第十八話:違法宇宙都市フリーダムポート
ノクスは巨大リング都市の外縁を、ゆっくりと滑るように進んでいた。船窓の外を、無数の船が行き交う。貨物船。改造された旧軍艦。武装だらけの傭兵船。曳航タグに引かれた半壊れの作業艇。規格も塗装も、何もかもが揃っていない。まるで宇宙の寄せ集めの墓場が、そのまま港になったようだった。ノクスのモニターに、都市の内部構造が広がる。リング状の外壁。そこから何本もの巨大な構造梁が中央へ伸びている。その梁の間に――街。巨大な都市ブロックが、いくつも吊り下がっていた。建物の外壁は継ぎ接ぎだ。旧コロニーの区画。船体装甲。コンテナ。用途の違う何か同士を無理やり縫い合わせたような構造。それなのに、止まってはいない。光が灯り、通路に人影が動き、ドックには船が出入りしている。アイリスが思わず声を漏らした。
「……ほんとに、街だ……」
後方席に座るミラが静かに答える。
「複数の放棄ステーション、旧施設、外付け増設区画を接続した都市構造です」
カインは操縦桿から手を離さず、正面を見ていた。
「きれいな場所じゃない」
『だが、隠れるには都合がいい』
通信越しのアドミラルの声が落ちる。エーテルガイスト本体は小惑星の影。今ここにあるのは、カインたちが潜り込むために急造した小型船ノクスだけだ。
『この規模なら、船の一隻や二隻増えても即座には異物と判定されない』
「即座には、な」
『肯定。長居するなら、街の記録に溶け込む必要がある』
ミラが補足する。
「偽装履歴、仮登録、補給痕跡。“前からいた船”に見せる工程が必要です」
アイリスは窓の外を見ながら、小さく息を呑んだ。
「……ほんとに、潜り込むんだね……」
「もう入ってる」
カインは短く言った。
やがて前方に、指定ドックの番号が浮かぶ。
Dock 47(ドック47)
古びた係留アーム。剥げた誘導灯。
外壁には無数の擦り傷と雑な落書き。正規の軍港や民間港なら即座に補修されるような荒れ方だ。
だが、ここではそれが普通らしい。
『接舷角度、右に二度補正』
アドミラルの指示。
カインが操縦桿をわずかに倒す。
「分かってる」
『分かっていても言う。最初の接舷失敗は印象が悪い』
アイリスが少しだけ吹き出した。
「……提督、細かい……」
『兵站だ』
即答だった。
カインが鼻で笑う。
「便利な言葉だな」
ノクスがゆっくりとドック47へ降りる。磁気ロック。固定アーム接続。
ガコン。
小さな衝撃が船内に伝わる。ミラが端末を確認した。
「接舷完了。外部圧力差なし」
『発進時刻は未定。船内の不用意な私物は持ち出すな』
アドミラルの声が落ちる。
『この街では、泊まる場所が変わる可能性がある』
カインは立ち上がった。
「宿を取るにしてもまず一泊だ。深追いはしない」
『それでいい』
乗降タラップが下りる。
先にカイン。その後ろにアイリス。最後にミラ。
ドック47の空気は、エーテルガイストの中とも、ノクスとも違っていた。再生空気。油。焼けた配線。薄い酒の匂い。人が長く居座った場所の、澱んだ熱。通路にはすでに人影がある。傭兵。整備工。荷運び。情報屋めいた顔つきの連中。誰もが一度こちらを見る。だが、誰も長くは見ない。新顔は珍しくない。あるいは、珍しくても詮索しない。ここでは、それが礼儀なのかもしれなかった。アイリスが少しだけカインに寄る。
「……見られてる……」
「普通だ」
カインは周囲を一瞥する。
「きょろきょろするな。新顔だって自分から言ってるようなもんだ」
ミラの黄金の瞳が静かに周囲を走る。
「監視カメラ複数。武装検知ゲート一基。このドック区画は傭兵船の停泊率が高いです」
『軍の直接監視は確認できない』
アドミラルが続ける。
『ただし、民間監視網と裏市場の人間の目は別だ。こちらは常に見られている前提で動け』
「了解」
カインはそれだけ返した。ドック47を出る。
