2 怪しげな雲行き
「ううう、眠れないよう。なんか寂しいよう」
与えられた寝室(私がずっと寝ていたところ)が広い。ベッドがデカイ。必要以上にモフモフする。借りておいてなんだけど下着とパジャマも異様なくらいスベスベしで個人的に受け付けない。
「私って絶対高貴な身分じゃないな」
よくこんなところで10日も熟睡していられたと思う。
“リンドーラ”という国の王女リリンと、メイドのエレンさん2人だけが暮らしているという離宮(なにやら王女様ならではの理由がありそうだが、今はまだそのことについて訊く余裕はない)で、私は意識が戻ってから最初の夜を迎えていた。
お風呂上がり、エレンさんが用意してくれたのであろう夕食の席でリリンは散々粘っていた。彼女が私と一緒の部屋で寝る事を、彼女の世話係でもあるエレンさんが頑なに拒否したからだ。
「なんで私がユメルと一緒じゃダメなの?」
「……(首を横に振るエレンさん)」
さっきエレンさんが喋ったことが事実なら、私が王女様の傍にいるのを許す侍女はいないと思う……ってそんくらい分かっててやりあってるんだろうな。
「ユメルが寝ている間は交代で面倒を見てたじゃない」
最初に起きた時に気付くべきだったが、エレンさんだけでなくリリンの、一国の王女様の手厚い看護を頂戴していたようだ。
「……(それでも静かに首を振るエレンさん)」
「女の子同士襲ったり襲われたりなんて“絶対ない”から大丈夫よ」
彼女の意味深な視線に寒気を感じて私は思わず身震いする。
「……(そういう意味ではないと首を振るエレンさん)」
何故だろうちょっと安心した。
「まさか……私がエレンから離れて寂しいとか?」
「……(断固として首を振るエレンさん)」
「そこはちょっとくらい迷ってよ!」
結局、冗談すら通じない無言の圧力に屈したリリンは、エレンさんが作ったと思われる(良く言えば家庭的、悪く言えば大味な)魚介フルコースを半分も残して寝室へと引っ込んでしまった。
たまには王族の人間がやってきて夕食を共にするのかもしれない。私は華美で天井の高い(あのシャンデリアが落ちてきたら人間5人は圧殺されるだろう)大きな部屋でエレンさんと2人きりにされて気まずくなり、でも無言で此方を見つめてくる当の料理人の目の前で食べ残しをする勇気もまた起きず、少女の身としては胃に相応の負担を掛けながら急いで〆のパエリアを平らげた。
「ご馳走様でした。お部屋は、私が寝ていたところをお借りしていいんですよね?」
リリンの姿がないところでも変わらず無言で肯定の意を示すエレンさんを1人残し、私はいそいそとその場を退席させていただいた。
「それにしても私が“賞金を懸けることすら出来ない”ブラックリストに入っちゃうような人物だったとはねぇ」
ベッドに仰向け大の字になりながら自分の記憶を辿ってみる。何かを思い出そうとすると突然頭痛が……なんて事は今のところないが、なんだが自分がちぐはぐな感じがして良い気分ではない。眠れない原因はベッドだけではないのかもしれない。
ふと掌を目の前にかざしてみる。何かが解放されたがっている。体に私以外の何かが潜んでいるような、でも不思議な事に“ソレ”に対して悪い気はしない。
「違和感はもっと別の……私自身の感情とか意識の違いなのかな?」
頭がごちゃごちゃしてきたので、そういえば歯磨いてないなとか日常的な事を考えていたら、持ち上げていた掌が勝手に動いて出入り口の方角を向いた。
それが合図だったかのように、僅かな音を立てて開く扉。
立っていたのは予想したくなかった通り夜這いごっこ(ごっこだよね?)に来たリリン――ではなくエレンさんだった。相変わらず無表情で無言のままだったが、メイド服の上から佩かれてうざったそうに存在を強調する“長刀”が、変化のない彼女の代わりに殺気を大盤振る舞いしていた……長刀?
