24 竜問答
『ユメル様には感謝しています……が、何故今更俺を受け入れる気になったのです?』
俺の頭に封印されていた魂が語りかけてくる。
「何故って、君があそこに閉じ込められたままは嫌だって叫んでたから」
壁の向こうの存在に同調した後、一時的に俺の意識は現実から切り離されているようだ。
つまりここは――俺の夢の中みたいなものか。ちゃんと意志疎通が出来るんだから、俺の選択は失敗ではなかったんだろう。
『たったそれだけのことで、命を繋ぐ為に封印した力に対し再び命を掛けると? 貴方は聖人にでもなるおつもりか。助けを求める声があればそれを全て聞き届けると言うのか?』
「“誰かを助けるのに理由は要らない”って名言があってさ。もちろん助けられる力がある事が前提条件だけど。それになんて言うか……俺達似た者同士だし」
『似たモノ同士?』
相手が首をかしげる姿がぼんやり浮かんでくる。フラメの言った通り竜の形でどっしりとしたシルエットだ。
一方の俺は男の姿をしていた。一時でも本来の俺と寸分違わぬ体に戻れてなんだか安心する。
「君も何となく気付いてたから声を掛けてくれたんでしょ? 俺もユメルの体を借りてる別の存在だってこと。だから主従関係じゃなく、同じ体に寄生する同居人としてうまくやっていけるかなって」
『同居人とな……しかし対等な立場だとすれば俺達の精神は余計に摩擦が――』
「だから無理して相手に合わせてストレス感じる必要もない。価値観の違いで意見が割れたら……じゃんけんでもして決めようか」
竜はしきりに首をかしげている。俺の言葉が呑み込めないのか、それとも信じられないのか。こっちとしてはなるようになれとしか――
『したらば早速だが1つ赦しを得たい。引き換えに竜の眷属として力を貸そう』
「ん、もう? そんなに畏まっちゃってどうしたの?」
竜は大きく息を吸い込んだ。大切な事を言おうをしているのだと思い、俺は身を固くする。
「ユメル様の体を使って思うがままに下ネタ発言する権利をくれ」
「……今何て言った?」
空気が凍る。言葉の意味を咀嚼する前に竜が話を進めようとする。
「だから俺が体を借りている時は、あんなことやこんなことを言うのを許してほし――」
「あぁ!?」
自分でもここまで凄味を効かせられるのかというドスの効いた声が出た。竜は若干怖気づいた。
俺にとっては命を掛けた真剣な話し合いの最中にコイツは一体何を言い出すのか。小学生じゃあるまいし。
竜はワケのわからない覇気を取り戻すと、やっぱりわかってないなといった表情で語り出した。
「だからギャップ萌えというやつだ! まだ女の本性というものを知らぬ少女が破廉恥な語彙を連発する異世界を存分に――」
脳みそで“ギャップ萌え”と変換された言語が、はたしてこの世界に存在するのか甚だ疑問だった。
俺は竜の言葉を遮り低い声で返す。
「名前も知らないドラゴンよ。しばらく……いや、俺の中で永遠に眠っていろ」
竜は俺の目の前で自ら再封印の宣告を行ったようなものだ。
『うわっ貴様! 何をする!? さっき対等な立場だと言ったばかりではな――』
無言で竜を組伏せる。主導権を握っているのは俺だからなのか、ここでは竜より体が大きかった。そのまま静かに獲物を地面――思考の壁の隙間へと埋め込んだ。
俺も中身は男だ。だが断じて下ネタ担当の人間ではない。
しかも今は女だ。誰が好き好んで卑猥な単語を連発させるというのか。
……伝説の竜でも、ずっと閉じ込められてたらこんな風に狂ってしまうのだろうか。
1人きりになると、何もなかった空から光が降り注ぐ。もうこんな茶番は終わりのようだ。
「ユメル! 気が付いた?」
顔に涙の跡を残しつつもしっかり俺を膝枕した状態で心配そうに見つめてくるフラメ……凄く申し訳なくなってきた。悪いがあまり話せることは多くない。
「シリアスな夢を見る予定だったんだけど……説明に困るシュールな竜だったよ」
俺が一般常識という圧倒的多数決の力で竜を沈黙させた。
ユメルがあいつを体から分離したワケも納得だった
「そう、よくわからないけど意識はアンタのままなのね。思考が途切れたりはしない?」
「大丈夫。ドラゴンの割に大したことなかったよ。今私の体の中で永眠してるはず」
不思議そうな顔をしているフラメの膝から頭を持ち上げて、俺は一息ついた。
「これからどうしようか。授業に戻る? それとも決闘の特訓にでも付き合ってくれる?」
「えー、せっかくサボったんだからゆっくりしましょうよ。ユメルの部屋荒らしは……本しかなくて詰まんないからもういいけど、お客にお茶くらいは出してもらってもいいんじゃない?」
客とは誰ぞ? と思ったが、ここが俺の部屋だとするならフラメのことか。
確かに来てもらったのだから(正確には押しかけたのだが)お菓子くらい出すべきだろうが……ここはどこに何があるかもわからない“自分の家”だ。
フラメとしては多分俺の体調を気遣って言ってくれてるんだろうからそれに甘えてもいいのだけど、彼女のペースに乗っかって何も起こらない――なんてこと間違いなくない。俺は彼女とたった一日の付き合いでそれを理解している。
このままここにいてもトラブルになるくらいならいっそ、
