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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蛆が湧いても愛してあげる


 私の幼馴染は今日も、重い自転車を引いて、家まで迎えに来てくれる。毎度「二人乗りなんて不良みたい」とは思いつつも、遠慮なく彼の腰に抱きつかせてもらう。


「にへへ。いつもありがとね、メイちゃんっ」


 真っ直ぐな黒髪が、七月の生温い風に溶けてゆく。私はこの、ほのかに漂う柚子の香りが、たまらなく好きだ。宇宙一好きだ。


「……相変わらずきもちわりー」


 私がついつい"幼馴染吸い"に幸せを噛み締めすぎていると、こんなふうに、うざったそうにそっぽを向いちゃうところも。


 ま、いまさら憎まれ口なんて叩いたところで、私にはゼッタイ通用しないんだけどね。


(幼馴染舐めんな〜っ!)


 気づかれないように、私は、べ、と小さく舌を出した。


「あ、そうだそうだ。おばさんから聞いたよ〜。マオちゃん、またゾンビ討伐に成功したんだって?」


 私たちの誇りだね、本当すごいやーーフンフン言うと、命人めいとからは素っ気ない舌打ちが返ってきた。


 お兄ちゃんの一色いっしき 真生まお、弟の一色いっしき 命人めいと……幼稚園の頃からだから、一色兄弟とはかれこれ、14年の付き合いになる。


 突き当たりの公園、懐かしいな。昔はよく3人で遊んだんだけど、マオちゃんのハンター業が忙しくなってきてからというものの、顔を合わせる機会はめっきり減ってしまった。


「そのうちみんなで、隠れ鬼したいね」


 ちっちゃかった時みたいにさーー汗ばむシャツをつつくと、だんだん、自転車のスピードが落ちていった。


「……ったく。兄貴兄貴って、馬鹿の一つ覚えみてえによお」


「わぅ」きき、と、いきなり木陰に降ろされた。それにしても、ずいぶん扱いが雑だな……おかげで舌を噛みちぎりそうになっちゃった。


「メイちゃん、学校こっちじゃな」


 何を思ったのか、命人は強引に私の顎を掴む。


「今はあいつの話なんてしなくていいだろ」


 熱い吐息が、気づけば耳もとまでかかってきていた。飢えた目つきが、私を捕らえる。

 それはまるで、「俺だけ見てればいい」と叫んでいるようでーー


 ついばむようなキスだった。


 初めてじゃないのに、体の奥はきゅんと疼く。


「なあ、もっとーー」


 爪先立ちして、今度は角度を変えてみた。人目を気にしている余裕なんて、もう残されてなかった。朝っぱらから、私たちはお互いを素直に求め合う。



「結局学校さぼっちゃうなんて、とんでもないワルだと思わない? ……あ、メイちゃんはとっくにヤンキーなんだった」


 夕暮れの冷えた風のせいであらわになったピアス穴を、私は指差す。


「はっ。出来損ないの俺に愛想つかさねーヤツなんて、小麦くらいだよ」


 物は試しと、あざとくぷっくり頬を膨らませてみる。


「えー、そこは"側にいてくれてありがとう"でしょ」


 残念ながら命人は、盛大なため息をついた。


「ハイハイ、アリガト」


「ぱーどぅん?」


 おどけたポーズを決めてみせる。ちょっとふざけただけなのに、命人は全力で私の髪をぐっちゃぐちゃにしてきた。


「やめてよー、コテってけっこう時間かかるんだよーっ」


「知るかワカメ頭」


 ちゃっかり鼻で笑う命人に、もーっ! となる。あなたがやったんでしょうが。


「ふん! メイちゃんなんか知らないよーだ」


 カゴから、一日使わなかった鞄を取って、私は帰路に着く。背後ではまだ、しかめっ面をイジられているような気がした。


(こっちばっかり大好きみたい。まったく)


 振り返らずに、猛ダッシュした。



 今朝はなぜか、命人が起こしに来てくれなかった。


 とはいえ昨日の今日だ、こっちから迎えに行くのもなんだか癪だし……結果、私は1時間目に間に合わなかったわけで。


 とりあえず右隣の友達に、寝ぼけ眼でおはようを言う。


「おー小麦ぃ、サボりに遅刻とはなかなかやるねえ。一色くんもいないし、あんたらなんかあったの?」


 このこのー、と肘を突かれる。


(あれ?)


