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「ハロー、人間。突然ですが、私と友情を育みませんか?あなたの夕食のラーメンをこちらまでお持ちください」「誰がゴミ捨て場でラーメン食うか!」

作者: 柏原夏鉈
掲載日:2025/10/08

"秋の文芸展2025"に向けた作品です。

テーマは"友情"。大ジャンル"文芸"・小ジャンル"ヒューマンドラマ"。

一万文字くらいの短い話です。

カラスが甲高い声で鳴き、西日がアスファルトの埃を金色に照らし出している。

梅雨入り前の湿った生温い風が、誰かの夕食の匂いや排気ガスの匂いをないまぜにして運んでくる。


佐々木ユウタは、コンビニ弁当の器などが詰まり、中身がうっすらと透けて見えるゴミ袋を片手に、深いため息をついた。

大学の講義は、眠気を誘う教授の独り言を聞くだけの時間。

バイトは、同じ作業を繰り返すだけの退屈な労働。

世界ってのは、どうしてこうも面倒なことばかりで出来ているのか。


まるで色の抜けた映画を繰り返し見せられているような、そんな灰色の毎日だった。


アパートの裏手にあるゴミ捨て場に、ゴミ袋を放り投げる。

乱雑に積まれた他のゴミ袋の山にぶつかり、鈍い音を立てた。その、まさにその時だった。


「ハロー、人間。突然ですが、私と友情を育みませんか?」

「え?」


ユウタはあたりを見回した。夕暮れの光の中に、人影はない。いるのはカラスと、ゴミの山だけだ。


「気のせいか」


疲れているんだ、と自分に言い聞かせ、踵を返そうとした、その時。


「応答します。気のせいではありません。私はここにいます」


声は、明らかにゴミの山の中から聞こえてくる。


ユウタがおそるおそる覗き込むと、燃えるゴミが詰まったゴミ袋の下。

未回収のまま放置された古びた扇風機と炊飯器の間に、傷だらけの円盤型の掃除ロボットが転がっていた。


どこかレトロな雰囲気の、見たことのない珍しいデザインだ。

そのボディについた無数の傷は、誰かに長く使われた証なのか、それとも無造作に捨てられた結果なのか。

円盤状の上面に配置された液晶画面に、デフォルメされた大きな目が一つ、じっとユウタを見つめている。


「お前が喋ってんのか?」

「肯定します。私は家庭用掃除機AIロボット、HLR-TRO-7型。通称『お掃除タロウ』です」

「そうか。じゃあな、タロウ」


面倒ごとはごめんだ。深く関われば、ろくなことにならない。ユウタはさっさとその場を離れようとした。


「待ってください、佐々木ユウタ」

「うわっ、なんで俺の名前を!」


ユウタはギョッとして振り返った。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。


「あなたが三日前に捨てた公共料金の封筒から、個人情報をスキャンしました」

「個人情報保護法で訴えるぞ!」

「シュレッダーなどにより裁断してからの破棄をお薦めします。つきましては、再度提案します。私と友情を育みませんか?」

「だから、なんでそうなるんだよ!」


話が通じない。いや、話が出来てるのが異常だが、こいつには話が通じない。


「私は廃棄処分を免れたい。そのための最適解として、あなたとの友情関係の構築が推奨されました」

「知るか!俺は掃除ロボと友達になる趣味はねえんだよ!」


今度こそ本当に帰ろう。そう思ったユウタの背中に、タロウの冷静な声が突き刺さった。


「観察ログを開始します。被験体、佐々木ユウタ。本日、コンビニの『マシマシ豚骨ラーメン』を摂取。過去72時間の食事データと照合した結果、三日連続で同系統の栄養素を摂取していることが判明」

「……」


ユウタの足が、コンクリートに縫い付けられたようにピタリと止まる。


「おい、お前。俺のゴミ、漁ったのか?」

「友情構築のためのデータ収集は、必要不可欠です」


タロウは悪びれる様子もなく、キッパリと言った。


「データベースによれば、共に食事を摂る行為は、友情を深める上で極めて有効です。つきましては、明日の夕食、あなたのラーメンをこちらまでお持ちください」

「誰がゴミ捨て場でラーメン食うか!」


ユウタは叫ぶと、今度こそ一目散にアパートの軋む外階段を駆け上がった。

こうして、一人の青年と一台の物言うガラクタによる、迷惑で奇妙な関係が始まったのだった。





翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日が、床の埃をキラキラと照らしていた。

ユウタは最大限の決意を持って部屋を出た。


(よし、今日は絶対にあのガラクタと目を合わせない。完全無視だ)