通路は細長く、頭上をむき出しの配管と補強材が走っている。遠くにネオン。近くに露店。床は古い船体装甲の継ぎ接ぎだ。歩き始めてすぐ、アイリスの視線が通路脇の屋台へ流れた。鉄板で何かを焼く匂いが、濃く漂ってくる。カインが気づく。
「腹減ったか」
「……ちょっと……」
『食事は後だ』
アドミラルの声。
『まず寝床を確保しろ』
ミラも頷く。
「荷を置く場所が無い状態での滞在は非効率です」
「なら、まず宿だ」
カインはそう言って、通路脇の小さな屋台へ向かった。屋台の店主は年配の女だった。片足が義足になっている。宇宙食と安酒を売っている、いかにもドック街の店だ。カインが立ち止まる。
「聞きたいことがある」
女店主が顔を上げる。
「なんだい」
「この辺で泊まれる場所は」
女店主は三人を値踏みするように見た。 カインの装備。アイリスの軽装。ミラの整った立ち方。
「新顔だね」
「そう見えるか」
「見えるよ」
女店主は親指で通路の奥を指した。
「まっすぐ三ブロック先。ドック・ホテル」
「古いが、寝るだけなら悪くない」
アイリスが小さく聞く。
「……危なくない……?」
女店主は鼻で笑った。
「この街で“危なくない”場所を探すなら、船の中に戻るしかないね」
カインが短く頷く。
「十分だ」
だが女店主はそこで言葉を足した。
「ただし、夜の通路は荒れる。宿に着いたら余計な寄り道はやめときな」
ミラが礼を言う。
「情報、感謝します」
女店主は肩をすくめた。
「別に。屋台の前で死人が出るのは後味が悪いだけさ」
通路を三ブロック。
ネオンが少し増え、酒場の音や工具の音、笑い声と怒鳴り声が混ざり合ってくる。違法宇宙都市は思っていたよりずっと“普通に回っている”。だからこそ余計に恐い。アイリスがぽつりと漏らす。
「……夜なのに、全然静かじゃない……」
『この都市に昼夜の概念は薄い』
アドミラルが答える。
『物流、整備、密売、情報取引。どれも止まれば誰かが困る』
「眠らない街ってやつだ」
カインが言う。ミラが静かに付け足す。
「ある意味、エーテルガイストに似ています」
アイリスが少しだけ笑った。
「……提督の街みたい……」
『不本意だ』
即答。カインは小さく肩を揺らした。やがて古びた看板が見えてくる。ドック・ホテル。金属板の外壁。小さなロビー。窓は少ない。だが少なくとも、“寝る場所”ではある。カインが扉を押し開ける。中は思ったより明るかった。狭いロビー。古い受付カウンター。壁には船乗り向けの注意書きと、簡素な料金表。受付にいたのは年齢不詳の女。片腕が義肢。無駄な愛想はない。
「泊まりたい」
カインが言うと、女主人は三人を一瞥した。
「何人」
「三人」
「一部屋でいいなら空いてる」
端末を叩く。画面に部屋番号が出る。
「ファミリールーム B-12。一泊三百ソル」
アイリスが少し目を丸くする。
「……そんなものなんだ……」
女主人は肩をすくめた。
「この辺は寝るだけの場所だ。高いのは中心街の見栄張り向けだよ」
カインは迷わず支払った。端末が短く鳴る。
女主人は物理キーを投げるように滑らせて寄こす。
「B-12。シャワー付き。騒ぐな。壊すな。廊下で撃つな」
最後の一言に、アイリスが少しだけ顔をこわばらせる。
カインはキーを取った。
「努力はする」
女主人は鼻で笑った。
「この街じゃ、その答えで十分だ」
部屋へ上がる前に、カインはロビーを振り返った。
「飯を持ち込む」
『妥当だ』
アドミラルの声。
『街の空気を吸う時間は短い方がいい。この辺りは少し淀んでいる。』
ミラも頷く。
「部屋で食べた方が安全です」
ホテルのすぐ外。通路脇に並ぶ屋台の一つから、肉の焼ける匂いがしていた。鉄板。湯気。濃いスープの匂い。店主は大柄な男。エプロンの上からでも分かるほど腕が太い。カインが言う。
「三人分。持ち帰りだ」
男は黙って頷き、手際よく皿を用意し始める。
今日の簡易メニューは、焼いた合成肉の切り落とし。塩気の強い炒め野菜。温かい豆スープ。
平たい焼きパン。それに黒い飲み物が三つ。
