第二十一話:自由港の4日目と初仕事
四日目の朝は、通信音から始まった。ドック・ホテルの狭い部屋に、短い起動音が落ちる。カインが端末へ手を伸ばすより先に、アドミラルの声が静かに響いた。
『報告する』
『本艦は小惑星内部を離脱。現在、自由港へ向け航行中だ』
部屋の空気が、一瞬だけ変わる。
アイリスが毛布を胸元まで引き寄せたまま、ぱちりと目を開けた。
「……出たの……?」
『肯定』
アドミラルの声は相変わらず落ち着いている。だが、その一言には確かな重みがあった。
『偽装外装、灯火抑制、熱源散逸、排気拡散、外部ライン遮蔽。すべて予定通り』
『このまま順調なら、到着は明日の朝だ』
カインはベッドの端に腰を下ろしたまま、短く息を吐く。
「後戻りは無し、か」
『元から無い』
即答だった。ミラはすでに身支度を整え終え、静かに端末を開いている。
「本日の行動予定を確認します」
その声で、アイリスもようやく身体を起こした。
「……うん……」
ミラは淡々と読み上げる。
「本日の優先順位は三つです」
「一、クロンと合流し、ギアハンド・ユニオン・オフィスで本契約を締結すること」
「二、必要であれば、自由港内での表向きの立場を補強すること」
「三、今後の情報収集先を確保すること」
「本日中にこれらを完了できれば、明日の大型艦搬入準備は十分に整います」
アイリスがまだ少し眠たげな声で言った。
「……なんか、今日すごく大事な日だね……」
「大事だ」
カインが短く答える。
「飯食って、動く」
朝食は短く済ませた。ホテルを出てすぐの屋台で、焼いたパンに具を挟んだ簡素な朝食を買う。燻した合成肉。塩気の強い卵。細切り野菜。飲み物は茶。立ったまま食べるにはちょうどいい量だった。アイリスがまだ少し熱い包みを持ちながら言う。
「……本契約って、やっぱり緊張するね……」
「仮押さえじゃなくなるだけだ」
カインはそう言って一口かじる。
ミラが静かに補足する。
「都市での拘束力、資金拘束、導線拘束、すべての意味合いが強くなります」
「つまり、かなり重要です」
アイリスが少しだけ口を尖らせた。
「……今の言い方で余計に緊張した……」
カインが鼻で笑う。
「もう遅い」
通信越しに、アドミラルが落ち着いた声で言う。
『本契約が通れば、本艦は“入る場所のない巨大艦”ではなくなる』
『自由港側の受け皿が完成する』
アイリスはそれを聞いて、茶をひと口飲んだ。
「……じゃあ、ちゃんとやらないと」
「そうだ」
カインが短く答えた。
クロン・ワークスに入ると、工房街の白い作業灯が目に入った。ノクスは三番枠に静かに係留されている。整備を終えた外装は、昨日よりさらに“街の船”らしく見えた。クロンは工具義肢を拭いながら、三人を見る。
「来たか」
「ああ」
カインが答える。
「向こうは」
「話は通る」
クロンは即答した。
「本契約まで行ける状態だ」
「ただ、向こうで余計なことは喋るなよ」
「分かってる」
カインの返事も短い。
アイリスがノクスを見上げて、小さく言った。
「……明日には、あっちが来るんだね……」
ギアハンド・ユニオン・オフィスの入り口では、昨日と同じ警備係が立っていた。クロンを見るなり、片方がわずかに顎を上げる。
「……親方」
「ああ」
クロンは歩みを止めない。
「昨日の続きだ」
警備係の視線が三人へ流れる。昨日よりも短い。もう完全な新顔ではない、そんな見方だった。
「武器は抜くな」
「抜かない」
カインが答える。
三階のオフィスで、ロイはすでに端末を開いて待っていた。
「早いな」
カインが言うと、ロイは端末から目を離さずに答える。
「待たせる方が無駄だ」
画面に出ているのは、アウターリング・ドライドック6番の正式契約画面だった。保管。整備。補給中継。搬入調整。そして、仮押さえから正式移行の承認欄。ロイが言う。
「残額は 250,000ソル」
「仮押さえ50,000搬入調整手付金30,000は受領済み」
「これで通せば、大ドック6番は正式にお前らの大型枠だ」
カインが聞く。
「条件の変更は」
「ない」
ロイは淡々としていた。
