第二十四話:仕入先
六日目の朝は、宿ではなく、エーテルガイストの食堂区画で始まった。艦内照明は朝用の明るさに落とされ、壁面モニターにはアウターリング・ドライドック6の内壁と、そこを行き交う整備ドローンの灯りが映っている。テーブルの上には、温かい朝食が並んでいる。
焼いた平パン。刻み肉と卵を炒めた具。豆の煮込み。少し酸味のある保存野菜。朝用に薄めたスープと茶。アイリスがパンを両手で持ちながら、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、こっちの方が落ち着く……」
「当然だ」
カインは短く返した。
「寝床も飯も戻る場所も、こっちにある」
ミラが静かに補足する。
「本日から、本艦を基点とした通常運用へ移行しています」
一拍置いて、端末を軽く操作した。
「本日の主行動は二系統です」
アイリスが顔を上げる。
「……バーだよね」
「はい」
ミラは頷いた。
「艦長と副艦長は、ブラック・ネビュラ・バーにて軍由来の空気を浅く拾います」
「一方で私は、クロン・ワークス側と連携し、本艦の補修・改修・修理に必要な部材と導線の調整を行います」
カインが茶を一口飲んだ。
「ノクスは昨日、買い付けた荷をドック六番へ運び込んだあと、そのまま係留した」
「今日は戻す」
アイリスが少し首を傾げる。
「……クロンのところに?」
「ああ」
「ここに置きっぱなしにする意味は薄い」
『同意する』
アドミラルの声が艦内スピーカーから落ちた。
『本艦周辺は、本日以降さらに補修材と外装材の搬入が増える』
『小型艦を固定したままにする合理性はない』
「決まりだな」
カインが言う。
「朝飯の後、全員でノクスに乗る。まずクロン・ワークスだ」
朝食を終えたあと、三人はノクスへ移った。
工房街へ向かう短い移動にも、昨日までとは違う感覚があった。拠点があり、戻る艦があり、今日もやることが決まっている。自由港に“潜り込んでいる”のではなく、もう“ここで動いている”側に足をかけている。
ノクスは工房街の狭い船用通路を抜け、再びクロン・ワークスの工房枠のドックへ滑り込んだ。
シャッター半開きの工房内では、朝から工具の乾いた音が響いている。補修ドローンが腕を動かし、整備員がフレーム材を運び、作業灯が無遠慮に鉄と油を照らしていた。クロンは工房の入口脇で工具義肢を軽く鳴らした。
「戻したか」
「ああ」
カインが答える。
「しばらくはこっちの方が都合がいい」
「だろうな」
クロンは鼻を鳴らした。
「小回りの船は引っ込めとく方が邪魔にならん」
ミラはすぐに端末を開いた。
「本艦の補修と改修、修理に必要な部材について確認したいです」
『候補は抽出済みだ』
アドミラルが返す。
ミラの端末上に一覧が展開される。
偽装外装を兼装甲化するための外装板、支持材、熱放散板
自衛用大型火器の修理に必要な接続材、冷却補助材、出力抑制材
ロケット関係部材の構造解析と再現試験に必要な素材、治具、支持リング
汎用補修導管
類似規格接続ブロック
長尺フレーム材
固定具、耐熱留め具、補助梁
クロンが目を細める。
「細かい物は工房街周りで拾える」
「だが、長尺材と大型材は別だ」
「通路を通して運ぶと目立つし、値も上がる」
『大型材はドックの外側から入れた方が自然だ』
アドミラルが言う。
『表向き補修対象への搬入として処理しやすい』
カインはそのやり取りを聞き、ミラへ視線を向けた。
「こっちは任せる」
ミラは短く頭を下げた。
「了解しました」
そこで、行動は二手に分かれた。
ミラはクロンと残る。アドミラルと連携しながら、エーテルガイストの補修と改修を進めるための実務へ入る。カインとアイリスは、軍の空気を拾うため、ブラック・ネビュラ・バーへ向かう。