「そうだ! アニキのお見舞いに行こう」
「自分の体が不安定なのに他人の心配してる場合? それとも決闘相手に対して、宣戦布告を兼ねた挑発でもする気?」
膝枕で少し痺れたのだろう足をさすりながら立ち上がる彼女を確認すると、それ以上反論の機会を与えずに、学校へ戻るゲートへ歩みを進めた。
「話し合いで解決出来ればそれが一番私の為にもなるでしょ?」
「そりゃそうだけど……アンタが慕うアニキはともかく、もう片方のまっくろ黒子みたいなヤツも同じ病院にいるのよ。ヤツは使う魔法だけでなく精神的にも普通じゃないから気をつけなさい、ってじじい――校長が言ってたわ。例え相手が大怪我してるからって、何日か後にちゃんと立ち合いのある決闘があるんだから、それまではむやみに近づかない方が賢明だと思うわ」
「へぇ、フラメちゃんにしては弱気だね? 決闘にお姉さんも関わるからって怖気づいた?」
こういう軽口が叩けるようになったのは心に余裕が出来たからかもしれない。
「お姉ちゃんは関係ない!! けどまあ……アンタも少しは言うようになったわね。その方が張り合いあるかもしれないけど、ちょっと悔しい気もする。
アタシは性根が腐ってたり、心が病んでるような輩は生理的に受け付けないだけ。アタシの灰になるかもしれない人間に割く時間なんてないわ」
真っ直ぐな性格の彼女らしい言い草だ。気の合う合わないが極端なんだろう。
「じゃあお茶は出せないけどココでくつろいでてよ。私1人で行ってくるから」
搬送先の病院は校長かライトさんに訊けばわかるかな。
俺は後ろを振り返らない。信じてると言うよりお互いを暗黙に確認する感じ。
「全く……さっきドラゴンを取り込んだばかりなのに無茶しちゃって」
フラメはブツブツ文句を言いながら俺の後をついてきてくれた。
「別に、アンタを心配してるわけじゃないんだからね。アタシだって戦うかもしれないんだから。そう、ただの偵察なんだから」
特に感慨もないが、今晩の寝床になるかもしれない部屋に一応の別れを告げて、俺達はゲートをくぐった。
「おお、もう帰ったか。して、何か収穫はあったか?」
「校長の部屋で凄くえっちな本を見つけました」
「どん引きでした。メリー先生って校長の奥さんですよね? 校長には勿体無いくらい若い奥さんがいるのに、あんな本を隠してるなんて」
「お主ら……幾重にも巡らせたトラップを掻い潜りワシの部屋に入ったとでも?」
短い沈黙の間に校長の額からツゥと冷や汗が垂れる。
もちろん軽いジョークだったはずなのだが、意外と図星?
「いやいや……冗談はいかんよ。それで、そんなに急いでどこに行こうというんじゃ?」
「アニキ――ディノフィンガー君とついでにゼス? とかいう黒服の少年のお見舞いに」
「一応アタシもついてくから心配しないで下さい」
一度決めたら迷わない。フォローしてくれるフラメに感謝しながら俺は話を切り出す。
「もしかしたら話し合いだけで済んじゃうかもしれないですし。決闘なんて相手は望んでないかもしれません。もう今後悪さはしないと誓ってくれれば学校に残れるんですから」
あまりに安易な発想だっただろうか?
しかし校長は難しい顔をしてひとしきり唸ったものの了承してくれた。
「あんまり意味はないと思うがの。魔で縛るならともかく口約束なんぞ……じゃがまあ無駄足ということもなかろう。少しでも相手の情報を得ることは戦略として悪くはない」
校長がパンッと手を叩くと、一瞬でライトさんが目の前に現れる。この人は単なる渉外とか警備というより、校長の片棒を担いでそうだから油断できない。
「……ユメルちゃんは私が嫌いかい? こうやって顔を合わせても直ぐに離れていく。もっと頼ってくれていいんだよ。私は女性全般にフェミニストなので常に忙しいが、君の為なら一肌と言わず3枚くらい脱いじゃおう」
変なツバの帽子を取って形式ぶったお辞儀するライトさん。こんな風にキザで渋くてそれを変に押し出すから、誰とでも仲良くなれそうで余計に怪しい。
「ユメルにはアタシがついてますから」
俺の腕を引っ張って抱き込む形をとるフラメ。それはちょっと恥ずかしいです。
「おやおやお姫様がもう1人か。貴方も守ってもらう側の人間だと思うのは私だけかなフラメ嬢?」
「フン! アンタもどうせアタシのことを“お姉ちゃんのオマケ”程度にしか見てないんでしょう? 後で痛い目みせてやるから覚悟しておきなさい」
睨みつつ指輪を光らせるフラメ、そこいらのガキ大将を相手にするみたいに余裕の笑みで躱すライトさん。
「本題に入るぞ? ライトよ、この子らを先の問題児達が入院しとる病院に連れて行ってくれんかの」
「よろしいのですか? ディノ君はともかく黒い少年の方は――」
「構わん。行けば自ら判断して行動するじゃろう。その子らを見た目と使う魔法だけで測ってはいかん」
校長の説明だけで納得したのか、ライトさんは俺達に向き直って準備は出来ているかと訊いてきた。
「では“セントナオラ病院”へ案内しましょう」
彼の案内と言っても……結局は転移の魔法で一瞬なのだから、地理とか位置情報なんてこの学校と同じくさっぱりわからないままだろうな。