7話 この一瞬で終わらせよう
鬼の大将がいる空間は、外に光もあまり入ってこない薄暗い空間だった。陰気臭くて、不気味な雰囲気のする空間だ。怪物にとって居心地のいい空間なのだと言えば、割と納得もしてしまいそうなのだが、俺にはこの空間は牢獄のように思えてしまった。
限りない孤独と、持て余した力の拠り所を吐き出すために与えられたような、幽閉のかなた。その中でこの赤鬼は俺が来るのをじっと待っていたのだろうか?――これから自分が殺されると知りながら?
俺の中で様々な疑問はあったが、それでもそんな疑問を全て打ち払うかのように殺意が体の中に湧き上がる。体の中にいる蟲たちが、「鬼を殺せ」と一匹一匹が声を上げながら、体全体を戦闘態勢に準備させている。刀を自然と強く握りしめ、こちらに振り替える鬼の姿をにらみつけていた。
刀に染まった鬼の血は、今やこの戦いのすべてを物語っていた。ここに来るまで、いったいどれくらいの鬼を殺して来たのだろうか、もう思い出すこともできない。
後ろを振り返れば、鬼の屍が俺の通って来た道を示していることだろう。俺はもう振り返ることはできないが、こちらに振り返る鬼が、個の屍の山を見た時にいったい何を思うのだろうか。怒りか、絶望か。そのどちらにしても、この鬼に幸福な未来はあり得ない。
鬼の大将は振り返ると、目の前でじっと俺の事を見つめ続けている。その視界には、仲間だった鬼たちの死体も当然見えているはずである。しかし、鬼はそれに対して何の表情も見せることはなかった。ただ表情を変えることなく、目だけをしっかりと俺の方に合わせてくる。その目には戦意というよりかは憐れみの情がこもっていた。背筋が凍るような感覚がする。こんな鬼から憐れまれる必要など全くない。鬼の顔を見ていると気持ち悪くなってくる。
なぜ、俺はこんなにもこの匂いに惹かれていたのだろう。ただ単純に、強者の匂いを求めていたのかもしれない。この短い間ですっかりを戦いを求める体になってしまったのかと思うと、面白い。
あるいは、「鬼を殺せ」と名乗る者のように、狙うべき首がそこにあったのかもしれない。俺の体は鬼に対しては、完治する能力はずば抜けている。それが俺の使命だからだ。きっとこの匂いもその影響の一つなのかもしれない。
どちらにしても、俺はこいつと出会うためここまでやって来た。それ以外にこの能力が出てくる必要はない。俺はこの刀でこいつを倒す。それが俺の運命なのだ
……そこまで考えた時になぜか俺の中で涙があふれだした。理由はわからない。泣く関連のする話なんてここまで何も出てこなかった。いきなりあふれ出した涙に少しばかり困惑する。
戦いの構えをしてしまっている以上、もうこの涙を止めることはできない。刀を何度も握り返し、その重さを確かめ、今ここに自分がいることを思い出す。
とめどなく目から零れ落ちてくる涙。それを打ち消そうとするように体の中から湧き上がる無限の憎悪。二つの感情が混ぜ合わさり、ごちゃごちゃになる。どちらも非常に強い感情なのだが、どちらかが勝つことは決してない。――どちらもそれだけの説得力がないからだ。
この鬼とは初めて会ったはずなのに、憎しみを抑えることはできない。
刀を強く握りなおして、涙を流す目で鬼をじっと睨みつける。潤んでいたはずの視界がだんだんと赤く染まっていく。
「鬼を殺せ。鬼を殺せ」
声なき声が俺にささやく。囁くというよりかは哀願に近い。何度も何度も俺に語り掛け、そいつの願いをかなえさせようとしている。もう、俺はその力に抗うことはできない。
後ろからは戦いの音が聞こえてきた。
島の中を駆け巡る足音、武器を振り回す掛け声、敗れ行く者の喚き声。喚き声は痛々しさを残しながら島全体にとどろく。この島全体がもうただの戦場となっているのだ。ここで俺だけ戦わななんてことはできない。あふれ出る涙を必死に抑え、目の前にいる鬼に意識を向ける。
戦いはどちらかが死ぬまで終われない。与えられた選択肢は「生」か「死 」のどちらかだけだ。
「準備はできたか小僧」
そう言って、鬼はこん棒を構える。
「この一瞬で終わらせよう、すべてを」
鬼は不思議と柔らかい表情のような気がした。気持ち悪い顔をしているはずなのに、なぜ、こんなにも優しい顔をするのだろう。
押さえようとするのに、とめどなく無く流れる涙。それを俺の本能は無情に乾かせようとする。そして、感情だけでなく、今度は体までを動かし、鬼との戦いを後戻りできないものとさせる。
涙の意味は分からない。
しかしこの先に進みためには、この鬼を倒すしか道はないのだ。




