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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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20/23

第二十話:自由港の三日目

祝1000PVありがとう御座います。(;∀;)

 自由港の三日目は、金属を叩く音から始まった。ドック・ホテルの薄い壁を隔てて、どこか遠くで外装板を打ち込む乾いた音が響いている。

搬送レールの低い振動。整備ドローンの短い警告音。通路を急ぐ複数の足音。この街に朝はある。

だが、静けさとしての朝ではない。夜の顔をしていた自由港が、そのまま作業の顔に切り替わるだけだ。カインは先に起きていた。簡易テーブルに肘をつき、ブラッドハウンドで昨日の情報を見直している。ジャンク・バザールで押さえた部材。

ノクスの偽装履歴。クロンの工房。ギアハンドの線。ベッドの端では、アイリスが毛布を胸元まで引き上げたまま、半分だけ目を開けた。


「……もう朝……?」


「朝だ」


短い返事。ミラはすでに身支度を整えている。持ち歩く端末と最低限の携行品を確認していた。


「本日の優先順位は明確です」


 ミラが静かに言う。


「ノクスの整備完了確認」


「クロンとの打ち合わせ」


「その後、ギアハンドへ」


 通信越しに、アドミラルの声が落ちる。


『同意する』


『本日中に大型枠の話を進めるべきだ』


『本艦の接近準備は、すでに並行して進められる状態にある』


 アイリスが少しだけ顔を上げた。


「……もう、そんなに……?」


『受け皿ができるなら、こちらは動ける』


 カインが椅子から立ち上がる。


「了解まずは飯だ」


 ホテルを出ると、朝の自由港の空気が肌にまとわりついた。昨日より少しだけ慣れた匂い。再生空気。油。焼けた配線。湿った金属。朝の自由港はもう十分に動いていた。通路の角、蒸気を上げる小さな屋台の前で、カインは三人分の朝食を頼んだ。平たい生地を焼いた包み焼き。中には刻んだ合成肉と香辛料の強い豆ペースト。脇には細切りの酢漬け野菜。それに、表面を軽く炙った白身魚めいた培養蛋白の切り身。飲み物は薄い琥珀色の茶。


「……今日は、クロンのところから……」


「ああ」


 カインは包み焼きを一口齧る。


「ノクスの仕上がりを見て、そのままギアハンドだ」


 ミラが補足する。


「ただし、その前に街で使う服も揃えておいた方が自然です」


「昨日の時点で、ヴェラ・クロウが適切な案内役になり得ると判断できます」


 アイリスが少しだけ背筋を伸ばす。


「……服屋さん……」


 カインが茶をひと口飲んだ。


「同じ格好で動き回る新顔は覚えられやすい」


「変えるなら今のうちだ」


『妥当だ』


 アドミラルが言う。


『自由港では、“前からいたように見えること”が最優先になる人も船も』


アイリスが包み焼きを両手で持ちながら、小さく息を吐く。


「……あったかい……」


「朝は温かい物の方がいい」


カインはそう言って、自分の分を又一口かじった。ミラも、何の違和感もなく包み焼きを受け取り、静かに食べ始める。数秒。カインの手が止まった。ミラを見る。ミラはいつも通りの落ち着いた顔で、包み焼きを食べ、茶を一口飲み、咀嚼している。


「……そういえば」

 

アイリスが首を傾げる。


「どうしたの……?」


カインが少し間を置いて言った。


「いや……」


「今まで普通にミラの分も買ったが……」

 

「お前アンドロイドだったな」


アイリスもそこで、はっとした顔になる。


「……あっ」


「そ、そうだ……!」


「普通に食べてたから、なんか……その……普通に……」

 

ミラは茶のカップを置いて、小さく首を傾げた。


「はい。摂取可能です」


通信越しに、アドミラルの声が落ちる。


『ミラは食事でもエネルギーを回復する』


アイリスが目を丸くする。


「……ごはんで……?」


『正確には、食品動力変換炉による補助変換だ』

 

アドミラルはいつもの調子で続ける。


『ミラの内部には、摂取物を分解し、利用可能な熱量および化学エネルギーへ変換する機構がある』


『別に食べなくても活動に問題はない』


『だが、摂取した方が効率は僅かに上がる』


カインが眉を寄せる。


「僅か、か」


『本質はそこではない』

 

