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26 愛の形

『こっちだよ。早く僕の元においで』


 それが本当に自分の意志なのか判断がつかないまま、俺は頭に響く声がより近付く方へと足を進める。

 こちらの世界では初めてみる病院の廊下を、戸惑いのない確かな足取りで、しかしぼんやりした意識のまま最上階までの階段を登りきる。

 そのまま真っ直ぐ進み突当たりの屋上へ続く扉へ。鍵は掛かっておらず滑らかに回るドアノブの向こう側では、白いベッドシーツが綺麗に間隔を開けて干されはためいている。

 入口から少し進んだところには、黒髪黒眼の少年が俺を待っていた。カラスの濡れ場色のローブが、血の気の少ない少年の顔をより際立たせている。


「図書館で会って以来だね、ユメルちゃん」


 いかにも根暗そうな服装と顔色の割には気さくに話しかけてくる異端児。よくわからないけど複雑な魔法を使うらしい。アニキに大けがを負わせ、しかし自分もお腹に大穴を空けていたはずだが――


「そのマント暑そうですね……ところでなんで私の名前を知ってるんですか? 図書館以外でお会いしましたっけ?」


 この場で10分も立っていたら日焼けで大変な思いをすることになるであろう陽射しの下、ここでどれだけ待っていたのかわからないが、この少年には汗をかくという概念が存在しないらしい。


「僕のチカラは非常に限定的だけど、その分優秀でね。君の名前や過去を知る事くらい簡単なんだよ。例えば――


『“ユメル・バーティシア”11歳

 約5年前、ナオレイナ魔法学校初代校長ガイン・バーティシアの養子となる。経緯は不明だが学校の設立と何らかの関係があると周囲では噂される。それ以前の存在履歴は抹消されている。

 人前にほとんど姿を見せる事なく現在まで養父の元で育てられる。関連性は不明だが、この頃からガインが隣国であるリンドーラの国王やデリント連合国の首長、この国メリストの王と交流を持つようになり、魔法学校の責任者に収まらない権威を得ていく』


 そして現在、突然魔法学校に入学。今まで静かに暮らしていたのが嘘のように、学校内外の人々、事件と関わりを持つようになっている」


 こいつは俺より俺の――ユメルの過去を詳しく知っているのかもしれない。


「一体なんなんですか? 貴方が気になっているのはアニキの方じゃないんですか?」


「そういえばちゃんと自己紹介を済ませていなかったね。僕の名前は“ゼス・トラッド”君の唇が奏でる甘い響きをもってゼス君と呼んでくれ。僕の魔法は、僕自身がその時点で一番強く意識している対象に様々な形で干渉する事が出来るものなんだ。あの時のディノ君の怪我は、彼自身の魔法によるものだ。そして今は……」


 どうみても変態さんですありがとうございました。


「お願いですからこっちに来ないでください」


「つまり僕が今一番気になっているのはユメルちゃん、君さ。僕の魔法を一瞬で把握し跳ね返したあの瞬間……僕の心は君の銀糸に染められ絡め捉えられてしまった」


 リアルで言えば吐き気がするような台詞を歌い上げて1人悶える真性の変態がここにいた。

 図書館で黒ずくめのこいつと出会った時の事は正直あまり覚えていないが、呪詛のような魔法を跳ね返したのはやはり俺だったのか。でもそれじゃあ――


「ゼスく……黒い変態さんは、怪我とか大丈夫だったんですか?」


「ユメルちゃんは本当に可愛いな。いくら僕の名前を呼ぶのが恥ずかしいからってそんなアダ名で呼んでくれるのかい? お腹とか……折れてた足はもう完治したよ。怪我の瞬間は痛みで“自分の事”以外考えられなくなってたから。僕の魔法は臨機応変とはいかないけれど、うまく自分の感情を利用すればこの通り」


 そう言っては怪しげな踊りではしゃぐ黒い変態、もといゼスとかいう黒い少年を、俺は茫然としながら白い目で眺めるしかない。

 あの大怪我を自分で完治させるって、魔法世界でも凄いことなんじゃないだろうか。現にアニキはどうしようもなく横たわっていたわけだし。


「それじゃあお言葉に甘えて。ゼス君の目的はなんなんですか? 私をここまで誘い出したのは」


「ああいいよ!! ようやくユメルちゃんが僕のことを名前で呼んでくれた! 僕はこの瞬間を生涯忘れないだろう!」


 わかったよわかった。もうお前のペースに乗せられてやるからさっさと話を進めろ。

 こんなやつと本気で決闘なんて出来るわけ――


「僕はね、一度好きになった人をめちゃくちゃに傷つけるのが趣味なんだ」


 俺の脳の正常な思考を司る部分が凍結した。

……こいつ真性な上にドSかよ!?