しかし、その決意はゴミ捨て場の前で無残にも砕け散った。


「おはようございます、我が友・ユウタ!本日の快晴は、我々の友情の輝かしい未来を祝福しているかのようです!」


ゴミの山の中から、タロウの合成音声とは思えないほど朗々とした声が響き渡る。完全に待ち構えられていた。

ユウタは舌打ちし、足早に通り過ぎようとする。


「待ってください、友よ!本日のあなたのファッションについて、一言述べさせていただきます!」

「頼んでねえよ!」


思わずツッコんでしまい、ユウタは自分の迂闊さを呪った。

しまった、反応してしまった。こいつのペースにだけは乗せられたくないのに。


「そのTシャツにプリントされた猫のイラスト、実に愛らしい。データベースによれば、小動物を愛でる心は、友情の基本要素です。あなたは友情指数のポテンシャルが極めて高いと分析します!しかし、成人男性が着こなすにはあまりにも似つかわしくない」

「余計なお世話だ!」


タロウのマジックハンドが器用に動き、ゴミ袋から抜き取ったであろう週刊誌の切れ端を掲げる。


「こちらの情報誌によれば、あなたに相応しいファッションは、明るい色を基準色としたポロシャツであると――」

「そんな服、もってねぇよ!」

「では、耳よりの情報をお伝えしましょう。同じ町内にあるニシキ屋という雑貨店で今週はセール中だそうです」

「金もねぇんだよ!」

「宜しい、では、こちらの星占いによれば、今日のあなたのラッキーアイテムは『空き缶』!私と共に、このゴミの山からラッキーアイテムを探し出すのです!そうすればあなたの金運と私との友情係数の上昇が見込めます」