アドミラルが言う。


『ミラは味、香り、食感、栄養量、満腹感への寄与を数値化できる』


『そのデータは本艦へ送られる』


 アイリスが瞬く。


「……えっと……つまり……?」


ミラが静かに説明した。


「エーテルガイスト艦内の食事改善に利用されます」


「味覚傾向、栄養効率、保存性、調理適性を集積し、今後の食事生産や献立最適化へ反映できます」


「私は、食べることで艦内食の改善に貢献できます」

 

アイリスが包み焼きを持ったまま、じっとミラを見る。


「……なんか、すごい……」


「ただ飯食ってるだけじゃなかったんだな」

 

カインが言う。


ミラは穏やかに答える。


「はい。ですが、食事を楽しむことも可能です」


「……楽しむのか?」

 

カインが聞く。ミラはほんのわずかに間を置いた。


「この包み焼きは、香辛料がやや強めですが、朝の覚醒には適しています」


「白身蛋白は少し乾燥気味です。ただし表面の香ばしさは良好です」

 

アイリスが思わず吹き出す。


「……ほんとに食レポしてる……」


『有益だ』


アドミラルが即答した。


『継続を推奨する』


「……提督まで……」


アイリスは笑いながら、もう一口包み焼きをかじる。


「…でも…よかった…」


「…ミラだけ食べられなかったら、ちょっと寂しいし……」


ミラは静かにアイリスを見る。


「お気遣い、ありがとうございます」


カインは茶を飲みながら、小さく言った。


「じゃあ今後も普通に買うぞ」



「はい」


ミラは頷く。


「その方が助かります」

 

アイリスが嬉しそうに言う。


「…じゃあ…もっとおいしいの探そう…」


『賛成だ』


アドミラルが落ち着いた声で言った。


『本艦の食環境向上に資する』


『これも兵站だ』


カインが鼻で笑う。


「結局そこか」


 朝の屋台の湯気の中、三人と一体は、昨日までより少しだけ自然に同じ食卓についていた。

工房街へ入ると、空気がまた一段変わった。

酒と香料の匂いが薄れ、鉄と油と熱が満ちている。補修アーム。むき出しの梁。半分解体された船体。外装板の仮留め。切断されたフレーム材。

KRONWORKS(クロン・ワークス) の半開きのシャッターをくぐると、白い作業灯の下でノクスが整備ドックに固定されていた。昨日見た時より、さらに内部が露出している。尾部の推進器まわり。補助スラスター。ステルス発生器の接続基部。急造船らしい継ぎ接ぎの痕跡が、いまはむしろよく見える。クロンが一人でやっているわけではなかった。工房の整備員が二人。補修用の小型ドローンが三機。クロンの工具義肢と連動しながら、順番に外板をずらし、配線を押さえ、導管の位置を微調整している。アイリスが思わず小さく言った。


「……ちゃんと工房なんだ……」


「ここまで来て何だと思ってたんだ」


 カインの声は短いが、わずかに乾いた笑いが混じる。ノクスの下からクロンの声が飛んだ。


「おう来たか」


 工具義肢が一度止まり、クロンが整備台の下から体を起こす。火傷跡のある顔に、油汚れが一本走っていた。


「どうだ」


 カインが聞く。


 クロンはノクスの外板を拳で軽く叩いた。


「急造にしては、中はそこそこいい」


 それから、視線がミラへ向く。


「……この辺もお前が手を加えたのか?」


 ミラは表情を変えずに答えた。


「少しだけです」


 それは嘘ではない。ただし、本当に骨格を組み、全体の最適化を主導したのはアドミラルだ。クロンはしばらくミラを見ていたが、それ以上は追わず、今度はノクスの開いた内部へ義肢を差し込んだ。


「少しだけ、ね」


 軽く鼻を鳴らす。義肢の先が、ノクスの内部フレームを二度叩いた。乾いた金属音が返る。


「……で」


 クロンの目が、ほんのわずかに細くなる。


「これ、旧軍の船のフレーム使ったろ」


 空気が一瞬、ぴたりと止まった。アイリスの指先がわずかに強張る。カインの目が少しだけ細くなる。ミラも沈黙したままクロンを見る。クロンはその反応を見ても、顔色一つ変えずに続けた。


