【電子書籍化・コミカライズ】『とばっちり令嬢』、お散歩中に断罪される ~ケーキの恨みは、ざまぁで晴らす~
午睡を貪りたくなるポカポカ陽気。
貴族子女が主に通う、王立学園の昼休みは一時間と長く、昼食後のお散歩に最適である。
噴水広場をぐるりと回って、教室へと戻るいつものお散歩コース。
常連のスイーツ店で、楽しみにしていた新作ケーキがついに発売されるとの事で、ハンナはうきうきと学園内を歩いていた。
「残念だったな。お前はもう、お終いだ」
「誤解です! わたくしは……!!」
人混みを抜け噴水広場へ辿り着くと、何やらすぐ隣で悲し気な叫び声が耳に刺さる。
演劇の練習だろうか、切羽詰まった表情がなんともリアルで素晴らしい。
ぼんやり考え事をするうちに、うっかり稽古場へと足を踏み入れてしまったようだ。
すぐ隣に立つ少女の視線の先を辿ると、御相手役の男性が拒否するように頭を振り、隣には派手な御令嬢がしなだれかかっている。
こちらの演技もなかなかのものだと感心していると、突然パラパラと衛兵らしき者達がその場を取り囲んだ。
「……連れていけ」
男性が命じると、衛兵達が一斉に群がり、少女とその取巻きらしき貴族令嬢達をどこかへ連行していく。
す、すごい!
何という本格的な舞台劇!
感心しながら眺めていたハンナだったが、次の瞬間、衛兵に腕を掴まれた。
「さっさとしろ! お前もだ!」
「……はい?」
乱暴に腕をねじり上げられ、引き摺られるようにして連行される。
「い、いたたたた……」
「お前も仲間だろう!? 逃げようったって無駄だ!」
「ちょ、はぁッ!?」
「早く歩け! 痛い目に遭いたいのか!?」
見下すように笑う衛兵に、ハンナはムッとしながら再度周囲に目を向けた。
――演劇の稽古じゃ、ない?
先程中心で叫んでいた少女が、悲し気な声を上げながら、衛兵にずるずると引き摺られていく。
取巻きらしき二人の貴族令嬢達も同様に連行されるが、こちらは抵抗したのか、かなり髪が乱れている。
「えっ、そもそも私は通りすがりの」
「黙れ! 自分がした事を、せいぜい牢で反省するがいい」
――はぁああ!?
牢で反省って、一体何を?
新作ケーキが楽しみで、ぼんやり歩いていた事くらいしか心当たりがないのだが、訳も分からず引っ立てられ、他の令嬢達同様、大きな馬車に詰められる。
「……え?」
ガシャンと扉が施錠され、断罪された者達を乗せた馬車がゆっくりと動き出した。
「ちょ、え、ええええええッツ!?」
ポカポカ陽気の青空に、ハンナの悲鳴が溶けていく。
……お散歩していただけなのに。
何が何だか訳が分からないまま断罪劇に巻き込まれたハンナは、ドナドナよろしく運ばれて行ったのであった。
*****
馬車の中には、先程糾弾されていた少女を真ん中に、その取巻きらしき二名のご令嬢達が静かに座り、項垂れていた。
「あ、あのぅ……」
意を決したように話しかけたハンナに驚いたのか、真ん中の少女が顔を上げて目を丸くする。
「えっ、誰!?」
「実は私、先程の噴水広場を散歩していたら、何故か一緒に連行されてしまいまして」
困ったように頬をかくハンナ。
「あ、自己紹介が遅れました。私、一年のハンナと申します。一体何があったのか、仔細をお伺いしても宜しいでしょうか」
そう告げると、少女は申し訳なさそうに眉をハの字にして頭を下げた。
「ハンナ様、此度は私共の事情に巻き込んでしまい、大変申し訳ございませんでした。わたくしは三年のナタリー・ヒュノシスと申します。実を申しますと、噴水前で威張り散らしていたご令息は、わたくしの婚約者でして……」
ナタリーは、ポツリポツリとあらましを口にした。
貿易を生業とするナタリーの実家、ヒュノシス伯爵家。
対して婚約者である先程の男……モーゼズの実家は、広大な領地に幾つもの果樹園を持ち、ワインで有名なロドヴィック侯爵家。
両家は十年以上前に婚約を結び、卒業したらすぐに結婚式を挙げる予定だった。
ところがである。
卒業を半年後に控え、婚約者モーゼズの態度が急変した。
会うたびにナタリーを詰り見下し、そしていつしか彼の傍らには、一人のご令嬢が寄り添うようになったのである。
「ちなみに、断罪野郎モーゼズ・ロドヴィックの隣にいた女性はどなたですか?」
だ、断罪野郎!?