「合計四十二ソル」
アイリスが思わず小さく言う。
「……安い……」
男が鼻で笑う。
「ここはドック街だ。整備工と傭兵相手の飯は量があって安いのが正義だ」
ミラが受け取りを手伝い、スープ容器の熱を確認してアイリスの分を持つ。
「火傷しないようにしてください」
「……うん……」
ファミリールーム B-12 は、予想より少しだけ広かった。壁際に簡易ベッドが二つ。折り畳み式の補助ベッドが一つ。小さなテーブル。備え付けの収納棚。奥にシャワー室。戦艦の居住区画に比べれば粗末だ。だが、街の宿としては十分だった。部屋に入るなり、ミラが静かに周囲を見回す。
「室内スキャンを行います」
彼女の瞳が薄く光り、盗聴、隠しカメラ、異常反応を確認していく。数十秒後、頷いた。
「大きな問題はありません」
カインがテーブルに包みを置く。
「食うぞ」
食事は素朴だった。焼いた肉は少し硬い。だが塩と油が利いていて、この街の埃っぽい空気に妙に合う。豆スープは安っぽいが温かい。焼きパンは腹にたまる。アイリスは最初の一口を食べて、少しだけ目を見開いた。
「……おいしい……」
「屋台の飯にしては、悪くない」
カインが肉を噛みながら言う。ミラも必要なエネルギー補給以上の、ちゃんとした“食事”としてそれを食べていた。
『塩分はやや高い。水分摂取も忘れるな』
アドミラルが言う。
「提督、飯の最中だぞ」
『だから言う』
カインが鼻で笑う。アイリスも少し笑った。
食事を終えると、ようやく部屋の空気が少し落ち着いた。ホテルの安い照明。遠くから響く都市の騒音。その中で、カインはテーブルの端末を引き寄せた。
「明日は三段階で動く」
アイリスが毛布を膝にかけたまま顔を上げる。ミラもテーブル脇に立つ。
「第一段階。ドック47周辺で、長く使えそうな場所の話を浅く拾う」
カインがマップを開きながら言う。
「宿じゃなく、居着ける場所。倉庫でも、作業場でもいい」
アイリスが小さく首を傾げる。
「……宿じゃ、だめなの……?」
「宿は泊まる場所だ」
カインは短く答える。
「荷を置いて、出入りして、姿を消しても不自然じゃない場所とは違う」
ミラが補足する。
「必要なのは、街の中で“そこにいてもおかしくない存在”として固定できる場所。拠点や隠れ家です」
カインは頷いた。
「第二段階。船屋と工房街」
「ノクスの整備を口実に接触する。船を置ける場所の情報を探る」
アイリスが少し表情を引き締める。
「……大きい船の話……」
「最初から全部は言わない」
カインが即答する。
「第三段階。必要なら酒場や情報屋だ」
「軍の動き。遺構やエーテリアンの噂。裏のドック情報」
一拍。
「だが、いきなり深い所には行かない」
アイリスはその説明を聞き終えて、少しだけ息を吐いた。
「……三段階あると、ちょっと安心する……」
「全部一気にやるわけじゃないからな」
カインが言う。
「段取りがあるなら、怖くても動ける」
ミラが小さく頷く。
「副艦長にとっても、その方が負担が少ないです」
アイリスは少し照れたように笑った。
「……うん……」
アドミラルの声が最後に落ちる。
『明日は第一段階と第二段階まで進めれば十分だ』
『第三段階は必要が生じた時だけでいい』
カインは端末を閉じた。
「なら、それで行く」
そのあと、交代でシャワーを使った。
アイリスとミラが先。その間、カインは椅子に座ってブラッドハウンドで街の簡易マップを確認する。シャワー室の向こうから、水音と小さな会話が聞こえた。
「熱すぎませんか」
「……だいじょうぶ……」
「髪はこのまま乾燥機能を使いますか」
「……うん……お願い……」
そのやり取りに、カインはほんのわずかに口元を緩める。
「ほんとに世話焼きだな」
『兵站だ』
アドミラルの返しは一瞬だった。