ただ、工房街からバー方面へ出るには少し距離がある。歩けないほどではない。だが、歩くには少し長い。クロンが二人を見て、工房の脇に停めてあった無骨な機体を顎でしゃくった。
「歩きでも行けるが、足がある方が早ぇぞ」
そこにあったのは、工房街で使う二人乗りのホバーバイクだった。積荷運び用を少し軽くしたような形。装飾気はなく、むき出しのフレームと最低限の外装板。けれど推進部はよく整備されていて、街の狭い通路や間を抜けるにはちょうどいい。
アイリスが少し目を丸くする。
「……貸してくれるの……?」
「おう」
クロンが言う。
「工房の足だ。街の中を動く分には十分だ」
カインが機体を見てから短く言った。
「借りるぞ」
「そうしろ」
クロンは工具義肢を鳴らす。
「バーまでなら、通路二本抜けて下層寄りへ降りろ。派手な方の看板が見えたらその先だ」
アイリスがホバーバイクを見つめる。
「……私、後ろでいいよね……?」
「前に乗りたいなら止めんが」
「やめとく……」
小さく答えて、少しだけ緊張した顔で後部シートへ乗る。カインが前に跨がり、操縦グリップを握った。浮上音が低く鳴り、機体が数センチだけ床から浮く。アイリスが後ろでそっと掴まる。
「……大丈夫かな……」
「落とさんさ」
カインが短く言う。
「多分な」
「多分なんだ……」
アイリスが少しだけ顔をしかめると、クロンが鼻で笑った。
「そのくらいでちょうどいい」
ミラはそのやり取りを静かに見てから、落ち着いた声で言った。
「お気をつけて」
「情報を拾うのが目的です。深入りは不要です。」
「分かってる」
カインが答える。
アイリスも後ろから小さく言った。
「……行ってくるね」
『本艦側でも作業を開始する』
アドミラルの声が落ちる。
『情報収集と艦体整備を並行する。六日目として妥当な分岐だ』
カインは軽くスロットルを入れた。
ホバーバイクが滑るように前へ出る。
工房街の白い作業灯を抜け、鉄骨と導線の狭い道へ入る。頭上を走る搬送レール。吊られた配管。半分開いた整備シャッター。そこを二人乗りの小さな機体が風を押し分けて進んでいく。
自由港の朝は、今日も忙しい。だがその忙しさの中で、カインとアイリスはようやく街の中で動く側になっていた。次の行き先は、ブラック・ネビュラ・バー。自由港で軍の匂いを拾うための、六日目最初の外回りだった。
一方その頃、クロン・ワークスではミラが端末を持ったまま工房の奥へ入っていた。
補修材。大型材の搬入。そして、エーテルガイストを“使える未完成”へ引き上げるための部材選定。今日から腰を据えて、艦を改修する作業が始まる。クロンがミラへ言う。
「じゃあこっちはこっちで回すぞ」
「はい」
ミラが静かに頷いた。
『本艦の自由港運用は、ここから本格化する』
アドミラルの声が落ちる。
工房街の作業灯は、昼へ向けてさらに白くなる。
静かだが、確実に前へ進む朝だった。
「ロイ、聞こえるか」
短いノイズのあと、ロイの声が返る。
『聞こえてる。何だ』
「例の補修対象、骨と外板を少し食う」
「長尺フレーム、外装板、支持材をドック外から入れたい」
短い沈黙のあと、ロイが答えた。
『それは用意できる』
『ただ、一個ずつ揃えるより、解体待ちの船を一隻押さえて、そこから持っていく方が安く済むぞ』
ミラが顔を上げる。
「解体待ちの船ですか」
『ああ』
ロイの声はいつも通り実務的だった。
『自由港じゃ、廃棄船は宝の山だ』
『特に旧式輸送艇や補給艦崩れなら、外板、導管、支持材、雑多な部品がまとめて取れる』
『しかもこっちには、今ちょうど整理したい解体待ち在庫がある』
『数隻、寝かせたままになってる。置いておくより回したい』
クロンが鼻を鳴らした。
「その方が早いな」
