3 初めての情報源……じゃなくて大切なお友達
俺は“大地地下室”と刻まれた、大きくて頑丈そうな扉を開けて勢いよく叫んだ。ちなみに日本語じゃないけど何故か文字が読めたり言葉が通じるのはもう気にしないことにした。
「遅れてすみません!」
先手必勝、弱気な心を奮起させるように声高らかに。遅刻宣言を堂々とした態度で、さも『自分は遅刻なんかしてませんよ、いや実際しましたけど何か問題が?』といった雰囲気を醸し出しつつ歩みを進める。小さな教室だったり、気の小さな教授が相手の時にはこれで出欠確認を乗り切ってきた。
だが……大地地下室はデカかった。少なくとも教室という規模で語るレベルではない。適度な大きさの体育館3つは入るだろうか。入ってすぐのところでは野外教室みたいに椅子と黒板が乱雑に並んでいて、その奥は菜園(規模としてはもはや小さな森)が、こんな大教室でさえ狭いとばかりにひしめいている。
地下室の割に結構な明るさだと思って天井を見上げると、一面が曇り気味なガラス張りだった。そこから日光が調整されて入ってくるようだ。周囲の壁は土のままでコンクリや木材は使われていない。大きく作り過ぎた落とし穴を、そのまま教室として使ってる印象を受けた。
もはや俺の姑息な作戦は崩壊どころか最初から存在してなかったかのような空気になったが、そんなこととは関係なく先生もデカかった。外人だとかそんなレベルじゃない。縦横共に大人2人分はある。これで教えてる授業が魔法生物飼育学みたいなんだったら、とある魔法使いのベストセラー小説に出てくる半巨人を彷彿させる。
かれこれそんなわけで俺の声は高らかに、されど威圧感は皆無で教室に響きわたった。
先生の太くゆったりした声が響く。
「ユメル・バーティシアさんですね、メリー先生と校長、それに警備のライトさんからも話は伺っています。入学早々3人もの先生に目をつけられるとは中々度胸がある。着席なさい。授業を続けます」
巨人おじさん先生の野太い声が、音程だけは高い俺の声なんかとは桁違いの声量で教室中に響き渡る。その上ちゃんと学校の先生らしい丁寧な口調に俺は圧倒的敗北感を味わったが、とりあえず減点も罰則もなくあっさり授業への参加が許可されたので、内心ホッとしながら手近な空席を見つけて腰を下ろした。
「はぁ……なんだか疲れた」
溜め息とともに疲労感がどっと押し寄せてくる。
しかしこんな状態で、こんな世界でもなんというか……勉強するのか?
教室と教師の声、それに木製の机と椅子セットが俺の眠気を誘う。周囲は森といっても差し支えない風景。森林浴にでも来たような気分だ。自分の置かれているおかしな状況なんて段々どうでもよくなってくる。
古今東西授業内容がどれだけ興味深かろうと(たとえ本物の魔法の授業だろうと)昼寝盛りの学生にはあまり関係のないことなのだ。重要なのは最後に手渡される成績表と……人間関係だろうか?
とりあえずお腹も減ってきたのでいっぱい食べてそれから寝たいです。
先ほどまでの孤独と緊張の反動からか、ウトウトしながら巨体先生の話をしばらく聴き流していると、いつからか俺に興味を持っていたのであろう右隣の生徒が、ほんの少しの緊張さえも隠そうと威勢よく話しかけてきた。
「あんたユメルっていうんだ? 最初の授業が始まる前からずっと寝てて、誰とも話そうとしないし、でも先生は知らんぷりだし……一体何しに来たの?」
授業が始まる前から寝てたとか……俺はあの女教師にずっと無視されてたってことか。それはそれで少し悲しいかもしれない……分かってます寝てた俺が悪いんです。
「寝るのが大好きでごめんね。でも寝る子は育つって言うし。ちなみに君はもしかしたら睡眠が足りてないかもしれない」
なんとなくからかってみたくなった俺は、女の子の全体像を把握しながら適当に吹っかけてみた。話しかけてきた女の子の顔は、今の俺より頭半分くらい低い位置にある。胸は言わずもがな。
何を指摘されたのか理解した少女は、授業中であることをまるで気にせず声量を上げた。
「身長なんてこれからいくらでも伸ばすんだから大きなお世話よ。それよりこんなにわくわくすることないでしょ。魔法よ魔法、大が付くレベルの先生が教えてくれる魔法の授業! 世界の心理をこの手で体現するまでの極めて重要な過程よ!
