10話 最後の願い
鬼は茶化す様子もなく俺の頬を触った。その手はざらざらしているはずなのに、絹のように柔らかく、どこまでも温かった。鬼の手についていた血が頬に残る。生暖かい感覚が残る。俺の中にはその鬼の血を早くふき取ってしあいたいという衝動と、不思議と受け入れてしまいたい感覚がせめぎ合っていた。
「……息子、だと? 何をばかげたことを言っているんだ」
「馬鹿げたことなんて言っていないさ。お前は俺の息子だよ。名前は付けられなかったが」
「俺が鬼だとでも言いたいのか? そんなことで俺をだまそうとしたってそうはいかないぞ。第一俺の姿を見てみろ、これのどこが鬼だというのだ?」
「そりゃあ見た目からじゃわからない。なんせ、お前は俺と人間の間に生まれた子なのだからな」
「は?」
俺は鬼の言っていることがわからなかった。鬼と人間の間の子供だとこいつは言った。なぜそんなことを言われなくてはならないのだ。しかし、鬼は嘘をついている様子が全くない。変わらない表情のまま言葉を続ける。
「お前がここに来た時に、一目見てわかったよ。俺の子だってな。お前は人間の目をしていない。赤く染まったその目は鬼そのものだ。」
俺は赤く染まった視界の中で鬼の目を見る。なるほど、確かにこいつも赤く染まっている。
初めて、間近で鬼の目を見つめていると、どうにも目が離せられなくなってしまった。この目を俺は知っている。俺の目からまた涙があふれだしそうになる。赤い視界が潤みだす。
「お前の顔も生きていた時の母親そっくりだ。強そうな顔をしながらどこか孤独を抱えている。結局は似てくるんだろうな」
「母親だと」
「あとで――俺を殺した後で、奥の部屋に行ってみるといい。お前の母さんに会える。“雅”という名だ。聞き覚えもあるだろ?」
“雅”、聞き覚えのない名前だ。
鬼の話なんて信じる必要なんてないはずなのに、気が付けばその話に聞き入っている自分がいる。
「うるさい!」
俺は声を上げ刀を振り上げた。これ以上話を聞いていると鬼の流れに飲まれてしまう。その前にこの鬼を殺さなくては。手が震えている。これまであんなにためらいなどなかったはずなのに、どうして……
鬼はただじっと俺のことを見つめていた。頬を何度かさすりながら鬼は言う。
「お前はかわいそうな子だ。きっと生まれた時から、いや、下手すれば生まれる前からこうなることを運命づけられてきてしまったのだろう。俺を殺したい気持ちはわかる。早く殺せ。そうして、早くこの呪縛から解き放たれてくれ」
鬼の声が頭の中に響く。その一言すべてが意味もなく、衝動となり頭の中で何かを訴えている。しかし、その衝動をかき消そうと体中の蟲たちが暴れまわる。体の中で小さな戦争が起き、吐き気を催し、体を揺さぶる。
鬼を殺せ、いやだ。殺せ、いやだ。殺せ、いやだ。殺せ、いや……、殺せ、殺せ、殺せ!
頭の中が侵食され、手の震えも最大まで膨れ上がる。蟲たちの思うがままに体を動かし、刀を持つ手が、だんだんと力がこもる。何も考えていなくても、刀は鬼の首元に向かう。刃が首の先に入り込み、鬼の首から血が流れる。
それでも鬼は俺の頬から手を離すことはない。
「最後の願いだ」
鬼は静かにそう言った。
「俺を殺したら、奥の部屋にいる雅のもとにまで持っていってくれ。それだけでいい」
俺は何も答えない。頭の中にしっかりとその意味を理解できているが、鬼に何か答えることを体が拒否している。鬼は俺の様子を見てまた頬をさする。
「さらばだ」
俺は力を込めて刀を振る。
鬼の首は静かにあるべきところから飛び立ってしまった。




