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第2話 悪魔と大学とコンビニと。

 俺は小さく深呼吸した。

 ――まだ現実を飲み込めていない。

 頭の中を整理しよう。

 朝、身体がやけに重くて目を開けたら、見知らぬ女の子が俺の上で寝ていた。

 その女の子は悪魔で、名前はプリン。

 誰かに召喚されたと思って人間界に来たものの、実は夢の中の出来事を現実と勘違いしただけだったらしい。

 しかも、元の世界に帰るには、なにか「成果」を持ち帰らなければならないという。

 ……うん。意味が分からない。

 とりあえず、こんなところか。

 俺はブランケットにくるまったプリンをちらりと見た。

 その姿がやけに艶めかしくて、視線を逸らす。

 クローゼットからジャージとシャツを取り出し、放り投げた。


「服、無いんだろ。とりあえずこれ着とけ」


 一瞬きょとんとした顔をしたあと、プリンはにぱっと笑ってそれを受け取った。


「ありがとー!♣」


 数分後。

 全身鏡の前でポーズを決めるプリンの姿に、俺は思わず目をそらした。

 ――胸がはち切れそうになっている。


「ちょっとキツいかな?♡」

「……取り敢えず、だ」


 これ以上見ていると精神がもたない。


「俺、これから大学。そのあとコンビニでバイト。帰りは夜十時くらいだ」

「だいがく? こんびに?♠」

「大学は学校。コンビニは……まあ、なんでも売ってる店だ」

「えー! 行きたい!☆」

「却下」


 即答。


「あ!そういえば、『人間界の歩き方』ってガイドブックに書いてあったのを思い出した! コンビニはなんでも売っている楽園だって!」


 どんな本だよ。


「東京タワー! スカイツリー! 竹下通り! お台場! レインボーブリッジ! 富士山! 金閣寺! 法隆寺! 食い倒れ人形!」

「ストップ! 分かった、分かった!」


 俺は頭を抱えた。


「……今日だけだぞ」

「やったー!♡」


 観光客か。

 大学では、簡単に講義の説明だけして、昼に学食で落ち合う約束をした。

 ――が。

 その判断は、後にあるトンデモナイことを引き起こすことになるとはその時は知る由もなかった。


 プリンは数学の講義に潜り込み、ホワイトボードに書かれた数式を一瞬で解いてしまったらしい。

 教授は目を見開き、何度もホワイトボードを見直し、ついには知り合いの数学者に写真を撮って送り、電話までしていた。

 もしかしたらこれは合っているかもしれない。

 もちろん再度検証する必要があるという結論に至った。


「君、何年生?」


 教授がプリンに質問する。


「悪魔養成学校、デビ☆ルンルン☆アカデミアの一年生だよ♡」


 一瞬の沈黙。


 あまりにもふざけた名前で教授は笑ってしまった。

 そして、つられて教室中に吹き出す笑い声。


「そんな学校あるわけないだろ――」

「なんだよ、デビルンルンってよ。幼稚園の名前でももっとマシな名前付けるぞ」


 教室中に笑いと嘲笑が広がった。

 それを目の当たりにしたプリンは身体中を震わせながら


「バカにするなぁアアァアア゙ア゙ア゙ァ!!」


 と、大声で怒鳴った。

 次の瞬間、教室の壁が半壊し、窓ガラスが粉々に砕けた。

 一瞬で静まり返った教室。そして皆凍りつく。


「……よ、良く考えたら、す、素晴らしい名前の学校ですね……。」


 学生が震える声で呟いた。


「でしょ♡」

「デビデビルンルンデビルンルン」



 昼休み、学食。

 プリンは学食に並ぶ様々な料理を見て、目を輝かせていた。


「人間って、毎日こんなに色んなもの食べてるの!? すごい!!」

「まぁ、俺はだいたい日替わり定食かな」

「ふ〜ん、そうなんだ♤」

「プリンは? いつも何食べてるの?」


「人 間 の 心 臓 だ よ☆」


 周囲の視線が一斉に刺さる。


