日陰でラーメンを:新川崎
このエッセイのタイトルには地図上の最寄駅を書いているが、実際にその駅から行ったとは限らない。私は東急線沿線住まいなので、湘南新宿ラインの新川崎駅からではなく、東急東横線の日吉駅からこの店に向かっている。
この二駅のほぼ中間点にあり、直線でも1km以上。しかも新川崎から向かえば夢見ヶ崎動物公園が、日吉から向かえば慶應大学日吉キャンパスが間にあり、それを迂回すると2km以上は歩くことになる。
慶應の日吉は丘一つがキャンパスとなっているが、そこを突っ切り、講堂の脇を抜け、裏手の矢上坂を降りる道を知っていれば少しは早く行けるだろう。同大学の理工学生と地元民くらいしか通らない道ではあるが。
さておき、ラーメンが好きな友人が、評判の店だし、ここ行ってみようぜと誘ってきたので行ったのである。
昼と夜の営業。暖かい日に散歩がてらのんびりと昼前に行ってみたら既に長蛇の列で、最後尾にはここまでの看板。なんということだ。事前の調査不足であった。
11時半開店で12時前に着いていたというのにもう品切れなのである。これは開店前に並ぶしかないということだ。
仕方ないので向かいのコメダ珈琲で夕方まで時間を潰すことにした。満腹になる訳にもいかないのでカツサンドをシェアして時間を潰す。
そして夕方は18時開店のところを17時には向かう。既に数名並んでいるのが恐ろしい。
結局、開店の18時には既に列が形成されていた。
店主が店を開ける。暖簾がかけられ、準備中の札が営業中へと返された。店主が並んでいる人数を数える。そして今日はここまでと書かれた看板を最後尾へと運ぶ。
そして戻ってきた店主は営業中の看板を準備中へと返し、厨房へと戻っていった。
この木製の看板、昼と夜に1日2分くらいしか営業中の面を表にしていないのではなかろうか。
ともあれ店内に。ラーメンの種類は塩と醤油。友人は塩、私は醤油を頼む。
油膜の浮いたスープは官能的である。口に運べばストレートでシンプルにすら感じる醤油の味わいに、奥深い出汁の風味と旨味の奥行きを、雑味なく感じるものである。
旨い。醤油ラーメンの王道を追求したようなスープである。ラーメンが好きなら誰でも好むスープではなかろうか。
一方、スープの中から出てきた麺は初めて見るものであった。
麺が太い。
きしめんやフィットチーネ、いやほうとうだろうか。そんなものを思わせる極太、幅広の麺だがラーメンらしくちぢれている。
口に入れればさらに驚く。麺の表面はスープに溶けだしているような印象。ぐずぐずのどろどろである。まるで雲呑の皮が麺を吸い込むように、麺にスープが染み込み絡んでいるのだ。
もちろん全体がぐずぐずであれば、それは不味いとしか言えないだろう。だがそうではない。これは表面だけなのだ。中心はもっちりと弾力ある歯応えの麺である。
人生において初めて食すものであったと言って良い。
旨い。だが中には好まない人もいるであろう癖のある麺でもあろう。スープを王道の旨さとし、麺を独自の旨さの追求とするバランスに感嘆しているうちに丼は空になっていた。
ラーメンは好きだ。とは言え長時間行列に並ぶというのはそもそも好きではない(たまになら良いが)。
かねてから日本人は並ぶの好きだなあと思うことも多いが、SNSの隆盛により、遠方から評判を聞きつけて一斉に集まってくるような文化はさらに強くなったように思う。ラーメンは特にそうだ。
美味いラーメンは食いたい。だが変な言い方になるが、ただ美味いだけのラーメンに並びたいかといえばそうではない。しかし、美味さに加えて、これはここでしか食えないなと思わせる。そのユニーク性が重要なのだ。
つまり、このラーメンは美味く、この麺は日陰でしか食べられない。そして醤油を食べたし、次は塩を食べてみたい。そう思わされている。並ぶ価値があるなと思わされていた。そんなことを考えながら日吉駅までの長い道のりを歩いて戻るのだった。
日陰
醤油ラーメン