第7話 ドジっ子爆乳悪魔の初バイトは前途多難!
「なーおーきー!!」
朝っぱらから、耳をつんざくような声で叩き起こされた。
「……どした?」
半分寝ぼけたまま体を起こすと、目の前にプリンが仁王立ちしていた。なぜか妙にテンションが高い。
「バイトしたい!」
「……は?」
「直樹みたいに、あたしもバイトしたい!」
「なんで急に」
「だって、人間界の社会勉強って大事でしょ? それに、お金を稼ぐって、ちょっとかっこよくない?」
悪魔のくせに、変なところで意識が高い。
「……まぁ、確かに社会勉強にはなるけど」
そういえば、今週で夕方シフトのスタッフが一人辞めるって店長が言っていた気がする。
「ちょっと待てよ……」
スマホを取り出し、コンビニの店長に電話をかける。
「もしもし、店長ですか。実は――ということなんですが」
事情をざっくり説明すると、店長は少し間を置いてから笑った。
『あの子、まだ居たんだ。いいよ、連れてきな。人手は欲しいし』
「ありがとうございます。今日連れて行きます」
電話を切ると、プリンが期待に満ちた目でこちらを見ていた。
「……どう?」
「OKだって」
「え!? 本当!? やったぁ!!」
ぴょん、と飛び跳ねて喜ぶ。
その拍子に胸が大きく揺れて、俺は反射的に視線を逸らした。
「とりあえず、今日は夕方からな。俺の授業が終わってから」
「りょーかい!」
悪魔のバイト初日。
嫌な予感しかしなかった。
夕方。
二人でコンビニに向かい、店長から制服を渡される。
「更衣室で着替えてきな」
「はーい!」
プリンは元気よく返事をして、カーテンの向こうに消えた。
数分後。
「……直樹」
妙に弱々しい声。
「ん?」
カーテンが少しだけ開き、プリンの顔が覗く。
「これ、サイズ……合ってないと思う」
言われて視線を下に落とした瞬間、思考が停止した。
制服の胸元が、限界まで引き伸ばされている。
ボタンは今にも弾け飛びそうで、布地は悲鳴を上げているかのように歪んでいた。
「……ちょっと待て」
「ねぇ、これ普通?」
「普通じゃない」
「人間界の服、弱すぎない?」
問題は服じゃない。
「サイズ、替えてもらうから」
店長に事情を話すと、苦笑しながら首を振られた。
「あれ最大サイズなんだけどねぇ……。男物の制服は今、店に置いてないんだよな」
「……分かりました」
「まぁ、動きづらかったら言って」
いや、動きづらいどころの話じゃない。
バイト開始。
プリンはレジ担当。
「いらっしゃいませぇ!♡」
元気な声と笑顔。
それだけで客足が目に見えて増えた。
ただ――。
動くたびに、ミチッ……と嫌な音が聞こえる気がして、俺の心臓が縮み上がる。
(頼む……耐えてくれ……)
プリンは無自覚に胸を張り、商品を受け取る。
そのたびにボタンが悲鳴を上げる。
見かねて、俺は極力、プリンの動作をフォローすることにした。
「その棚の下段、俺が取る」
「え? いいよ?」
「いや、俺がやる」
前屈みになるたび、事故が起きそうで怖すぎる。
さらに、名札が胸に引っかかって外れなくなったときは、もう心臓に悪すぎた。
「……取れない」
「ちょ、待て、今取る」
距離が近い。
近すぎる。
プリンは無邪気な顔で俺を見ていて、俺だけが勝手に意識している。
(……なんでこいつ、こんな距離感ゼロなんだ)
その時。
店のドアが開き、見覚えのある女性が入ってきた。
――元カノだった。
レジに立つプリンと、そのすぐ横にいる俺を見て、目を見開く。
「……直樹?」
しまった、と思った。
俺はちょうどドリンク補充の途中で、レジ裏に下がるところだった。
「知り合い?」
プリンが首を傾げる。
「え、えっと……大学の友達で」
元カノの視線が、プリンの制服姿をじっと見つめる。
「……前に学食にいた子?」
「あ、はい!」
「手伝い?」
「そうです!」
間髪入れず答えるプリン。
元カノは少しだけ沈黙し、それから冷めた笑みを浮かべた。
「……手伝いにしては、ずいぶん気合い入ってる服装ね」
確かに、サイズが合っていない。
「売上、上がるかなって思って!」
プリンは悪気なく言った。
「……女の子にそんな格好させるなんて、最低」
それだけ言って、商品を持たずに店を出て行った。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
閉店後。
帰り道、夜風に当たりながら歩く。
「ねぇ、直樹」
「ん?」
「さっきの女の人、なんで怒ってたの?」
「……機嫌が悪かったんだろ」
プリンは納得していない顔だったが、それ以上は聞かなかった。
少し歩いてから、ぽつりと言う。
「……元カノ」
「え?」
「さっきの人、元カノでしょ」
一瞬、言葉に詰まった。
「……よく分かったな」
「直感」
プリンは得意げに言った。
「なんで別れたの?」
少し迷ってから、正直に答える。
「……向こうに、好きな人ができた」
「……そっか」
夜の街灯の下、プリンは少しだけ俯いた。
「直樹、優しいのにね」
「そうでもない」
「ううん。優しい」
そう言って、俺の腕にそっと触れる。