「冗談!! 冗談!! 心臓に見立てたチョコレートだよな?!」


 必死に否定し、話題を変える。


「そうそう、午前中、何の講義を受けてたんだ?」

「数字がいっぱい並んでるやつ!」


 あー、数学か。

 俺は文系だからあまりそっちの方には明るくない。

 プリンが続けて、さらっと公式名を口にした。


 ――聞いたことがある。


 なんとかの最終定理とかってやつだ。

 数学界でも未解決の、超有名な難問。


「それ……その公式をどうしたの?」

「みんなの前で解いちゃった♡ そしたらみんな固まってた」


 冗談だと思っていた俺は、あまり本気にはしなかった。

 プリンはがほっぺたを膨らまして怒りだした。

 プリンは突然数式を言い出した。


\zeta(s) = \sum_{n=1}^{\infty} \frac{1}{n^s} = \prod_{p: \text{prime}} \frac{1}{1 - p^{-s}} \quad (\text{Re}(s) > 1)


\xi(s) = \frac{1}{2} s(s-1) \pi^{-s/2} \Gamma\left(\frac{s}{2}\right) \zeta(s)


\xi(s) = e^{A+Bs} \prod_{\rho} \left(1 - \frac{s}{\rho}\right) e^{s/\rho}



 その場で数式を復唱されて完全に固まった。

 これが悪魔の証明か。

 周囲もざわつく。

 ……やばい。連れて歩く存在じゃない。

 そこへ、女の子が声を掛けてきた。


「直樹、新しい彼女?」


 数ヶ月前に別れた元カノだった。


「ち、違う。遠い親戚の娘で、大学見学に来てるんだ」

「ふーん」


 それだけ言って去っていく。

 嫌な汗が背中を流れた。


「ねぇ、さっきの人、彼女?」

「余計なこと気にすんな」

「向こうで人間界のドラマ観てたんだ――」

「え? ドラマ?」

「カレシとカノジョって、ニクタイカンケイ持つんでしょ?」


 思い切り吹き出した。

 周囲の学生が咳き込む。


「ラブホテル行ったり、あと女の人が男の人の名前を叫びながら“セックスしよ!”って――」

「ストォォォップ!!!」


 俺は逃げ出した。

 追いかけてくるプリン。


「なーおきー! セックスしよー!☆ これ有名なセリフなんでしょ?」


 盛大にすっ転ぶ。

 コントか。


「そういう言葉は外で言うな!!」

「でもドラマでは――」

「ドラマは嘘も多い!!」


 プリンはしばらく考え込み、


「じゃあ、崖で犯人追い詰めたりもしないの?」

「しない」

「出会い頭にぶつかって恋に落ちたり?」

「しない」

「ケージさんがカツドンをくれるのは?」

「しない」

「都心のOLが4LDKのタワマンに住んで毎日高級レストランで外食――」

「……それは、稀にある」

「えー! 本当じゃん♡」


 会話が疲れる。

 午後の講義を終え、そのままバイト先のコンビニへ。

 案の定、プリンは大興奮だった。


「なにここ天国!? 光ってる! 音楽流れてる! 全部欲しい!」

「触るな! 走るな!」

「その子誰?」


 店長が話し掛けてきた。


「あ、おはようございます! えっと、ちょっと遠い親戚の子が遊びに来てて、バイトに付いてきたんですよ」

「へー! そうなんだ。キミ、名前は何ていうの?」

「あたしの名前はプリンです!」

「ぷ、プリン? ちょっと変わった名前だね」

 そう言われてキョトンとしている。

 俺がすかさず

「まぁ、最近のキラキラネームってやつですよ。ハハハハハ……。」

 店長は納得したような表情になり

「あー、最近若い子によくいるよね。でも、インパクトあるからすぐ覚えれるのは良いと思う」

 流石、店長ナイスフォロー。

「店長、店内を見たあとバックヤードに連れていきます。」

 