「あの……えと、どうかしました? 子守唄でも歌いに来てくれたんですか? まさか添寝? なわけないですよね」
私は敢えて刀の存在には触れないように、緊張を悟られないようにゆっくり起きあがりながら会話を切り出す。
彼女はこの離宮の警護も担当しているのかもしれない。
きっとそうに違いない。
ここに来たのもただの見回りで――
「シッ!!」
私の儚い期待を裏切ったエレンさんは、短い気合と共に刀を抜き放った。明らかな攻撃の兆し。
彼女の居合いは“神速”などと格好良い言い回しで語れるものではなかった。少なくとも私の肉眼が捉えられる速度を容易く上回っていた事だけは確かだ。それにしたっていかに長刀といえど、部屋の外からこの広い部屋の奥に配置されたベッドまで優に5メートルはある。刀の間合いには程遠い、今のはただの抜刀動作……の筈だった。
しかし私の体は斬撃に合わせて滑らかに、勝手に反応した。ベッドにうつ伏せになった私の数センチ上空を架空の斬撃は目論見通り素通りする。連続的な動作で私の手が動き、エレンさん目掛けてカウンターで火の玉が発射される。
「嘘!? 手から火の球が!! ……ってマジですか?」
一瞬の攻防の後、刀の鎬をこちらに向けて火の玉から身を守っているエレンさんの姿が確認出来た。
彼女が刀に纏わりついた火炎を振り払っている隙に、先程の斬撃の跡を辿ってみると、背後の壁に大きな亀裂が入っていた。
簡単な想像から思いつくのはカマイタチだろうか。少なくともあの斬撃に一般的な間合いの概念は通用しないようだ。
最初の一撃で仕留められると踏んでいたのに、それを回避するどころか反撃をしてくるのは予想外だったのだろう(私も自分の手から火の玉が出るなんて予想外だったが)火の粉に彩られたエレンさんの顔からは僅かに驚きの表情が見えた。
「エレンさん! 私何か悪いことしましたか!? だんまりしてないで喋ってくれないとウヒャ!!」
しかし私の声に耳や口を貸す気はないらしく、すぐさま抜いた刀を両手で握り締め、上段から袈裟切りを放つ。カマイタチの再来。
脊髄反射のレベルでベッドを掛け摺って斬撃の仮想ルートを避ける私へ向けて、無駄のない動作で斜め切り上げ、追い打ちで真っ向から切り下ろしが続く。
哀れ私の代わりにベッドが真っ二つになり、大量の羽毛が舞ってお互いの視界が制限される。
「ちょちょちょちょっと本気で私を真っ二つにしたいんですか!? 今なら五体投地で土下座するくらいで許してあげなくもな……え? いやむしろいま直ぐその刀で切腹するくらいの覚悟で申し開きをだな……ってええ!!」
ちょっと感情的になったのは事実だが、私なんで火に油注ぐ発言してるの!? 許しを乞うのは私の方だろ! という突っ込みを自分でする暇はないのだが……なんだか自分らしくない。圧倒的劣勢にそぐわない強気な台詞が口から勝手に出てきた。さっきから無駄に素早い反射神経だし、掌からファイヤーボールだし、私の体は一体どうなってんの?
此方の思考の迷路などお構いなしに、無言の姿勢を保ったまま羽毛の雪に斬撃の雨を重ね続けるエレンさん。
あんな物騒な刀持って近づかれても困るけど、徒手空拳の間合いの外からカマイタチの連続攻撃をお見舞いされ続けたらどうしようもない。いや、そもそも私じゃ大人のエレンさんが相手じゃ武器なしで取っ組みあっても体格差で負けちゃうんじゃないだろうか?
幸いなことに体は素晴らしい反射神経で動いてくれている。自分の手から偶然飛び出たあまりにファンタジーな火の玉に期待する程危機的状況というわけでもないと、少し落ち着きを取り戻す。ジリ貧ではあるけども。
「エレンさん! 話を聞いてくださ――」
「……」
私は天性の勘? みたいなものに従ってエレンさんの放つ攻撃を避け続けるが、避けきれない角度からの追い打ちなどで腕や足、洋服に少しづつ赤い染みが増えてゆく。
「エレンさん!! いい加減にし――」
「……」
微かな刀の風切り音、それによって切られた高級な家具が崩れる音で世界を塗り替えていく。掃除の行き届いた部屋で立たない筈のホコリが舞う。視界が著しく悪くなってお互いに小休止。エレンさんの方も、やみくもにカマイタチを打ち続けるだけの力はないらしい。
私は考え方を変えることにした。つまり説得を諦めた。生きる事を諦めたわけじゃない。
「相手の口が塞がっているなら体に説得するまでだ!!」
ファイト一発!! ……自分らしい思考って一体なんだろう。とりあえず今はアドレナリンと、それ以上に好き勝手動く体に素直になるだけ。
完全に体を成さなくなったベッドを置き去りにして、私は刀を振り回すエレンさんへ少しずつ近づくことにした。勝算は体が導き出してくれるだろう 。
斬撃に合わせて一歩づつ、2人の距離が縮まるにつれ、私の体に刻まれる赤い線も少しずつ深く、多くなっていく。それでも歩みを止めずにかつ致命傷は確実に避け続ける。
全ては生き残るために……しかし私は今までもこんな命のやりとりしてたのかなあ? だったらもう2度とごめんだなあ。
たった十数秒が何時間にも感じられた。
大きく見開かれたエレンさんの瞳がすぐ近くにある。
刀はもう振られない。振れない距離まで近づいた私に膝蹴りや柄打ちなんかをする気はないのだろうか? それともただ動揺で動けないのだけか。なんだかこの人本来の動きではないような気がする。
「ごめんなさい」
私は一言断ってから(そんな余裕すらあった自分に驚きつつ)右手の平に左手を添えて組んだ腕を、彼女が持つ刀へ定めて一気に押し放った。
一瞬風が湧いた気がする。
優しさに溢れた息吹が私の一挙一同足を見守ってくれている気がした。
両手から伝わった力の流れは間近のエレンさんを置き去りにしたまま、掌底の対象となった刀を真ん中からたたき割って吹き飛ばした。
掌底は本来相手に怪我をさせず行動不能まで追い込む技で、圧倒的優位な立場や、よく訓練された人間が使うものだ。普通のパンチなどと比べリーチが短くなり、表面積が大きくなるため殺傷力、貫通力でも劣る。唯一のメリットは自分の拳を傷め難いことくらいだが……
いくら細くて薄い日本刀だったとはいえ、それを曲げるどころかへし折る程の威力を発揮した掌を不思議に見つめて立ち尽くす私が客観的にみえた。
気付けば美しい歌声が聞こえてくる。
心の優しさと悲しさ、音色の柔らかさと鋭さ、白と黒が混じらずに同居している。
まるで今の私みたいだなと思った。火と風となんか変な体術は私自身の力なのだろうか?