「一個ずつ拾うのも悪くねぇが、一隻買ってバラした方が骨ごと何でも取れる」
ミラはすぐに確認した。
「在庫の状態は?」
『古い輸送艇が一隻。補給艦崩れが一隻。あと小型曳船の残骸が一つ』
『解体前提、部品取りなら十分使える』
『帳簿上も“資材転用予定艦”で処理できる』
アドミラルが静かに言う。
『本艦の再生整備機能と相性が良い』
『類似規格部材で問題ない。骨が生きていれば十分だ』
ロイが少しだけ笑ったような気配を見せる。
『やはりそういう艦か』
『なら、なおさら解体待ち在庫の方が向いてる』
クロンが続けた。
「解体なら、うちでやれるぞ」
「目利きもする。どこまで使えるかも見てやる」
ミラは端末に新しい項目を立てる。
「では方針を整理します」
「小物と補助材は工房街で拾う」
「大型材と長尺材はロイ側の在庫船を確認」
「必要なら一隻買い取り、クロン・ワークスで解体」
「艦に必要な部材を回収」
ロイがそこで補足した。
『使わないパーツが出るなら、こっちで買い取りもできる』
『そのままギアハンドの補修材流しに乗せてもいい』
『あるいはジャンクバザールへ回してもいい』
クロンも頷く。
「全部をお前らの艦で食う必要はねぇ」
「使わねぇ部品は売れ。流せ。それでまた次の部材を買えばいい」
『合理的循環だ』
アドミラルが言う。
『廃棄船を買い、必要部材を抜き、不要部材を再流通させる』
『自由港での本艦運用方針として極めて適切だ』
ミラは静かに頷いた。
「了解しました」
「では、まずロイ側の解体待ち在庫を確認します」
『昼までに詳細データを回す』
ロイが言う。
『在庫で足りるなら、それで』
『足りないなら次の手がある』
ミラが視線を上げる。
「次の手、ですか」
『廃棄船オークションだ』
ロイの声は変わらず淡々としていた。
『ギアハンドが回してる在庫整理市みたいなもんだ』
『ただの見世物じゃない。解体待ち、差し押さえ、流れ着いた廃棄対象をまとめて捌くためのイベントだ』
クロンが工具義肢を軽く鳴らす。
「時々あるな」
「船ごと欲しい時には悪くねぇ」
ロイは続けた。
『少し直せば動く船もある。半壊した輸送艇もある。ほとんど残骸みたいな奴も出る』
『たまには、エーテル炉が無い頃の初期宇宙船なんて骨董まで混じる』
アドミラルが静かに言う。
『旧式船体は外装材、支持材、長尺導管の供給源として有効だ』
『本艦の再生整備機能とも整合する』
『ただし参加条件がある』
ミラが聞く。
「条件を」
『競り落とした廃棄船を置ける場所を持ってる奴だけだ』
『ドック、工房枠、解体ヤード。何でもいいが、船一隻を寝かせておける場所が要る』
『その点、お前らはドック六番を持ってる。クロンワークスの伝手もある』
『参加資格そのものは足りてる』
ミラは端末へ新しい項目を加えた。
「理解しました」
「第一候補は解体待ち在庫」
「不足する場合は、ギアハンド主催の廃棄船オークション」
『そういうことだ』
ロイは続ける。
『それでも足りないなら、二つだ』
『自分たちで外へ出て拾ってくるか、廃棄船専門業者に頼むかだな』
ミラが確認する。
「外で拾う場合は、未回収の放棄船や残骸帯の船体を曳航対象と理解します」
『そうだ』
『探す手間と危険は増えるが自分達で引っ張って来る』
『専門業者を使うなら高くつく。だが、探す手間は減る』
アドミラルが静かに言う。
『妥当だ』
『順序としては、在庫確認、次にオークション、最後に外部調達だ』
ミラは端末を閉じた。
「本艦の改修は、まず静かに進めます」
「補修対象として自然に見える範囲で、必要な物を拾い、必要な導線を作ります」
クロンが小さく笑った。
「大仕事になってきたな」
『同意する』
アドミラルの声が落ちる。
『本艦の自由港運用は、ここから本格化する』




