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10章 枯れ葉の道

 道に落ちている枯れ葉は、緑色だった少し前も思い出せないくらいに、干からびてカラカラと風に舞っている。

 雨が降って歩道に張り付くと、風では舞うことができない厄介な模様になる。

 

 津村と会うのを避けるように、香純は仕事に没頭していた。余計な事にまで手を出して、帰りをわざと遅くしている。会いたくない理由のアリバイ作りを毎日の様にしていると、罪が裁かれて判事の前に出ていく時は、そうとう醜い女になっているんだろうと、ため息をついた。

 あの日以来、定期的に通うようになった病院で、香純は女医に流産した理由を聞いた。

「初期の流産は、原因がわからない事がほとんどなの。原因を探したら、次はそれを避けようと思うんだろうけど、そういうものではないのよね。もしかして、薬や放射線の事を気にしてるの?」

 女医は香純に言った。

「はい。お酒の事も。」

 津村に罪を半分背負わせるつもりはない。それを受け入れてしまったのは自分なのだから。

「医者の私がいうのも変だけど、妊娠や出産って奇跡だからね。理屈じゃ片付けられないのよ。今回の事は、あなたがいろいろと悔やむ事ではないわよ。」

 女医はそう言って、香純の肩を叩いた。

「筋腫はあるけどね、すぐにどうって事は言わないわ。これから先の事は、ちゃんと病院に通って、あなたが自分で決めていけばいい。」


 10月。

 出向の報告に向かった市役所は、少し仕事に慣れてきた新人達が、面倒くさい客の様に香純を案内してくれた。総務のミーティングテーブルに座った香純に、

「月代さん、むこうはどう?」 

 総務課長が言った。

「どうでしょうか。自分では一生懸命やっているつもりでも、空回りかもしれませんし。」

 香純はそう言うと、コピー機の前にいる城山に目をやった。

「まぁ、月代さんならむこうでもうまくやっているんだろうね。こっちにきてる女係長は、うまくいかなくってね、休職中だよ。本庁はわりとすぐに休みを取ることができるんだろうけど、ここはそういう訳にはいかないからね。来年、別の人を出向で寄越すそうだ。」

 総務課長はそう言った。

「そうなんですか。」

 もしかしたら、来年の4月にはここに戻って来れるかも、そんな期待は、すぐになくなった。

「月代さんは、あと1年いてもらうよ。こちらの準備がまだできないからね。」

 総務課長の言葉は冷たい様で、なんだか少しホッとした。

 

 市役所の玄関を出た後、たった数ヶ月離れただけなのに、まるで自分の居場所がなくなった様に、辛くなった。あれだけ出入りしていた職員玄関も、今はそこを通る事さえ許されない気がする。

 駅までトボトボと歩いていると、津村からラインがきた。

“今日は泊まっていくんだろう?”

“ごめん、最終で帰る”

“忙しいのか?”

“少しね”

 津村からのラインをため息をつきながら返信すると、急に罪悪感が襲ってくる。

 どうして素直をなれないんだろう。仕事なんて、急ぐものは何一つないのに、手を離せない仕事があるという言ってしまえば、ボタンを掛け違い始めた恋人への免罪符になるっていうのか。