ハンナのあけすけな物言いに、思わずナタリーがクスリと笑う。
「モーゼズ様の傍らにいたご令嬢は、リリィ……ブルックリン商会長の一人娘です。昨年男爵位をお金で買い、貴族の仲間入りを果たしました」
「ああー、あの成金の……」
「全面的な融資を求めるなら、うちよりもブルックリン男爵家の方が、お互いに利があります。しかも恋仲であれば、尚のこと」
堂々と浮気されたナタリーは、困ったように溜息を吐いた。
「婚約破棄をしても別段構わないのですが、あちらの不貞による破談となれば慰謝料は莫大……ここ数年事業が傾き、領地経営が危ういロドヴィック侯爵家にはとても支払えません」
不貞による婚約破棄となれば、貴族としての信頼も損なってしまう。
婚約者をリリィに挿げ替えるため、なんとか上手いこと婚約破棄する方法はないものかと、モーゼズは画策したのだろう。
「自分の事を棚に上げ、わたくしが原因による破談、という形で話を進めたかったのだと思います」
ところがナタリーは品行方正で、非の付け所がない。
そこでモーゼズは冤罪をでっち上げたのだが……。
「お二人はナタリー様のご学友ですか?」
「はい。何をした訳でもないのに、あらぬ罪で断罪だなんて酷すぎます!」
馬車の隅でベソをかく二人の御令嬢達。
漏れ聞こえる小さな嗚咽がなんとも痛々しい。
「で、どのような理由で断罪を?」
「はい、先日リリィ様が暴漢に襲われたのは、私の差し金だと……証拠もあるなどと、馬鹿馬鹿しい。そんな事をするわけがないというのに」
そこまで言って、疲れ果てたように溜息を吐いた。
「巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした」
再度ハンナに謝り、ナタリーが頭を深々と下げると、目的地に着いたのか馬車が止まる。
乱暴に車外へと引っ張り出されたハンナ達は、重厚感のある建物内へと連行された。
「――ん? 拘置所?」
お散歩がてら、近くを歩いていただけ。
ただのとばっちりで、なぜゆえ拘置所で身柄を拘束されねばならないのか――。
刑務官だろうか、激しく抵抗するハンナを引き摺り、牢の中へと放り込んだ。
「新作ケーキの発売日なのに!?」
ハンナの叫び声が拘置所内に木霊する。
その声をかき消すように、鉄扉がガァンと音を立てて、閉められたのである――。
*****
「正直に吐けと言っているだろう!」
「何を吐けと? 証拠も無しに自白を強要するなど、おかしなことを」
ダァン! と机を叩き、脅すように声を張り上げる拘置所の刑務官。
手続きを無視した牢での厳しい取調べ……自白強要に、ハンナは若干キレそうである。
「そもそも私は近くを歩いていただけ。本件とは無関係です!」
まったくの第三者とは思わなかったのだろう、その言葉に刑務官はギョッとする。
後ろ暗いところがあるのか急に目が泳ぎ出した刑務官を前に、ハンナは目を眇めた。
「名前すら聞かずに自供を促すなど、聞いた事がありません」
大事に育てられた貴族令嬢。
少し脅せば、やってなくても首を縦に振るに違いない。
そんな事を考えているのだろうが、残念ながらハンナにその手は通じない。
「そもそも今何時だと!? もう間に合わないではないですか!」
なんとあれからもう半日。
身柄を拘束され、尋問され、気付けばすでに夜――。
先程取調室からの脱走に失敗したハンナは、ただいま両手を麻縄で縛られ中である。
「もう我慢の限界です! 私の名前は、ハンナ・ガレリア。……ガレリア公爵家のハンナです。至急私の実家にご連絡いただけますか?」
こんな地味な御令嬢が、まさかの公爵令嬢――!?
