日常
愛とは何なのか、何を以て愛とするのか。
私は誰かに愛されているのか。私は誰かを愛しているのか。
お母様は、貼り付けた様な笑顔を浮かべ、ありふれた答えをくれた。「この人の為なら自分はどうなっても良い。そう思える事こそが愛だよ」と。
これも一つの真理だろう。しかし、私にはそぐわない。それを世間は自己満足と呼び、残された者の気持ちなど一切考慮されていないただの身勝手だ。
「愛とは、一体何なのでしょうか」
ふと呟いた私の言葉に、彼女は賞味期限切れの食パンを乱暴に齧りながら吐き捨てた。
「そんな下らない事、考えてるだけでお腹減っちゃうよ」
篠森水葉。十七歳。
父は彼女の誕生前には既に行方不明。母親は男遊びとギャンブルに明け暮れ、水葉は生まれながらにして天涯孤独とそう変わらない人生を強いられた。
彼女と出会ったのは一年前、私が家出をした先で逃げ込んだ廃ビルの中だった。
水葉は果てしない孤独の中で、自分を生かす為の知識と独自の価値観を培っていた。
「水葉、また痩せていませんか?それにまだこのビルの中で寝泊まりを……。前にも提案したように、私の家に来て下さい。そうすれば衣食住に困る事はありません」
所々が破けてしまった制服に身を包み、横たわったドラム缶の上に座る水葉。最低限の食事しか摂れていないからか、その身体は酷く痩せ細っている。
「レイアが良くても、家の人らは顔顰めるでしょ。こんな薄汚い小娘が来たら」
「薄汚くなんてありません!水葉は強くて可憐で、気高い意思を持つ素晴らしい女性で……私の憧れです。貴女にとやかく言う人間がいるなら、肉親だろうと私が黙らせます」
「相変わらずエラい買い被りようだなぁ。単に図太いだけで、そこらの野良猫と変わんないよ」
「それなら、尚更素敵じゃないですか」
「そういや猫好きでもあったなコイツ……。とにかく、私にはこういうサバイバル生活が性に合ってんの。お嬢様基準の衣食住なんて、身体がギャップに耐えきれなくて爆発するわ!」
水葉と比べて私は、生存の為に必要な点において恵まれていると自覚している。
自惚れていた訳でも、他者を見下していた訳でもない。しかし水葉と言葉を交わすうち、如何に己の尺度で他人の幸福を測っていたかを思い知らされた。私は彼女を初めて見た時、確かに憐んでいたのだ。
彼女は決して自分の人生を悲観しない。知恵を絞り、己を鼓舞し、また明日を生きる。その蓄積こそが美徳だと信じている。停止した思考を携え冗長な日々を送っていた私は、そんな気高い精神にどうしようもなく憧れた。だからこそ、例えその美徳に反する行いだとしても水葉の身を守りたい。
「それよりさ、早く早く!」
パンを食べ切った水葉は、ドラム缶の上で足をバタつかせながら手を伸ばす。一向に提案を呑んでくれない様子に焦りを感じながらも、私は手提げ鞄からスマホを取り出し彼女に手渡した。
「さんきゅー!どれどれ……おっ、ちょうど始まったとこじゃん!」
大手動画投稿サイトMetube上にて、彼女は或るチャンネルのライブ配信を開いた。
厚生労働省が管轄する”国家感染対策処理機構(NIMA)”の公式チャンネルである。
動画には閑静な住宅街と、逃げ惑う一般市民が映っていた。
「また……ですか」
「うん。最近地方にもよく出るらしいよ」
幾つもの街灯に設置された俯瞰視点の監視カメラが定期的に切り替わり、絶望に暮れる市民達の表情を詳らかにする。
すると直後、彼らを追う一体の異形が映り込んだ。
人間としてのシルエットはそのままに、全体は赤黒い肉の鎧で覆われ、更にその表層を太い血管が縦横無尽に走っている。
頭部には黒い洞角が二本伸び、顔面には蜻蛉の複眼を人間大に拡大した様なものが張り付いていた。
