星の加護クズおじさん烈海王モノマネがんばる
最近タノスケは、漫画『バキ』に出てくる人気キャラクターである烈海王の顔マネを頑張っている。というのは、タノスケはいい年こいて、体中関節が痛いのに、格闘技経験もないのに、アル中なのに、ハゲはじめているのに、そもバカなのに、にも関わらずプロレスを習い始めたからだ。
その関係で、道場に通う者同士、もしくは講師を交えて、ちょいちょい写真を撮る機会が増えたのだが、その際ちょっと事情があり、タノスケは毎回タノスケ式極上ハニースマイルを繰り出す現状に、ちと抵抗あり心地なのだ。
何故抵抗があるのか、そして、そこでなぜそこで烈海王の顔マネなのか、これを考えてみると、そこに至るまでの心理は、そも自分がプロレス道場に入門した理由の一部へと根を生やしているようなので、今回そこを書いてみようと思う。
そもタノスケは〝ミスターチルドレンの星〟の下に生を受けているのだが、そんなミスタータノスケは、老化まっただ中なくせにチルドレンなところがふんだんにある。ハンバーグは照り焼きが好きだし、バナナはシールが貼ってあれば誇らしい気持ちになるし、何かで手が痺れると今ならカメハメ波が打てるような気が本気でする。
そのような幼稚な性質は、子どもが持つならば何の問題もない性質である。だが、それを馬齢だけは無駄に重ねた、薄汚いだけのタノスケのようなおじさんが持つと、それは痛ましいほど偏狭な性質となり、次第に、確実に、着実に、大破局の因としての外形を形成し始めるのだった。
タノスケは現在、身から出たサビ方式により妻子を失い、孤独と貧困の谷底へとたたき込まれているのだが、振り返ってみると、それは自身の幼稚な、いつまでも成長せぬチルドレンな部分が心の内で躍動したからに他ならないと思う。この苦境にありタノスケはいつも、
「サビ抜きで!」
と思わず、チルドレンだけにそう叫びたくなる。しかし当然だが、〝身から出たサビ〟で言うところの〝サビ〟と、寿司屋でいう〝サビ抜きで!〟での〝サビ〟はどこまでも異なるものなのだった。
━━いや、待てよ……ワンチャン……━━
なぞ、タノスケは考え始める。だが、こういうところがバカだというのである。無駄無駄無駄無駄無駄思考なのである。世の利口な人々は、いや、普通の人々はと言い換えてもいいが、そういう人々はそもそも考えるべきことを考え、考えるべきでないことは考えないのである。無駄だからである。
それに比べタノスケという男はどうだろう、考えても益あることか、または益のないことなのか、瞬間的に区別がつかない。そういうほんとどうでもいい考えにふけり、随分と時間を浪費してからやっと我に返るというのが彼の常である。決定的な知性の欠如がここにあるのだ。WWFとかIUCNとか、そういう世界的保護団体は早急にタノスケ保護を見当すべきであろう。
それはさておき、そういう無駄な思考の発火が、他者を傷つけないのであれば何の問題もない。
しかし、このタノスケというこの無駄無駄無駄無駄無駄思考の男は、性欲も無駄に持て余しており、だから畢竟、どこまでも変化流転していく思考の終着はおおよそエロということになるのである。
そして、その終着にチルドレン的な偏狭な自分中心主義がいつだってご機嫌に流入してくる
というのがタノスケの愚昧な心模様だから、それによりタノスケはいつも、どこまでも自分正当化の、自分棚上げの、自分快楽追求のマチアプ女漁り活動、それをパワフルに駆動させるための無尽蔵のエネルギーを獲得するのであった。
そしてそれが、愛する、世界一の素晴らしき女性である冬美と、同じく愛する、世界一素晴らしい二人の可愛すぎる子どもを失うという大破局の因となったのである。
※簡単に言えば、タノスケはバカだから妻子と自分を不幸にしたというだけの話である。
んで、その、出て行ってしまった妻子に、再び愛してもらうにはどうすればいいか? 自分にできることは何か? 色々と考えたが、どうやら現在のタノスケには打つ手無しのようなのである。
せめて金があり、金銭的に妻子を庇護することができれば、それが所詮は金づる的虚しき関係であるとしても、少なくとも現在よりは、関係修復のチャンスが日常の中に与えられるという意味で、幾分マシな状態であっただろうとタノスケは思う。だが、悲しいかな、タノスケには金がない。金以外も、それに代替するものは軒並みないのだ。
そもタノスケは〝シェフの気まぐれサラダ星〟の下に生を受けている。だから、その星の加護の影響により、タノスケは何事につけ、同じことを坦々と毎日続けるということ、すなわち〝継続〟というものが大の不得手なのである(シェフは毎日サラダを作っているのだから紛れもなく継続しているのだが)。
んで、継続ができないゆえにタノスケの中には、どこをどう探しても何の蓄積もないのだった。知識も技術も経験も、ゆうに四十を超えているくせに、タノスケの中には何も蓄積していないのだった。
だから当然に、その蓄積がもたらすであろう地位やポジションや収入や栄誉や権力というものを、一つも、本当に一つもタノスケはもっていない。
逆に、その不名誉な現実の副産物として、時間と性欲だけは多分にあるという、そんな感じの、じつに醜悪な現状なのだ。
そして、この醜悪な現状の自覚は、ただでさえ卑しいタノスケの顔つきを更に下卑たものにし、ここのところタノスケは鏡を見るのが憂鬱である。
鏡といっても、タノスケが所有しているのは、ダイソーで買った、いかにも角度調整が容易に出来そうだが決して出来ない、十センチ四方の鏡だけである。だから、そんなの片づけてしまい、見ようとしなければ見ないで生活することは可能なのだが、ここに困ったことがあるというのは、実は最近、タノスケにはどうしても鏡を長時間覗き込まなくてはならない用事が出来てしまったというのである。それがこの話の冒頭で書いた烈海王の顔マネである。
何もない自分が少しでも他者に対して訴求力を持つには〝バキ〟しかないとタノスケは考えた(これが例の無駄無駄無駄無駄無駄思考というやつかも知れぬが)のだ。そして、できるならば花山薫の顔マネをしたいところだが、顔の作りがあまりに違うのでこれは断念し、次善の策として烈海王ということのなったのである!