目は口ほどに物を言う。
考えている事が筒抜けの刑務官に、ハンナは溜息を吐いた。
だが今さら釈放されたところでケーキには間に合わない。
そう、すべての原因はあの男……モーゼズのせいである。
もはや顔も覚えていないが、無関係のハンナを拘置所送りにした挙げ句、放課後の楽しみを奪った罪は重い。
どうやって目にもの見せてくれようか――。
その後、釈放されるまでの数時間。
ハンナはケーキの恨みを晴らすべく、思案を巡らせたのである。
*****
「で、お前は一体何をしている?」
白々と夜が明け、お腹ぺこぺこのハンナ。
拘置所から出るなり馬車の前に立っていたのは、ガレリア公爵家長男、兄のユリウスだった。
真面目で厳格、頭の固いユリウスは、ハンナの苦手とするところ。
まさか兄自らお出迎えされるとは思わず、慌てて逃げようとしたところを捕獲され、そのまま馬車に詰め込まれた。
「何もしていないのに巻き込まれました。私は悪くありません」
「またそんなことを……」
「本当です、だから怒らないでください」
はぁ、と溜息を吐き、コツンと軽く頭を叩かれる。
呆れ顔の兄から書類を手渡され、ハンナは馬車に揺られながら目を通していく。
「遅くなって悪かったな。出来る限りだが、調べておいた。まったくお前はなんでいつも訳の分からない事に巻き込まれるんだ!?」
「存じません。すべては断罪野郎モーゼズの責任です」
「言葉遣いを直せ! 余計な手間を掛けさせるな!!」
「ぐぎぎ……私のせいじゃないのに」
一夜で収集したにしては分厚い書類の数ページ目で、ハンナはふと目を留めた。
「成りあがり新興貴族と、破産寸前の格式だけは高い侯爵家。結婚するメリットは多そうですね」
「まぁ、そうだな」
「ところでお兄様、これ、どう思われますか?」
差し出した書類には、名義変更が行われた鉄鉱山。
何故か直前に、ナタリーから婚約相手モーゼズの名義に書き換わっている。
「しかも名義変更されたのは、たった数日前です」
「……もともとコレは結納金も兼ねて、モーゼズへ譲渡する予定だったらしい」
ヒュノシス伯爵家が所有するこの鉄鉱山は、二人が結婚したタイミングで、名義をモーゼズに変更する予定だったのだという。
だがすでに、十年ほど前からモーゼズが実質的な所有者となっており、鉄鉱山の利益はまるまるロドヴィック侯爵家に入っていたようだ。
「人の良いヒュノシス伯爵のことだ。婚家の懐事情を鑑みて、便宜を図ったのだろう」
「待っていれば手に入るのに、結婚を待たずこのタイミングで名義を書き換えたと? なんだかキナ臭いですね」
ふむふむと読み進めるハンナを横目でチラリと見て、ユリウスはまた溜息を吐いた。
「……首を突っ込む気か?」
「当然です。断罪野郎のせいで、私は半月前から楽しみにしていた新作ケーキを食べ損ねたんですよ? これは正当な復讐です」
「だから言葉遣いをどうにかしろ。まったく……拘束された御令嬢達を釈放するよう、先程要請した。じきに彼女らも解放されるだろう」
ユリウスが告げるや否や、さらに何かを見つけたハンナは、手を止め嬉しそうに口元を綻ばせた。
鼻歌交じりで資料の端を折り曲げている。
その姿に嫌な予感がしたユリウスは、ハンナの頭をガシリと掴んだ。
「おい、やりすぎるなよ」
「ふふふ……これは楽しくなってきましたね。ゴミは処分するに限ります。この貴族社会から、見るも無残に消し去ってやりますよ!」
何を思いついたのか高笑いをするハンナ。
黒縁メガネをきらりと光らせた地味令嬢は、ユリウスの忠告をものともせず、揺れる馬車の中で勝ち誇ったように笑い続けるのだった――。
*****
(SIDE:モーゼズ)
