20 長すぎて短くなった遺言
2度目の地下温泉へ1人で向かった俺。
今回は素足だが、フリフリが邪魔で恥ずかしい服は着たまま(フリフリだろうとなんだろうと裸になるよりはマシだ)風の結界でお湯と湯気を全部吹き飛ばして足場を作りながら歩いてゆく。
目的地の双子像まではほんの数分で辿り着いた。
先ほどの双子とのやりとりの後でも、石像や湯船に変わった様子は無い。
「やっぱり……特におかしなところは見つけられないんだよなあ」
校長の言葉通りモノクルを掛けてみようとポケットを弄る。
フリフリなスカートの癖に、妙に隠しポケットがたくさんくっ付いているのがまた癪に触る。
何番目かのポケットを探ってようやく発見したモノクルは、チェーンなどが一切付属しておらず、円形のレンズにちょっとした取っ掛かりがあるだけのシンプルな形だ。顔の造形が深い人でないと常時装着は難しそうだ。俺なら風の魔法でずっと目線に固定するという力技もあるが。
今回は虫眼鏡を使う時のように片手でモノクルを持って石像を眺めた。
「おおおお……って、何にも視えないじゃん! むしろ真っ暗闇だし!」
透明なはずのレンズを通して見ると、どういう仕組みだか視界が閉ざされてしまう。
もしかすると普段目に映らないものだけが見えるようになるとか……そう思って念入りに温泉や石像を見渡しても、暗闇からは何の反応も期待できない。
「なんだよこれ壊れてるんじゃ……ん?」
突然体の熱が奪われるかの如く俺の魔力がレンズに吸収、凝縮されていく感覚に寒気を覚える。
急いでモノクルを目から離してみたら、透明だったはずのレンズに黒い淀みが発生していた。
淀みはレンズの傾きに従って蕩けるように流れ出し、風の結界によって湯が飛ばされ剥き出しになっている地面へボタリと重たい音を立てて落ちる。
擬音語で表現するなら“ゾワッ”とか薄気味悪いものだったであろう、黒い淀みとなった魔力の塊が急激に拡散、消失した。
「……」
一瞬の沈黙を伴った後、大浴場の隅々にまで黒い魔を浸透させられたお湯が小刻みに、次第に大きな揺れを伴い、大小様々な大きさの雫となって空中に浮かびあがっていく。
雨天時の風景が時を止めてしまったかのように、3次元的な雨模様を描き出した水滴。
それらが今度は少しずつ、俺から50メートル程離れた場所に寄り集まり、巨大な水球が出来上がっていく。
「綺麗……新種の宝石みたい」
美術の成績をアヒルと評価され続けてきた俺でも感嘆の声を上げたくなるくらいだ。まあ創る事と観る事は違うのだろうが。
神秘的な美さを放つ完璧な球となったお湯の塊は、直径で30メートルは下らないだろう、その全てがH2Oという巨大質量。大浴場の反対側まで見通せそうなくらい澄んだお湯が、フラメも知らない浴室の謎の明かりを浴びて七色に輝く。空間が歪んでいるのか、地面が不自然に凹んで水球に場所を譲っている。そうでもしないと、大浴場といえどあの大きさの球体には狭すぎるのだろう。
“美”そのものを体現したかのような佇まいの水球に俺が見入っていると、何処から混じったのか、水の反射や屈折のせいもあって確かではないが、出来あがった水球の中心に異物が浮かんでいるのを見つけた。
「あれはシィとスゥ……双子の魔霊の」
蒸気を放っていた双子の石像が、並んで水球内を漂っている。
この構図は意図的なものなのか? むしろ彼らを核としてお湯が集まったと考える方が妥当か。
『我が後継の資格に辿り着きし者よ。最後の試練を見事乗り越えてみせよ』
男性がエコーを掛けまくったような声に合わせるように、石像が大量の気泡を発生させて、透けるほど透明だった水球を白く濁らせていく。
「その水球を壊せばいいの?」
『左様なり。
私が創り上げた最強の魔装“パーフェクトエレメンタルスフィア”を打ち破った者には、私自身の魔道具と共にソレを与える』
故オッペンハイム本人のものだと思われる朗々とした音声を聞き流しながら、俺は臨戦態勢を整える。両手をそれぞれ握って、その中で空気をギリギリまで圧縮し溜めこむ。
『ちなみにこの場には水しかないが、環境に制限されずありとあらゆる物質を取り込むことで無限の可能性を持ち合わせ、半永久機関として無限のエネルギーを生み出しつつ、無限の攻撃手段を持って局地戦においては最強の存在規定魔法“エリヌエ”を超え得る無敵の存在となるだろう』
最強とか無限とか使い過ぎてなんだかとても胡散臭い。
『その気になれば、かつて世界を2つに分けたとされる“万能の人”が用いた古代魔法を再現することも決して不可能ではないことを補足しておく。
……ちなみに現世最強とされる攻撃魔法が今の新世界の名前と同じことについての考察とし――』
今の自分の限界まで、魔力と空気を正露丸一粒くらいの大きさまで圧縮し切った俺。
長々と講釈をたれるオッペンハイムに少々呆れながら、それが途中でも構うことなく両手の魔法を放った。
「話が長いよ」
極限まで圧縮された2つの風の球は何百倍、何千倍もの大きさを誇る水球に対して、吸い込まれるように食い込んでゆく。形だけはパーフェクトな水球へと、大穴を開けながら中へ中へと侵入する。