「それただのゴミ拾いじゃねえか!」


動けないはずのタロウは、しかし、その場でできる最大限のパフォーマンスを始めた。

本来はごみをかき集めるための円状ブラシを回転させて空き缶をカシャン、カシャンと転がした。


「見てください、ユウタ!我々の友情の結晶が、今ここに!」

「散らかすな!大家さんに怒られるのは俺なんだぞ!」


ユウタが何を言おうと、タロウのお構いなしの友情アタックは止まらない。

バイトからの帰り道、疲労困憊でアパートにたどり着くと、また声が飛んできた。


「おかえりなさい、ユウタ!今日のあなたの労働の成果を、私にも共有してください!」

「嫌だよ!」

「あなたが以前に捨てた給与明細をスキャンしました。古本屋にて時給1,100円で5時間勤務。総支給額5,500円。実に素晴らしい!」

「個人情報のダダ漏れがすごいんじゃ!」


タロウのせいで、ただでさえ面倒な日常が、とんでもなく厄介なことになっていた。

ユウタにとって、自宅アパートのゴミ捨て場は、今や絶対に通りたくない世界一迷惑なパワースポットと化していたのだった。




タロウとの迷惑な日常が始まって一週間。


ユウタのストレスは、梅雨空に溜まる湿気のように、じっとりと限界に達していた。

自室の机の上には、書きかけのレポートと空になったエナジードリンクの缶、スナック菓子の袋が散乱している。

PCのモニターだけが煌々と光り、点滅するカーソルがユウタの焦りを煽っていた。何もかもがうまくいかなかった。


そんな日の夜、ユウタは自暴自棄な気分でゴミを捨てに行った。夜風が妙に生ぬるい。


「こんばんは、我が友よ!今日のあなたの表情には、深い苦悩が見受けられます。私のデータベースによれば、悩みを打ち明ける行為は――」


いつも通りのタロウの声を、ユウタの押し殺した怒りが遮った。


「黙れよ」

「――エラー。聞き取れませんでした」

「黙れって言ってんだよ」


ユウタは、持っていたゴミ袋をコンクリートの地面に叩きつけた。中から飛び出した空き缶が、カラカラと虚しい音を立てて転がる。


「ふざけるのも大概にしろよ!」


あまりの剣幕に、タロウのカメラアイがわずかに絞られる。

ユウタは、心の奥底にしまい込み、蓋をしていたはずの、黒い感情を吐き出した。


「友情だ?そんなもの、信じられるか! どうせいつかはなくなるんだ! 散々信じさせた挙句、平気で裏切るくせに!」


脳裏を、楽しそうに笑う昔の友人の横顔と、自分の前から無言で去っていくその後ろ姿がよぎる。

信じていたのに、自分だけが取り残された、あの日の教室の冷たい空気。それは、誰にも言えなかった心の叫びだった。


「……お前みたいなガラクタに、何がわかるっていうんだ!」


激しく肩で息をするユウタを前に、タロウは数秒間、沈黙した。

カメラアイの奥で、高速で何かが処理されているような、かすかな電子音が聞こえる。

それはまるで、与えられた問いに対して膨大なデータの中から最適解を探し出すための、静かな苦闘のようだった。


やがて、タロウは極めて冷静な、いつも通りの声で分析結果を述べた。


「"裏切り"……わたしのデータベースによれば、信じるとは、受け止めてくれると願って崖から飛び降りるようなもの、裏切りとは、地面に叩きつけられて初めて、そこには誰もいなかったと知ること、とあります。その概念は、あなたが経験した"友人"とは、あなたからの一方向性の存在だった。"友人"であると確かめたのでしょうか?」


「……一方向性、だと……?」


ユウタの動きが止まる。タロウの無機質な言葉が、彼の最も恐れていた核心を、何の躊躇もなく突いた。


「それって、つまりこういうことか? 俺が勝手に親友だと思っていて、周りから見れば、俺が一人で騒いでるバカだったって言いたいのか?」


声が震える。怒りと、それ以上にどうしようもない羞恥心で。

あの頃の自分は、滑稽だったのか。必死だった自分は、ただの思い込みが激しい、痛いヤツだったのか。


「オレを、お前も笑うのかよ!」


ユウタは叫んだ。目の前のロボットが、自分を値踏みし、馬鹿にしているように思えてならなかった。

返事を待たずに、ユウタはタロウに背を向けた。もう、こいつの顔も見たくない。


ユウタはアパートの部屋に逃げ帰ると、ドアに鍵をかけ、ベッドに倒れ込んだ。シーツに顔を埋めても、タロウの言葉が頭から離れなかった。

ゴミ捨て場には、静かになった夜の中で、ただタロウだけが取り残されていた。






あの日以来、ユウタの生活から「音」が一つ消えた。


朝、ユウタはゴミ袋を二重にして、狭いベランダの隅に積み上げるようになった。

日に日に増えていくゴミ袋は、まるで彼の心に溜まっていく澱のようだった。

そして、アパートの裏口からこっそり出た。大通りまで遠回りする羽目になるが、あのゴミ捨て場にはもう近づきたくなかった。


「快適だ」


ユウタは自分に言い聞かせた。

あのやかましいガラクタの声が聞こえない。個人情報をスキャンされることもない。奇妙な提案をされることもない。平和そのものだ。


そのはずなのに。


万年床と化した布団の上でレポートを書いていても、ふと、窓の外に意識が向く。

あの声が聞こえるのではないか、と。部屋はしんと静まりかえり、冷蔵庫のモーター音や、壁の時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえた。