くそっ、まさかたった一日で戻って来るとは。
刑務官を買収し、裁判になった時も優位に立てるよう、拘置所にいる間に有効な自白を強要するはずだったのに。
ヒュノシス伯爵家の応接室で、ロドヴィック侯爵とモーゼズは、不遜な態度で座していた。
「ナタリー嬢が暴漢を雇ったと告げたのは、リリィだ。証拠として提出された情報は、充分信じるに値するものだった。冤罪だとしたら、それは証拠を偽造したブルックリン男爵家の責任だな」
貴族社会の信用を損なうから、何とかしてナタリー側の有責にしたい。
婚約破棄をした暁には、リリィとの縁談を進めると告げたモーゼズ達。
その言葉を信じ、衛兵や刑務官を買収して断罪劇を企てたのは、あくまでブルックリン男爵家である。
強引に押し通せば、自分達は逃げおおせる。
知らぬ存ぜぬで通せば、何も問題はない。
「何か賠償を求めるのであればブルックリン男爵家に、だな」
雇った暴漢はすべて始末し、証拠も完璧に偽装した。
言い逃れ出来ない状況を作ったと言っていたのに。
これだから新興貴族は駄目なんだ、とモーゼズは舌打ちをする。
「一連の騒動に関与していると誤解させてしまったようだが、我々も言わば被害者。同様に頭を悩ませているところだ」
その言葉に、ヒュノシス伯爵が苛立ったようにピクリと頬を引き攣らせた。
「だが、これはどう説明しますか? 婚約にあたり提示した鉄鉱山の名義を、勝手に変更するなど……」
言葉に詰まったモーゼズの代わりに、今度は父であるロドヴィック侯爵が返答する。
「婚約から既に十年以上。このまま縁続きになるのであれば、早いか遅いかだけの違い。であれば何も問題はないだろうと考えた結果、まさかこんなことになろうとは」
「ロドヴィック侯……本気で仰っているのですか?」
相手はお人好しのヒュノシス伯爵家。
しかも身分はロドヴィック侯爵家が上である。
侯爵家と後々まで揉めて遺恨を残すくらいなら、鉄鉱山を諦めるに違いない。
「我々は信義に反する貴方がたと、これ以上婚約を継続する事は出来ません。今回の冤罪騒ぎは不問にしますので、両家合意の形で慰謝料不要とした上、婚約を解消させていただきます」
ヒュノシス伯爵の言葉に、モーゼズ達はしてやったりと薄ら笑いを浮かべる。
「承知した。だが鉄鉱山については名義変更後、向こう五年は戻せないよう王国法で定められている。残念だが諦めてもらうしかなさそうだ」
鉄鉱山を返す気の無いロドヴィック侯爵家。
ナタリーが睨み付けると、モーゼズは小馬鹿にするように口端を歪めた。
「あのぅ」
その時、緊張感の無い間の抜けた声が聞こえ、端っこに座っていた見慣れぬ少女が手を挙げた。
「あの私先日、無関係なのにモーゼズ様の命令で連行され、拘置所に入れられた者です。これについて賠償を求めたく、後ほど改めてご連絡致します」
そういえば衛兵が連れて行った取巻き令嬢の中に混ざっていたような気もする。
にっこりと微笑む地味令嬢。
なんだこいつは……だが鉄鉱山も手に入り、ナタリーとの婚約も円満解消の上、慰謝料も不要。
新たにリリィと婚約を結べば多額の融資金が手に入る。
多少の賠償金くらい払ってやってもいいだろう。
思い通りにコトが運び、内心笑いが止まらないロドヴィック侯爵家。
だがこの後、容赦ない『ざまぁ』により膝から崩れ落ちることになろうとは。
このときの彼らは、思ってもみなかったのである――。
*****
断罪する側から、される側へ――。
豪奢な応接室で、モーゼズとロドヴィック侯爵は青褪めながら居住まいを正していた。
「さて、貴侯らに問おう」
正面には先日の地味令嬢。
そして右側には、ガレリア公爵――!?