体の中には確実に何かが潜んでいる。そんな風に思っていた方が後で気が楽だろう。
でもそんなこんなの記憶が戻った時、今の私が消えてしまわないかとか、せっかく助けてくれたリリンとエレンさんに正当防衛とはいえ迷惑かけちゃって申し訳ないとか、そんな気持ちも歌声がゆっくり薄めて流してゆく。
“ずっと待っていたの
私を抱いてくれる女の子を”
……ん?
“ずっと願っていたの
私の好みの女の子がある日突然空から降ってくるのを”
なんだか歌詞が可笑し――
“そして願いは叶ったの
これは私の夢なのかしら”
歌声は夢心地へ。
しかし歌詞は相反して現実に引き戻す逆ベクトルが同時に成立する矛盾。
それすら押しとおす膨大な魔力のうねりを感じる……魔力?
“可愛くて儚げで時々男の子みたいにウブな反応してくれる理想の乙女
かつて肉体を共有しあった特別な絆から永遠を誓い合う関係へ……”
私は目を覚ましていたけれど、その歌声(よりは歌詞の内容から)呆気にとられて口をパクパクさせるだけになってしまっている。
“押し付けられた契約から逃れる唯一の術
私だけの愛しい愛しいユ・メ・ル――
「それはきっと夢ですから!! きっと何もかもが間違いですから!!」
寒い、なんだか猛烈な寒気を感じるよ。歌詞のつまらなさ残念さ、それ以上に襲ってくるのは同性からの無用な愛情表現。
「……あらユメル、もう目が覚めていたの?」
エレンさんが持っていた刀の半分を拾い上げたリリン。
指先で刃をちょいちょい突くと真っ黒な影が刀身から飛び出し、空気に混じって消えてしまった。
「魔力をぶつけると消えるみたい。あの黒いのがエレンを操っていたようね」
訊きたい事はいっぱいあったが何から口にすればいいか迷っていた私に、リリンは突然頭を下げた。
「ごめんなさい。私の世話係が大変な迷惑を掛けてしまいました。本当にどう償えばいいか」
「いえ、よくわかりませんけど操られていた? なら仕方がないですし、切り傷はいっぱい作っちゃいましたけど大した怪我は……あれ?」
そんなに長い間気絶していたのだろうか? いやそんな問題ではない。
私についていた無数の切り傷は塞がるなんてものじゃない、跡形もなく消えていた。着ている洋服にさえほつれ1つ見当たらない。散々荒らされていた羽毛や木片、瓦礫だらけだった部屋も完全に元通りになっている。
これが夢でないというならば、
「ホントの魔法……みたいだ」
「そう、私の操る魔法の1つ。でもこんなことでは私とエレンの罪は償い切れないわ……だから!」
絨毯の床から起きあがりかけた私を押し倒す勢いでリリンが抱きついてくる。
「まってリリン! なんか嫌な予感しかしないから!!」
「ユメル! 私を貴方のお嫁さんにして下さい!」
なんでそんないきなり唐突に!? いや突っ込むべきはそこじゃない。
「私も含めてさっきから誰も話についていけてないから! そもそも私たち女の子同士だし! まだそんな歳でもないし!!」
リリンは私よりは年上に見えるが、しかしそれにしても王族とはどんな世界でも焦って相手を決めるものなんだろうか? いや現実逃避したいあまり私も論点がずれている。
「かりそめで構わない! でも本当に愛してくれたら凄く嬉しい!!」
いきなり口づけを迫る彼女をどうにか押し返そうとする私。
無事に正気? に戻っても休む間もなく私たちの下に駆け付けてくれたエレンさん。彼女の助けが入るまでに、部屋は再びホコリに塗れることとなった。