カインがシャワーを終えて戻ると、部屋の空気はさらに落ち着いていた。ミラは明日の持ち物を整理している。アイリスはベッドの端に座り、タオルで髪を拭いていた。外では相変わらず自由港が動き続けている。ネオン。船の発着。通路を行き交う人影。だが、この部屋の中だけは一日の終わりの空気があった。アイリスがぽつりと言う。
「……明日、いっぱい動くんだね……」
「そのために来た」
カインはベッド脇の壁に背を預けた。ミラが照明を少し落とす。
「休息を推奨します」
『同意』
アドミラルの声。
『初日で十分な成果を求めるな。街は逃げない』
カインが小さく鼻で笑った。
「優しいな」
『合理的だ』
アイリスが毛布を引き寄せながら、少しだけ笑う。
「……提督、便利な言葉ばっかり……」
『正確な言葉だけを選んでいる』
部屋の照明がさらに落ちる。
安い宿。安い飯。だが必要なものは揃った。
そして明日、三人はこの街のもっと深い場所へ入っていく。隠れ家を探し、エーテルガイストを呼び寄せるための足場を作るために。自由港での最初の一日は、静かに、更けていった。
朝の自由港は、夜より静かになるわけではなかった。ただ、音の質が変わるだけだ。酒場帰りの怒鳴り声が減り、代わりに搬送レールの唸りと、工具が金属を叩く乾いた音が増える。
ネオンの光も消え切らないまま、白っぽい作業灯と混ざり合っている。ドック・ホテルの一室で、カインは先に起きていた。簡易椅子に腰を下ろし、ブラッドハウンドで昨夜まとめた情報を見返している。ベッドの端で、アイリスが薄く目を開けた。
「……おはよう……」
「おう」
短い返事。
ミラはすでに身支度を整えていた。いつものように無駄がない。持ち出す物、置いていく物、緊急時の携行品。それらをまとめていた。
「朝のうちに動いた方が効率的です」
ミラが静かに言う。
通信越しに、アドミラルの声が落ちた。
『同意する』
『荷運び、整備工、ドック周辺作業者は朝の方が捕まえやすい』
『まずは浅い情報源から拾え』
カインは立ち上がった。
「まず食う」
ホテルを出ると、自由港の空気が肌にまとわりついた。再生空気。油。焼けた配線。薄く残った酒の匂い。人が多すぎる場所の熱。昨日より少しだけ慣れた。だが、それは安心とは別だった。
三人はドック街の屋台で朝食を取った。
焼いたパン。卵料理。濃いスープ。黒い茶の用な飲料。職人向けで値段は高くない。腹を満たすには十分だ。カインはパンをちぎりながら言った。
「今日はまず、浅く聞く」
アイリスがスープを持ったまま頷く。
「……うん……」
「長く使える場所。船を置く場所。その入口になる奴を探す」
ミラが補足する。
「宿泊場所ではなく、拠点化できる空間です」
『最初から深く潜るな』
アドミラルが言う。
『街の骨格を掴め』
カインは黒い飲み物を一口飲んだ。
「分かってる」
朝の通路は、夜よりも足が速かった。
荷運び。整備工。工具箱を抱えた補修屋。
皆、自分の仕事のために急いでいる。その流れに逆らわず、三人はドック周辺を歩いた。誰か一人に深く聞くのではなく、何人かに同じ話をして、重なる部分を探る。それがカインのやり方だった。最初に声をかけたのは、搬送カートを押していた大柄な男だった。作業服は汚れているが、足取りに迷いがない。
「少し聞きたい」
男はカートを止め、目だけでこちらを見た。
「何だ」
「長く使える場所を探してる」
「人が居られて、荷も置けて、できれば船の出入りも不自然じゃない場所だ」
男は数秒、カインとアイリス、それからミラを順に見た。装備。立ち方。喋り方。やがて、通路の先を顎でしゃくる。
「ドック回りは狭いし高い」
「長く居るなら工房街寄りだ」
「倉庫単体より、工房の空きの方が自然だな」
ミラが横で記録する。
「工房街寄り。候補に追加します」
男は続けた。
「船屋なら、いくつか候補はある」
指を折る。
「モロー・ヤード」
「ヒンジ・ドック・ワークス」
「それと、クロン・ワークス」
「一番話が早いのはクロンかもな」
「偏屈だが、大きめの話を聞く耳はある」
カインが短く頷く。