 置いて行かれたとばかり思っていた。でも、教室内に命人の姿は見えない。


 そこはかとない違和感を抱きつつも、長い一日はあっけなく過ぎていった。


 翌日のホームルームでのことだった。先生は重苦しい顔で告げる。まさか、と思う。私は、頭に浮かぶひとつの可能性を打ち消すのに必死になった。


「もう知っている人もいるかと思いますが、昨日から……クラスメイトの一色君が、帰宅していないそうです」


 何か知っていることがありましたらーーと続くはずの言葉は、教室の喧騒にすぐさまかき消された。


「マジで?」「どうせ家出だろ」「いや行方不明とかやば」


 いやだ。止まれ。止まれ。


「ゾンビになっちゃってたりして」


 こわーい、と方々から上がる悲鳴。心臓が、激しく鳴り始める。



「ちょ、ちょっと小麦⁈」


 今日は小テストがあるとか、集会があるとか。そんなの全部お構いなしで、私は教室を飛び出した。




(……どうして? 私が、もう知らないなんて言ったから?)


 あれから。私は村を何十周もした。しかしどこをどう探しても、命人は見つからなかった。


『ゾンビになっちゃってたりして』


 ふいに蘇る、クラスメイトの言葉。悔しくも否定はできなかった。もしかしたらもうすでに、命人はーー。


 ハッとなって、私はふるふる頭を振った。どうも独りぼっちだと、余計なことまで考えてしまうようだ。


 公園の広い土管を、じっと見つめる。


 ここにいなかったらどうしよう。


 弱気になるな自分。一縷の、望みをかけて。三日三晩飲まず食わずで、私もそろそろ限界を迎えそうになってきていた。


 その時だった。


「メイ…………ちゃん?」


 穴ぐらには、虚ろな目をしたーー命人がもたれかかっていた。


「メイちゃん、メイちゃんだあ……」


 ぼろぼろと、涙が堰を切ったように溢れ出てくる。


「お、おかえりっ、このっ、今まで何してたの……! ほんっと信じらんない。メイちゃんのばかあっ……! 私、どんなに心配したと思って……!」


 それでも、無事で良かった。


 再会できた嬉しさに抱きつこうとするも、命人はどういうわけか、目にも留まらぬ速さで私を避けた。


「どうしたの。その、怪我もーー」


 思わず、ひゅっと息を呑んだ。ひどい膿のようなものが、命人の血管あたりに侵食している。


「近寄んな」


 なんで、と聞く間さえ与えられなかった。


「俺、たぶん…………死んでる」


「は、え、」頭が真っ白にーーというよりかは、後頭部をハンマーで殴られたような感覚になった。


「つーかもう知ってんだろ? これで晴れて、俺も化け物の仲間入りなんだって」


 途端に、ガラス玉みたいに生気のない瞳を見せつけられる。さっきは暗くてよく見えなかったけれど、命人の肌の一部は、たしかに青黒く変色していた。


「ゾ、ンビ……」


 そんなの嘘だよね? 遅れたエイプリルフールってことだよね? 私の言葉のどれにも、命人はけっして頷いてくれなかった。


 代わりに、口もとには切ない笑みが浮かび上がる。


「それより小麦、早くこの村から逃げろ。ぼさっとしてっとコレ感染うつるぞ」


 命人は、爛れ始めた皮膚を指差す。訳も分からず、私は苦笑する。いやいや。せっかくまた会えたのに、逃げろって。嫌だよ。離れたくないよ。ゾンビっていっても、意思疎通だってちゃんとできてるじゃんか。


「この前も俺にジュース奢らせたじゃねえか、ほら。たまったツケ、今払えよ。さっさと逃げ」


「いやだ。私、いやだからね」


 食い気味に答えたのは、すぐ近くで、大人たちの呼び声が聞こえたから。さっきから、スマホがうるさく振動していた。あえて無視して、砂場に落ちた木の枝を拾う。それを、動揺する命人に無理やり手渡す。だって、触らなければ大丈夫なんでしょ?