私は思わず視線を逸らし、彼女から距離を取っていた。
「レイア?見ないの?」
「と、当然じゃないですか!人が襲われているんですよ!?それに襲っているのは……」
「だーいじょうぶだって。通報受けたから配信してるんだし。……ほら!」
スマホの液晶を向けられ、強制的に映像が視界に入る。
またも顔を背けようとした時、異形の背後から黒いハイエースが現れた。
一切の躊躇なく異形の者を撥ね飛ばし、停車。前後左右全ての扉が開かれ、中から約十名程の人間が降りて来た。
その殆どは機動隊の様な装備を纏った男性だったが、残りの三人は私達とそう変わらない年代の女性。赤い下地に二本の黒のラインが肩からつま先まで伸びたライダースーツに身を包み、頭部にはヘルメットすら被っていない。
そんな殆ど丸腰と言って差し支えない少女たちは、あろうことか機動隊の前に並んで立っていた。
『一体か。すぐ終わりそうだね』
画面の中で声を発したのは中央の女性。茶色のボブカットが朝日に映え、耳には煌びやかなピアスを幾つも付けている。
「来たぁ~~~!エリカ様だ!」
「エ、エリカ……様?」
露骨にテンションを上げる水葉とは対照的に、私は訝し気な声で聞き返した。
「虹村エリカだよ!驚異的な身体能力と頭脳を駆使して戦場を切り抜け、17歳にしてNIMAのトップに君臨した最強のプロセッサー!他の二人も入隊直後からメキメキ頭角を現した逸材で……」
これ以上無い程に目を輝かせ、早口で捲し立てる水葉。私はただ呻き声の様な返答を以て頷く事しか出来なかった。
『ここは私一人で十分だから。二人は下がってて。……その代わり、良く見ておくように』
エリカというらしい中央の女性が躍り出て、腰の左側に装着した黒いポーチから何かを取り出す。
単一の乾電池とほぼ同等なサイズの物体を握り込んだ瞬間、それは突如左右に拡張した。
全長は目算で二メートル近くはあるだろうか。兎に角、小さな物体は一瞬にして彼女の身長よりも長い槍に姿を変えたのだ。
『ガアアァァァア‼』
次の瞬間、起き上がった異形は怒り故か地鳴りのような咆哮を上げ、そのままエリカに向かって走り出す。
『よっ』
彼女は突進を軽々しく横にいなす。体勢を整えた異形は空気を切り裂くが如き音と共に拳を振るうが、同じく最小限の動きで次々と交わしていく。一般市民の私から見ても驚異的な動体視力だ。普通の人間であれば最初の一撃で頭を砕かれていたかもしれない。
『頑張ってるとこ悪いけど、もう終わりにするよ』
背後に回り込んだエリカは膝を曲げて深く腰を落とした。異形は即座に振り返るが、死角に入られた彼女を視認する為に一瞬動きを止める。その隙を見逃さず、彼女は瞬時に槍を振り上げ、その切っ先は異形の喉元を容赦なく貫いた。
「っ……!」
ここで漸く顔を背ける私だったが、水葉は対照的に画面を凝視し続けている。
やがて異形は喉元から鮮血を垂れ流したまま静止し、両腕がだらりと下に伸びる。そして創傷部から徐々に、まるで液体の様に体が溶けていく。
『……処理完了。見てた?』
背後に佇む他二人の女性を振り返るエリカ。彼女たちは一様に固唾を呑み、本能的に頷いていた。結局、本当に彼女一人だけで屈強且つ禍々しい異形を処理してしまった。
その後はアスファルトに残ったヘドロの様な異形の残骸を処理し、灰色の袋に詰めてハイエースに乗せる。何事も無かったかのように狭い路地を発車し、その僅か十終秒後には救急車がカメラを横切る。カメラには映っていないだけで、異形によって怪我、或いは殺害されてしまった市民が道の先にいるのかもしれない。
そして、配信が終了した。
「いやぁ〜〜〜、相変わらず鮮やかな処理だったなぁ!ね、レイア!」