「助かった」
男は肩をすくめ、再びカートを押して去っていった。次に声をかけたのは、壁際の配管を溶接していた女だった。義手の先から青白い火花が散っている。
「何?」
「長く使える場所を探してる」
「寝泊まりだけじゃなく、仕事してる顔が作れる所だ」
女は少し眉をひそめた。
「ならなおさら工房だ」
「この街じゃ、“住んでる”より“働いてる”方が揉めにくい」
アイリスが小さく聞く。
「……工房に入るのが、自然……?」
「そう」
女は頷く。
「住み込み整備工でも、下請けでも、何かしら名目があった方が強い」
「船屋ならクロンかヒンジだ。モローは癖が強い」
『“肩書き”を持てる場所が望ましい』
アドミラルが通信で落とす。
『ここでは誰でもないことが最も弱い』
カインは女に礼を言ってその場を離れた。
三人目は、工具と食料を雑に並べた小さな屋台の老人だった。皺だらけの指でナットを仕分けながら、老人はカインの質問を聞く。
「船屋かの?」
「そうだ」
「なら、この辺りの流れ者がよく行くのはクロンのとこじゃな」
老人はあっさり言った。
「クロン・ワークス」
「腕はある。口も悪い。だが余計なことを言いふらすタイプじゃないのう」
一拍。
「大きい話なら、結局ギアハンドに通じる線も持っておる」
カインの視線が少しだけ動く。
「ギアハンドか」
「工房街で本気の話をするなら、最終的にはそこを通る」
老人はナットの仕分けを止めずに続けた。
「あと、クロンに会うなら午前じゃ。昼を過ぎると機嫌が悪くなるのう」
アイリスが思わず少し笑った。
「……分かりやすい……」
老人は鼻を鳴らす。
「職人なんてそんなもんじゃ」
必要な線は揃った。工房街。クロン・ワークス。工房名義。大きい話はギアハンド。カインは通路の角で一度立ち止まり、ミラの記録を一瞥した。
「十分だ」
アイリスが小さく言う。
「……クロン・ワークス、だね……」
「ああ」
カインは前を向いたまま答えた。工房街へ入ると、空気が変わった。酒と煙の匂いが薄れ、鉄と油と熱が濃くなる。高い天井。むき出しの梁。補修アーム。露出したスラスター。半分解体された艇。自由港の中でも、ここは明らかに何かを直して生きている場所だった。いくつかの看板を横目に見ながら進み、カインは一つのシャッターの前で足を止めた。古びた金属看板。KRONWORKSシャッターは半分だけ開いている。中には中型船の尾部と整備アーム。散らばった工具。壁際に積まれた導管と補修材。
アイリスが少しだけ声を潜める。
「……ここ……?」
「そうだ」
カインはそのまま中へ入った。工房の奥で、一人の男がしゃがみ込んでいた。片腕が大型の整備義肢。汚れた作業着。顔には古い火傷の跡。男は顔を上げる。こちらを一度見て、最初に浮かべた表情は警戒ではなく、ああ、またかに近いものだった。よくいる。事情を抱えた新顔。街に流れ着いた流れ者。船を抱えて、仕事か隠れ場所か、何かを求めて来る連中。男は、カインたちをそういう種類の人間として見た。
「……客か」
カインはそこで立ち止まる。
「船を見てほしい」
「どこだ」
「ドック47だ」
男の目が少しだけ細くなる。
「新顔だな」
「そうだ」
「で、何を見せる」
「小型船だ」
「急造だが、走れる」
一拍。
「推進とステルスを見てほしい」
男は立ち上がる。
義肢の関節が小さく鳴った。
「急造船にステルスか」
「最低限だ」
「面白いな」
「船の名前は」
「……ノクス」
アイリスが小さく答えた。
男はそちらを一度見た。
「お前が付けたのか」
「……うん……」
「悪くない」
それだけ言ってから、男はカインに視線を戻した。
「で、整備だけか」
カインはここで本題を出した。
「整備は一つ」
「もう一つ、相談がある」
「何だ」
「しばらく街に居ることになりそうだ」
「でかい船を入れられるドックも探してる」
男の表情は変わらない。だが視線は止まった。
「……どれくらいでかい」