『つまりこの世界は……であるからして……の人間が作……で……か』
俺の作った2つの風球が水球の中心に近づいた分だけ、オッペンハイムの声が掠れてゆく。
「ここまでしても反撃しないで全力で喋り続けるのか」
たっぷり一分はこの状態が続いただろうか。ある意味で大したものだと思う。
ゆったりとした速度で、しかし着実に風球が水球の中心部、双子の石像に辿り着くその時まで、結局オッペンハイムが話を止めることはなかった。
「緊張して損した……弾けろ」
もうほとんどヤル気を失ってダレている俺の呟きに応え、二つの風球はそれぞれ二体の石像に触れると同時に破裂した。
水球内での風の解放による大爆発は、俺の耳になんの刺激も与えなかった。
流石というべきなのか、水球は大爆発の直後も一瞬とはいえその球体を保持していたことで、爆発音が漏れずに済んだのだろう。
だが毒を食らった生き物のようにその形を徐々に崩し、粉々になった石像と共に湯船へと帰っていく。
「これで……終わり?」
呆気ないにも程があるけど、数々のユニーク過ぎてまともに使えないマジックアイテムや、あの双子の大した健闘っぷりを見てきた後なので、まあこんなものかと思う事にした。
好意的に解釈するならば、きっとオッペンハイムという人は、魔法を純粋な兵器として使うことを忌み嫌ったのだろう。
その結果が常人には理解し難い成果を生み出したとしても仕方ない。
それでも、もう少し魔法が日常生活に利用されているような世の中だったなら……この人も報われたのかな。
どちらにせよ天才が考える事なんて俺には理解できない。
理解できないのだから、天才なんてものに出会ったことは一度もないと言っておしまいだ……
“僕達を解放してくれてありがとう”
“貴方の神がその手を離しませんように……祈っています”
「……それで、オッペンハイムの魔道具は?」
フラメは一目で俺が無事なのを確認すると、直ぐに最強の魔道具へと話題を移した。
「もうちょっと心配してくれても――」
「最強の魔道具は?」
「うっ……それが、ちょっとやり過ぎちゃったみたいで」
俺は恭しくポケットをまさぐり両手をフラメの前に突き出した。
右の掌にはビー玉くらいの透明な球……であったと思われるガラスの欠片がいくつかのっている。
左手には、平和な日本ではまず拝むことのないであろう“拳銃”のような武器が、銃身から真っ二つに裂けて無残な姿を晒していた。
「大浴場を流れるお湯がオッペの魂の在処そのものだったんだ。だから吹き飛ばしたり蒸発させるんじゃなくて、魔力をお湯に親和させる事が鍵だったみたい。
そして双子の石像には、魔道具と最強の兵器(笑)が隠されてたんだけど」
「そう……アタシ達が石像に隠された魔道具を見つけられなかったのは、双子の魔霊そのものが結界にでもなっていたのかしら? それとも長年放置されてきたせいで、魔力の残滓さえ全く残っていなかったか」
「多分そんなんじゃないかなあ……結局ちょっとした戦いになったんだけど、私が張り切り過ぎちゃって」
石像もろとも修復不可能なまでに破壊し尽くしてしまった訳で。
「……まあ残念だけど、アンタの魔法で壊れるくらいだから、最強ではなかったんじゃない? もしかしてアンタが最強?」
「そんなことはないと思うけど」
正直双子の魔霊にも悪い事をしてしまったと思う。
ここに姿を見せないってことは、最初の予測通りあの石像が依り代だったのだろう。
俺がくしゃくしゃにしてポケットに捻じ込んでいる栞と同じような存在だったのだから、形は違えど2つの命をこの手で奪ってしまったことになる。
蚊を1匹潰すより人間1人を殺す感覚に近いものを再認識したことで、俺は今更ながら殺人という名の罪悪感が重くのしかかって来るのを感じた。
「フラメ様。お母様が目を覚ましましたよ」
「せっかくだから皆でお風呂に入り直そうってさ」
双子の魔霊が俺達を呼ぶために壁をすり抜けてきた……アレ?
「ええそうね。
ユメル。“アタシ達”の為にここまで頑張ってくれてありがとう。お陰で一応コイツ等とは和解できたし、お母様も子供がいっぺんに3人も増えたみたいで嬉しいって言ってるわ。もちろんアンタを含めてね。
これからはいつでも家に遊びに来ていいからね。魔霊と家族全員で歓迎するわ」
結果オーライと思うことにしよう。
この後俺にはフラメの家族(+魔霊のシィとスゥ)と一緒に3度目の温泉に入るという、ある意味本当の地獄が待ち構えていた。魔霊は霊なので2人はお湯に浸かれるわけではないが。さらにフリフリの服とはまた別に程々透け透けピンクのネグリジェを着せられ、フラメと同じベッドに入り遅くまで女の子同士の会話を堪能させられて……俺は今度こそこの体への耐性を得たと言えるのかもしれない。
これでよかったんだろうか?
朝目が覚めたら全てが夢でした、なんてことになったらそれはそれで勿体無い気もする。
入れ替わりという形で異世界に迷い込んだ今日この日は、俺にとって忘れたくても忘れられない、人生で一番長い1日となった。