼らは長寿な種が多く、外見は長い耳を持ち人間とほとんど変わらない2足歩行生物だったり、体の一部が獣の姿をしていたそうです」
エルフとかドワーフとか狼男みたいな単語が一瞬脳裏に浮かんで消えた。
しかしかつて、ということは?
「魔族は我々よりもマナの影響を受けやすく、ゆえに魔道具を必要とせず直接世界に干渉する魔法が使えたようです。
同時にその時代には、現代魔法よりずっと強力で、それこそ万能と表現して差し支えない魔法の使い手の人間が2人だけ存在したそうですが……彼らの存在の消滅と共に魔族も姿を消してしまったと伝えられています」
じゃあ私がその魔族だという可能性もあるのか。外見は銀髪と青眼(記憶喪失のせいもあるだろうが、トイレで自分の姿を見た時はちょっとビックリした)が目立つ“だけ”の普通の人間だけれども。
「どれもおとぎ話で語られる程度の伝説ですわ。前にも言いましたが、現代においては魔族はおろか、竜すらも人の目からは確認されていません」
お茶会中なのに小休止とはどういうことかと思わなくもないが、2人とも喋り過ぎて少し疲れたので、リリンが自ら淹れ直してくれた紅茶を有り難く頂く。
高級そうな光沢と温かみのある木椅子の背もたれに寄りかかっていると、やがて鉄塊のようなものを引きずる音が聞こえてきた。
「「……」」
私の目はきっと点になっていただろう。その光景を目の当たりにした瞬間、リリンは気品溢れる佇まいのまま盛大に紅茶を吹いていた。彼女の吐いた赤茶色の飛沫が離宮の庭に小さな虹を作りだす。その風情でその行動は絶対真似出来ないと素直に思った。
「エレン! 一体どこからそんな大量の武器を!? しかも宝剣や宝杖なんて……軍の武器庫の持ち出し許可が下りないので宝物庫から拝借してきたですって!?」
2人の中では会話がなくとも大抵の意志疎通は出来るらしい。まさか常にテレパスの魔法を使っているわけではあるまい。
リリンが初めてみせる動揺っぷりにも驚いたけど、私はそれ以上に、エレンさんの引きずってきた宝箱の中身――宝石の散りばめられた武器の数々に目を奪われていた。
「ええ確かにファンタムズを使いこなす為には、ユメルが武器に慣れることも必要ですけれども何もここまで大胆な……ああ、後でお父様になんて弁解しましょう? ……いえ、むしろそんな機会が頂けるのなら、エレンの強引な働きは一石二鳥になりえますわね」
そんなわけで、ブツブツ呟き続けるリリンに背を向けて、私は燦然と輝く剣や槍、弓に斧、杖や鞭にベタベタと指紋を付けまくっていった。
このままリリンの口車に乗せられて物騒な大会に出る気など微塵もないが、王族の宝に触れるなど生涯出会えない体験かもしれない。
「宝石など嵌まっているものは特に、あまり頑丈な作りをしていないから、派手にぶつけると折れますよ。相場としては今貴方が持っている長剣が金貨1万枚くらいでしょうか?」
「う……マジですか?」
異世界人である私に貨幣の価値などさっぱりだが、それでも金貨1万枚はデカイと容易に想像出来る。
仕方がないので、調子に乗って振り回していた豪奢な装飾の長剣を丁寧に宝箱へ戻す……と、底の方に薄汚く小さな箱があるのが目についた。
輝きで人を魅了する武器達とは対称的に、日の光さえも拒絶せんと黒ずむその箱を、私はつい手に取ってしまう。
「それは私も見たことがありませんね……宝石箱でしょうか? 宝物庫にそこまで歴史を感じさせる品があったかしら?」
虫の居所がよくないのかリリンの口調に棘がついている。遠まわしに古い! 汚い! と言っているようにも聞こえた。
気を取り直して宝石箱をよく観察してみると、ピタリと閉じた箱の隙間から、ほの暗い気配が滲み出ているのが分かった。
いや、これに似た感じは以前にもあった。失った記憶に新たな導を刻む一場面として――
「中に……誰か入ってるの?」
「ユメル。入っているなら誰かではなく“何か”でしょう?」
1つは彼女の指輪の中
1つは誰かの家の壁の奥の奥
彼方の夢はあと4つ
“まさか!! そんな筈は――”
“俺様という前例があるんだ。ココにアンタのお仲間が居たっていいじゃねえか”
“貴様には訊いておらぬ! が、いずれにせよ放っておくわけにはいくまい”
「やめろ!! 私の意志を奪うな!!」
「ユメル? どうかしました!?」
私の頭の中で勝手に会話を始めるな! 私はこんなもの知らない筈なのに、なんで執着しなくちゃいけないんだ!?
額に汗を浮かべて苦しむ私の顔を、リリンが心配そうに覗きこんでくる。そんな彼女のテレパスだって生ぬるい。強大な魔力の息吹が私の神経を逆撫でる。
彼等が本気を出したら私の意志なんて瞬時に飛ばされ――
“済まない……借りの主よ。我が盟友を助けるのに力を貸してほしい”
少しだけ酩酊感が和らいだ。喘ぐような呼吸を整え理性を保つ。
今のところ彼等からは悪意を感じない。ありがたいことに交渉の余地があるようだ。
“交換条件だ。その宝石箱を預かってもらえるのなら、我々が知る貴殿の過去の一部を明かるみに出そう”
“そんなまどろっこしいことしてないでまた体ごと奪っちまおうぜ”
“貴様……前回の無謀な行いを少しも懲りていないな?”
“大丈夫だよ! 今度はちゃんと抑えてやるから”
“だがその程度の掌握力ならば、今度こそ我が全力で封じるぞ”
“……なんだよ、にっちもさっちもいかねえな”
それは私の台詞だ。一枚岩ではない彼等の思考に時々頭が揺らぐ。
何が何だかわからないけど、こんな状態を落ちつけるには条件を飲む他ないだろう。
選択の自由はあるようでなかった。
「ねえリリン……コレ、貰ってもいい?」
「もう体調は……良くはないようね。でも何故そんな箱を? 揺らいでいる貴方の心に直接訊いてみたいところだけれど、そんなに疲弊されてては良心が痛むわ。
だから……来週末に開かれるリンドーラ闘技大会に出場してくれるなら、私からお父様に計らってあげますわ」
何処の誰の良心が痛むって? こんな状態の私に交換条件を申し込む時点で……リリンは何か分かってるような口ぶりだったからこれも計算ずくなのかもしれない。
「分かった出るよ」
「まあ……私の思い通りの展開になって嬉しいけれど、どういった心境の変化なのかしら?」
言葉を返す代わりに、メイド服の隠しポケットに手を突っ込んで、ロッソ少佐から借りたままのファンタムズを取り出して魔力を込める。私の思念に基づき魔力が、イドが金属棒を包むように実体化する。
「これで構わないでしょ?」
「その形態は……? でも本気なのよね?」
「なんなら今からエレンさんと模擬戦でもしましょうか?」
「……分かりました。その箱は貴方に差し上げます」
こうして誰にも、自分にも有無を言わさず私の歩むべき道は決定した。