「骨の取り方が民間規格じゃねぇ」


「継ぎ目を隠しても、フレームの間合いと補強の癖は残る」


「無人艦の残骸か何か使ったろ?」


 アイリスが小さく息を呑む。


「……分かるんだ……」


 クロンは義肢を腰に当てた。


「船屋をなめるな」


「どれだけ外を継ぎ接ぎしても、骨組みは嘘をつかん」


 カインは短く息を吐いてから答えた。


「拾い物だ」


「そうだろうな」


 クロンはあっさり引いた。問い詰める気はない。見抜いたことだけを示し、それ以上は踏み込まない。そこがクロンという男の、ちょうどいい距離感だった。アイリスはノクスを見上げながら、まだ少し驚いたまま呟く。


「……すごい……」


 ミラが静かに補足する。


「船の構造を読む能力が高いです」


『高い』


 アドミラルが短く評価した。


『工廠担当として有用だ』


 クロンには聞こえない。だが、その評価は間違っていなかった。クロンは整備ドック脇の端末を叩く。ノクスの状態一覧が浮かぶ。


「推進の癖は取れた。補助スラスターも合わせ直した。ステルス周りも普通に使う分には問題ない」


「もう少しで終わる」


「料金の見積もりも計算中だ」


 カインが聞く。


「どれくらいだ」


「細かい部材込みで、27,000ソル 前後だな」


 現実の価値なら二百七十万円ほど。

急造船を自由港の工房で実務レベルまで整える費用としては決して高くない。クロンは工具義肢を鳴らし、工房の外を顎でしゃくった。


「お前ら、どっかで時間を潰してくれ」


カインが答える。


「ちょうど服屋に行く予定だ」 


「確かにギアハンドに行くのにお前らの格好は街に馴染んでない」


クロンは即答する。


アイリスが聞く。


「……どこか知らない……?」


「その辺りの店を知りたきゃ、ヴェラにでも聞け」


「昨日の義眼の女だ」


 カインが短く頷く。


「分かった」


 ジャンク・バザールは、昨日よりもさらに騒がしかった。荷が動き、値段が飛び、人の流れが通路のあちこちで渦を巻いている。ヴェラ・クロウの店先も、相変わらず雑多だった。コンテナを棚代わりにした店の前で、ヴェラは椅子にもたれたままこちらを見た。


「…来たか…引き取りかい?」


「まだだ。聞きたいことがある」


 カインが言う。


「今度は何だい」


「服屋だ」


 ヴェラの義眼が一瞬だけ細くなる。


「そっちか」


「街で動く用の替えが要る」


「いかにも“艦の中から出てきた”感じを薄くしたい」


 ヴェラはそこで、わずかに笑った。


「頭が回ってきたね」


端末を叩き、マップの一点を光らせる。

ラグ・アンド・リコイル


「傭兵と護衛業者向けの古着屋兼装備屋だ」


「綺麗すぎない。でも安っぽくも見えない」


「街で歩くならちょうどいい」


アイリスが少しだけ身を乗り出す。


「……女物もある……?」


「あるよ」


ヴェラは即答した。


「可愛いより、生き残る寄りだけどね」


「…大丈夫…」


 アイリスは小さく頷いた。


ラグ・アンド・リコイルは、工房街と居住区画の境目みたいな場所にあった。看板は擦れ、扉は重く、店の中には吊るされた服と、積み上げられたブーツと、小物類がぎっしり並んでいる。店主は年配の女で、両腕が肘から先が機械義肢だった。


三人を一目見て、言う。


「いらっしゃい」


「街歩き用の替えだね」


「そうだ」


カインが短く答える。


 話は早かった。カインには、黒と灰の中間みたいな色の目立たないジャケットと、補強入りのパンツ。アイリスには、可動域の広い暗いグレーの軽装ジャケットとパンツ、髪留めと予備インナー。ミラには、整備補助向けの濃紺ワークジャケットとスリーブカバー。さらに、予備グローブ、小型パック、フィルタースカーフ。アイリスは布地を指で触りながら、小さく言う。


「……これ、動きやすい……」


店主が答えた。


「走るなら、見た目よりそっちだね」


ミラが頷く。


「副艦長の行動特性に適しています」


アイリスは少し照れたように笑った。


 クロン・ワークスへ戻る頃には、昼時の熱が工房街に満ちていた。ノクスは整備ドックの固定アームから降ろされる直前だった。尾部外板は閉じられ、推進器まわりもきちんと組み直されている。クロンは端末を見ながら言った。


