14話 どうして俺だったんだ?
「久しぶりね」
女神は表情を変えずにそう言った。彼女の言葉からも、何を考えているのか読み取ることはできない。朝の陽ざしを浴びながら立っている女神の姿は、注意をしなければその姿を見えないくらいに薄くなっているように感じた。
「今まで何をしていたんだ?」と俺はたずねた。
「あなたたちのことをずっと見ていたのよ」
「姿を現してくれればよかったのに」
「だって、いろんな人たちに私の姿を見せるわけにはいかないじゃない」
女神はようやく表情を少し変える。そうして少し間をあけてからまた口を開く。
「それに私の姿が常に見えていたら、あなただってやりにくかったでしょう? いろいろと」
“いろいろと”と言った女神の言葉がひっかかる。やはりこの女神は俺の考えていることがわかっていたのだろう。鬼に対して考えていた俺の悩みや葛藤、そう言ったものを知っていながらこの女神はずっと黙ってきていたということか。
――そして、俺が鬼の血を引いているということも
「どうして、俺だったんだ?」
俺は女神をにらみつけた。そうするつもりなんてなかったのだが、自然とあたりが強くなってしまう。女神は、そんなことにひるむこともなく、滔滔と答える。
「鬼を倒すにはあなたの力を使うしか他になかったからよ。鬼を倒せるだけの器を持ったあなたが、ね?」
「それは……」その先の言葉が詰まる。「俺が鬼の血を引いているから、ということだろ?」
女神は何も言わなかった。ただ、俺の答えにうなずくだけだった。その顔は普段のいたずらに満ちた顔でもなければ、謝罪をするような顔でもない。女神は、ただ機械的に俺の問いにうなずいただけなのだ。そのことは見ている俺にもはっきりと伝わった。
二人の間に沈黙が流れる。俺は頭の中でその事実を理解することはできたが、そこから先にどう聞いていけばいいのかわからなくなってしまっていた。しばらくの間があった後に、ついに女神がしゃべり始める。
「鬼が島の中で、人間の骨を見つけたでしょう? あれがあなたの母親よ。あの雅さんと鬼との間に生まれた子供があなたというわけ」
「どうして、人間と鬼が」
「鬼が暴れ始めて間もない頃、一人の鬼が人間の女を連れて帰ってきてしまったのよ。当時は鬼たちも力を誇示するために乱暴をしていたからね。その犠牲になったのが雅さんだったというわけ」
村での鬼たちのひどさを思い出す。確かに、彼らは人間の子供すら食べようとしていた。人間を持ち帰ることくらいどうということもなかったのだろう。
女神はさらに続ける。
「鬼たちの大将――あなたのお父さんね、も人間を持って帰ってきてしまったことは知らなかったらしく、それは驚いたらしいわ。でも、もう連れ返すことはできないからそのまま鬼ヶ島にとどめることにしたらしい。そこから先のことはよくわからないけれど、その後二人の間にあなたが生まれることになったというわけ」
鬼と人間の間に子供が生まれるということはよくわからなかった。でも、この俺が個々に生まれているということがその事実の確かな証拠なのだ。そこを疑うことはできない。だが、俺にはまだ聞かないといけない謎が残っていた。
「でも、俺が鬼の子だとしても、どうして俺は向こうの世界で生きていたんだ?」
そうだ、俺が生きてきたのは鬼なんかがいない世界だったのだ。どうして、俺はあんなひどい世界で生きていなければいけなかったんだ? 女神は何ともないといった感じで答える。
「考えてもみなさいよ? 鬼と人間の間に生まれた子よ? 他の鬼たちに何を言われるかわからない。だからあなたのお父さんはどこかへ逃がすことにした。どこか遠い遠い場所へ届くように、あなたを海に流していったのよ」
女神は自分の手を胸にやる。
「そして、それを見つけた私が、あなたを向こうの世界に転生させてあげたの」
ここにきて、ようやく女神の表情も変わった。何か大きなことを成し遂げた子供のような誇らしげな表情だ。そうして目を輝かせながら自分の功績をたたえている。
「あのまま、あなたが鬼ヶ島の中で暮らしていたならば、確実にあなたは殺されてしまうか、人間の恨みを買ってしまっていたからね。そうした運命を背負う前に救われたのよ、あなたは」
「……」
頭の中でたくさんの情報が入り混じってだんだんとよくわからなくなってきていた。俺はこの世界で生まれ、転生し、その世界でまた死んで、この世界でまた転生した。何度生き死にを繰り返しているのだろう? そんなにも自分の命が軽い存在だったことに驚くしかない。
「お前は……全部知っていたんだよな?」
「ええ」
女神は何ともなくうなずく。
「どうして教えてくれなかったんだ?」
「教えたら不幸になるのはあなただからよ。自分の殺そうとしている大将が自分の父親って知りながら、抗えない運命なんて辛いでしょ?」
「なら、どうして俺に父親殺しをさせたんだよ!」
女神とのやり取りがどんどんあたりの強いものになっていく。体の中にある熱い塊がじんじんと燃えている。それに比べて、女神はずっと冷静なままだ。まるで、こうなることすらも全てわかっていたかのように。
「この世界を鬼から救うためよ」
女神はただ短く、そう言った。それ以上の言葉はなかった。それが簡潔で、最大の答えなのだ。
「あなたには悪いと思っている。でも、私だってこの世界を救わなくちゃいけないのよ。この世界の人間は何も悪くないのだからね」
「鬼がすべて悪いのか?」
「少なくとも、先に手を出したのは鬼の方。それを止めるには人間でありながら、鬼と同じだけの力を持てる存在が必要だったのよ」
女神は大きくあくびをした。まるで、もうこの話には興味がないと言ったようだ。
「それじゃ、」と言って女神は立ち去ろうとしている。これから何をするとも言わないで……
「待てよ」
とっさに俺は叫んだ。女神はめんどくさそうに振り返る。
「お前のさっきの言い方だと、まるで、俺の父と母の出会いもお前が仕組んだみたいじゃないか?」
俺は女神の目をじっと睨み続ける。女神は相変わらずその目の色を変えることはない。
「さあ?」
女神がそういうと同時に、俺は女神をめがけて走り出した。淡々とした顔で、残酷なことをしでかすこの女神が許せなかった。人の命をもてあそぶこの女神を何とかしてやりたかった。
女神の服の裾を掴む。しかし、その手は宙で何も掴むことができず、手はただ空を切るばかりであった。女神はその場から動かずすました顔で俺のことを見つめている。これまでずっと近くにいたはずなのに、今はやけに遠い。
「もうこの話は終わりよ。鬼退治は終わったの。鬼はこの世界からいなくなり、あなたは人間としての英雄となった。それが事実なの。あなたにはたくさんの仲間もできたし、新しい生活も始まる。それじゃあだめなの?」
女神の存在がどんどん薄くなっていく。この世界から別の場所へと移動しようとしているのだ。
「この世界はなかなか面白いものよ。せっかくだから楽しんで見なさいよ?」
遠くなっていく声でそう囁きながら、女神はどこか遠くへ行ってしまった。どうしようもない事実だけを押し付けて、一人すべての目的を達成して居なくなったのだ。
この世界から鬼がいなくなった今、もう女神が俺の前に姿を現すことはないのだろう。
俺は、誰もいなくなった広場でただ一人突っ立っていた。