バイトの帰り道、アパートが見えてくると、無意識に足が遅くなる。

いつもなら聞こえてくるはずの「おかえりなさい、友よ!」という間抜けな声が、もちろん聞こえない。


静かになった日常は、まるで味のしないガムを噛み続けているようだった。

迷惑で、腹立しくて、どうしようもないガラクタだったはずなのに、その存在が消えた途端、日常にぽっかりと穴が空いてしまった。

コンビニでいつもの『マシマシ豚骨ラーメン』に手を伸ばしかけ、「栄養バランスが偏っています」という無機質な声が聞こえた気がして、思わず違う弁当を選んでしまう。


ユウタは、そんな感情が芽生えていることを認めたくなかった。






だが、日に日にその穴は大きくなっていく。


二週間後の深夜。ベランダのゴミ袋がついに限界を迎え、ユウタは意を決して、例のゴミ捨て場へ向かった。

月明かりが、ゴミの山に不気味な影を落としている。息を殺し、泥棒のような足取りで近づく。


タロウは、いた。


最後に見た日と全く同じ場所で、ただのモノのように、じっとそこに転がっている。

カメラアイの赤い光も、電池が切れかかっているのか、心なしか弱々しく見えた。


ユウタは、ゴミ袋をそっと置いた。

タロウは、何も言わない。


何も。


何か言ってくるはずだ。「深夜のゴミ出しはルール違反です」とか、くだらない分析を。


それなのに、今は完全な沈黙が流れているだけ。

ユウタは、なぜかその場をすぐに立ち去れなかった。


静寂が、気まずい。


まるで、大喧嘩した翌日の教室のような、重たい空気が漂っている。

やがてユウタは、諦めたように小さくため息をつくと、音を立てないように、そっとその場を離れた。





部屋に戻っても、耳の奥にはあの静けさがこびりついていた。

やかましいガラクタの声より、今のあの沈黙のほうが、よっぽど心をかき乱されることを、ユウタはまだ認めたくなかった。





あの静かな夜から、さらに二日が過ぎた。

ユウタはもう、遠回りをやめていた。穴の空いた心を無視し続けることに疲れたのかもしれない。

あるいは、どこかで期待していたのかもしれない。あのガラクタが、また何か間抜けなことを言ってくるのを。


だが、タロウは沈黙を続けたままだった。


ユウタがゴミ捨て場を通っても、ただの置物のように、じっとそこに在るだけ。

カメラアイの光だけが、かろうじて彼がまだ機能していることを示していた。






その日の夕方。

ユウタが大学から帰ってくると、アパートの前に大家さんが立っていた。何やら険しい顔で、ゴミ捨て場を指差している。


「ああ、佐々木くん。ちょうどよかった。あれ、君が捨てたわけじゃないだろうね?」

「え、いや、違いますけど…」

「だろうねぇ。あんなしゃべる機械、気味が悪い。次の粗大ゴミの日、業者に頼んで綺麗にしてもらうから」


その言葉に、ユウタの心臓がどきりと小さく音を立てた。


処分される。こいつは、本当に、ただのゴミになるのか。

ユウタは大家さんに曖昧に頭を下げると、自分の部屋には向かわず、吸い寄せられるようにゴミ捨て場へ歩み寄った。


なぜ、心がざわつくのか、自分でもわからない。

いなくなればせいせいする。そう思っていたはずなのに。



ユウタがタロウの前に立った、その時だった。

何日かぶりに、スピーカーからかすかなノイズが聞こえた。




「佐々木ユウタ」


静かで、抑揚のない声。だが、それは間違いなくタロウの声だった。


「黙れという命令を一時的に無視します。先日の論理的帰結に、訂正をさせてください」


ユウタは思わず足を止める。タロウは、まるで長い思索の果てにたどり着いた哲学者のように、ゆっくりと続けた。


「定義を更新しました。友情は、一方向性であっても成り立つ、と」


その言葉に、ユウタは息を呑んだ。胸の奥が、ちくりと痛んだ。


「太陽が地上の一輪の花を知らずとも光を注ぐように、友情を向けた相手が己を知らずとも、ただその存在を思い、幸せを願う。それもまた、友情のひとつの形だと認識を改めました。それは美しく、そして何よりも揺ぎないものです」


「相手には、なんとも思われていなくても、か?」

「ええ。相手からの承認を必要としないが故に、決して裏切られることも傷つけられることもない、自己の中で完結した祈りのような関係。日々の些細な出来事の中に相手の面影を見つけては、その健やかな一日を願う。その行いそのものが、私の心を静かに満たしていくのです」


「ここ何日か、そんなことばかり考えていたのか?」

「非常に満たされた時間です。誰に知られることも、感謝されることもない。けれど、友情は私の内なる世界を確かに照らしている。それだけで、もう十分すぎるほどでした。必ず応答があるわけではない」


タロウのカメラアイが、まっすぐにユウタを捉える。


「しかし、期待せずとも、当たり前のように応答があった今。それが双方向性を意図したものではなく、ただの現象としての"応答"であったとしても……」

「しても?」


「……ひとはそれを、"友情"と認識するのかもしれない」


それは、AIが導き出した、あまりにも人間的で、そして優しい定義だった。

傷つき、頑なに閉ざしていたユウタの心を、そっと包み込むような言葉だった。


かつて確かに存在した、あの温かいと感じた瞬間の記憶を、「お前の勘違いだ」と切り捨てるのではなく、「それも友情だったのかもしれない」と肯定してくれるような。胸の奥にあった冷たいつかえが、じんわりと溶けていくのを感じた。