「終わったぞ」


ミラがスキャンを走らせる。


「数値正常。誤差範囲内です」


「当然だ」


クロンが鼻を鳴らす。


「俺が見た」


カインは短く頷いた。


「助かった」


「まだ礼は早い」


クロンは端末をカインへ向ける。


「ほらよ見積もりだ」


 ホログラムに明細が出る。補助推進系再調整。ステルス安定化。導管交換。フレーム補強微修正。合計、27,000ソル。ミラがすぐに支払い処理を行う。認証表示が灯った。


「受領確認」


「よし」


クロンは工具義肢を拭い腰に当てた。


「ノクスの置き場だが、よかったらうちの工房枠を使うか?」


 アイリスが少し驚く。


「……いいの……?」


「おう。船屋はそれぞれ、小さい係留ドックや整備枠を個別に持ってる」


「整備用、寝かせる用、解体待ちを置いとく用、色々だ」

 

「ノクス程度なら、うちの三番枠に入る」

 

ミラが確認する。


「工房名義の係留枠ですね」


「そうだ」

 

クロンは頷く。


「その方が、お前らにも都合がいい」

 

カインが聞く。


「ドック47じゃ駄目か」

 

クロンは即答した。


「ドック47の辺りは長期係留に向かん」


「傭兵船、輸送業者の貨物艇、補給シャトル、曳航無人船。あの辺は回転が速すぎる」

 

「船の出入りが激しい所に、同じ船を長く寝かせると面倒が増える」

 

アイリスが小さく聞く。


「……面倒……?」


「接舷時の接触。係留アームの取り合い。荷役ドローンの事故。搬送コンテナの渋滞」


クロンはあっさり言った。


「自由港のドックってのは、そういう細かいトラブルが日常茶飯事だ」


「しかも責任の所在が曖昧なまま話があちこち転がる。結果、余計な修理代と迷惑料を取られる」


アイリスが少し顔をしかめる。


「……お金取られるんだ……」


 ミラが静かに補足する。


「短期停泊には向いていても、拠点化には不向きということです」


「そういうことだ」

 

クロンは頷いた。


「ノクスを街に溶け込ませるなら、出入りの激しいドックより、工房枠に入れた方がずっと自然だ」


カインは短く息を吐いた。


「分かった」


「使わせてもらう」


 クロンは鼻を鳴らし笑った。


「勘違いするなよ。金は取る。こっちも商売だ」


ノクスは整備を終え、クロン・ワークスの工房枠へ移された。ドック47ではなく、工房付きの係留枠。街に置いておくなら、その方が都合がいい。


「昼だな。俺は飯にするが来るか?」


 アイリスが少しだけ驚く。


「……一緒に……?」


「嫌なら別で食え」


「行く」


 カインが先に答えた。


 連れて行かれたのは、工房街の連中がよく使う食堂だった。


 IRONLADLE(アイアン・レードル)


昼時の店内は、少し混んでいる。整備工。船屋。荷運び。皆、作業の合間に黙々と食べている。

クロンが聞く。


「俺と同じ奴で良いか?」


「ああ任せる」


 四人の前に運ばれてきたのは、煮込み合成肉。濃い培養野菜スープ。宇宙用に遺伝子改良された麦を使ったパン。焼いたジャガイモのような何かの付け合わせ。飲み物は茶と水。アイリスはスープを見て、少しだけ肩の力を抜いた。


「……落ち着く……」


「工房街の飯屋は余計な音が少ないからな」


 クロンが言う。


 カインはパンをちぎりながら聞く。


「で、次はギアハンドか」


「そうだ」


 クロンは茶をひと口飲む。


「ノクスは見た。工房に置いた。お前らが流れ者の新顔ってのも分かった」


「自由港は無法だが、何もかも勝手に回ってるわけじゃねぇ」


「流れを握ってる連中がいる」

 

「情報を食ってる派閥もある。傭兵どもを束ねてる顔役もいる」


「だが、船、工房、ドックを回してるのがギアハンドだ」


「でかい船を寝かせる話は、結局ここを通る」


「向こうで余計なことは言うな」


「サイズは昨日のままでいい。ホエール級未満。それで通す」


 カインが短く頷いた。


「分かってる」


アイリスが両手で茶の器を持ちながら、小さく言う。


「……いよいよ、だね……」


 ミラが静かに答える。


「はい」


「ここからは“候補”ではなく“契約”の段階です」


 クロンが鼻を鳴らした。


「硬いが、その通りだ」


食堂を出た四人は、そのまま工房街の奥へ向かった。鉄と油の匂い。補修灯の白い光。継ぎ接ぎの外壁。その先にあるのは、自由港で大型枠を押さえるための窓口となるギアハンド・ユニオン・オフィス。そこから先は、もう“探す”段階ではない。置ける場所を、正式に掴みに行く段階だった。