「大型補修対象として扱う。記録は最小限に絞る。出入りはこっちで捌く」
「だが、ドック内で砲撃するな」
クロンが横で鼻を鳴らす。
「そこは何回も確認するんだな」
「大事だからな」
ロイはまったく悪びれずに返した。
カインが短く言う。
「そのつもりはない」
ミラが支払い認証を進める。承認表示。契約更新。ロック解除。ロイが画面を確認してから言った。
「これで本契約成立だ」
アイリスが、ほとんど息のような声で言う。
「……通った……」
「通した」
ロイが訂正する。
「金は嘘をつかん」
ロイは契約画面の最終承認を確認すると、端末を閉じた。
「これで大ドック6番は正式にお前らの枠だ」
その声に、アイリスがほんの少しだけ肩の力を抜く。
だがロイは、そこで話を終えなかった。
「一つ確認する」
カインが目を向ける。
「何だ」
「いつ持ってくる」
問いは短い。だが、それだけで十分だった。
カインは即答する。
「明日」
「大型艦はもうこっちに向かってる」
部屋の空気が少しだけ張る。だがロイは眉一つ動かさなかった。
「そうか」
端末の脇を指先で二度叩く。
「なら問題ない」
「仮押さえを取った時点で、こっちの根回しは始めている」
「ドック6周辺の流れ、搬入口の時間、補修資材搬入の名目、関係ない連中の動線――」
ロイは淡々と並べた。
「静かに入れるための下地は、もう作ってある」
「持って来い」
カインは短く頷いた。
「分かった」
ロイはそこで視線をずらし、クロンを見た。
「クロン」
「何だ」
「お前が持ってきた案件だ」
「手伝え」
クロンは工具義肢を軽く鳴らし、鼻を鳴らした。
「言われなくても、そのつもりだ」
「工房街側の流れは俺が見る」
「大型補修搬入って空気くらいは、こっちで作ってやる」
ロイはそれを聞いて小さく頷いた。
「よし」
アイリスが小さく息を呑んだまま呟く。
「……ほんとに、入るんだね……」
ロイはそちらを見ずに答えた。
「枠はある。金も受け取った。流れも作る」
「あとはお前らが遅れず持ってくるだけだ」
カインはロイを見たまま言う。
「遅れない」
「ならいい」
ロイは再び端末を開いた。
「明日は忙しくなる」
だがロイは、そこで話を切らなかった。
「船の顔はできた」
カインが目を向ける。
「何の話だ」
「お前達のノクスは街の帳簿に乗った。工房枠もある。大型枠もできた」
「だが、乗ってる連中の顔がまだ薄い」
アイリスが少し首を傾げる。
「……顔……?」
「肩書きだ」
ロイが言う。
「この街じゃ、何者か分からん奴は余計に見られる」
「見た物をそのまま売る奴もいる」
「船だけ街の顔を持ってても足りん。乗ってる人間にも帳簿の上の筋を通しておけ」
カインが短く聞く。
「で?」
「肩書きを傭兵にするなら、このままギアハンド経由で登録を通してやる」
クロンが横から口を挟む。
「船の顔を作ったなら、その次は乗り手の顔だ」
「今のうちにやっとけ」
アイリスがカインを見る。
「……どうする……?」
カインは一拍だけ考え、それから言った。
「通す」
「船だけじゃ足りないなら、こっちも街の顔を持つ」
ロイは端末に新しい項目を開いた。
「なら早い」
入力は簡潔だった。
NOX
護衛兼運搬用軽コルベット
カイン
船長兼警備主任
アイリス
補助操艦・補給補助員
ミラ
整備補助員・後方支援
アイリスが自分の肩書きを見て小さく呟く。
「……補給補助員……」
ミラが穏やかに言う。
「目立たず、実態にも近いです」
「……うん」
ロイは承認を通した。
「これでお前らは“そういう連中”だ」
「工房街でも、ドックでも、いちいち誰だと聞かれる回数は減る」
そしてロイは、もう一枚画面を開いた。
「登録したなら、一本回しておく」
カインが眉を寄せる。
「仕事か」
「軽いのだ」
ロイは言う。
「工房街から中層補給区画まで、部材コンテナを一つ運ぶ」
「少し荒れたルートを通る。」
クロンが小さく笑う。
「初仕事にはちょうどいい」
カインは短く聞く。
「仕事の中身はそれだけか」
「それだけだ」
ロイは答える。
「届ければ終わり。その代わり、そこで崩れるようなら傭兵登録の看板だけ立派だったって話になる」