 そして事件は起きた。



 夕方のコンビニは、思っていたよりも慌ただしい。

 学校帰りの学生、仕事終わりのサラリーマン、子どもを連れた母親。

 レジ前には常に列ができ、俺はひたすら商品を打ち続けていた。

「意外と人が来るんだよね。この時間。」

 プリンは俺が仕事をしている間、店内の商品を物珍しそうに眺めている。

「うん。でも、楽しい♡」

 特にお菓子コーナーがお気に入りのようだ。

 ――その時だった。

 プリンの動きが、ぴたりと止まった。

「……ねぇ、直樹」

「ん?」

「あの人、なんか……変」

「変?」

 次の瞬間、プリンの表情から、いつもの無邪気な笑顔が消えた。

 レジ前に立つ、くたびれたスーツ姿の中年男性。

 弁当と缶コーヒーを持ち、無言で順番を待っている。

 だが、プリンの視線は、その男の“奥”を見ていた。

「……苦しい」

「は?」

「あの人、胸の奥が、ぎゅーってなってる」

 何を言い出すんだと思った。

 だが、プリンは目を見開いたまま、男から目を逸らさない。

「ずっと我慢してる。誰にも言えなくて……。

 仕事、失敗して、怒られて、家でも居場所なくて……」

「おい、プリン……」

「死んだほうが楽かもって……考えてる」

 背筋が凍った。

 そんなこと、軽々しく言うな。

 だが、プリンの声は震えていた。


「ねぇ、人間って……いつも、こんな気持ち抱えて生きてるの?」


 俺は言葉に詰まった。

 男は会計を終え、無言で店を出ていく。

 プリンは、その背中を、ずっと見送っていた。


「……違う。全員じゃない」


 俺は、ゆっくり言った。


「でも、そういう人は、たくさんいる」

「……そっか」


 その直後。

 今度は、若い母親と、小さな男の子がレジに並んだ。

 男の子は楽しそうにお菓子を握っている。

 だが、プリンはまた顔を曇らせた。

「この人……泣いてる」

「え?」

「夜、ひとりで……。

 旦那さん、帰ってこなくて……。

 お金、足りなくて……」

 母親は、作り笑顔で「袋いりません」と言った。

 プリンは、唇を噛みしめた。


「人間界、楽しいだけじゃ……ないんだね」

「……ああ」


 しばらくの沈黙の後、俺はまた仕事に戻った。頭の中でプリンが言った言葉を何度も反芻させていた。

 ─人間界、楽しいだけじゃ……ないんだね─

 そうこうしているうちに、勤務時間も終わりに近付き、夜勤のスタッフが出勤してきた。

 俺は店内にいるプリンに話しかけた。

「もう少しでバイト終るから」

 プリンは笑顔で頷いた。

 俺は気に入ったお菓子を選ばせそれを買ってあげた。

 外に出ると、冷たい風が頬をなでた。

「……ねぇ、直樹」

「ん?」

「悪魔ってさ、人間の魂を刈り取る存在なんだよ」

「……」

 小さく笑う。

「みんな、必死だった」

 街灯の下、プリンは夜空を見上げた。

「生きてるだけで、すごいんだね」

「あたし、人間のこと何も知らなかった」

 その横顔は、いつもの奔放な悪魔ではなく、

 少しだけ――少女のように見えた。

 俺は、何も言わずに歩き出した。

 反対に、身体は鉛のように重い。

 一方、プリンは不思議と元気だった。

「でもさ! 人間界、やっぱり面白い!」

「さっきまで落ち込んでたのに?」

「だって、悲しいことがあるってことは、楽しいこともあるってことでしょ?」

 そう言って、夜道を跳ねる。

 俺は小さく苦笑した。

 ――俺の日常は、この悪魔が来たことで壊れたと思っていた。だけど、こういうのも悪くないなとも思い始めていた。


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