 しかし俺の思考放棄を変態は待っていてはくれない。即時有言実行の変態なんだろう。本当に笑えない。

 図書館で見たときは分からなかったが、ゼスの左腕が黒く鈍く輝くのが一瞬見えた。腕輪かバンドか知らないが恐らく彼の魔道具だろう。

 病室を出た時と同じあの違和感が体中を駆け巡る。これに物理的な風の結界は無意味だと判断した俺は、せめてゼスから距離を取ろうと全力で後ろに飛んだ。しかし屋上出入り口のドアは妖しく閉ざされ、容易く退路を断たれてしまう。


「ぐっ……なんで開かない……の? ……んんんあああぁ」


 急に耳鳴りがして、俺の意識と魔法を使う為の集中力を削ぎ落す。


「こんな狭い病院じゃ僕の魔法から逃げきることは出来ないよ。邪魔が入ると面倒だから屋上も封鎖させてもらった。勿論君への愛が為せる技さ」


 なんでもありかよ!? と突っ込むのは負けた気がしてくる。

 ゼスがゆっくりとこちらに歩いて来る。彼の足音だけが頭に響いて鳴り止まない。

 彼との距離が縮まるにつれ違和感が増してゆく。吐き気が込み上げる。自分の意識を保てなくなる。


「昔のディノ君はカッコよかったけど常に気を張っていて、触れただけで切れるナイフみたいで、僕ですら近寄る事が難しかった。それがよかったんだけどね。だけど昨日、丸くなった彼をいたぶってみて分かったんだ」


 品定めされるかのように髪の毛に触れられる。生理的嫌悪感より倦怠感が大きく、もうほとんど体の自由が効かない。悔しい、歯がゆいと思う感情さえ無気力へ散っていきそうだ。


「触る……な、変態。動……け、お……れの……から……だ」


 口だけはまだどうにか動かせるが、状況を覆す術が思いつかない。無駄口だろうと負け惜しみと言われようと、何か言わないと意識が刈り取られてしまう。


「ディノ君は昔の方が良い。僕がどうにも出来なくてハンカチを噛みしめるくらいツンツンしてた方が良い。だから彼が元通りになるまでは……ユメルちゃんで遊んであげる」


 今にも倒れそうな俺を掴んで壁にドアに押し付け強引に支えるゼス。

 意識が遠のき閉じそうになる瞳を無理矢理こじ開けられる。


「対象がユメルちゃんに限定される魔法だから、魔力反応だけじゃディノ君やお友達に気付いてもらえないねえ。助けが来なくて残念だねえ。

 さて、この純粋無垢な青い瞳を持つ少女をどうやって汚していこうか……あんまりにも綺麗だから少し考えてあげないと勿体ない」


 もう彼の黒い瞳しか目に映らない。深淵なる漆黒からは逃れられない。このまま俺は終わってしまう。彼のノゾムガママ……

 そんな暗い思考の中身さえ支配されそうな俺に手を差し伸べてくれる存在なんて――


『僕のお姉ちゃんを虐めるな!!』


 小さな子供の甲高いソプラノのおかげで、意識が少しだけ戻ってくる。

 俺の制服のポケットから、かつてゼスが俺を足止めするためだけに利用したボロボロの栞が飛びだした。


「栞……ちゃん?」


 図書館でないと力を発揮出来ないのか、それとも単に魔力が残っていないのか、栞はゼスの目の前で精一杯踊り狂い視界を撹乱するが、図書館ならともかくこの場では所詮紙切れ1枚の身。邪魔をされた当人は逆上することもなく、さして興味もなさそうな表情で子バエでも掴むみたいにあっさり栞を掴まえてしまう。


「何だこれは? 以前見たような気もするが、まあどうでもいい」


 ビリビリと断末魔の音を立てて屋上に散る栞。興味のない割に念入りに細かく千切るゼスの行いは俺への当てつけか。しかしあそこまでバラバラにされてしまったら修復する事は……

