01
ページぐらいの短い話です。そんなにいかないかも知れません。
全体が仕上がってから、直しをする必要があるように思うのですが、意図的に修正は出来るだけ排除するつもりです。とにかく、僕はスピーディーを大切にします。かなりプロトタイプの状態になるかも知れませんが、小説は書いた次第にアップしていきます。このスタンスは当分続けるつもりです。なので、完成度そのものは弱くなると思います。僕のような、まだ未熟な段階であれば、完成度そのものよりも、数をこなしたほうが良いように思うのです。膨大な失敗。それが今の課題です。
手本にしたのはドンデリーロの『ドストエフスキーの深夜』です。構造はほとんどそのまま盗んでいます。ですから、完全に僕のオリジナルとは、到底言えません。
こういうやり方は、1アーティストとしてはまずいと思いますが、まだオリジナルを生み出せるほどの技術が無いのです。将棋でいうところの、他人の棋譜を並べるというやつです。
あと少しで、何かが掴める気がします。あと2,3作品。それだけ作れば、何かが見えるようになる気がします。もっとも、いつもそんなことを言っているような気もしますが。
それからもう一つ。
作品の読みやすさや、楽しさについて最近よく考えていました。読みやすいもの、ライトなものでないと、多くの人は読みません。文字の多さや緻密さは嫌がられるものです。
とくにその傾向はインターネットでは強く、人々は好きなモノをその都度、自分の感性に従ってチョイスします。その時に、わざわざ文字の多い、面倒くさそうな作品は読まないのです。
ですから、文字の少ない、ライトで、かつクォリティを探究したかったのですが、今の段階では難しいことに気づきました。文字数は減らさないようにします。緻密さも大切に。それで、しばらく続けてみて、様子をみます。その間に、僕の技術も上がれば、ライトに仕上げてもクォリティをあげることが出来るようになっているかも知れません。
そういうスタンスで、しばらく、作品を作っていこうと思います。
『あの子』
嘲笑するのが僕らの仕事だ。時代遅れの色のスーツを着たサラリーマンが信号の点滅に慌てていた。がに股で、左右にステップを踏む。ハンドルにもたれた運転手が怒るきっかけを得ようと、前かがみになり横並びしている。季節は哀しい秋で、大学は都会に埋れていた。ほとんど窒息しかけていた。もしかしたら、もう窒息しているのかも知れない。ビルの間に窮屈に、肩をせばめて顔を覗かせる校舎は、間抜けなカメみたいだ、と僕らは言った。僕らはいつも歩いていた。気が乗らないと授業から離れて街に出た。そして、いつもだいたい気が乗らなかった。雲はニソニソ笑いながら、ビルのすぐ上で流れた。風は乾いて、道に跡を残した。僕らは授業にきちんと出席する生徒たちを真面目っ子と呼んだ。教育ママに育てられた従順な真面目っ子。彼らはロボだ。綺麗にノートを取り、他人に供給するのだ。高架下の影から険しい顔が現れた。高層ビルの階段の踊場で、男が二人、タバコの薄い煙を風になびかせていた。街は音で満ちている。
五分置きに、電車がやってきて過ぎて行った。本屋に寄る途中の道で、僕らはそれを眺めた。電車の中で人々が、無表情で立っている。彼らは僕らに見られていることに気づいていない。滑稽な見世物のようだ。街で載せた多くの人々を、電車は次の街へと供給する。英作と僕は、電車の中の人々の辛抱強さに小さな羨望を抱きながら、呑気に歩いた。雄大な時間の広さを感じた。やがて失われる、呑気で雄大な時間を。
授業以外の場所で彼女を見たのはその時だった。僕らは彼女が、どこからやってきて、どこへ行くのかを議論した。僕らの会話の中心に、いつも彼女がいた。彼女はたった一つの授業に出席し、街を歩き、僕らの思考の中を歩きまわった。時々、実際に目の前に現れた。彼女は小さなバッグに手を添えて、遠くの曲がり角に消えようとしていた。長い黒髪が、余韻を残した。
「あれは彼氏の家から出てきたところだ」と英作が言った。
「そうじゃない」
「それなら、これから行くところだ」
「彼女に彼氏はいないよ」
「小さなバッグを持っていただろう?」
「だとしたら?」
「大きな荷物は彼氏の家に置いてあるんだよ。小さなバッグに入る荷物だけを持ち歩くんだ」
「家が近いんだよ」
「諦めが悪い」と英作が言う。「認めてしまえよ」