 津村の事を失いたくないくせに、このまま自分の事を嫌いになってくれたのなら、あの日の事は誰にも言わず、時間がそっと流してくれるのだろうか。  

 香純は津村が住むアパートに引き返した。

 ちゃんと話そう。

 医者だって悔やむ事はないって言ってくれたじゃないか。


 20時が過ぎた頃。

 津村が帰ってきた。

「月代?」

 テーブルに顔を伏せて眠っていた香純を、津村が起こした。 

「帰るんじゃなかったのか?」

「やっぱり、やめた。」

 香純がそう言って笑うと、

「そういうサプライズ、俺はいらないから。」

 ソファにどっかりと体を沈めた津村は、Yシャツの上のボタンを外した。

「忙しいの?」

「待ってるってわかってたら、すぐに帰ってきたのに。」

 目を閉じた津村を見ていると、疲れているのがよくわかる。どうやって話しをきりだそうかタイミングを伺うと、

「月代、俺、ここ引き払うわ。」

 津村が突然そう言った。

「実家から通うの?」

「あと1年なんて待てないからな。」

 津村の出した答えを、香純は黙って受け入れた。時計を見て、鞄を手に取ると、

「そっか。いろいろありがとう。」

 香純はそう言って立ち上がった。

「待てよ、月代。なんか話しが、」

 香純の腕を掴んだ津村を振り切って、

「まだ最終に間に合うから。じゃあ。」

 香純は玄関を出ていった。


 津村から何度も掛かってる電話には、出る勇気がなかった。泣きながら駅にむかうその道は、人気のない小道を選んで、街灯がパチパチと消えかけている薄暗い場所を歩いていた。

 大事な事を言えなかったのも、嫌な態度を取っていたのも、みんな自分じゃないか。少し前まで、津村の方から自分を嫌いになって、こうなる事を望んでいたのは、あの日の罪を隠そうとしていた、ずる賢い自分じゃないか。

 

「月代?」

 目の前に停まった車から、城山が降りてきた。

「こういう事になってると思ったよ。」

 城山は香純を車に乗せると、駅とは反対方向へ向かった。

「城山さん、最終に遅れちゃうよ。」

 香純がそう言うと、

「今、駅に行けば、津村が待ってると思うけど。」

 城山にそう言われると、香純は黙ってシートベルトを締めた。

「ケンカした?」

「ううん、別れました。」

「そっか。話したの?」

「話せません。」

「じゃあ、なんで?」

「振られました。あと1年は待てないって。」

「津村って、そんな簡単な男だったかなぁ。」

「私が悪いんです。私があの日から、ずっと津村くんを避けていたから。」

「月代さんを出向させて正解だったかもね。これで自分と向き合う事ができるだろう。」

「本当は出向なんて、したくなかったのに。」

 城山は車を停めると、顔を覆って泣き始めた香純を胸に抱いた。

「やめてください。」

 城山の腕を押し返すと、

「夜行バスで帰りますから。」

 香純は車を降りていった。

 

 強がって夜行バスに乗ったものの、涙が止まらない失恋の後は、バスで鼻を啜る事もできず、ハンカチが鼻水と涙で絞れるほどになった。

 駅から急いでアパートへ向かうと、たいして鏡も確認せずに、シャワーを浴びて職場へ向かう事が精一杯だった。

 仕事なんて休んでしまう事もできたが、仕事をしている方が気が紛れる様な気がして、何もなかった様に席についた。

「月代さん、ひどい顔。失恋でもしたの?」

 廣川が言った。

「そんなに?」

「その目、一晩中泣いてたってわかるよ。失恋は図星でしょう。」

 香純は両目を手で押さえると、

「昨日はラーメンを3杯食べたのよ。それで浮腫んだのね。」

 香純は廣川を見て笑った。

「そんなの嘘ってバレバレです。失恋って、この前のあの人ですか?」

「違うわよ、廣川さん。」

 ずっと香純につきまとっていた廣川は、終業のチャイムがなると、そそくさと帰っていった。

「廣川さん、今日は婚活パーティーらしいね。」

 近くにいた男性職員がそんな話しをしていた。

「女は少しでも条件のいい男を狙って、男は少しでも自分に都合のいい女を狙って、ある意味婚活って、省エネ恋愛だよな。」

 ケラケラと笑っているその話しが、香純の胸に刺さってきた。津村と付き合っていた時は、楽しい時間もあったけれど、どうして苦しくてこんなにも切ない時間を過ごしていたんだろう。


 秋の終わり、冬の始まり。

 津村からのラインは来なくなった。

頑なに返信を拒んでいた自分は、なんて嫌な女なんだろう。大切な津村の子供を流してしまったくせに、それを言えずに、都合のいい言い訳を未だに探している。 


 ごめん、津村くん。

 忘れる事なんてできないよ。

 都合のいい女でいいだなんて言ったくせに、津村くんを自分の柱に縛り付けようとしていたのは私。

 大切な時間を奪った分は、どうやって返したらいい?

 やっぱり、許すことなんてできないよね。

 私が最後にできる事と言ったら、津村くんとの思い出を、キレイに忘れてしまうことなんだよね。


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