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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第七話:三者の朝

 艦内照明が、夜明けを模した淡い色へと切り替わる。まだ完全には修復されていない船体が、

低く、深く、呼吸するような振動を伝えてくる。目を覚ましたとき、艦長室は静かだった。

遠くで続く修理ドローンの作動音。

――エーテル・ガイストは、今日も航行しながら自分を直している。カリスト脱出から、二日目の朝。カインは身を起こし、無意識に左腕を確かめ――何もないことを、改めて思い出した。

片腕を失った肩が、わずかに軋む。

だが、痛みより先に――空腹が来た。


「……朝か…生きてるな俺…」


『おはようカイン』


「おはよう提督」


 ブーツを履きベッドから立ち上がる。

艦長室の一角。簡易整備スペースに置かれた作業台へ向かう。そこに、一本の刀。銘は崩兼元クズレカネモト

 これは軍の装備や支給品ではない。


軍の規格にも、番号にも、管理台帳にも載らない。

それは、英雄カイン・ウォーカー個人の私物だった。

 彼が、彼であるための道具。


 片手で鞘から抜くと、刃が低く鳴いた。


『……奇妙だ』


黄金の単眼が、わずかに演算を止める。


『この刀剣は、軍のどのデータベースにも一致しない』


『材質、構造、分子配列……いずれも現行規格外だ』

 カインは鼻で笑った。


「だろうな……」


 彼は右手で、そっと鞘に触れる。

まるで、生き物を撫でるように。


「こいつはな、宇宙刀匠マゴ・ロックの作品だ」


アドミラルの声が微かに跳ね上がった。


『……伝説級の非正規工匠』


『公式記録では“存在しない人物”とされている』


「会ったことはねえ」


「だが、あの刀匠は言ったらしいぜ」


カインは、静かに続ける。


「戦争を斬る刀を打つってな」


崩兼元は、宇宙空間用に鍛えられた異形の刀だ。

英雄時代、カインが“奇跡”と呼ばれた戦果のいくつかは、この刀があったからこそ成立していた。

そして――左腕を切り捨てた、あの一閃。


『……』


アドミラルは、結論を更新する。


『その刀は、君の武器ではない』


『君の“選択”を肯定するための装置だ』


「上等だ……」


カインは小さく笑った。


「今の俺には、それで十分だ」


後に、裏社会ではこう囁かれることになる。

――亡霊艦エーテル・ガイストには、

片腕の男が乗っている。

そしてその男は、“戦争を斬る刀”を持っていると。宇宙刀匠マゴ・ロックの名も、

再び、闇の宇宙市場で語られ始める。

それはまだ、少し先の話だ。


一方、副艦長室。

 アイリスは、少し遅れて目を覚ました。

ベッドの中で、小さく身じろぎする。天井。

柔らかい照明。警告音のない静けさ。


「……ここ……」

 

すぐに思い出す。逃げたこと。助けられたこと。

この艦にいること。そして――もう、ガラス越しではないこと。アイリスは、毛布を胸まで引き寄せ、小さく息を吐いた。


『起床を確認。おはようアイリス』


アドミラルの声が流れる。


『朝食を用意している』


『二名分』

 

命令口調ではない。報告でもない。

ただ、当然のような事実。


「……行くか」


 カインとアイリスは、部屋を出た。

食堂区画に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。油の香り。焼き目のついた肉の匂い。温かい蒸気が、艦内特有の金属臭を押し返していた。テーブルは、簡易食堂とは思えないほど埋まっている。中央には、厚切りの合成ステーキ。表面は香ばしく焼かれ、ナイフを入れなくても分かる柔らかさ。赤身と脂身の層が、わずかに照明を反射している。その脇には、濃い茶色のソース。肉汁と香草を煮詰めたものだ。皿を囲むように、

・バターで軽くソテーされた根菜

・艦内培養の葉物を使った温サラダ

・焼き目をつけた白身魚の切り身

・外側がぱりっとした白パンと、柔らかいロールパンさらに、小さな器には果実を模した甘味――

朝用に糖度を抑えたデザートまである。


「……朝飯だよな、これ」


カインが、思わず呟いた。


『朝食だ』


『高負荷行動が続いたため、栄養密度を引き上げている』

 