ミラが確認する。
「開始時刻は」
「今からうちで積み込みだ」
ロイが言った。
「昼過ぎには出せる」
アイリスが少しだけ緊張した顔になる。
「……やるんだね……」
「やる」
カインが即答した。
仕事の段取りを受け、三人はクロンといったんクロン・ワークスへ戻った。ここから先の護送の細部は、ロイとクロンの側で積み込み準備に入る。その間、カインはクロンに聞いた。
「この街で軍の話を拾うなら」
クロンは工具義肢を軽く鳴らした。
「浅く聞くならブラック・ネビュラ・バーだ」
「ただし、あそこは噂の溜まり場だ。深く突っ込むと、逆にこっちが見られる」
ミラが端末へ記録する。
「軍の浅い情報はバー」
「そうだ」
クロンは頷いた。
「遺構だの古い記録だのは俺の守備じゃねぇ」
「その辺はヴェラに聞け」
そのまま三人はジャンク・バザールへ向かい、スクラップ・フィストの店先でヴェラに会った。
「……また来た」
「聞きたいことがある」
カインが言う。
「今度は何だい」
「遺構とか、古い記録だ」
「この街で掘るならどこだ」
ヴェラの義眼が細くなる。
「そっちに行く気か」
「今すぐじゃない」
「でも場所は知っておきたい」
ヴェラは少しだけ考えてから、端末を指先で弾いた。
「オールド・スパイン・アーカイブ」
「古い航路図、払い下げ資料、発掘ログ断片」
「静かな記録を漁るなら、あそこが一番マシだ」
アイリスが小さく復唱する。
「……オールド・スパイン……」
「ただし、酒場みたいに向こうから喋ってはくれないよ」
ヴェラは肩をすくめた。
「読む気のある奴しか相手にしない類だ」
「十分だ」
ロイが回してきた荷は、工房街でよく使われる小型の運搬機に積まれていた。形は平たい。低い車体。前方に簡素な操縦席。後部は荷台。ただし車輪ではなく、床面すれすれを浮くホバー型だ。
工房街の床を滑るその姿は、魚市場で荷を運ぶターレットトラックを、そのまま大型化し宇宙港仕様にしたようにも見えた。荷台には固定バンドで縛られた部材コンテナが一つ。大きすぎはしない。だが、換金にはちょうどいい重さと大きさだ。クロンがコンテナを工具義肢で軽く叩いた。
「中身は精密部材だ。落とすな。ぶつけるな。失
くすな」
カインは荷台の縁に片足を掛けながら言う。
「護衛だけでいいんだな」
「そうだ」
ロイが答える。
「工房街から中層補給区画まで抜ける。距離は短い」
「ただし、途中の連絡路が少し荒れている」
アイリスが運搬機の助手席側に乗り込みながら、小さく聞く。
「……荒れてるって、どれくらい……?」
「荷を見た連中が、“少し借りるか”って考える程度だ」
ロイは淡々としていた。
「殺せとは言わん」
「だが、奪われるな」
ミラが操縦席に着き、低い位置の操縦桿に手を置く。
「ルートデータ受信完了」
カインは荷台へ軽く飛び乗った。固定されたコンテナの横に立ち、周囲を見渡せる位置を取る。
アイリスは助手席側で非殺傷拳銃の位置を確認し、それから少しだけ振り返る。
「……カイン」
「何だ」
「……あの……できるだけ、頑張る……」
「頑張れ」
ぶっきらぼうな返事。だが、いつものカインの声だった。通信越しにアドミラルの声が落ちる。
『ミラ。運転を優先』
『アイリス。視界補助と接近警戒』
『カイン。荷台の防衛と即応』
ミラが短く返す。
「了解」
アイリスも小さく続く。
「……了解……」
カインは崩兼元の位置を一度だけ確かめた。
「出せ」
ホバー運搬機は音もなく前へ滑り出した。
床面からわずかに浮き、継ぎ接ぎの金属床の上を低く、速く走る。速度感は、地上の市場で荷を捌く小型運搬車に近い。遅くはない。だが飛ばしすぎてもいない。ミラが器用に機体を操り、狭い工房街の通路を縫う。アイリスは助手席側の低い窓から左右を何度も見ていた。
「……思ったより速い……」
「荷運び用としては標準速度です」
ミラが静かに答える。
「停止距離も短い。狭い通路向きです」
カインは荷台から前方を見ながら言った。
「喋りながらでも目は切るなよ」
「……見てる……」
アイリスは唇を少し結んだ。
「ちゃんと見てる……」