「我が娘を無実の罪で、それもあろうことか公衆の面前で断罪した上、拘置所で自白を強要したそうだな」
「いえ、その……」
「両手を麻縄で縛られ、薄暗く冷たい床に毛布一枚で、それも食事も与えず一夜を明かしたと」
ギロリと睨み付けるその迫力に、モーゼズらは震えながら俯いた。
まずい、まずいぞ――。
よりによって、ガレリア公爵家の御令嬢だったとは!
あれから数日のうちにガレリア公爵家へ招致する手紙が届き、何が何やら分からず急ぎ向かったまでは良かったが、まさかこんな展開になろうとは。
「あれからというもの、毎夜うなされ、問い詰める刑務官の顔が脳裏に浮かび、恐ろしさに目が覚める毎日です」
よよよ、と泣き崩れる地味令嬢。
申し訳ないが、とてもそんな繊細な少女には見えない。
想像だにしなかった伏兵に、二人はゴクリと唾を呑んだ。
「この先何年悩まされるやも分かりません。ゆえに私が求めるのは今回の賠償に加え、以降五年にわたる安眠に対しての補償です」
そんなバカなと思うのだが、非は全面的にこちら側にある。
力関係は完全に公爵家が上。
丸く収めてくれるというのなら、それに従うのが得策だろう。
だがバシッと叩きつけられた契約書の金額を見て、ロドヴィック侯爵は驚愕した。
「いくらなんでもこれは!!」
「なにか問題でも? ああでも噂によれば、厳しい懐事情とのこと。それでは現物納を認めましょう。先日伯爵邸で伺ったお話ですと、ちょうど良い鉄鉱山が手に入ったとか」
「……!!」
「そちらで代替しますか?」
くそ、そういうことか。
騙し取った鉄鉱山は、向こう数十年は利益が上がる宝の山。
先日の話を聞き、ハナから狙っていたと言う事か!?
思っていた以上にズル賢い目の前の論客に、モーゼズらは歯噛みする。
「いえ、それはさすがに……」
「駄目ですか? んー、では仕方ありません。ならば別のものに……それでは代わりに貴家の果樹園は如何でしょう?」
「果樹園を!?」
「はい。とはいえ、昨今は不作続きで収益も上がっていない御様子。さすがに全額充当は申し訳ないので、土地の権利ごと譲り受ける条件で、この範囲であれば如何でしょう」
次いで渡された契約書。
ロドヴィック侯爵家の保有する領地、五分の一を占める北部の区域が示されている。
ただでさえ不作続きの上に、果樹園としては殆ど機能しない寒冷地。
管理の手間もかかり、これで充当されるなら願ったり叶ったりである。
「承知しました。それではこれにて本件は不問、ということでお願い致します」
後から気が変わっては堪らない。
契約書に急いでサインを入れると挨拶もそこそこに、モーゼズらは逃げるようにしてガレリア公爵家を後にしたのである。
*****
すべて解決し、さあリリィと新たに婚約をと思っていた矢先のこと。
泣き寝入りするかに思われたヒュノシス伯爵家が、件の鉄鉱山について訴訟を起こし、モーゼズ達は高等法院への出廷を命じられていた。
原告席にはナタリーとヒュノシス伯爵。
諦めが悪い奴らだとモーゼズは睨み付けるが、珍しく目を逸らさず睨み返してくる。
「相変わらず可愛げのない……」
十年以上婚約者として共に過ごしたが、真面目さだけが取り柄のナタリーに愛情を感じた事など一度も無かった。
名義変更も済ませている。
余程のことがなければ、覆すのは容易ではない。
無駄な足掻きをと小馬鹿にしているうちに審理は進み、ロドヴィック侯爵家優勢で終わると思われたこの裁判。
最後の証人質問で、ガレリア公爵家の地味令嬢が入廷した。
「こんにちは、十日ぶりですねぇ」
「なぜガレリア公爵家が――!?」
思わず席を立ったモーゼズ達の無作法に、ハンナは顔を顰めながら証人席で立ち止まる。
「こほん、それでは。これまでの審議は『取得時効』……十年にわたり実質的な占有をおこなったモーゼズ様に所有権が移転したため、名義変更は有効である、とのことですが」
その言葉とともに何かの紙が配られ、司法官達が各々目を通し始める。
「王国法に則れば、通常所有権の移転前には必ず、現所有者に承認を得る決まりのハズ。ですが、本件については事前の連絡が無かったようです」
何を言う気だ……?