あとアタシの名前はフラメージュ・インディソフィア。フラメって呼んでくれていいわ。よろしくしてあげないこともないから」
見た目よりずっと小難しいことを相手のお構い無しに話しそうな子だと思った。
大層な事を言う割に、彼女の興味は授業内容よりも俺にあるようだったが。
「お……私はさっき先生に呼ばれたばかりだけど、ユメルって言うんだ、よろしく。
えっとフラメちゃん? 君って歳いくつ?」
「11歳よ。アンタも似たようなもんじゃないの? でもそんだけよく眠るんだから、まだまだ哺乳瓶が離せないお子様なのかもね」
11歳とはこんなにも大人で……子供だったんだ。一瞬自分の姿を見直しかけたが色々と考えこんでしまいそうなので我慢。
フラメという名の少女はさっきの俺の言葉を返すように、小馬鹿にしたような笑みで俺を睨みつけてくる。
彼女の、やや色素の薄い金髪がさらりと揺れる。なんとなく日本人を思い出させる茶色っぽくてキツめの瞳。健康を体現したような、まだまだ十分に好ましいと思える程度に肉付きのいい色白の顔と体躯。
彼女や周りの生徒を見てて今更気付いたが、俺も似たような格好をしていることから、これがこの学校の制服なんだろう。
フラメの言動は、いじわるっ子が仲良くなりたいと思った相手に素直になれず、照れ隠しにちょっかい出すあの感じ……だと嬉しいんだけどなあ。
人は20年も生きると周りに極端な性格の人が減る。自分と気の合う人間としか付き合わなくなる。良くも悪くも角が丸くなってくる。
「そうかもしれない……私は一体何歳なんだろうね? というか何者なんだろう?」
二十歳もそこそこでこんなこと言わざる負えない俺の未来はどんなものだろう?
「なによそれ? 自分のことでしょうが」
対称的に自分が確固たる者であることを当然のように語る少女は生気に満ちている。
「フラメちゃんの言うとおり、寝過ぎてちょっとした記憶喪失になってるのかもしれない。まるで今も夢をみてるような」
本当にそうだったらよかったんだけどね。
「どんだけ寝ればそうなるのよ? まさかアタシをからかってるつもり? でもまあいいわ。びっくりするくらい整った顔だし、心の奥まで見透かされそうな真っ青な眼とか。
この私でもちょっと怖いと思ったくらいだけど……声をかけて正解だったみたい。思ったよりずっと人間臭くて……そうね、よだれの跡が目立ち過ぎるわその顔」
「嘘!? まだ残ってた!?」
俺の慌てる顔がそこまで意外だったのか、人並みに慌てる事が嬉しかったのか、フラメは声を殺して笑っていた。わざとらしさなど欠片もない純粋な笑顔だと思った。
「そこの二人、私のお話ちゃんと聴いてますか?」
「「すみません」」
巨人先生の大きいが決して威圧感を感じさせない注意に声を重ねて謝罪する。
俺もフラメにつられて苦笑いしながら、この授業が終わったら絶対に顔を洗おうと思った。
巨人(フラメに訊いたところ“ガブロー”という名前らしい)先生の話は要約すると、
“命を大切にね!”という感じだ……電気じゃないけど似たようなものか。
付け加えるなら自分や身近で大切な人の命を、他人の命と分けて考えるのは間違ってるって、巨人先生はひたすら説いてた。
拡大解釈し過ぎてその内容には同意しかねるが、まだまったく分かってない魔法を学ぶ上で重要な事柄なのかもしれない。いやまったく知りませんけど。
なんとも残念なことに、魔法の実演に移るには相当な時間の拝聴が必要みたいで、俺はとっくに飽きていた。いやもう最初っから聴く気はなかったんだけど。
だから、ちょっと打ち解けられたフラメに色々と訊いてみることにした。多分彼女の性格なら、俺のおかしな質問でも呆れながら的確に答えてくれるのだろうと踏んでのことだ。
「ところでさフラメちゃん、魔法ってどうやって使うの?」
「はあ? 初歩的過ぎてバカバカしい問いだけど……答え辛いわね。アンタ“通神の儀”は済ませたんでしょ? でなきゃここにいられるはずないもんね」
“ツウシンノギ”?