「いたぞ! あそこだーー!」


 隠れ鬼はもう、始まっていた。


「メイちゃん。私とーー駆け落ちしよう」



 弟がゾンビ化したと報告を受け、わざわざ東京から、真生は駆り出されていた。久方ぶりの故郷とはいえ、何、感動的なそれではない。家族を殺す、そのためだけにこの村へやって来たのだ。


 強いて言うなら幼馴染の所在くらいは気になるが……何より仲の良かったふたりだ、今回の一件で心を痛めていないことを願う。


 真生は銃口に息を吹きかける。手入れは完璧だった。ゾンビになった者に救いの道なんてない。ならばせめて、自分の手であいつを楽にしてやらねば。


 そうでもしなければーー後できっと、悲劇を生むことになるだろうから。




 木の枝越しでも伝わってくる、命人の冷ややかな体温。


 山の天気は急変しやすい。無情な土砂降りに、私まで泣きそうになってしまう。


 ずしゃっーー


 ついにふたりを繋ぎ止めていた木の枝がすっぽ抜け、私はぬかるみに躓いた。


「うぅ…………」


 当たり前のように痛かった。頬を伝う水滴は、もはや汗なんだか雨なんだか、涙なんだかよく分からなかった。


「小麦」と呼ぶ穏やかな声に、かろうじて反応する。


「兄貴が、どんどん近づいてきてる。人間だった頃の感覚が薄れてるんだろうな。なんとなく分かるんだよ」


 諦めたように告げる命人の手には。


「何、それーー」


 ぬらぬら光る銀の銃が握られていた。


「兄貴のクローゼットからくすねてきた」


 だから、と続く。


「……俺を殺してくれ、小麦。どうせ終わるなら、やっぱりお前がいい」


 今になって、気づいてしまった。全身に悪寒が走る。天を仰ぐ命人ーーもう、涙は出ないんだ。


「大丈夫。引き金引けば一発だし、これなら非力なお前でも楽勝……」


 私はたまらず、思いっきりビンタしてやった。体液のどろりとした感触だけが、右手に虚しく残る。


「なんにもわかんないんだね。そんなふうに自分を犠牲にすれば満足? 私の気持ちなんて、メイちゃんぜんぜん考えてない……!」


「はは、頭沸いてんのかよ……俺はもう死んでて、人間でもなくて、そのうえゾンビで」


「それでもいい!」


 震える声で、私は叫んだ。


「どんな姿になっても、私はメイちゃんが大好きなの。いい加減、幼馴染舐めるのやめてよね。私はただ、メイちゃんの側にいたいだけなんだよ」


 泣いてるんだ、と思った。


 ゆっくり、喉から絞り出すように、命人が告げる……俺も、と。


 命人が、私の顎を優しく掬った。


「本当に、いいんだな。もうーー逃してやれねえけど」


「はい、誓います」


 憧れのウェディングドレスは着れなかった。でも、この雨はきっと、祝福のヴェールだ。


もっと、もっと、もっともっともっと、命人がほしい。


 腕を回す。貪るように、醜い獣のように、欲に忠実に、私たちのキスは激しさを増していった。


「これからも、ずうっと一緒にいようね」


 約束だよーー薄れゆく意識の中、互いに永遠の愛を誓ったのだった。



「…………見つけた」


 ずいぶん懐かしい顔ぶれだ。真生はひとりごちる。隠れ鬼は何年ぶりだろうか、と。


 目の前で融解し重なり合う男女は、そもそも本当に真生の知る人物なのかすら、今となっては確かめようがないけれど。


 遠くで「そっちはどうだ」と真生を探す声が響いた。


「何も、ありませんでした」


 言いながら、思わずフッと笑ってしまう。あどけない子どものようにゆびきりげんまんなんかして、ふたりは一体何を約束したというのだろう。


 どれだけ時間がかかっても構わないから、いつか兄ちゃんにも教えてくれーー大切な誓いの意味を。


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