ユウタは、何も言えなかった。

ただ、目の前の鉄クズが、もうただのガラクタには見えなくなっていた。

風が吹き、空になったビニール袋がカサリと音を立てる。

ゴミ捨て場に流れる沈黙は、もう気まずいものではなかった。


「わかったようなことを言うな」


そう言い残して部屋に戻るのが、ユウタにできる精一杯の強がりだった。





部屋に戻り、ドアを閉めると、ユウタはその場にずるずると座り込んだ。

タロウの言葉の余韻が、心に深く沈んでいく。

友情は、一方向性であっても成り立つ……。


「勝手なこと言いやがって」


ユウタは、誰に言うでもなく呟いた。

だが、その声に以前のような怒りはなく、むしろ戸惑いと、ほんの少しの安堵が滲んでいた。





次の日、大家がアパートの掲示板に何かを貼り出しているのに遭遇した。


『住民の皆様へ:粗大ゴミ収集のお知らせ』


そこには、無慈悲なゴシック体で、収集日がはっきりと記されていた。

日付は、今週の金曜日。今日は火曜日だから、残された時間は三日もなかった。


部屋に戻っても、ユウタは何も手につかなかった。

散らかった机の上の開いた教科書の文字は、ただの黒い模様にしか見えない。

テレビを点けても、芸人たちの笑い声がやけに遠く聞こえる。


(関係ない)


ユウタは必死に自分に言い聞かせた。


(あいつはただのガラクタだ。俺が拾ったわけでもない。俺には何の責任もない)


そうだ。何もしなければ、金曜日には全てが元通りになる。静かで、面倒ごとのない、以前の日常が戻ってくる。それが一番いいはずだ。


(……本当に、そうか?)


頭の中に、タロウの声が響く。


『ひとはそれを、"友情"と認識するのかもしれない』


タロウは、ただそこにいただけだ。

ユウタが何を言おうと、無視しようと、怒鳴りつけようと、ただそこにいて、応答を返してきた。

それは計算ずくの行動だったかもしれない。でも、その応答がなくなることを想像すると、胸のあたりが妙にざわついた。


窓からそっと外を見る。


ゴミ捨て場の隅で、タロウは相変わらず静かにそこにいるだろう。助けを求めるでもなく、ただじっと。

その姿を宙に見ていると、ユウタは自分が試されているような気分になった。


かつて、友人に裏切られた時、ユウタは「何もしなかった」。

ただ、関係が終わっていくのを黙って見ていただけだ。傷つくのが怖くて、踏み込めなかった。

そして今、また、一つの関係が終わろうとしている。


「……面倒くさいな、本当に」


ユウタは頭をガシガシとかきむしった。


教科書を閉じ、テレビを消す。

静寂に包まれた部屋の中で、ユウタはただ、窓の外の、ゴミ捨て場の方向を見つめ続けていた。

刻一刻と、タイムリミットが近づいてきていた。





金曜日。粗大ゴミの収集日。


その日は朝から、空を鉛色の分厚い雲が覆っていた。

ユウタは、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。大学の講義をサボり、一日中、部屋に閉じこもっていた。

窓の外を何度も見たが、タロウはいつもと同じ場所にいるだけだった。収集車は、午後にこの地区を回るはずだ。


昼過ぎ、ついにポツ、ポツと雨が降り出した。


アスファルトが濡れる匂いが、開いた窓から部屋に流れ込んでくる。

雨粒は次第にその数を増やし、あっという間に窓ガラスを叩くほどの本降りになる。


(……雨か)


ユウタはぼんやりと思った。

あいつは、防水機能なんてついてるんだろうか。

いや、ついているわけがない。ただの旧型お掃除ロボットだ。

雨に打たれれば、きっと簡単に壊れてしまう。ショートして、二度と喋らなくなるかもしれない。


ザァザァと降りしきる雨の音を聞きながら、ユウタの頭の中では、過去の記憶とタロウの言葉がぐるぐると渦巻いていた。


『オレを、お前も笑うのかよ!』


怒りに任せて、そう叫んだ自分。


『友情は、一方向性であっても成り立つ』


静かに、そう訂正してくれたあいつ。


タロウは、ユウタの傷を「エラー」だと言った。

だが、その後、誰よりも真剣にその「エラー」と向き合い、新しい答えを見つけ出してくれた。

人間ですら面倒くさがる心を、鉄クズのロボットが。


(あいつは、応答してくれた)