工房街の白い補修灯が流れていく。やがて、区画の境界を越えると光の色が少し変わった。
少し暗い。少し狭い。人の気配が近い。中層へ抜ける連絡路だ。アドミラルの声が落ちる。
『前方、死角多し』
『右上通路に熱源反応二。左奥に一』
アイリスが思わず早口になる。
「……いる……?」
「いる」
カインはブラッドハウンドを光らせながら短く返す。
「来るぞ」
最初に出てきたのは、通路の角から滑り出るように現れた二人組だった。雑な装備。片方は拳銃。
もう片方は短銃身の散弾銃。どちらも目は荷台のコンテナを見ている。
「止まれ!」
拳銃の男が怒鳴った。
「荷だけ置いてけ!」
ミラは減速しない。カインは荷台の上で軽く膝を落とした。
「そのまま出せ」
「了解」
ミラが応じた、その次の瞬間。向こうが先に撃った。乾いた発砲音。火花。運搬機のフレームを弾いた音が響く。カインの反応は一拍も遅れなかった。荷台の縁を蹴る。半身だけ前へ出し、発砲。
狙うのは胸でも頭でもない。拳銃を持つ腕。肩口。一発で男の腕が跳ね、拳銃が床へ落ちた。
続けて散弾銃の男。膝。もう一発。脚が崩れ、男は通路の床へ転がる。
アイリスが思わず声を上げる。
「……はや……っ」
「前見ろ」
カインが言う。
「……うん!」
アイリスは慌てて前方へ視線を戻した。だが、まだ終わりではない。左手の細い連絡路から、別の男が飛び出してきた。手には古い機械義手ごと固定したような自動拳銃。距離が近い。アイリスの肩がびくりと揺れる。
「……っ!」
男の銃口がこちらを向く。その瞬間、カインが荷台から飛び降りた。着地と同時に間合いを詰める。崩兼元が鞘走る音は短い。斬ったのは男ではない。銃を保持していた機械義手、その手首側の保持機構だった。金属片が散る。義手ごと武器が床に落ち、男は悲鳴を上げる。カインは追撃しない。そのまま一歩引いて、次を見る。アイリスが息を呑んだまま呟く。
「……武器だけ……」
「立てなくなれば十分だ」
カインは短く言った。前方右上の足場に、新しい影が見えた。ミラが即座に告げる。
「右上足場、1名。簡易拳銃」
アイリスが反射的にそちらを向く。手が少し震えている。だが、非殺傷拳銃はもう抜いていた。
「……撃つ……」
「撃て」
カインが言う。
「でも……!」
「撃ってくるぞ」
短い返答。それで十分だった。アイリスは息を止めるようにして引き金を引いた。狙ったのは胴体だった。けれど、緊張でわずかに照準が下へ流れた。発射。次の瞬間。
「ぎゃああああああっ!?」
情けない悲鳴が足場の上から響いた。男が股間を押さえてその場に崩れ落ち、武器を取り落とす。一瞬、通路の空気が止まった。アイリスも止まった。
「……え?……」
カインがわずかに沈黙してから言う。
「……よくやった」
ミラも珍しく間を置いてから、静かに言った。
「高い制圧効果です」
通信越しのアドミラルまで、ほんの一拍遅れてから落ちる。
『……結果として、極めて有効だった』
アイリスの顔が一気に赤くなる。
足場の上の男はまだ悶絶していた。
「う、うわ……ご、ごめん……」
アイリスは思わず相手に少し同情的な視線を向ける。
「そ、そこは……ちょっと……その……」
カインが荷台へ戻りながら言う。
「同情は後だ」
「……う、うん……」
ミラが運搬機を止めずに続ける。
「副艦長、再接敵に備えてください」
「……でも、あれ大丈夫かな……」
「少なくとも戦闘継続は不能です」
ミラがきっぱり言う。通信越しに、アドミラルが静かに付け加えた。
『非致命。任務条件には適合している』
アイリスはますます赤くなった。
「て、提督までそんな真面目に言わないで……!」
その後、もう一人だけ短棒を持って荷台へ飛びつこうとしたならず者がいた。だが今度は、アイリスの方が早かった。運搬機が角を抜ける瞬間、助手席側から身体を半分だけ乗り出し、スタンバトンを振るう。青い火花。男の肩口に直撃。
電撃で身体が跳ね、そのまま床へ崩れ落ちた。
「……や、やった……!」
「いいぞ」
カインが短く言った。
ミラも頷く。
「適切です」
アイリスは少し息を弾ませながら、それでもどこか自分に言い聞かせるように呟いた。
