8話 明日から鬼退治に出かけることになった
俺はその晩、結局眠りにつくことが出来なかった。頭の中で色んなことが渦巻いて、簡単に整理することができなかった。
この世界は鬼によって危機に瀕している。そして、俺はこの世界を救うために鬼を退治しなければならない。物語の流れ通りに進むのならば当然の展開だ。だけど、俺はまだその主人公が自分なんだという自覚を持つことができなかった。一体なぜ俺なんだろう。女神の説明は理屈が通っているようで納得がいかないところが多かった。
昨晩、女神は俺に使命を託したあと、そのままどこかへ行ってしまった。
「というわけで頼むよ、桃太郎。旅立ちは明後日の朝だ。それまでに準備をしておくのよ」
それだけ言い残すと、女神はスキップをしながら夜の闇の中に消えてしまった。彼女が居なくなると、あたりは急にひっそりとしてしまった。その辺の生命力が急に失われたように思えた。
女神が去ったあとで、尋ねたかった質問がどんどん湧き出てきた。この世界の仕組み、女神の正体、俺はどうして桃から生まれてきたのか。それらが解決されないことも俺の頭の中で回り続け、俺の眠りを妨げていた。分かっていることはただ1つ。ーー明後日にはこの家を出ていかなきゃならないということだけだ。
日が昇り始めると、おじいさんたちは一緒に目を覚ます。生まれてから長い間この生活に慣れてきたのだろう。時計なんてなくたって起きるべき時間は彼らの体の中に刻まれていた。そうしていつもの朝が始まる。おじいさんは柴刈りに、おばあさんは洗濯へ、俺はいつもは家で薪を割っている。しかし、今日は作業に力が入らない。ぼんやりとした考え事が頭の中によぎっては消えていく。
「太郎ちゃん、今日はどうしたのじゃ。ずっとぼーっとしおって。らしくないのう」
帰って来たおばあさんに心配されてしまった。
「大丈夫」
それだけ言って、俺は家の中に戻ってしまった。いっそのこと眠りたかったが、どうしてもこれからおばあさん達に打ち明けなくてはいけない事を考えると眠れなかった。胸が締め付けられた。
三人集まった朝食の時間は二人とも気分がよさそうだった。いつも通りの時間のはずなのに、幸せそうな二人の顔を見ているとどうやって鬼退治に行くことを打ち明ければいいのか分からなくなってしまう。
「そろそろ太郎ちゃんのあたたかい服を作ってあげないといけないねえ」おばあさんが思い立ったように言う。
「確かにそうじゃのう。桃太郎もすぐに大きくなったからのう」
「太郎ちゃんも欲しいじゃろ?それとも元気だからそんな服なくても大丈夫かのう」
笑う二人に対して俺はうまく反応できなかった。耳は確かに会話を聞いているけれども、うまく頭まで内容が入ってこない。言わなくちゃ、言わなくちゃ。俺は箸を止めてしずかにおじいさんとおばあさんを見つめる。
「……」
「どうした、太郎ちゃん?」
「おじいさん、おばあさん。実は話したいことがあるんだ」
「何じゃ?」おじいさんが尋ねる。
「……俺、明日から鬼退治に出かけることになった」
おじいさんたちからすぐに返事は返ってこなかった。俺はできるだけ二人から目を離さないように、じっと二人のことを見続ける。
「鬼退治……じゃと?」おじいさんがついに沈黙を切った。
「そう、鬼退治。この世界で暴れている鬼を退治してくる」
「な、なんでまた急に」
「昨日、夢を見たんだ。やけに現実的な夢を。その中で俺は女神さまと出会った。そしてその中で鬼退治をしてくるように言われた。――出発は明日だとも」
本当に女神と会った、とはさすがに言えなかった。この世界でさんざんあがめられている女神に簡単に会えるわけがないと思われてしまうからだ。俺はさらに続ける。
「だから、俺は鬼退治に出かけようと思う。それが、俺がこの世界に来た理由だと思うから」
「桃太郎……」
おじいさんが深く息を吐く。食卓には重い沈黙が漂った。何と話せばいいのかわからない。おじいさんたちは突然言い渡された宣言をどうのみこむべきか分からないといった様子だ。
「ダメじゃ」沈黙を破ったのはおばあさんだった。
「え?」
「そんな夢の話なんて信じられん。わたしゃ太郎ちゃんが鬼退治に行くなんて認めないぞ」
それだけ言うと、おばあさんは食事もそのままに家の外へ出て行ってしまった。
お読みいただきありがとうございます!
ようやく旅立ちです。少しずつ昔話の桃太郎からは別の物語になってきているかなって思います。