ギアハンド・ユニオン・オフィスは、工房街の熱気を一枚の壁で切り離したような建物だった。高い。無骨。飾り気がない。入り口の上にだけ、鈍い光の歯車紋章が浮かんでいる。工房街の喧騒は、ここへ来ると急に遠くなった。鉄を叩く音も、搬送アームの唸りも、扉一枚の向こうで別の世界の出来事みたいに薄くなる。入り口脇には警備係が二人立っていた。どちらも重装というほどではない。だが、立ち方が素人ではない。抜けば早いと分かる腰つきだった。


アイリスが少しだけ声を潜める。


「……警備、いるんだ……」


「金と船の話をする場所だ」


 カインが短く返す。


「いない方がおかしい」


クロンはそのまま入口へ向かった。

警備係の一人がクロンを見るなり、わずかに顎を上げる。


「……親方」


「ご苦労さん」


 クロンは止まらない。


「客だ」


警備係の視線が、カイン、アイリス、ミラへ一度だけ流れた。値踏みは一瞬。だが十分に長い。


「武器は抜くな」


カインが通り過ぎざまに短く返す。


「こっちも面倒は避けたい」


 それ以上のやり取りはなかった。警備係はそのまま道を開ける。中は静かだった。壁には外縁ドックの使用状況。保管料。違約金。補給枠。整備待ちリスト。感情ではなく数字で人を縛る場所だと、一目で分かる。


 ミラが静かに言った。


「契約の空気が強いです」


「怒鳴る奴より、こういう連中の方が面倒だ」


カインが前を見たまま言う。

アイリスは少しだけ肩をすくめた。


「……怖い……」


 クロンは振り返らずに言った。


「喋りすぎるな」


「聞かれたことにだけ答えろ」


「分かってる」


 カインが短く返す。


 三階。半開きのオフィス。中では痩せた男が一人、端末に目を落としていた。片耳に通信補助器。爪の根元が機械化されている。工房の人間というより、帳簿と契約を扱う側の手だ。クロンがドア枠を軽く叩く。