「……大丈夫……大丈夫……護るだけ……荷を護るだけ……」
補給区画の手前まで来る頃には、追ってくる影は無くなっていた。ミラがホバー運搬機を減速させる。
「周辺脅威反応、消失」
カインが荷台から周囲を見渡した。
「終わりだな」
アイリスがやっと大きく息を吐く。
「……お、終わった……」
「荷は無事です」
ミラが言う。コンテナの固定状態、表面損傷、封印タグ。全部が問題ない。
「任務達成」
アイリスはそこでようやく肩の力を抜き、次の瞬間また顔を赤くした。
「……でも……さっきのはほんとにわざとじゃないから……」
カインが荷台から降りながら言う。
「結果は十分だ」
「そ、そういう問題じゃなくて……!」
ミラが静かに言う。
「副艦長。ならず者側の心理的打撃は大きかったと推定されます」
「…ミラまでぇ……!」
通信越しに、アドミラルが落ち着いた声で言った。
『戦闘において、想定外の一撃が最も士気を折る場合はある』
アイリスは両手で顔を押さえた。
「……もうやだ……」
カインはその様子を見て、ほんのわずかに口元を緩めた。
「でも撃てたろ」
アイリスは顔を隠したまま、小さく答える。
「……うん……」
「じゃあいい」
短い言葉。けれど、それは十分だった。荷を届け終え、空になったホバー運搬機で工房街へ戻る。帰り道、行きより少しだけ空気が軽く感じた。カインは荷台に腰を落とし、通路の天井を見上げる。アイリスは助手席でまだ少し恥ずかしそうに頬を赤くしながら、それでも前よりは落ち着いた目で周囲を見ていた。ミラは変わらず滑らかに操縦する。
『初仕事としては十分だ』
アドミラルが言う。
『荷は守った。戦闘も短時間で終えた。自由港側への示しとしては悪くない』
カインが短く返す。
「そうだな」
アイリスが小さく言う。
「……でも、あの人……ほんとに大丈夫かな……」
ミラが静かに答える。
「生存率は高いです」
「ただし、しばらくは歩き方に支障が出る可能性があります」
「……そ、そこまで言わなくていいから……!」
ホバー運搬機は工房街の白い灯りの中へ戻っていく。四日目の短い仕事は、カインたちが自由港で“ちゃんと動ける連中”だと示すには十分だった。仕事を終えてロイに報告する為ギアハンドに赴いた。クロン・ワークスへ戻ってきた時には、工房街の照明はもう夜寄りの色に変わっていた。護送は成功した。部材コンテナは奪われず、ノクスと三人の“街の顔”も立った。
クロンは工具義肢を拭いながら言う。
「思ったより早かったな」
「戻った」
カインが答える。
「荷は無事だ」
「そうか」
クロンはそれだけ言って、だがほんのわずかに口元を緩めた。アイリスはまだ少し戦闘の緊張を引きずりながらも、小さく言う。
「……ちゃんと、できた……」
ミラが静かに補足する。
「初仕事としては十分です」
『悪くない』
アドミラルの声が通信越しに落ちる。
『帳簿の上だけではなく、実務上も機能すると示せた』
カインは短く息を吐いた。
「それで十分だ」
その夜、宿へ戻った三人は、狭い部屋のテーブルに端末を並べた。
ミラが整理する。
「本日の確定事項です」
「一、大型枠本契約成立」
「ニ、我々の傭兵登録完了」
「三、ロイ経由の初仕事完了」
「四、軍の浅い情報はブラックネビュラバー」
「五、遺構・古い記録はオールドスパインアーカイブ」
アイリスが小さく息を吐く。
「……すごく、一日が長かった……」
「でも進んだ」
カインが言う。
通信越しに、アドミラルの声が落ちた。
『本艦は予定通り航行中』
『自由港到達は明日朝』
『受け皿は完成した。あとは誘導に合わせて入るだけだ』
アイリスが静かに顔を上げる。
「……明日、来るんだね……」
『そうだ』
アドミラルの声は静かで、確かだった。
『次は搬入だ』
外では自由港が相変わらず動いている。だがこの狭い宿の中には、もう“仮”ではない手応えがあった。四日目は、ただ契約を結んだ日ではない。カインたちが自由港の中で、船にも、自分たちにも、そして次に来る巨大艦にも、ちゃんとした居場所を用意した日になった。