「……私は、あの様な惨劇を見た後に笑う事などできません。それを配信する政府も理解出来ない。いくら水葉の意見でも、私には……」
彼女の全てに憧れていた私だったが、この点だけはどうしても理解が出来なかった。
恐る恐る水羽を見る。しかしその顔には悲壮も苛立ちも無く、ただ真っ直ぐに私を見る瞳があるだけだった。
「ま、散々はしゃいで見てたけどさ。私が一番ちゃんと見てたのは……NIMAの人らじゃなくて化物の方だよ」
「え……」
「配信じゃ、いつも一瞬で殺されて、コメントでも『さっさと死ね』とか『気持ち悪い』だの散々書かれて。そりゃあ実際凶暴だし人も殺すし、脅威には変わりない。けど……」
彼女はどこか物悲しそうに、自分の身体を見下ろしていた。
「誰も、なりたくてあんな化物になる訳じゃない。ある日突然、誰がなるかも分からない。でも配信を見る限り、そうなった奴らは皆、殺されるまで必死に藻掻いてる」
「水葉……?」
「だからさ、私は奴らに早く死ねともキモイとも思わない。明日は我が身だしね」
「……そんな事、言わないでください。もし貴女が、そう……なってしまったら、私は……」
そこで、彼女はドラム缶から飛び降り、私にスマホを返した。
深呼吸と共に伸びをして、また悲しい目で私を見る。
「もし、私が化物になったら……私は、レイアに殺してもらいたいよ」
「なっ……」
「………なぁ~~~~んて、冗談だっつーの!あはははは!」
舌を出し、高笑いを上げて私の肩をバシバシと叩く水葉。対して私の心臓は激しく脈打っていた。想像したくもない仮定が脳裏を駆け抜け、呼吸も薄くなる。
「ちょっと早歩きしただけで息も切れるし、グロ耐性も無いような儚いお嬢様には、無理難題だったかもね」
「わ、私はっ……私は、水葉を……」
縋るように彼女の両肩を掴む。まだ呼吸は整わなかった。
「……え、もしかして泣いてる?」
「な、泣いて……ません」
「いやいや、ドチャクソ泣いてんじゃん!マジ?ふっ……あははは!」
「どうして笑うんですか!?」
彼女の言う通り、私には人並みの力も、残酷な未来を受け入れる心も持ち合わせていない。こうして子供の様に縋りつく事でしか、自分を安心させることが出来ない。
「ごめんごめん。……大丈夫だよ。さっきは野良猫とか言ったけど、私、ゴキブリ以上の図太さだから。そう簡単には死なないよ」
「むっ……虫はやめてください!名前を聞くだけでも鳥肌が……!」
「ねぇ、レイア」
「は、はい……?」
数秒ほど考える素振りをして、再び水葉は舌を出した。
「……やっぱなんでもない!んじゃ、私は今日の晩飯探しに行ってくらぁ!」
「えっ?ちょっ……水葉!?待って……」
「暗くなる前に帰りなよー!また家出だと思われたら災難だぞ、お嬢様!」
電光石火の速さで廃ビルを飛び出し、彼女の姿は瞬く間に見えなくなってしまった。
一人残された私はスマホを片手に持ったまま放心する。
頭の中では、彼女が去り際に言いかけた言葉の答えを探り続けていた。
”Human Cannibalization Virus”。随分と突飛で馬鹿げた短絡的な名前だが、宿主を食人の化物へと変異させるウイルスにはこれ以上ない程に適した名だった。
第一感染者の発見から十年。今や世界中に蔓延し、感染者は不顕性保菌者を含めて約一億人。その内の八十パーセントは世界各地に設立された、日本におけるNIMAの様な処理団体により殺害されている。いつ誰が異形の化物になり、国家によって殺されるか分からない世界。それが私達の日常だった。
「私は、水葉を……」
そんな世界で愛について考える私は、この世の誰よりも愚かなのかもしれない。
百合、ヤンデレ、復讐、仮〇ライダーが大好きなので、全部ぶち込んだ闇鍋みたいな作品になりそうです!ちまちま書いていきます!