ざわつく法廷内で、モーゼズの背中を冷や汗が流れる。
「昨今の申請増加に伴い、不正登記が横行しています。条文但し書によれば、手続きに疑義があった場合、既に名義変更済であっても、さかのぼり……遡及的に無効化できるとございます」
まずい……。
強引に手続きを進めるにあたり、役所の職員に賄賂を渡し口止めをしたが、これでは……。
「お手元をご覧ください。本件に係り関与した職員の一覧と証拠資料です。これにより、今回の名義変更がいかに悪意にまみれたものか分かるはず」
そう言うなりハンナは、ツカツカとモーゼズのもとに歩み寄った。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。私の名前はハンナ。ハンナ・ガレリアです。貴方のせいで新作ケーキを食べ損ねた恨み、ここで晴らさせていただきます」
新作ケーキを食べ損ねた恨み!?
しかもあの、ハンナ・ガレリア――!?
昨年、高等法院の選抜試験に、最年少で合格した稀代の天才。
ガレリア公爵家の長女ハンナ・ガレリアは、ニッコリと微笑んだのである。
*****
なんてこと、まるで悪夢のようだ……!
手に入れたはずの鉄鉱山を失い、領地の一部も失った。
だがまだ望みはある。
リリィと結婚すれば、莫大な融資金が――。
そう思っていた矢先、ブルックリン男爵があわをくって屋敷に駆けこんで来た。
「一体どういうことですか!?」
取引業者がすべて契約更新を拒否した挙げ句、最も収益を上げていた建設業への材木斡旋まで打ち切りになったという。
「これでは、商会がつぶれてしまう――!!」
頭を抱えるブルックリン男爵。
と、その時さらなる来訪者が呼び鈴を鳴らし、行政所からの通達が届いた。
その内容は『侯爵領の一部を移民受入れ地とし、今後十年間、国から借地料を支払う』というもの。
見れば一年分の領地収入に匹敵する額。
これなら自力でなんとか食いつなぐ事ができる。
「良かった、これでなんとか!」
一体どの土地かと覗き込んだロドヴィック侯爵はギシリと動きを止め――、通達文を、ひらりと地に落した。
父の姿に、嫌な予感しかしないモーゼズ。
慌てて拾い場所を確認し……そして仰天した。
最後の望みと思ったその土地は、先日ハンナに譲り渡した北部の領地――。
「もう、おしまいだ……」
誰が発したのかも分からない、小さな呟き。
膝から崩れ落ちた三人は、もはや立ち上がることすら出来なかった。
ガレリア公爵家を敵に回してはいけない。
子供の頃から子守歌のように聞かされていたその言葉は、今まさに現実となって、彼らに降りかかったのである――。
*****
(後日談)
「ハンナ様、今回の件、ご尽力いただきありがとうございました」
「いえいえそんな、むしろこちらが御礼を言いたいくらいです。上げて、落として、今頃さらなる絶望を味わっているはずですよ!」
愉快愉快と笑いが止まらないハンナ。
あれから鉄鉱山は無事返還され、ハンナが得た北部の領地も実質上の慰謝料として、ナタリーへと譲り渡された。
先日連行された二人のうち一人は実家が建設業を営んでおり、ブルックリン商会による建設業への材木斡旋を差し止めたのは、この力によるところが大きい。
そしてもう一人の御令嬢はというと――。
「うちの新作ケーキはいかがですか?」
「いえもう最高です! まさか系列の飲食店をお持ちだったとは!」
学園のテラス席で、食べ損ねた新作ケーキを口いっぱいに頬張るハンナ。
後でまたお散歩でもしようかな?
ナタリーと二人の御令嬢に囲まれ、重くなったお腹を押さえながら、ハンナは嬉しそうに微笑んだのである――。
目を留めていただき、本当にありがとうございました。
楽しんで頂けましたら、ブクマや下の☆で評価してくださると多くの方の目にとまり、永く読んでもらえて励みになります。
ちょん、と押して頂けると幸せです!
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本当にありがとうございました!
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