夢で見た花
商店街でミウに会った。マユキと同じ学校にいるはずなのに、なぜか働いている。花屋の前に立ち、道行く人に声をかけている。
「菊が安いですよ。リンドウも安いですよ。花はいりませんか。サボテンはいりませんか」
マユキが目の前に立つと、ミウはシニヨンに結った頭を傾け、にこっと笑った。
「お天気お兄さんね。テレビの」
ミウがそう言ったので、マユキは今はお天気お兄さんになることにした。
ミウは学校にいた頃と変わらない。制服の代わりに、花屋の黒いエプロンを着ている。大人びて見えるけれど、やっぱりミウだ。
「ここで働いてるんですか」
「うん。もう長いの。この菊は私が取ってきたんだ」
ミウは片手を差し出した。何も持っていない。
「いけない。菊を忘れちゃった」
ミウは手当たり次第にバケツをひっくり返した。リンドウが走って逃げ、カスミソウは飛んでいき、早咲きコスモスは他の花を起こして回ったが、どれも菊ではなかった。
「お天気お兄さんって、菊を降らせたりできる?」
「できません」
「じゃあ菊になったりできる?」
ミウが頼むので、マユキは菊の代わりにバケツに入った。ミウは喜び、隣のバケツに入って頭に値札を付けた。
「私はリンドウ。一日これでやり過ごすしかないわ」
「学校には戻らないんですか」
「学校? ずいぶん昔のことね。私、トマトみたいな赤い実を食べちゃったの。それでいろいろ忘れちゃうんだ。頭の中に花が咲いて、しおれたらおしまい。お天気お兄さんって、頭を収穫したりできる?」
その時、店長らしき男が奥から出てきた。赤いジャージを着た、目つきの鋭い男だ。マユキはすぐに思い出した。この男に会ったことがある。
「お前は菊じゃないな」
男はマユキをつかみ、バケツから放り出した。マユキは道に倒れ、後からバケツの水がびしゃりと降ってきた。
この男はミウを狙っている。二年生の時も三年生の時も学校へやってきて、ミウを連れていこうとした。
「何が目的ですか」
「目的はもう果たした」
「それはどうでしょう」
マユキはコスモスを一輪拾い上げ、空に掲げた。すると、飛んでいったカスミソウが集まってきて、コスモスの周りをふわふわと覆い、傘の形になった。
「今朝の予報です。たった今から雨になるでしょう。この商店街だけ雨です。傘がない人のところにも降ります。骨や胃壁を削る勢いで降ります」
マユキの声に呼ばれ、空から雨粒が落ちてきた。色とりどりの光を放ち、コスモスとカスミソウの上を跳び回り、水玉模様の傘になった。
「ミウ、行きましょう。ミウは四年生になったんですよ」
マユキの差し出した手を、ミウは迷わず握った。
「マユキ先輩! お久しぶりです」
「元気そうで良かったです。ちょっと飛びますよ」
「マユキ先輩、私一本五百円って書いてあります」
「捨ててください。安すぎます」
マユキが傘に、ミウがマユキにつかまり、ぱっと空へ舞い上がった。
赤いジャージの男は何も言わずに見上げていた。その表情を見て、マユキは少しだけ申し訳ない気持ちになった。この男も同じように、ミウを取り戻しに来ていただけだったのかもしれない。
「あの人は誰ですか」
ミウが言った。マユキは傘を傾け、学校があるほうへ風向きを変えた。雨が後ろから吹きつけ、ミウのエプロンを剥がしていった。
「私、また忘れちゃうかもしれません。マユキ先輩のことや、自分のことも、何もかも」
ミウの声に不安の色はなかった。当たり前の事実を告げているだけだった。
大丈夫です、とマユキは言った。
「ミウはいつだって、行きたいほうへ行けばいいんですよ。そこでまた会えたら思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれません。それでいいんです」
マユキは忘れることが下手だ。
記憶がメリーゴーランドのように頭の中を回り、鋭い光が交錯している。自分の一挙手一投足が胸を刺したり、耳元で大きな音を立て続けたりする。
忘れてしまうのがどんな感覚なのかはわからない。でもきっと、ミウの中には花が咲いている。変わらない、しおれない花がいつも咲いている。だから今日も見つけることができたのだ。
「あ、菊」
ミウが指さした。そこは学校だった。校章の菊が、旗の上で雨を受けながら二人を待っていた。マユキは傘を閉じ、ミウを連れてゆっくりと通学路へ降りていった。おはよう、おはよう、と声が飛び交う中に、自然と二人は滑り込んだ。
「行きましょう」
傘を開いても、もう飛ばなかった。雨粒が弾け、花のように散った。