 何も出来ず壁に貼り付けられたような格好で、その光景をただただ傍観させられた俺。

 怒りは湧いてこない。ただ無力感に苛まれるだけ。そんな感情さえ毟り取られかねない勢いで意識が遠のく。


「ねえ、大丈夫かい? あの時僕の魔法を跳ね返したその力を、また魅せてはくれないのかい」


 御丁寧なことに小さく破り捨てた栞の残骸を病院の真っ白いスリッパで踏み捻りながら俺の顔を覗き込むゼス。今更ながら黒い服装にミスマッチだと思う程度の意識はまだあるか。

 俺は今出せる全力を持って相手を睨みつける。だが顔の筋肉をうまく動かせた自身はない。


「残念だなあ。ユメルちゃんにはもっと別の意味でも期待してたのに。じゃあ仕方ない。予定通り過ぎて拍子抜けするようだが……後はせいぜい泣き叫んで僕を楽しませてくれよ」


 歪んだ性格に似合わず綺麗な両手が、俺に触れようと伸びてくる。ゆっくりと、しかし確実に進む時間を前にして、今度こそ本当に俺は――




『いかん! それはいかんぞ! なんてったってこの体を楽しむのは俺だからな!』


「ん? どこから聞こえる声だ? 屋上一体は結界が張ってあるから干渉出来る者は僕の目に入らない筈は……」


 黒の少年は油断なく辺りを見回すが、緩やかな風の中で白いシーツ以外に動くものはない。自分とユメル以外には人の気配もない。


「ココだココ。貴様の目の前だ」


 目の前の少女が黄金の輝きに身を包んでいた。それは勿論ユメルだ。しかしゼスには信じられない。彼が最も得意とする黒の呪縛で身も心も完全に縛った筈なのに、まるで反対魔法をかけたように対極の……しかも発せられる圧力が尋常ではない。

 もう意識がないはずの少女の口が滑らかに動く。外から操るのではなく、身体の中で意識の支配者が交代したかのように、まるで似つかわしくない口調で喋りだした。


「昔のユメル様“本人”よりずっと強情で純情乙女な魂だったな。だが俺様を永久に閉じ込めておけると思ったら大間違いだ!

 おい! そこの中途半端に変態なお前! ユメル様とコイツの魂に代わって俺様がお前の根性を根本から叩き直す! その後じっくり変態の紳士たる者の王道を教えてやる」


 風が強くなり白いシーツとゼスの黒マントがはためく。

 雲がビデオの早回しのように病院の屋上にだけ集まって渦を巻いた。


「君は一体なんなんだ? ユメルちゃんじゃないのか? 僕の魔法が効いていないのか?」


 ゼスの腕に巻かれた魔道具の光がより強くなる。黒い光が視覚的にも分かるくらい分厚くユメルの体を覆ってゆく。

 しかし少女は上品な顔に似合わず船乗りのように豪快に口を開け笑った。するとそれだけで黒い霧が霧散、同時に黒の少年に初めて焦りの表情が生まれる。


「残念だったな。お前の魔法はヒトの精神に働きかけるようだがその対象は著しく限定的だ。中で眠ってるコイツの魂ばかり揺さぶっても俺様は痛くも痒くもねえ。ちなみにちょいネタばれするが俺はヒトでもねえ」


 大嵐にも負けまいと盛大にツバを飛ばしながら大きなダミ声で喋るユメル。ある意味この状態も“彼”にとってはギャップ萌えの一部なのかもしれない。

 だがゼスにとって今の彼女を見ることは、1人暮らしで普段全く掃除してない女性の部屋を除いてしまった後味の悪さを噛みしめるようなものだった。変態にしては意外と純朴な心も持ち合わせていたようだ。

 魔法的な圧力もさることながら、精神的にも強大過ぎるプレッシャーを背負ったことで思わず後ずさるゼス。


「僕の……僕のユメルちゃんを返せ!」


 必死に腕の魔道具に集中するが、彼の黒い波動は黄金の輝きの前に儚く消え去るだけ。


「無駄無駄無駄無駄! 今のお前は無力の塊。無力は塊であっても無力! 魔力をほとんど持たないそこらの人間と同じだ。ここからは御主人様だって手を出せねえ俺様の独壇場! 謝ったって遅いからな!」


 病院を覆っていたゼスの結界が晴れるのに、そう時間はかからなかった。

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