カインは答える。
「ホエール級未満」
大型輸送艦ホエール級全長約500メートル。
エーテルガイストの名は出さない。
艦種も言わない。ただ、サイズだけを伝える。
「小さい話じゃねぇな」
「だから相談してる」
数秒の沈黙。男は肩をすくめた。
「分かった」
「まずノクスを見せろ」
「でかい船の話は、その後だ」
「名前は?」
カインが聞く。
「クロンだ」
「この工房の親方でもある」
「カインだ」
「アイリスです……」
「ミラです」
クロンは全員を一度見たあと、工具義肢を軽く鳴らした。
「よし。ノクスをここへ持ってこい」
「見てやる」
ノクスはすぐにクロン・ワークスの整備ドックへ上げられた。下から支持アーム。上からスキャンフレーム。白い作業灯が外装の継ぎ接ぎを照らす。急造船らしい、誤魔化し切れていない無理がそこかしこにあった。クロンは端末を立ち上げながら、尾部外板を義肢で軽く叩く。
「雑だな」
「急造だ」
「だろうな」
だがその声には、完全な否定だけではない色が混じっていた。
「雑だが、筋は通ってる」
ミラが静かに言う。
「最低限の最適化はしています」
「お前がやったのか」
「一部は」
「なるほど」
クロンは端末に何かを打ち込み、再びノクスの外板を見た。それから、不意に言う。
「でかい方の話だが、いきなり答えが出ると思うなよ」
「分かってる」
「いい」
クロンは頷いた。
「まずはこいつを街の船にしろ」
カインが目を向ける。
「どういう意味だ」
「新顔の船のままだと、どこへ行っても浮く」
クロンはノクスの尾部を指で弾く。
「整備して終わりじゃねぇ。街に馴染ませるんだ」
「この辺の流れ者がよく使う記録偽装屋がある」
端末に簡易マップが立ち上がる。工房街から一本外れた細い区画。
「ゴースト・レジャー」
「船を“前からいたこと”にする場所だ」
ミラが静かに復唱する。
「履歴偽装屋」
「そうだ」
クロンは頷く。
「ノクスが今来た船のままじゃ、工房街も市場も出入りしづらい」
「まずはそれを薄くする」
アイリスが小さく聞く。
「……それだけで、変わるの……?」
「この街じゃ変わる」
クロンは即答した。
「存在してることより、記録に存在してることの方が強い」
『合理的だ』
アドミラルが通信越しに落ちる。
『ノクスを街に溶け込ませろ』
クロンは続けた。
「それと、探し物があるなら市場も見てこい」
別の区画を表示する。雑多な構造物。広い市場区画。
「ジャンク・バザール」
「部材、補修品、流れ物、運が良けりゃ面白いもんも拾える」
カインが短く聞く。
「順番は」
「先にゴースト・レジャーだ」
クロンは即答した。
「船が街に馴染んでない状態で、あちこち出入りするのは面倒だ」
一拍。
「ノクスは見ておく」
「お前らはその間に行ってこい」
カインは小さく頷いた。
「分かった」
アイリスがノクスを見て、それからクロンを見る。
「……終わるまで、かかる……?」
「かかる」
クロンは端末から目を離さず答えた。
「その間に街を見てこい」
「流れ者ってのは、船を持ってるだけじゃ街じゃ生き残れねぇ」
その言い方に、
カインはほんのわずかに口元を動かした。
「言うな」
クロンは鼻を鳴らす。
「図星だろ」
工房を出た時、アイリスは小さく息を吐いた。
「……思ってたより、話してくれた……」
「向こうから見れば、よくいる訳ありの新顔だ」
カインが言う。ミラが静かに補足する。
「深入りしない熟練工、という印象です」
『利用価値がある限り、余計な詮索はしないタイプだ』
アドミラルの声。それはこの街では、十分に信頼できる部類だった。カインは細い通路の先に表示されたマップを見た。
「まずはゴースト・レジャーだ」
「その後、ジャンク・バザール」
アイリスが頷く。
「……うん……」
三人は工房街の熱気を背に、ノクスを街の船に変えるため、そしてこの街で使える物と情報を拾うために、次の区画へ歩き出した。