「よぉロイ」


「……クロンか」


 男が顔を上げる。視線がカインたちへ流れる。


「新しい客だ」


 クロンはそれだけ言って、顎で三人を示した。


 ロイは椅子にもたれたまま言う。


「どんな」


 クロンが答える。


「金払いは悪くない。頭も回る。でかい船を寝かせる場所を探してる」


 ロイの目が、そこで初めてカインに止まった。


「サイズは」


カインはあらかじめ決めていた通りに答える。


「大型輸送船クラス。ホエール級未満」


「用途」


「保管。整備。補給中継」


 短く。必要なだけ。


ロイはすぐには何も言わず、外縁区画のマップを開いた。いくつかの巨大枠が浮かび、そのうちの一つが明るくなる。


 アウターリング・ドライドック6番


「ここなら入る」


 アイリスが思わず息を呑む。


「……ほんとに……」


 ロイは淡々と続けた。


「ただし、仮押さえだ」


「明日から3日間。50,000ソル」


「別のドックで本契約の後に、船を入れる前にくたばった奴がいる。金を払わず」


そんな奴も居たなとクロンが苦笑いの表情を見せる。ミラが即座に確認する。


「大型枠の仮押さえとしては妥当です」


 クロンが横で鼻を鳴らした。


「相場なら大型枠にしては安い方だ」


 カインは一拍だけ置いてから答えた。


「押さえる」


ミラが支払い処理を行う。ホログラムの一角に認証表示が灯る。ロイは受領を確認すると、もう一枚別の欄を開いた。


「ただし、これは枠の話だけだ」


 カインの目が少し細くなる。


「……別があるのか」


「ある」


 ロイは淡々と答えた。


「目立たないように入れたいなら、それは別勘定だ」


「交通の時間をずらす。搬入口の周辺作業を重ねる。補修資材搬入の名目を先に流す。回りの目には“ただの補修搬入”だと思わせる」


「そういう手間には金がかかる」


 下段に新しい数字が浮かぶ。


「手付金で 30,000ソル」


「本契約まで進むなら、その金で先に段取りを回し始める」


 アイリスが小さく呟く。


「……仮押さえとは、別なんだ……」


 ロイはようやくそちらを見た。


「当たり前だ」


「枠を空けるのと、余計な目を減らすのは別の仕事だ」


 ミラが静かに頷く。


「合理的です」


 クロンが横で小さく笑う。


「この街じゃ、静かにする方が高い」


 ロイは続けた。


「何を持ち込むかは知る気もない」


「だが、大きい物を静かに通したいなら、こっちでも人と流れを動かす」


 カインは外縁区画の表示を見たまま聞く。


「手は貸すと」


「貸す」


 ロイはあっさり言った。


「金が出せるならな」


「それと先に言っておく」


ロイの視線がカインへ止まる。


「大型船を持って来るのは構わん」


「船に何が付いてるかは知らんし、知る気もない」


その声は低く、乾いていた。


「ただし」


ロイは端末を閉じる。


「ドック内で砲撃するな」


「前にやらかした奴がいる」


短い沈黙。クロンが横でわずかに口元を歪める。カインは表情を変えない。


「そのつもりはない」


「ならいい」


ロイはあっさり言った。


「この街じゃ、何を持ち込むかより、持ち込んだ後にどれだけ面倒を起こすかの方が重要だ」


ミラが静かに頭を下げる。


「理解しました」


 オフィスを出たあと、四人はしばらく無言で歩いた。工房街の熱気がまた戻ってくる。鉄と油の匂い。さっきまで数字と契約の空気の中にいたせいで、それらが妙に生々しく感じられた。

アイリスがようやく小さく息を吐く。


「……取れたね……」


「まだ仮だ」


カインは短く返す。


「でも、場所にはなった」


ミラが静かに整理する。


「大型艦を受け入れる現実的な枠が確保できました」


クロンは工具義肢を軽く鳴らした。


「悪くない滑り出しだ」


 クロン・ワークスへ戻る頃には、工房街の照明も夜寄りの色に変わっていた。ノクスは工房の三番枠のドックに移され、静かに係留されている。昨日までの“よく分からない急造船”ではなく、この工房に出入りしていても不自然ではない顔になりつつあった。クロンは工房の奥を顎でしゃくる。


「そのまま三番に入れとけ」


「必要な時だけ出せ」


ミラが頷く。


「了解しました」


 カインはノクスを一度見上げてから、クロンへ視線を戻した。


「今日は助かった」


「まだ礼は早い」


 クロンが言う。


「本契約まで通してから言え」


その夜、三人は一度宿へ戻った。まだ完全に引き払うには早い。だが、この部屋がもう“仮”でしかないことは全員が分かっていた。テーブルの上に端末を広げる。ミラが要点を並べる。


「本日の確定事項です」


「一、ノクスはクロン・ワークスの工房枠へ移動」


「二、アウターリングドライドックの仮押さえ金は 50,000ソル」


「三、目立たない搬入のための手付金は 30,000ソル」


「四、大型艦搬入には記録偽装だけでなく、視線誘導と現場の調整が必要」


 アイリスが小さく復唱する。


「……80,000ソル……」


「安くはない」


カインが言う。


「だが、目立って揉めるよりは安い」


 通信越しに、アドミラルの声が落ちた。


『正しい判断だ』


『本艦の搬入は、“見られないこと”ではなく“見られても印象が残りにくいこと”が重要になる』


 カインが視線を上げる。


「エーテルガイスト側は」


『現在こちら側で軍の追跡は反応無し』


『小惑星内部にて外装偽装の仮組み完了』


『灯火抑制、排気拡散、熱源散逸、外部ライン遮蔽も調整済み』


『受け皿が仮押さえ段階に入った以上、本艦は小惑星内部からの離脱準備へ移行可能だ』


 アイリスが小さく息を呑む。


「……もう、そんなに……」


『ああ』


アドミラルの声は静かで、迷いがない。


『本契約が通れば、本艦は動く』


カインは端末の上の数字と導線を見た。ドライドック。工房枠。搬入費。偽装。視線誘導。自由港に入ってまだ三日。だが、ただの潜伏ではない。居場所が、形を持ち始めている。アイリスが毛布を膝に引き寄せながら、小さく言った。


「……明日、また大きく進むね……」


「ああ」


 カインは短く答える。


「次は本契約だ」

 

外では自由港が相変わらず動いている。だがこの狭い宿の中には、明日へ繋がる確かな手応えがあった。そして、そのさらに外。小惑星の影に潜むエーテルガイストでも、静かに次の動きへ向けた準備が整いつつあった。

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(・∀・)


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