僕は彼女が彼氏の家から出てくるところを想像した。彼女の頑なな冷たい表情が、あるアパートの一室で崩れるところを。いつもタイトなジーンズを履き、厳しい印象を与える黒い服を着る彼女が、緩んだ首のTシャツを着て、彼氏の横を笑いながらサンダルで現れるところを。僕は悔しくなった。ムカムカした。議論をやめないためにも、認めるわけにはいかなかった。少しでも多くの時間を、僕は彼女について話していたかったのだ。言葉が彼女について触れているのは、喜びだった。英作は関心の無さを装い、僕を虐めるフリをして、同じ心境を共有した。
僕らはヒロシのアパートにやってきた。彼は台所に立って歌を歌っていた。
「冷静に考えてみろよ。当たり前に、普通にさ」と英作は言った。「俺たちが美人だと思うような女に、どうして彼氏がいないと言える?今までたくさんの失望を経験して来ただろう。美人と呼ばれる多くの女には彼氏がいる。ほとんど必ずと言っていいほどね。あの子も例外じゃないさ。お前の気持ちもわかるけどな、普通に考えてみなよ」
「あの子に彼氏はいないよ」と僕は言った。「いるならとっくに、一緒にいるところを見ているはずだ。そんな素振りだって見せたことが無い。彼女に彼氏はいないんだよ」
英作は、ふうむ、と微笑んで言った。彼は僕の幻想を、これ以上壊すつもりは無いみたいだった。英作はいつでもモラリストだった。グループの道徳を決定する、一本の強い柱だった。生まれついてそうなのだ。髭の薄い白い肌を持ち、清潔で、整った顔立ちをしている。ボタンを首もとまできちんと止め、手を拭くためのハンカチをこっそりと持ち歩く。身長は少し高く、引き締まった身体付きをして、いつも脂肪を恐れていた。彼がテニスサークルに入ったのは、抑えがたく彼の内面と一致しているからだ。生まれついてまともな、好青年なのだ。彼の道徳観に人々がうんざりしなかったのは、それを巧みに隠したからだ。バランスを保つために、彼は時々、悪者を演じた。授業や義務をよくさぼった。モラリストであることがバレるのを、彼は恐れていた。若者の勲章である悪と、生まれついてのモラリストの間で彼はいつも揺れていた。自分を汚すために、よく唾を地面に吐いた。自分の変えがたい清潔感に時々、嫌気がするみたいだった。「俺なんて良いとこのお坊ちゃんだよ」と彼は自分を卑下して言った。気分が落ち込んだ時にだけ浮かび上がる、彼の内面に沈んだ憂鬱な栓。
僕は幻想的な希望を、彼女に当てはめたい気持ちになっていた。育てた幻想に、わくわくしたかった。家具を買う時、どんな風に配置するか空想して楽しくなる、あの感覚に似ている。
「もしかしたら彼氏なんていたことなかったんじゃないかな」僕はそう言った。「それとも、これまで何人か付き合った彼氏に、抑えがたい違和感を感じていたか。彼女は誰ともうまくいかなかったんだ。付き合う度に、何か違うなという感覚を抱き、彼女は長続き出来ずに来たんだ。しばらく付き合うと、その人よりももっと素晴らしい誰かが現れるような気がしてしまう。この人だ、と言えない自分に苦悩する。私に結婚なんて出来るかしら?と彼女は思う。これまで誰一人に対しても、確信を持てずにきたのに?これまで出来なかったことが、急に出来るようになるかしら?彼女は不安なんだよ。これからもそうした状況がずっと続くことに。不安を鎮めてくれる誰かを待っているのさ」
「始まった」と英作が笑った。
「うまく出来たと思ったけど」と僕らは笑った。
屋上から夕日の沈む不吉な空が見えた。大気の深い呻きと、路上の喧騒の間に、駅と大学の校舎が見えた。ヒロシの住むマンションは駅のすぐ側で、屋上では住民の洗濯が風になびいている。大学の校舎の頭が微かに見え、その下では授業を終えた生徒がそろそろ帰宅し始める頃だった。彼らは電車や、大学や、社会と密接に関係し、同じリズムで地上に広がった。
「でもさ、もしかすると、本当にあるかも知れないだろ。本当のところ、彼女がどんな人間かなんてわからないんだから?」
ヒロシは屋上の高台に腰掛けて、街の上空に乗せて歌った。彼の身体には歌が染み付いていた。気取らずに歌える才能を持っていた。僕たちは彼の歌を茶化さなければならず、時々は素直に、真剣に耳を貸した。黒人のアドリブを真似て、喉をかすらせて、彼はユーモラスにメロディを変えた。