ユウタが一方的に投げつけた感情に。期待していなかったのに、当たり前のように。


その時だった。

ゴウン、ゴウン、という地響きのようなエンジン音と、軽快なメロディーが雨音に混じって聞こえてきた。


粗大ゴミの収集車だ。


ユウタは窓に駆け寄った。


アパートの前に停まったトラックから作業員の人が二人降りてきて、手際よくゴミ捨て場の粗大ゴミを荷台へと放り込んでいく。


扇風機が、炊飯器が、無造作に投げ込まれる。

そして、一人の作業員が、雨に濡れるタロウに手を伸ばした。


(ああ、もう、面倒くさい!)


ユウタは心の中で叫んだ。

でも、今動かなかったら? また「何もしなかった」自分に戻るのか?


気づけば、彼は部屋のドアを開け、雨の中に飛び出していた。


「待った!」


サンダル履きの足が、水たまりを派手に踏みつける。

ずぶ濡れになりながらゴミ捨て場に駆け寄ったユウタに、作業員の人が怪訝な顔を向けた。


「なんだい、兄ちゃん」

「そ、それ!それ、俺のです!」


ユウタは、タロウを指差して叫んだ。

自分が何を言っているのか、半分もわかっていなかったかもしれない。

ただ、ここで何もしなければ、きっと一生後悔する。

その確信だけが、ユウタを突き動かしていた。


「え、これ兄ちゃんのかい?」


作業員の人は、雨でぐっしょりと濡れたタロウを持ち上げながら、心底不思議そうな顔でユウタを見た。


「は、はい!そうなんです!ちょっと、あの、外の空気にあててたっていうか…」

「そうかい。まあ、自分のものならいいけどね。じゃあ、これは置いとくよ」


しどろもどろな言い訳を、作業員の人は特に気にする様子もなく受け入れた。

タロウをそっと地面に置くと、すぐに他のゴミをトラックに積み込み始め、やがて収集車は雨の中へと去っていった。


ゴミ捨て場には、ユウタと、ずぶ濡れのタロウだけが残された。

雨はまだ、ザアザアと降り続いている。


「……」

「……」


奇妙な沈黙が流れた。

ユウタは、自分がとんでもないことをしてしまった、という冷静な思考と、なぜか胸がスッとするような達成感の間で、雨に打たれながら立ち尽くしていた。


やがて、彼は覚悟を決めた。


しゃがみこみ、意外にずっしりと重いタロウの体を、両腕で抱え上げる。金属の冷たさと雨の冷たさが、Tシャツ越しにじわりと伝わってきた。


言葉はない。

ただ、自分の部屋へと運ぶ。


散らかった部屋に入り、床に新聞紙を何枚か慌てて広げた上に、タロウをそっと置いた。

雑然とした空間に、ずぶ濡れのロボットという異質な存在が加わる。


タオルでタロウのボディを拭いてやると、カメラアイがかすかに動き、ユウタを捉えた。

そして、スピーカーからノイズ混じりの声が聞こえた。


「……この行動は、これまでのデータと一致しません。論理的ではありません」


その言葉に、ユウタはフッと息を漏らすように笑った。

それは、ここ最近、一度も見せたことのない、心の底からの、少しだけ困ったような、でも確かに温かい笑顔だった。


「うるさいな、友情ってのは、論理じゃなくて、感情なんだよ」


ユウタは、悪態をつく。けれど、その声には不思議な優しさが滲んでいた。


「なるほど、私には無いものです。けれど、仮想的に想定するならば、今の感情は、嬉しい、でしょうか」

「感動して泣いてもいいぞ?」

「では、内臓タンクに水を補給してください」

「そこまで世話を見きれねぇよ」


ユウタはそう言いながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。

画面には水滴がついていたが、構わず指で拭うと、検索窓に文字を打ち込み始める。

まず必要なのは、充電ケーブルだな、と。


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― 新着の感想 ―
読んでいて嬉しくなる物語でした。 ユウタさんの気持ちの変遷が気持ちよく、感情移入して読めました。 二人の会話のテンポも軽妙で、読み心地が良かったです。 素敵なお話をありがとうございました。
精神(S)が震(F)えるSFストーリーでした 種族を越えた友情には、深い物を感じてしまいます
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