「アンタが儀式で何の媒体を魔道具にしたか訊かないけど“ソレ”に訊けばいいじゃない」
魔道具? やっぱり杖とか振って使うもんなのか、魔法って。
でもライトさんは指パッチンしかしてなかったはず。
「ちなみにアタシの魔道具はこのルビーの指輪。指輪は割とメジャーな選択だけど、決闘の時でも小さくて狙われにくいし、肌身離さず付けていられるから取られる心配もないし、カモフラージュする必要もなく堂々と魅せつけられるわ」
フラメの右手中指には小さな赤い宝石が1つ埋め込まれた金色の指輪がはめられていた。
彼女が宝石を撫でるように触れると、怪しく発光した。
「その指輪がないとフラメちゃんは困るの?」
「困るなんてレベルじゃないわ。これがないとアタシは“アタシの魔法”が使えなくなる。だから大抵の魔法使いは魔道具を常に身に着けていて、あと直接持たなくても発動できる魔道具なんかは絶対に見つからない場所に隠したり……アタシだってやろうと思えば指輪をたくさんつけて、どれが本命かわからなくすることくらいは出来るでしょ」
指輪をちらつかせながらその輝きと共に勝手に怪しく喋り続けるフラメは魔性の女――には年齢も外見も程遠いからむしろ可愛らしかった。
しかし、どうしたものか。
今の俺は制服とローブ以外目立つ物は身につけていない。
服の下は……自分自身の身体検査とか今の俺にはレベルが高すぎる! というわけで後回し。
アクセサリーなんかを身につけてる感覚もないからきっと違う、今はそういう事にしよう。
魔法を使える前提なら、通神の儀とやらを済ませているのなら……
この体の持ち主の魔道具は身につけてなくてもいいものか、今は魔道具を手放していて魔法を使えない状態か。
そんな廻りくどいことをするか?
……俺が“入っている”から? 彼女は最初から誰かと入れ替わるつもりで、それなりに保身の準備をしていたなら?
少しでも情報を得るために“フラメの講義”を続けよう。
「で、その魔道具に訊けば魔法の使い方がわかると」
「わかるのは正確には発動キー……スイッチみたいなものね。
“通神の儀”で媒体にしたモノには命が宿ると言われているわ。確かなのは意思を持って術者を導いてくれるってこと。どんな魔法を使うかは自分で学んでいかなきゃいけないけど……
アンタって自分のことはおろか、魔法についても全然知らないのね?」
「フラメちゃんはなんでも知ってるんだね。こんなにちっちゃいのに偉いや」
「ちっちゃいは余計よ! 直ぐにおっきくなってユメルなんか踏みつぶしてやるんだから」
「それは大きくなりすぎ」
小さな胸を張り腕を組みながら、フラメは偉そうに勝ち誇っている。
性格はガキ大将だけど優等生っぽい(もし暴走したら誰も止められないんじゃ……)
でも、俺とは違って真っ当な子どもしてる。
こんな世界でも異端なのは今の俺の方なんだろう。
「でも、本当に寝過ぎでモノを忘れるくらいなら、何かの拍子で直ぐ思い出せるんじゃないかしら。それまでちっちゃいアタシに面倒見られてもいいんなら、別に構ってあげなくもないわ」
「そうだね。お願いしようかな。小さいけど聡明なお嬢様に」
「何よ。アンタの方がずっと……まあいいわ」
魔法を発動するためのきっかけなんて、まるで見当がつかない。
直ぐ思いつくものとして………今この場で指パッチンを試すのは気が引ける。ライトさんほどうまく鳴らせないし。
昔のアニメとかゲームでやってた呪文を詠唱してみるのは……羞恥心で頭が痛くなるので却下。
放課後、俺のことを知ってるらしい校長先生に会うまで、魔法はお預けにした方が無難かもしれない。
それまでは、この血気盛んな少女と一緒にいるのも悪くない、むしろ楽しいことだろう。
「――あー、こうして話しているだけというのもつまらんでしょう。私にとっても貴方がたにとっても初めての、本格的な魔法授業なのだから楽しく学んでいただきたいしね。そろそろ生命を操る魔法の実践といきましょうか。付いてきなさい。大丈夫。この森に危険な生物はいません……今のところは」
おしゃべりを続ける俺とフラメのことを気していたのか、話を打ち切ったガブロー先生が教室の奥の森に俺たちを先導してくれた。