淡々とした説明。

だが、明らかに“気合い”が入っている。

カインの前には、湯気の立つマグ。

深い黒。表面にわずかな泡。淹れたてだ。


「……本気でやってるな」


『当然だ』


『君は消耗している』


「軍の食堂よりマシだぞ」


『比較対象が不適切だ』 


『必要な栄養を最短で補給する構成だ』


理由が、いちいち真っ当だった。


アイリスは、椅子に座ると、

少し緊張したように皿を見つめた。

座ったまま、目を丸くしている。


「……すごい……」


声が、素直に漏れる。


「……こんなに……たくさん……」


『摂取可能量に合わせ、分割している』


小さめの皿に、同じ料理が盛られている。

見た目は同じ。量だけが違う。

アイリスは、パンを一つ手に取る。

指で割ると、中から湯気が立った。


「……あったかい……」


一口。噛んだ瞬間、目が見開かれる。表面の軽い歯応え。中の柔らかさ。“作り物”の味がしない。


「……おいしい……」


『味覚刺激は、心理安定に寄与する』


理屈は、いつも通りだ。だが、アイリスは嬉しそうに頷いた。


「……提督アドミラル


『何だ』


「この艦、外はボロボロだぞ」


『把握している』


「中も、大半は使えない。」


『否定しない』


 少し間。


「それで、飯だけはこれか」


『優先順位の問題だ。これも兵站だ』


カインは、ナイフを使わず、

肉を一口大に切り分ける。噛む。肉汁が、

口の中に広がる。


「……悪くない」


控えめな評価。だが、二口目が早い。

コーヒーを一口。苦味が、脂を流す。完璧な組み合わせ。


『カフェイン量は、覚醒維持に最適化している』


「聞いてねぇ」


だが、拒否はしない。


食堂は、しばらく静かになる。

皿とカトラリーの音。ゆっくりとした咀嚼。

アイリスは、魚の切り身を小さく分け、

丁寧に食べている。


「……ここ……おうち……みたい……」


ぽつりと。カインは、何も言わなかった。

言えなかった。代わりに、肉を食べ、コーヒーを飲み干す。


穏やかな朝の時間がゆっくりと流れる。

戦艦の中で、あり得ないほど豪勢な朝食が、

二人を“生きている側”に引き戻していた。


最後の一口が、ゆっくりと飲み込まれる。皿の上には、もう何も残っていない。カインは、空になったマグを手に取り、底を確かめるように傾けた。


「……満足だ」

 

短い一言。だが、それで十分だった。


『摂取量、想定値を上回った』


『回復効率は良好』


「そうかよ」

 

肩をすくめる。だが、顔色は少しだけ良くなっている。アイリスは、小さな皿を両手で抱えるようにして、最後のパンくずまで食べていた。

口元を、布ナプキンで拭う。


「……おなか……いっぱい……」

 

椅子の背にもたれ、

ほうっと息を吐く。満たされた呼吸。


『満腹状態を確認』


『過剰摂取ではない』


「……よかった……」

 

理由が、それでいいのかは分からない。


だが、アイリスは安心したように笑った。

食堂区画の照明が、わずかに落とされる。

食後用の設定。テーブルの端に、小さな温かい飲み物が置かれた。ハーブティー。刺激はない。香りだけがある。


『消化を促進する』


アドミラルの声は、いつも通り淡々としている。


だが、“ここで一息つけ”という

合図のようでもあった。カインは、

椅子に深く座り直した。腹に力が入る。

久しぶりの感覚。


「……飯ってのは、こうじゃないとな」


『同意する』

 

短い返答。即座。否定の余地がない。


アイリスは、ハーブティーを一口飲み、

少しだけ目を細めた。


「……おいしい……」

 

その言葉に、返答はなかった。

だが―― 艦内温度が、ほんのわずかに上がる。

誰も、それを指摘しなかった。食堂区画。

空になった皿と、静かな満足。二日目の朝は、

“ちゃんと食べた”という事実だけで、

少しだけ、未来が続くように感じさせた。


『食後、各自自由時間とする』


『アイリスには、静的活動を推奨』


『カインには、艦橋案内を予定している』


次の段取りまで、すでに決まっている。


淡々と告げられたその区分は、

命令ではなく、配慮だった。

アイリスは、ハーブティーのカップを両手で包んだまま、きょとんと瞬きをする。


「……せいてき……?」


『身体的・精神的負荷の少ない行動だ』


『読書、映像資料の閲覧、休息を含む』

 

説明は簡潔。アイリスは、少し考えてから頷いた。


「…本……読みたい……」


『用意している』


即答。

 食堂区画の壁面が静かにスライドし、

薄型の収納ユニットが現れる。中には、紙媒体の書籍。実物だ。擦り切れた背表紙もあれば、

新しく再製本されたものもある。


「……ほんもの……?」


『視覚と触覚の両方を刺激する方が、安定効果が高い』


理屈は、いつも通りだ。

アイリスは本を一冊手に取り、胸に抱えた。


「……ありがとう……」

 

その言葉に、応答はない。だが、

照明が、彼女の周囲だけ少し柔らかくなる。

カインは、その様子を横目で見てから、椅子から立ち上がった。


「艦橋、もう使えるのか」


『格納式艦橋、主機能のみ復旧』


『未完成だが、使用に支障はない』


「未完成ばっかだな、この艦は」


『それが標準状態だ』


言い切り。カインは、鼻で笑った。


通路へ向かう前、

アイリスが小さく声をかける。


「……カイン……あとで……また……」


「ああ」

 

短く、だが確かな返事。それで十分だった。


『こちらだ』


床面が分割され、昇降リフトが現れる。

格納式艦橋への動線。カインが一歩乗ると、

静かに下降が始まった。背後で、食堂区画が遠ざかる。生活の匂いが、少し薄れる。


『艦橋では、現在の航行状況と改修進捗を共有する』


「仕事だな」


『役割だ』

 

訂正。

カインは、義眼――ブラッドハウンドで下方の暗がりを見据えた。


「……まあいい」


生きる場所と、戦う場所。

その境界線を、この艦は

はっきり分けている。一方で――アイリスは、

静かな副艦長室で本を開いた。紙の音。

ページをめくる感触。それだけで、世界は少しだけ穏やかになった。二人は別々の時間を過ごしながら、同じ艦に守られていた。


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