死後の世界と神の世界、そして霊能者の話
ユダヤ教とキリスト教イスラム教は偶像崇拝禁止であり
『神の姿は見えない』がそれでも存在すると説く
神の姿は見えないというのは日本人にとっても当然の話だ。
ただ聖書の宗教とは違い、偶像崇拝もする。禁止されていない。
興味深いことがあって仏像を礼拝する仏教でも
仏様は本来見えない。見えないが民を救うために仮の姿をとることがあり
その姿を仏像という形にして礼拝対象にしているという。
三次元と四次元が交錯した瞬間にのみ見ることが出来る四次元の存在を三次元の形で表したものが仏像なのだろうか?
見えないけど存在する、ということでは先祖の霊や死後の世界も思い浮かぶ。
幽霊や死後の世界の住人は僅か1ミリずれていても見ることの出来ない四次元の空間に存在してるのだろうか?
死後の世界には天国と地獄があり生前の行いに応じて行き先が決まる。
みたいな話は大抵の宗教にあることだろう。
仏教の地獄は罪の重さで階層があるらしいし極楽浄土にもランクがあるらしい。
西洋でもダンテの神曲は地獄の階層巡りを題材にしていたようだ。
この天国から地獄までの距離、ベクトルが実は四つ目の空間軸だとしたらどうだろうか。
オカルト系の本で霊能者が語る時
周波数を上げ下げするようにして霊を見たり、見ないようにする
という表現をする人がいる。
周波数を上げると低級な霊は見えなくなるよとか
周波数が高いと神様や高僧の霊が憑くようになる
そういう話をする人もいる。
もちろん真偽を確かめる術は無いがひょっとしたらその周波数の高低こそが四次元の軸のベクトルなのかもしれない。
また、以前『宇宙人ユミットからの手紙』という自称宇宙人から送られてくる手紙に関して解説した本のシリーズがあり
その本の中で自称宇宙人ユミットは四次元のベクトルは善と悪の深さにある
と語ってた。
善と悪の距離が縦横高さの次に加わる空間のベクトルだなんてあり得ないと本を読んだ当時は考えていたが
天国と地獄の距離、または霊的な周波数の高低のようなことを考えた時に
必ずしもあり得ないわけではないのかもしれないと
今は思うようになった。
ただ単純に善と悪といっても歴史的に変遷する概念でもあるから
創造と進化、愛が善のカテゴリーで破壊と退化、憎しみが悪のカテゴリーとか
そういう感じなような気もする。