その距離の近さに、また心臓が跳ねた。
「……今日、楽しかった?」
「うん!」
即答だった。
「ドジばっかだったけど、すっごく楽しかった!」
その笑顔を見て、胸の奥が温かくなる。
「……そっか」
たったそれだけのやり取りなのに、なぜか特別に感じた。
こうして並んで歩く帰り道も、
コンビニの制服も、
ドタバタな初バイトも。
全部、悪くなかった。
いや――
むしろ、かなり良かった。
俺は、知らないうちに、プリンの存在が日常の中心に入り込んでいることに気づいてしまっていた。
そして、それを――
悪くない、と思っている自分がいた。
■影の接触
― ルシア・サイド ―
魔界中央府、第三深層区画。
一般の魔族は決して立ち入ることの出来ない、重層結界と監視魔法に覆われた会議室。
天井から垂れ下がる淡紫色の魔灯が、無機質な石造りの円卓を照らしている。
そこに、ルシアは一人で立っていた。
――呼び出し理由は、知らされていない。
だが、直感で分かる。
これは“普通の仕事”ではない。
空間が歪み、三つの影が同時に出現する。
魔界保守派エリート。
政府中枢を事実上支配する、影の意思決定層。
表舞台に姿を見せることはほぼなく、存在そのものが噂と記録の中にしか残らない存在。
「――久しいな、ルシア・アル=ヴァルナ」
最も奥に立つ老魔族が、穏やかな声で言った。
柔和な表情。
だが、その目は、全てを見透かす捕食者のそれだった。
「お呼び立ていただき、光栄です」
ルシアは一礼する。
姿勢は完璧。
声色は淡々。
感情は、完全に封じ込める。
「単刀直入に言おう」
別の魔族が、魔法映像を展開する。
そこに映し出されたのは――直樹。
日常の風景。
眠そうな顔で歯を磨き、プリンと些細な言い合いをしている、ごく普通の青年。
「……」
ルシアの指先が、わずかに強張る。
「この人間だ。次元門の適合率、理論値の三百七十倍。
魂構造は未解析。魔力耐性はゼロに近いにも関わらず、ゲート反応を完全に受容する特異体質」
「君なら分かるだろう?」
老魔族が、静かに微笑んだ。
「この人間を“管理”すれば、魔界は百年、いや、千年単位で安定する」
管理。
その言葉の意味を、ルシアは正確に理解していた。
監禁。
実験。
拘束。
魂構造の解体解析。
生きたまま、研究材料にする。
「研究協力を要請する」
第三の魔族が言った。
「君には、次元工学と心理誘導の両面で卓越した才能がある。
この人間を制御下に置く役目を、君に任せたい」
さらに条件が提示される。
「魔界中央府・特別研究局局長の席」
「次期評議会入り」
「貴族階級への昇格」
「権力、地位、予算、全てを保証しよう」
どれ一つとして、嘘ではない。
この提案を受け入れれば、ルシアは一気に魔界の中枢へと駆け上がる。
それは、誰もが夢見る“出世ルート”。
だが――
ルシアの脳裏に浮かんだのは、魔界の玉座でも、権力でもなかった。
狭いアパート。
雑然とした部屋。
眠そうな顔の直樹。
不器用に笑うプリン。
あの、歪で、騒がしくて、どこか温かい日常。
それを、壊すという選択。
「……」
沈黙が落ちる。
保守派の三人は、焦らず、ただ待つ。
断れないことを、分かっているからだ。
ルシアは、ゆっくりと息を吐いた。
「……検討させてください」
即答はしなかった。
わずかな間。
空気が張り詰める。
やがて老魔族が、満足そうに頷いた。
「賢明だ。君ほどの人材が、感情で即断するとは思っていない」
「猶予は四十八時間だ」
「それまでに、返答を」
次の瞬間、空間は歪み、三人の姿は霧のように消えた。
会議室に残されたのは、ルシアただ一人。
彼女は、しばらくその場から動かなかった。
拳を、強く握り締める。
「……最悪のタイミングね」
小さく、呟く。
保守派。
軍。
政府。
三つの巨大勢力が、同時に直樹へと手を伸ばし始めている。
逃げ場は、もう無い。
正面から対抗すれば、即座に潰される。
ならば――
ルシアは、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「……二重、いえ。三重スパイ、ね」
自嘲気味に、笑う。
軍には、作戦情報を流し、動きを探る。
保守派からは、研究データと政治的意図を引き出す。
政府には、正式な調査として潜り込み、全体構造を掴む。
三方向から情報を吸い上げ、
裏で一本の線にまとめる。
失敗すれば、即処刑。
成功しても、誰にも評価されない。
それでも――
「……守るって、決めたんでしょう」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
直樹の存在は、魔界にとっては“鍵”でしかない。
だが、ルシアにとっては。
あの青年は――
壊していい道具なんかじゃない。
転送魔法陣を展開する。
人間界への帰還。
何も知らず、日常を送る二人の元へ。
ルシアは、その中心に立ち、目を閉じた。
――敵を欺くには、味方から。
その言葉が、静かに胸の奥で反響する。
この瞬間から。
彼女は、誰にも真意を明かさない、
孤独な戦争に身を投じた。




